64.0話 初めての欠席
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―――6月8日(木)
憂の転入から丁度、1ヶ月。
この日、C棟1年5組は7名の転室者を受け入れ、満席となった。
1-5には転室希望申請が殺到していた。学園歴代を遥かに凌駕する最多の人数だった。
その為、特例措置が取られた。
通常であれば、転室者が多く、定員の40名を超えた場合、申請を受理した順番に転室していく。つまりは早い者勝ちだ。あぶれた者は必要があれば、希望と違うクラスへと転室していく。
しかし、今回は余りにも多すぎた。棟を超えた申請者にも配慮する必要があった。
残っていた席は7つ。憂が転入した日は申請解禁日だった。その日の内に申請を出したC棟の者で全て埋まっていたのである。
これは何も憂の影響だけでは無い。担任の白鳥 利子が人気のある教師である事も大きい。
学園は、増え続ける5組への転室希望者を前に、C棟1-5への転室申請は5月23日。転室解禁から半月後を以て締め切った。現在のクラスに馴染めず、脱出を図る者への対策である。
それ以前に申請を出した者には、個別に文書が配布された。陰で行われていているイジメ等を避けるために申請した者を選定する。
……と云う、大義名分の下、申請を出した生徒たちに通常は行われないヒアリング調査が行われた。
そして、憂の為に……と、思える者を申請者の中から絞り出した。憂の為に……と、『思える』者だ。動ける者ではない。深入りされてしまっても問題なのだ。
裏サイトの利用者と、ある部活動に所属している者は全員が申請を却下された。クラス内での情報の拡散速度を鈍くする為である。
普段からの素行も調べ上げられた。その過程で憂への害意、敵意を持つ者は当然ながら排除された。
これら全てが総帥の指示であった。総帥は、またも憂の為に多大な人と金を動かしたのである。
調査に動いた中心は、康平と梢枝が所属している会社である事を追記しておこう。
その厳選された生徒の中から、厳正な抽選の結果、厳選された者が1-5への転室の権利を手にし、晴れて転室となったのである。
弾かれた者には、別のクラスへの転室が打診され、それを受け入れ、或いは断ったそうだ。
ある部活動の所属者はC棟の他クラスに集結したらしい……が、元々はC棟の生徒を中心に結成された部だ。その人数は、さほど多くはなかったようである。
受け入れ人数の多かったこの日。1-5は金曜の5時間目と授業を入れ替えられた。
本来の金曜の5,6時間目はHR。つまり、本日の1時間目はHRとなった。
先ずは転室者7名が順番に自己紹介を行なった。
その自己紹介をした男女7名は、声も表情も冴えなかった。
それもその筈。彼らの目的の少女、憂の席が空だったからである。
この日、利子は姉の電話で欠席を伝えられた。憂は早退こそ多かったものの、丁度1ヶ月目にして、初めて欠席したのだ。
その電話を受けてから……いや、昨日の5時間目。現国の授業の途中から、利子の普段の元気の良さは鳴りを潜めている。
「今日はお休みしちゃってる憂ちゃんを愛してやまない大守 佳穂です! よろしくお願いします!」
そんな元気の無い教室の空気を変えようと思ったのか、いつもの冗談で自己紹介した佳穂にまばらな拍手が返っていた。ひと言で言うと……スベった。
佳穂は不満そうに着席する。着席すると斜め後ろの主の居ない席を淋しそうに見詰めた。
「佳穂……」
千晶がそんな佳穂に小さく声を掛けたが、相棒の声に何の反応も示さなかった。
現在、受け入れた側……。元々、5組の生徒だった者たちの自己紹介中だ。
(私のせいだ……。憂さんを私が早退させたから……)
利子は4月から観ている生徒たちの自己紹介を聞いていない。押し寄せる後悔に潰されかけていた。
昨日の5時間目の出来事を語っておく必要があるようだ。
―――昨日の5時間目。憂は頭痛の対策として、利子の授業を睡眠時間に当てる予定だった。だが、眠れなかった。原因は見知らぬ先輩。男子生徒からの告白だった。
『好きに! なって……しまいました!』
その男子は、そう言うと慌てた様子で逃げていった。その告白を境に憂は悩み、考え込んでしまった。席が隣の千穂も、前の佳穂も千晶も。後ろの勇太も拓真も睡眠を促した。教師である利子もだ。
周囲の促しを受け、憂は眠ろうと試みた。だが、眠る事が出来なかった。以前にラブレターを貰い、その内容を教えられた時も、その可憐な顔を顰め、複雑な胸中を垣間見せていた。
今回は直接、想いを伝えられた。そして、また悩んだ。彼女は動揺していた。
――何で、自分なのか?
――何で、純粋な女子に想いを寄せないのか?
――何で、何も出来ない自分なのか?
――何で、取り柄の1つも無くなった自分なのか?
――何で? ――何で? ――何で? ――何で?
――――なんで――――?
……憂は、自身の脳を酷使した。
そしてその時はやってきた。
苦悩は苦悶へと変わった。
思い悩んでいた表情は、苦痛に耐える表情へと変貌した。
頭を抱え、呻き声を上げ始めた。
千穂は2日前、そうしたように背中を撫でつつ、憂に震える声で問い掛けた。
『保健室に行こう?』
千穂は理解していた。家に帰ろうが病院に行こうが、頭痛を鎮める為には睡眠を取るしか無い事を。早退は、いたずらに頭痛を長引かせる行為となる事も。
憂は苦痛に耐えつつ、千穂の言葉を理解すると首を横に振った。
『ここに――いたい――』
激しい頭痛に苛まれながらも、大好きな学園に居たかったのかもしれない。
千穂は何も言えなくなった。憂の願いはどんな事でも叶えてあげたいのだ。
尚も苦痛を小さな躰と澄んだ声で訴える憂の姿を前に、利子は居た堪れなくなった。
授業を中断すると、廊下に出て憂の自宅へと電話した。保健室へ連れて行っても無駄との判断だった。利子の後悔はこの判断にある。
利子は電話を終えると、憂はすぐに早退すると伝え、授業を再開した。
……授業は全く進まなかった。
クラスメイトたちは苦しむ憂を哀しげに見詰め、或いは目を逸らした。耳を塞ぎ、机に伏せる者も居た。
利子もまた上の空だった。
その授業の風景を愛は、サイドスライドドアの覗き窓から見てしまった。愛は幸から伝達され、大幅な速度超過の末、駆け付けたのだった。
梢枝が姉の到着に気付き、利子と千穂に聞こえるように、姉の到着を告知した。
利子はすぐに廊下を出た。すぐに愛に状況の説明を始めた。
千穂は車椅子を押し、梢枝が開放したドアをくぐろうとした。それは叶わなかった。憂はドアの取っ手にしがみつき、両足をフットレストから降ろして踏ん張り、教室から離れる事を全身で拒否したのだ。そして必死の形相で言葉を絞り出した。
『ぃゃだ――ここに――』
伸びてきた柔らかな髪を頬や額に貼り付け、脂汗に塗れた全身でそう訴えた。憂としては、度重なる早退が辛かったのかも知れない。悲しかったのかも知れない。
これから先も続くであろう頭痛と戦っていくと云う宣言だったのかも知れない。
『憂……迷惑……なのよ……』
そんな憂に愛は感情を押し殺し、簡潔に伝えた。それは姉の優しさだったと推測する。
愛は想いの全てを伝える事は出来なかったのだろう。想いを伝えようとすればするだけ脳を酷使させる事になるのだ。
その言葉を聞くと憂は抵抗を止めた。
姉を睨み付け、ポロポロと大粒の涙を流し始めた。
愛は嗚咽と苦悶の入り混じる愛する妹の座る車椅子を押し、急ぎ足で帰宅の途に就いたのだった。
これが前日の5時間目。楽しかった調理実習と昼休憩後の出来事である―――
私の判断ミスだ……。
あの時、千穂さんは保健室にって……。
病院じゃなかった。今、思えば、きっと頭痛の対処法は眠る事しか無いから……。
痛み止めは……?
……ダメなんだ。きっと……。
じゃあ、どうすれば良かったの? 憂さんは眠れる状態じゃなかったよね……?
保健室へも拒否したし……。
………………。
………………。
……判らない。
でも……。
きっと……私は一番、最悪な選択をしちゃったんだ……。
今日の欠席は私のせいなんだ……。
…………。
また……来てくれるのかな……?
このまま来てくれなくなるなんて事無いよね?
……嫌。
そんなの嫌!
神様! お願いします! 憂さんを助けてあげて下さい! こんな時だけ都合よくって事は解ってます! それでも!
それでも……お願いです……。
憂さんの……あの可愛い笑顔を見たいんです……。
憂さ「……先生?」が見たいんです……。
「先生!?」
「は、はい!!」
「センセ……。自己紹介、みんな終わったよ……」
有希さん……。暗い顔……。みんなも……。
……ごめん。
ダメですよね。私がこんなだと。クラス内に悪影響です!
「ごめんなさい! 私のぼんやりにもみんな慣れてきちゃったかな?」
笑い声は無いですね。冗談言ったんですけど。
暗いなぁ……。
……なんとかしないと……。
なんとかしないといけませんね!
憂さんはまた来てくれる!
憂さんは前向きな素直で良い子なんだから!
「みんな! 何か言い足りない事って無いかな!? 無いなら私が喋り倒しちゃいますよ?」
「はいはーい! サッカー部! 今日来たメンバーにサッカー部いねーの!?」
「健太ぁ……。居ないだろ……。見りゃ分かるだろ?」
「健太! あんた同じ部の人も覚えてないの!?」
「あ! いて! お前、また!!」
有希さんが健太くんの頭をペチン。健太くん。いつもありがとう……。
「じゃあ! じゃあさ! あのへんてこな部の人は!? 何だっけ? 校内の問題を未然に防止する部だっけ?」
佳穂さんも。沈んだ空気を振り払ってくれるのは、いつもこの2人。
あれ? 憂さんが階段から落ちて怪我した時には千穂さんだったかな?
「『学園内の騒動を未然に防止する部』ですよ! 残念ながら全員、抽選に漏れちゃったみたいです!」
「あはは! かわいそー! あいつらが1番、ここに来たかっただろうね!」
笑顔が増えてきた!
みんな分かってるだよね!
憂さんは笑い声が溢れる5組が好きなんだって事!
その頃、憂の自宅では……。
「お兄ちゃん――これは――?」
憂が小首を傾げつつ、剛に問い掛けていた。
「はじまり」
「これは――終わり――?」
「正解だ」
剛は、妹の頭をくしゃりと撫で上げる。
「へへ」
憂は嬉しそうに、はにかみ、笑顔を見せた。
勉強中だ。
父と姉を見送った後、憂は剛に勉強を見て欲しいとお願いした。
2時限目からの講義を受けに行く予定だった剛は、すぐに予定を変更した。丸一日、憂の勉強に付き合う。もちろん、休息を混じえつつ。そんな予定に。
憂は漢字の書き取りから、読みを中心に切り替えていた。
書きは出来なくても読む事が出来れば、難解な教科書の解読が進む。そんな判断だろう。
剛は、憂のそんな想いを理解すると、憂の教科書を開き、そこに書かれている漢字の優先度の高そうなモノを抽出し、教えているのだ。
「憂? 頑張りすぎ……ダメよ?」
幸は仲睦まじい様子の兄妹に目を細めつつ、注意を促した。
「わかってるよ。ちゃんと休ませるから安心しな」
兄は母に笑い掛けると、教科書に目を戻し、1つの漢字を指差した。
「憂……? これは?」
「えっと――」
「語る」
「――かたる?」
「そう。かたる」
「それじゃ……これは?」
「はじまり」
「よし! いいぞ!」
「やった――おぼえた――」
この反復の読みの勉強は憂に合っているようだ。少しずつ読める漢字は拡大している。
剛は憂に教えながら昨日の回想に耽る。
午後に単位の必要な講義が無かった剛は、たまたま自宅に居たのだ。
―――姉の軽が到着すると、兄はすぐに妹を抱き抱え、憂の部屋へと急行した。
その時には苦痛に体力を削られ、ぐったりとしていた。
母は用意していた洗面器の水でタオルを濡らし固く絞ると、その端正な顔を拭った。
「――んん――…もちいい」
軽く冷やされた水が心地良かったのだろう。憂はすぐに寝息を立て始めた。もちろん意識が朦朧としていた影響もある。
姉が車を止め終わったのか、階段を駆け上がってきた。
姉は母から憂がすぐに眠りに落ちた事を聞くと、弟を部屋から追い出し、躊躇うこと無く、セーラー服に鋏を入れた。下着たちにも鋏を入れた。
身に纏っていた衣類は多量の汗を吸っていた。
このままだと風邪を引く。しかし、憂を起こす訳には行かなかった。
母が今度は人肌程度に温めた濡れタオルを用意し、優しく丁寧に2人は憂の躰を拭っていったのだった。
憂はそれから3時間後に目覚めた。
目覚めは突然だった。
3時間後、3人は憂の部屋で読書やスマホをいじり過ごしていた。誰もが、ちらりと憂に目を向けては、穏やかな寝顔に安心し、手元に目を戻していた。
何もする事は無かった。憂の目覚めを待つだけだった彼女らは、そうやって時間を潰していた。
「な――なんで――!?」
憂は静かに目覚めると、布団の中で服を着ていない事に気付いたのだろう。
布団を撥ね退け、飛び起きたのだった。
「……憂? 頭痛は……?」
心配そうに問い掛ける姉と、その愛らしい顔を見詰める母と兄。
「ぅやぁぁぁぁぁぁ!!!」
憂は兄の存在を認識すると、瞬時に赤く染まり、自分が撥ね退けた布団で幼い肢体を隠し絶叫した。
「ごめん!!」
ガンッ!!
「痛っ!」
……剛はドアにぶつかりながら憂の部屋から飛び出したのだった。
それから10分ほど。
パジャマを着た憂が2人に伴われ、リビングに姿を見せた。捻挫が治った憂は自身の足で階段を下り、歩いてきた。
「お兄ちゃん――ボク――ごめん――」
リビングに現れた憂の第一声がそれだった。まだ顔は赤かった。だが、頭痛は治まっている様子だった。
「俺こそ……悪かった……」
2人は照れ笑いを浮かべながら、お互いに謝りあった。憂は、きっと忘れている。あの日は姉のインパクトが強すぎたのだろう。
退院当日。ブラの着用を促す姉から必死の想いで逃げ、家族全員に堂々と裸体を晒した事を。
……何はともあれ、この一件で剛と憂との距離は更に縮まったのだった。
それから姉も憂に謝った。無理に早退させた件を、だ。
「――あ――そっか――がくえん――」
……忘れていたようだ。
姉は苦笑いし、理由を憂に説明した。
憂があの状態では先生もクラスメイトも授業どころでは無い事。
憂は、すぐにそれを認めた。愛が憂の苦しむ様子を千穂に置き換えて説明したからだ。
千穂が苦しんでいる時に憂は授業に集中など出来ない。それは針が刺さったあの日の朝、隣で痛みに苦しむ千穂への様子で証明されている。
また、これからも授業を妨害する可能性がある以上、頭痛の問題が解決するまで、学園には通えない事も話した。
頭痛さえ無くなれば、すぐにでも学園に復帰出来る事。
大好きな学園への通学を妨げる全ての原因は頭痛にある。
大好きな千穂に会えない原因も頭痛にある。
憂にそれを強く認識させたのである―――
「ただいまー」
リビングでの勉強の最中、愛は帰宅した。
「あら? ……おかえり?」
「姉貴……? 仕事は……?」
「お姉ちゃん――おかえり――」
憂は解っていない様子だ。愛の帰宅時間は明らかにおかしかった。
「仕事? 辞めてきちゃった」
愛は怪訝な表情の2人に、あっけらかんと言い放ったのだった。