61.0話 思い付き
―――6月3日(土) 昼休憩
「あはははは――!!」
憂は身悶ている。
「あはは!!!」
躰を捩らせ、耐える事も無く、明るく無邪気な笑顔を振り撒いている。
「やめて! ――あはは!」
「……憂? ちょっと……我慢……してよ」
そう言う千穂も釣られて笑顔を見せている。周囲に集まる生徒たちも皆、笑顔を貰っている。
現在、憂の左足の傷の処置中。綿棒でチューブ入りの軟膏を少量取り、それを傷口に塗っている最中である。
その綿棒がくすぐったくて、左足をばたつかせ、声を上げて笑っているのだ。パンツは……ピンク色の可愛らしいものがチラチラしているが、周囲は女子で溢れている。大丈夫なのだろう。きっと。
処置と云っても大した事はしない。ソックスを脱がせ、包帯とガーゼを外し、消毒し、軟膏を塗布するだけだ。その後は新しいガーゼを添え、包帯をひと巻き。テープでその包帯を止め、ソックスを履くだけである。
目立つネット包帯はすぐに変更された。新たな傷を強調する必要は無い。
前日に問題を起こした2人は今日も登校している。
一時は裏サイトに名前が挙がった2人だったが、それは噂の域を超えていなかった。
確実な情報は5組内で止まった。
憂が許したのならば……と、裏サイトを使用している僅かな5組の生徒は、その犯人の確定情報を流さなかった。故に噂と憶測で止まったのである。
梢枝は2人に堂々と過ごすよう話した。
そうすれば自然に出回った情報は消えていくだろう……と。
康平は、とある部の部長と接触した。
彼には裏サイトのあるスレッドの主要メンバーだった経歴がある。
問題は解決した。これ以上の問題の追求は憂をいたずらに傷付ける行為だ……。そのように康平の口から語られた。憂のグループメンバー直々の言葉は彼にとって重かった。
彼は急遽、部員を招集し、康平の言葉を伝えた。
……以降は、その話題は鳴りを潜めた。スレッドの元主要メンバーの集まりが彼の部なのである。彼らがその話題を逸らす方向で動くと、当然のようにイジメの話題は遠ざかっていったのである。
現行スレッドを少し覗いてみよう。
701:700番台突入。戦闘準備!
702:結局、針仕込んだヤツって誰? 昨日名前上がった2人組?
703:>702その話題は禁止。憂たんが天使の心で許したらしい。許した以上はそれでおしまい。犯人が誰だろうともう関係ない。犯人が吊るし上げられれば優しい憂たんは傷付く。
704:くる……。みんな牽制し合ってコメしねぇww
705:再びこの時が……
706:憂ちゃんの誕生日GET!
707:誕生日げと!
708:誕生日!!
709:バースデー番!
710:(*´ω`*)
711:憂たんの誕生日ナンバー!
712:とりゃーー!!
713:誕生日!
714:うぉぉ! 今度こそぉぉ!!!
715:俺が取る!!
716:くっそぉ! 早かった!
717:(;´Д`)
718:取ったぁぁぁ!!!
719:またダメだった……orz
720:(´;ω;`)
721:今回の参加者10名。随分落ち着いたな……。
722:>707おめでとう。次は不参加頼む
723:ここは今日も平和だ
724:>721主要メンバーだった連中は部活動で忙しいからww
725:こうして恒例の707争奪戦は幕を閉じたのであった
726:以前は何十人も参加してたなwww
……少しタイミングが悪かったようだ。
因みに703がその怪しげな部に所属する者の発言である。このようにして、火消しに動いているのだ。
5組に話を戻す事とする。
千穂が軟膏を塗り終えると千晶がガーゼを当て、佳穂が短くカットされた包帯をひと巻きし、サージカルテープで止める。ガーゼを直接、テープで止めないのは痒みの予防だ。包帯でガーゼを固定すると、梢枝が包帯をずり上げ無いよう慎重に白いハイソックスを履かせた。
一連の流れは初めてにも関わらず実に見事であった。
実は憂のグループメンバーは、この処置の在り方について少しだが検討している。
瀬里奈と陽向に処置をさせては?
そう提案したのは佳穂だった。これに勇太も同調した。
憂との仲を対外的にアピールすると共に、傷を見せる事で2度としないと思うように……。これが提案の理由だった。
一理ある……が、他のメンバーは難色を示した。
元々、5組で浮いた存在であった瀬里奈と陽向が、あの一件の直後に急接近するのは不自然だ。徐々に近づく形が彼女たちにとっては理想的じゃないのか? ……と。
多数決するまでも無く後者に決まった。
『あ。それもそうだね』と、佳穂が簡単に意見を翻したからである。同調した勇太が少し可哀想なひと幕だった。
「えっと……軟膏塗って……」
「ガーゼを包帯で固定して、それを靴下で固定ね?」
様子を見ていた有希と優子が先程の一連の流れを声に出し、復習する。
「簡単でしょ? 電話で聞いただけで解っちゃうレベルだよ」
「明日は私たちも手伝っていい? 憂ちゃんに何かしてあげたい」
「んっと……。それは憂に聞いてみて?」
有希は頷くと、憂と目が合うまで見詰める。
「憂ちゃん? 明日……私たちが……いい?」
目が合うと話し掛けた。憂は小首を傾げ、思考を始める。
さぁ、説明しよう。
―――千穂や愛が憂に話し掛ける際、ほとんどの場合に『憂?』と頭に付ける。それは話し掛けるよ……と云う合図なのだ。
憂とよく話すグループの面々はそれを理解している。しかし、グループ外の者はそうはいかない。目を合わせる必要がある事は知っているだけに、じっとその時を待ってしまったのだった―――
――――。
どうやら、説明が短かったようだ。未だに小首を傾げている。
「――なにを――?」
……どうやら流れが掴めて居なかったらしい。小首を傾げたまま、有希に言葉を足すよう、言葉を足した。ややこしい。
「さっきの……薬の……」
千穂がフォローすると、憂は納得顔に変化していく。直前に何をしていたか思い出したようだ。それから眉を下げ、困った顔に変わる。
「そんな――わるいよ――」
以前に同じ台詞があった気がする。その時は嬉しい気持ちで言っていたはずだ。今回は本当に悪いと思っているらしい。その顔が如実に物語っている。
「したいの……ダメ?」
優子が悲しそうに懇願する。
「お願い」
「ぅぅ――おねがい――します――」
頼まれると断れない憂なのであった。
「あ、そうだ……」
「ん? 千穂ちゃん、なに?」
「あ。ううん。何でも無い」
千穂は何やら思い付いたようだ。きっと処置を他のクラスメイトに委ね、その中で件の2人を混ぜてしまおう……と思い付いたに違いない。
この日は島井が緊急の手術に入ってしまった。
つまり迎えが急遽、無くなった。愛への連絡も考えたが、再々早退させる訳には行かないと千穂が反対した。自分が同行するから車椅子を押して帰ろう……と。
その為、グループメンバー全員で憂を送っている。それはもうゾロゾロと。嫌でも目立つ。佳穂も千晶も憂の家に行く障害は無くなった。彼女たちが今まで憂の帰宅に同行しなかったのは、駅が逆方向だから……と云う理由だけではなかった。優の事故の一端……。きっかけを作ってしまったと云う自責の念が、立花家への訪問を善しとしなかった。
その心は、姉の言葉を受けた数日前よりも更に前向きとなり、丁度良い機会だと同行を申し出たのである。
道中、千晶が車椅子を押しながら思う。
(みんな見てる……。ううん。これは憂ちゃんを見てるだけ。わたしじゃない! だから大丈夫!)
すれ違う人々は皆、必ず憂をひと目見る。その表情は様々だ。そのついでのように、ほとんどの人が千晶にも視線を送ってきた。
(もう無理! 憂ちゃんと比べられたくない!)
「千穂ぉ……。ごめん。わたし……耐えられない……。千穂って凄いね。堂々としてるんだもん」
「……私だって、慣れるまで時間掛かったんだよ? それでも、完全には慣れないし……」
(嘘ばっかり!)
千穂も美少女だ。憂とはベクトルの違うタイプだが、千穂と歩いていても多少、こうなることを千晶は経験上、知っている。
「それじゃ、今度はあたしー!」
佳穂が喜び勇んで千晶と交代する。
「憂ちゃん、行っくよー!!」
「――わぁ! ――はやい! はやい!」
「「佳穂ぉぉ!!」」
駆け出した佳穂は2千に盛大に叱られた。叩かれなかっただけマシだ。
そして早々に交代させられた。
梢枝はカメラを回している。辞退した。
結局、千穂にその役割が戻ってきた。男性陣が車椅子を押すことを憂は嫌がる。妹に思われる事が嫌なのだ。
しかし、憂は大きな勘違いをしている。それは以前にもバーガーショップでもあった。その時には1人だけ中学生に見られていたのだ。
……つまり、同級生の誰が押そうと、妹と思われる事に変わりはないのである。
たまたま通りがかった通行人A。営業へと向かうサラリーマン29歳は思う。
(な……なんて可愛い子だ!? いくつだろう? なっ……あいつらでかい!! 他は全員、高校生か? それじゃあの子も!? ……いや、まさかな。誰かの妹ってとこだろ? あんな子が妹……? うぁぁぁ! 羨ましい!! そうだ……。あの子をまた見るチャンスは二度と無いのかも知れない! 写メを一枚……。いや、ダメだ! なんであんないかつい奴まで一緒なんだよ!! 時間は……。うん。覚えとこう。また会いたいなぁ……)
たまたま通りがかった通行人B。犬の散歩中の主婦34歳は思う。
(可愛い! でも……車椅子なんだ……。どうしたのかな? 骨折? 可哀想……。誰かの妹さんかな? 大勢に守られて幸せそうね。可哀想なんて私のエゴ。穏やかな顔してるじゃない。早く治るといいね! 初めて通ったルートだけど、また来てみようかな? ちょっと遠いくらいだし)
たまたま通りがかった通行人C。無職の23歳は思う。
(居たァァァァ!!! 見付けたぁぁぁぁぁ!! 急に見なくなって心配してたんだよぅ。ユウちゃん。車椅子に乗せられちゃって何があったの? 僕に理由を話して欲しいなぁ。僕のユウちゃん。いつか周りの連中の居ない時に逢えたらね。その時は僕の部屋に行こうね。ずっとチャンスを待ってるから……)
憂の家の前に到着すると、私たちは2つのグループに分かれた。
拓真くんの家には、勇太くんと康平くんと……何故か梢枝さんが。何か話したい事があるんだろうね。
憂の家には私と佳穂&千晶。
1人で家におられたお母さんに挨拶をすると、憂の部屋に行く事になっちゃった。それで、何故か荷物を渡された。
「愛が通販するなんて、どうせ憂の物だから……。ついでに憂の部屋に持って上がってくれるかな?」
「はい。わかりました」
……あれ? 結構……。随分重いよ?
憂は佳穂がおんぶ。憂はためらってたけど、仕方ないのは解ってるみたい。
「ごめんね――」って言いながら、背中に抱きついた。
階段を上がる最中、お母さんの声が聞こえた。
「何を買ったのか知らないけど、立て替えが必要なら言っておいて欲しかったわ」
代引きにしたんだね。でも、あの愛さんの事を思うと珍しい……って言うか、考えられないよね? 私が知らないだけで、愛さんにも抜けてる部分があるのかな?
憂の部屋に入るのは2度目。さすがにちょっと恥ずかしい……。
「失礼します……」
「お邪魔しまーす」
「おぉ! 男の子っぽい部屋だ! 超意外!」
……変わってないね。優の時とほとんど変わらない。タンスが大きくなった……気がするくらいかな? 女の子だからね。
よいしょ……っと。
「よいしょ……」
私が床に荷物を置いたタイミングで佳穂が憂をベッドに降ろした。
「ありがと――」
佳穂とばっちり目が合う。
「ううん。いいよ。千穂はどしたの?」
「うん。よいしょのタイミングがほとんど一緒だった」
「……そう?」
佳穂は不思議そうに首を傾げて、そのまま停止。伝染ってるよ?
さて……と。連絡しときますか。
アプリを起動する。名前の無いアプリ。便利なんだよね。これ。
千穂【愛さん。何か荷物届いてますよ?】
【え? 私の? どこに?】愛
反応早いです。仕事中じゃないんですか? 私も全然、説明が足りなかったけど。
千穂【愛さんの家です。今日、島井先生がお迎えに来られなくなっちゃいまして。だから全員で憂を送りました】
【あ、ありがと! そんな事になってたんだ】愛
千穂【いえいえ。お安い御用です!】
【ところで荷物って、なんて書いてあるかな?】愛
千穂【『雑貨』です】
【雑貨? んん? 開けてみて】愛
「千晶? 愛さん……お姉さん、開けてみてって」
「了解」
千穂【了解です】
……よく被る日だなぁ。
千晶がガムテープを剥がす。
【ちょって待って!!】愛
……誤字? 愛さんのイメージじゃ無いけど。
「ちょっと待ってって」
千穂【はーい】
「千穂。ごめん。もう遅い」
【まだ開けてないよね!?】愛
千穂【もう遅いそうです】
【遅い「そう」って他にも誰かいるの!?】愛
……さっき全員って入力しなかったかな?
「千穂ぉ……。これ……」
【キャンセルし忘れてた!! フォローお願い!】愛
【一生のお願い!!】愛
「千晶……。それって……」
…………?
…………!?
「うわぁ……鞭とか初めて見た」
「すっごい。これロウソク?」
「あ! あの!!!」
「千穂!? びっくりするじゃない! 急に大声上げて!」
こんこん。
「はい!?」
あ。思わずノックに返事……。
がちゃ。
「みんな、ジュースを……それなに!?」
あー。最悪……。愛さん、ごめんなさい。今から説明します。
お母さん……。何も全部、広げなくても……。私たち、2ヵ月ちょっと前まで中学生だったんですよ? 刺激が強すぎます。みんな何か話そうよ。静かで怖いよ?
愛さんが私を元気付ける為に嘘をついて、購入するフリをしてくれた事。
それをキャンセルし忘れた事。
愛さんからのメッセージを読みながら、私の考えを含めて一生懸命、説明した。
愛さんが変な嘘をついた理由がはっきりして、ちょっと感動。
でも、目の前の物を目にして、ちょっと……。ちょっと……引く。うん。ちょっとだけ。
3種類の鞭にロウソク。首輪に縄に手枷足枷のセット。ちゃんと商品名入ってるんだね。面白いかも……。
なんか黒のレオタードみたいなのもあるね。これ、レザー……かな? すっごい世界。こんな世界があるんだ……って感じ。
「――なに? ――これ――?」
あ。憂登場。合流。さっきまでぼんやりしてたのに。
……いいのかな?
「憂ちゃん……。お姉さん……怖いね」
「それは違うんだって! ホントだよ!!」
……あれ?
先生たちの話では、憂の痛覚を戻す為には、憂に痛みを与える必要が……?
そうなのかな? 違う気がする。憂が痛覚が戻らないと大変だって思えばいいんじゃないかな?
……だとしたら……。
「憂?」
……あれ? こっち向いてくれない。変な想像してない?
「憂?」
「え――!?」
なんで慌てるかな? 涙目だし。想像してたんだね。
……どんな想像して……?
やぁぁー!! ダメダメ!! 変な想像しちゃダメ!!
そうじゃなくて! きちんと伝えないと……。
「痛み……回復……しないと……」
――――――。
「かいふく――しないと――?」
怖がらせるけど……ごめんね。
「これ……使われ……ちゃうかも?」
先がいっぱいのムチを手に取って伝えると、小首を傾げて、ゆっくり理解していく。
……そんなに重たくないだね。意外。
「それ――いやだ――ほんとに――」
そうだよね。だから……。
しっかり脅しちゃった。愛さんは本気で痛覚の回復を願っていること。その為なら、本当にこの道具たちを使っちゃうかも知れないって。
だから、強く思って欲しいって。痛みが必要なんだって。
そうすれば、この道具たちが使われる事は無いからって。
説明に時間かかったけど、理解してくれたと思う。きっと、上手くいく。
……もちろん、愛さんには後で謝りました。
苦笑いで許してくれたよ?
適当に選んだ割に種類が充実してたのは、その通販サイトのランキング上位を選んでいったからなんだって。本当かなって思ったけど、私のスマホだとフィルターが掛かってたから調べられませんでした。