68.0話 3人娘の休日
―――6月11日(日)
「千穂ぉー!! ごめん! 待った!?」
「佳穂は何やらせても遅いから……」
「いいよ? 慣れてるから」
「千穂が怒ってる……」
「怒ってないってば!」
「やっぱり怒ってるぅぅ!!」
「佳穂! めんどくさい!!」
前日の土曜日、千穂は佳穂千晶を遊びに誘った。彼女たち3名は表面上、平穏を保っている。これに関しては佳穂の性格によるところが大きい。佳穂は憂強奪宣言をしたにも関わらず、千穂に普通に話し掛けていた。何も千穂から憂を完全に切り離すつもりなどない。千穂と憂と自身の気持ちを鑑みた上での強奪宣言だ。佳穂はグループ内での千穂と自分のポジションを入れ替えようとしているだけなのだ……と思う。
千穂は千穂で確認しておかなければならない事があった。あの日、屋上で出来なかった佳穂の気持ちの確認である。
千晶は2人の仲の崩壊に怯えていた。表面上は何1つ変わっていないように見えていたが、千晶と2人の繋がりは深い。敏感に親友2人のぎこちなさを感じ取っていた。佳穂の告白を止めるつもりは無い。佳穂の告白が叶えば、それは千穂の為にもなると千晶も思っている。
それでも……。佳穂の告白が叶おうとも敗れようとも、3人……、いや憂を含めた4人の関係を維持したいのだ。
そんな三者三様の想いがあり、この日、彼女たち3人は蓼園モールに集まったのだった。
「とりあえず、ご飯にしよっか?」
「千穂様の仰せのままに」
「仰せのままに……」
千晶が長めのスカートを軽く摘み上げ、腰を落とす。所謂、カーテシーをしてみせた。佳穂はパンツスタイルの為か執事のように右手を胸に添え、腰を折る。
「もう! 何それ!」
千穂は文句を言いながらも笑顔を見せた。
「憂ちゃん、明日から来るの!?」
「やったぁぁ!! 長かったよぉぉ!!」
「佳穂! ……ちょっと……声大きいって……」
千晶に注意され、周囲を観察する。そして佳穂は自分たちに他の客や店員の視線が集まっている事に気付くと、目が合った者にヘコヘコと会釈した。『ごめんなさい』だ。
千穂はカフェ・オ・レをひと口啜る。一緒に注文したサンドイッチは既に胃袋に収まっている。
3人が食べ終わり、ひと息吐いた頃を見計らい、千穂は大切な話を切り出す。
憂の復学は佳穂の告白を意味する。出来ることなら、じっくりと時間を掛けて話したい。
「それで……告白……なんだけどさ……」
「え? するよ? 決めたから」
「うん……。それは分かってる」
あっさりと断言する佳穂を前に、千穂は何も言えなくなり俯いてしまった。
そんな千穂に千晶のフォローが入る。
「佳穂。聞いてあげてよ。千穂? 言ってごらん? 言いたい事あるんでしょ?」
「……うん」
千穂はゆっくりと顔を上げる。それまで穏やかだった表情は思い詰めたものに変化していた。
「あ! ごめん! その前にわたしから提案!」
「なんだよー! あたしが聞く気になったのに、今度は千晶が邪魔するのかよー!」
「ごめんってば!」
「……それで何かな?」
今度は千穂が千晶のフォロー。何だかんだ言っても仲良し3人組……と云った処である。
「佳穂。告白は課外授業……野活の後にしない?」
「えー? やだ。決めたら行動がポリシー」
その答えに千穂と千晶が顔を見合わせ、小さな溜息を吐いた時、佳穂が続けた。
「……なんだけど、今回は折れてあげるー」
「佳穂……」
「……佳穂」
「かほかほ言うな」
「タイミングが少しずれただけよ」
「ずらすなよー。合わせろよー」
「無茶言うな!」
「それはともかく!」
佳穂は千晶のツッコミ(?)をひと言で抑え込む。
「野外活動でしょ? 結局、憂ちゃんは参加しないし、せーたかセットもごえーペアも行かないし、3人気まずくなったら嫌だもんね。あたしらは前に『憂は気にせず楽しんできてね』ってお姉さんに念押されちゃったし。今更キャンセル出来ないし」
「佳穂……。ありがと……」
「お!? 千穂? 千晶? 今回の件は高く付くよ?」
「……どのくらい?」
「憂ちゃんくらい。むしろ憂ちゃん?」
「うわっ! 高っ!」
「佳穂……。その事なんだけど……ね?」
またもや千穂の均整の取れた顔に陰が差す。佳穂も千晶もまた眉を顰める。避けては通れない事は佳穂も理解している。無意味な事とは解っていながら引き伸ばしていただけだ。
「その……告白……。私の為に……とか、思ってないよね?」
千晶は予想通りの質問を聞き、不安げに佳穂を見やる。
佳穂はテーブルに両手をドンと突き、立ち上がると大声を発した。
「自惚れんな! そんなのついでよ! ついで! あたしは千穂の為より自分の為に告白するんだ!! 大体、あんたはいいの!? あたしが奪っても!?」
言い切った後に周りを見回し、顔を赤らめ大人しく着席した。2度目は流石にお馬鹿さんとしか言いようがない。しかも内容が悪い。周囲の客は何事かと注目し、ヒソヒソと言葉を交わす。3人は慌てて、残った飲み物を空にし、店を後にしたのだった。
「佳穂のおバカ」
「はい。お馬鹿です。ごめんなさい」
「最近、簡単に謝るから心が籠ってないように思う」
「千…………。ぁ……。……千晶が……いじめるよー……」
「……佳穂」
千穂は無言で2人の後を付いて来ていただけだった。
3人は、しばらくモール内を無言で徘徊すると、人気の少ない一角のベンチに腰を落ち着けた。
そこで最初に口を開いたのは意外にも千穂だった。
「奪っても……いいよ。憂が佳穂の気持ちに応えるなら、私は納得する」
「いいんだね? あたし、あんたに憂ちゃんじゃダメな理由も言うよ?」
「……うん」
「ちょっと待って。その前に憂ちゃんは知らないの? 忘れちゃってるの? ……知ったら……傷付いちゃうよ……」
「優の……優くんの時には言ったよ。優くんはね。真っ赤になって『頑張ろうね』って言ってくれたよ?」
「こやつ。未だに惚気けるのか」
千晶のツッコミを完全に黙殺すると、現在を語る。『傷付く』事については触れない。千穂の事情も複雑だ。
「憂は……憂ちゃんは絶対に忘れてる。憶えてたら憂から別れるって言うはずだから……。優しい優ならそうするはずだから……」
「……ごめん」
佳穂が謝る。千晶は沈黙する。
「……どうして……謝る、の?」
「あたしが卑怯者だから。一番、傷付くのは憂ちゃんだって事も理解してる」
千穂は瞳に涙を溜め、頭を振る。
「佳穂……ありがとう……。自惚れでも……いい。私は……、佳穂が、憂を想う気持ちと同じくらい……、私の事を思ってくれてるって……思えるん、だ……」
言葉の出が悪くなりつつ、尚も続ける。今にも泣き出しそうな声を絞り出す。
「憂が……傷付く、のは……、憂の、これから……の、為にも……必要、な事……。……私の口……からは、言え、ない……から……」
「…………」
「…………」
2人が重く口を閉ざし、しばらく時間だけが流れた。
重く悲しい空気を振り払ったのは、この空気を嫌う佳穂ではなく、千晶だった。
「ねぇ? 約束しない?」
「「…………?」」
千穂も佳穂も小首を傾げ、千晶を見詰める。
ポニーテールを微かに揺らし、「ふふっ……」と小さく笑った。いつの間にか、ほぼ全員が小首を傾げるようになってしまった。
「佳穂の告白が成功しても失敗してもね。3人はこのままだって……。憂ちゃんへの友情も愛情もこのままだって……」
「……うん」
「そうだね……」
「約束……だよ……?」
「そりゃー! 撃て撃て撃てーー!! 千穂も撃たんかぁ!!」
「佳穂うるさい」
「千晶! 外野でうるさい!」
「なんだとー!?」
「千穂も何か言わんかぁぁ!!」
「千穂はね。熱中するとダメなんだよ?」
「知ってた」
3人は気を取り直し、モール内のゲーセンで遊び始めた。現在はガンシューティングで押し寄せる敵を乱れ撃ちの最中。何故か弾薬は尽きない。無限に撃ち続けている。
「ぎゃー! やられたー!」
「わたし、入るねー」
千晶がすかさず百円玉を投入すると、佳穂が持っていたプラスチックの銃を奪い取る。
「ぎゃー! 割り込まれたー!」
「佳穂うるさい。千穂を見習いなさい」
「なんだとー!? あたしが無言だと千穂があんなだし、寂しいぞー?」
「……それは嫌かも」
「……でしょ?」
「うん」
「寂しいなら俺らと遊ばない?」
2人の会話に割り込んだのは、若い男の声だった。佳穂は溜息を吐きながら声の主に振り返る。彼女はナンパ男が嫌いだ。嫌いになった。
「なん……」
文句の1つでも言ってやろうとした口を閉ざす。
「や! 奇遇だね!」
「うぃー!」
「あれれ? ホントに奇遇……。でもないか。蓼学生って言えばモールだし」
「あ。それ言っちゃう? 運命でいいじゃん」
「佳穂! 状況説明! そっち見れない!」
千晶も千穂も筐体のモニターから目を離せない。いや、千穂はおそらく耳にさえ入っていない。そして、彼女は意外な事に上手なようだ。プレイ時間がヤケに長い。
「ナンパされてる」
「嘘ばっかり! あんたナンパ男嫌いでしょ! 仲良く話すワケない!」
「振り向けば?」
「こ! この! あ!!」
「あーあ。終わっちゃった。集中しないから」
「佳穂ぉ! あんた! ……あ。京之介くんに圭佑くん。部活は?」
「え? うん。千穂ちゃんが気付いてくれてから話すね」
京之介の意見は至極最もだ。二度手間となる。
「千穂!!」
反応は無い。バスケ観戦時同様、彼女の耳には何も入っていかない。
「いい加減にして!」
「きゃああ!!」
……千晶が底上げされ、それなりに見える胸を。佳穂が憂ほどではない小振りなお尻を掴み、千穂は現実世界へと引き戻されたのである……。
そして、5名に増えた一行は先程、友情を確かめあったベンチへと戻ったのだった。
そのベンチの周囲は変わらず閑散としていた。
女子3人がベンチに座り、バスケ部2人が正面に立っている。ここに来るまでに憂の学園復帰は2人に伝えられ、2人とも大いに喜んでいた。そこは人に聞かれても問題のない部分だ。
「今日の部活は半日よー。んで、暇だからゲーセンにってワケ」
そこで、ようやくゲーセンに現れた理由を圭佑……渓やんが話した。
ゲーセンには長居出来なかった。千穂は目立つ。物凄く真剣な顔して銃を撃ち続ける千穂には、密かにギャラリーが付いていた。佳穂と千晶のセクハラ後、ギャラリーの存在に気付いた千穂は、茹で蛸の如く真っ赤に染まり、脱兎の如く逃げ出したのだった。乳や尻を揉まれる姿を見知らぬ男性に見られたのだ。致し方無い。
「そうなんだ……って事は疲れてるよね!? 座る!?」
立ち上がった千晶と腰を上げかけた千穂佳穂を、圭佑の相棒が手で制す。
「大丈夫だよ。僕らは鍛えてるからね」
きょうちゃん。彼は相変わらず優しいようだ。実に紳士的な態度である。
「きょうちゃんて、優しいよね。千穂なんてどう? この子、優しくてバスケ上手い人が好みなんだよ? 条件ぴったり」
「佳穂ちゃん。それは……無理だよ。優に顔向け出来ないから」
「千穂ちゃんて、まだ……その……付き合ってんの?」
渓やんの疑問はもっともだ。かつての仲間としては気になるところだろう。きょうちゃんも興味を惹かれた様子だ。
しかし、その話題はタイムリー過ぎた。千穂は何も言えず、俯いてしまった。
「あ! ごめん! 俺、ただの興味で聞いちまった! 無神経だった!」
「ううん! 大丈夫!」
「……その憂ちゃんは近いうちにあたしが奪う予定」
「「え?」」
男子2人の声が綺麗にハモった。綺麗にハモるのは久々で嬉しい。
……それはともかく、憂は今や可愛い女の子だ。奪うと言った佳穂も女子だ。『え?』と思ってしまうったのは至極まっとうな反応だ。
「ま、まぁ、それは置いといて……。ユウって……どうなのかな?」
「どう……って?」
「えーっと……。ごめん。色々ありすぎて……」
京之介の気持ちは分かる。聞きたい事は腐るほどあるはずだ。周囲を見回し、人の存在が無い事を確認すると改めて問い掛ける。
「隠してる理由は拓が話してくれたよ」
拓真の名前が出ると圭佑は渋面となった。圭佑をちらりと見た京之介だったが、相棒の変化を気にする様子もなく、話を続ける。
「『知ってる』人の基準って何かな? あ。僕は怒ってる訳じゃないよ? 単なる疑問。ユウが憶えてたり、思い出したりした人じゃないよね? それだと康平くんたちの説明が付かないから」
「千穂? わたしが話していい? 2人の気持ちは分かるから。佳穂は説明に向いてないし」
「うん。向いてない」
「認めるんだ……」
「うん。あたしバカだから」
「千晶? 言い出したんだから説明しよ?」
「あ。そうだった。ごめん」
千晶は2人に向き直ると説明を開始した。
「憂ちゃんが病院で目覚めて、何日か後にね。先生が記憶している人の事を聞いてみたんだって。その時に名前が出たのは、友人関係では千穂と拓真くん勇太くんコンビ。3人だけ」
千晶はそこで言葉を切り、2人の様子を伺う。京之介は苦笑いを浮かべ、圭佑は眉間に皺を寄せている。悔しいのか苛々していると云った様相だ。
「わたしと佳穂、梢枝さんと康平くんが『知った』のはそのあと。ここまでは拓真くんから聞いてるよね?」
「……うん」
「わたしと佳穂はね。千穂の様子と、憂ちゃんの女の子としての違和感で気付いたんだ。梢枝さんと康平くんは、信用……かな? 千穂が話してあげた理由は」
「うん。それで正解だよ。数学の先生の時、頑張ってくれてたし、総帥さんが派遣してくれた護衛だって話だったし」
「それじゃあ、やっぱり思い出したから……とかじゃないんだ……。勇太は……僕らの事、思い出したとか言ったんだ。でも本当なのか確信が持てないんだよね。あまり憂が絡んでくれないから……」
「なぁ? ぶっちゃけ、ユウは俺らのこと思い出してねぇの? よく分かんねーの」
「思い出してるよ。圭佑くんの事も京之介くんの事も」
千穂の言葉に、佳穂も千晶も少し躊躇いがちに頷く。千穂のように確信とまでは至っていないのだろう。
「それ……マジで……?」
「はい。マジです」
佳穂も千晶も身を乗り出す。千穂が断定出来た理由を知りたいらしい。
「……憂ってね。下の名前を呼び捨てにしかしないんだよ。憂は『渓やん』『きょうちゃん』って呼んだよね。だから間違いないよ?」
千穂はもう1度、断言した。拓真と勇太からも思い出しているだろうと聞いていた。それに加えて渾名で呼んだ事で確信へと変わったと云うことらしい。
「お願い……」
「千穂ちゃん?」
「なに?」
「お願い。戸惑う気持ちは分かるけど憂と話してあげて。それで出来れば転室しないで欲しい」
「…………」
返事の出来ない無言の圭佑を京之介はちらりと横目で見やる。
「憂は思い出してる。でも、思い出しても言っちゃダメって言われてて。だからなるべく、2人の傍に行かないんだ。表情に出ちゃうから。バレたら大変って言われてるから。……2人が憂だって分かってて、憂も思い出してて……。それなのにこのままなんて悲しすぎるよ……」
千穂の懇願を聞き、京之介は柔らかく笑った。
「……僕は元々、話すつもりだったよ。みんなが課外授業に行ってる時にね」
「え? きょうちゃん!? 俺、聞いてねぇよ!?」
「言ってないからね」
「お前!」
「だってさ。渓やん居たら、拓と勇太とも話せないじゃん」
「…………」
圭佑はすぐに頭が血が上るタイプだ。京之介への怒りをグッと堪える。今回は女子の前の為、抑えられたのかも知れない。
そんな相棒に、3Pシューターは提案する。
「もう1度……。話してみない? 5人でさ」
「あたしからもお願い!」
佳穂が両手を合わせ、お願いのポーズを取る。見れば千晶も両手を合わせていた。
「はぁぁ……わかったよ……」
「ホント!?」
「……ったく、親になんて説明すりゃいいんだよ? 今からじゃキャンセルしても代金戻ってこねぇぞ……」
「それは……ごめん。ホントに」
渓やんは、きょうちゃんにジト目を送ったのだった。
彼らは、しばらく彼女らと語り合った。
その中で佳穂が何気なく発したひと言は、2人の心に深く響いた。
「あたしらは千穂を見て、気付いたんだよねー。だから、憂ちゃんを見て気付いたのって、君たち2人だけなんだよねー。誇っていいぞ。諸君」