6.0話 音姫
きーんこーんかーんこーん。
「あー。ごめんなさい! 今日はここまでですね。続きは明日の授業で……って言いたいところだけど、それまで自己紹介しないってのも変だから、後は任せますね!」
リコちゃん先生はそそくさと教室から出ていっちゃった。
先生、挨拶忘れてますって。別にいいけど。
どうでもいいけど……、挨拶でいいのかな? 起立、礼、着席のアレ。
隣で大人しく座る憂ちゃんの様子を見ると……眠そうだね。疲れちゃったかな? なんかすっごく寝るって聞いてるし。
「立花さーん!」
「憂ちゃーーん!」
きた。すぐに人だかり。
……仕方ないのかな。憂ちゃんは背筋を伸ばして対応開始。えらいね。
「憂ちゃん、ほんっと可愛いね。純正制服が2人並ぶと壮観だわぁ」
「あたし優子。名前似てるね。親近感感じちゃう! よろしく!」
どんどん話しかけられちゃって……。だいじょぶかな? 憂ちゃんの表情は向こう向いてるから読み取れないけど……。
「――うぅ」
ちっさい声が聴こえた。
……無理なんだね。
「ちょっと……あたしの憂ちゃんが困ってるじゃない。1人ずつゆっくり話してあげて?」
私より先に佳穂が抗議してくれた。しかも冗談混ぜて。こういう時の対応はホント上手だと思う。私だったら、もっとトゲ立てちゃってたかも。
えっと……冗談なんだよね?
「誰がお前の憂ちゃんだって?」
教室後方、拓真くんの席の隣まで来てる男子のほうを向く佳穂。
「あたしの。真剣だよ。あたし」
………………。
まじなの? 佳穂ってユリの気が!?
佳穂の表情はホントに真剣そのもの。私もちょっと距離置こうかな……?
「え? それじゃ、佳穂って今まで千穂狙ってたり?」
……って、佳穂の後姿に千晶が話しかける。それ、私も聞きたい。
親友の女の子に狙われるのは、さすがに勘弁ですから……。
「違う! それはないよ! 千穂も可愛いけど、憂ちゃんは特別!」
そう言って憂ちゃんをじっと見詰める佳穂。
うん。ちょっと安心。でも、ぶっちゃけちゃうとちょっとだけ寂しいかも。
私、容姿に自信あります。毎日、髪とお肌のお手入れにかなり時間使ってます。
佳穂は机越しに憂ちゃんに体を寄せるといきなりハグ。そしてほっぺにちゅう。
「あわぁぁぁぁぁ!!」
「ちょ! お前ぇぇぇ!!」
「きゃああああ!!!」
「ひにゃあああぁぁぁぁぁ!!!」
「貴様ぁぁぁぁ!!!!」
「ふz#&\ィ*$&KW%@#ェァァァァァ!!」
「ぎぃやぁぁぁぁ!!」
絶叫の嵐。何度目かな? みんな落ち着こうよ。
ばぁぁん。
絶叫が一段落したタイミングで大きな音。
みんなが一斉に発生源である教卓側のドアを見る。
染めた事なんてなさそうな黒髪。横は耳の中央くらい。目をほとんど隠してる前髪。何故だか一部分だけ長くて、もうちょっとアゴに届きそう。そんなご飯食べにくそうな髪型。普通にしてれば、そこそこイケてるはずの制服男子。
ある意味で有名人。C1-4。隣の特進クラスのキザ男。加瀬澤 凌平。
めんどくさい人来ちゃった……。
周囲のみんなの反応も似た感じ。空気読んで下さい。キザ男さん。
「五月蠅いな! 君たちは! 予習の邪魔になるではないか!! 授業中も馬鹿騒ぎで妨害する! 一体、何なんだ!?」
騒ぎながらズンズンと人だかりに迫ってくる。つまり……こっちきた。来ないで下さい。苦手なタイプなんです。
「なんだこら。特進の坊っちゃんは自分の教室戻って、大人しくお勉強してろよ」
「せやせや。自分ら、お勉強より楽しい事して過ごしてんだ。放っといてくれや」
彼の進路を塞ぐように立ちはだかったのは健太くんとジャージくん。
ジャージ君の名前は……あれ? えーっと。んー。まだ5月だし……ね。この人って、さっき自己紹介してたかな? してた気もするけど憶えてないよ? なんだか存在感の希薄な人。リーゼントにちょっと強面。そんな容姿なのに影が薄い……不思議だね。
「何だ? 君たちは? 邪魔だろう? 僕はその人だかりに用があるんだ。避けてくれないか?」
ばちばちと火花を散らす3人。健太くんとジャージくん。頑張れ。
私の横に、ぬっ……と現れる人影。でっかい。拓真君と勇太君が憂ちゃんの両サイドに立った。ガードに入ったみたい。うん。2人合わせて370センチ超えかな? 迫力あります。
この立ち位置、久しぶりに見るな……。去年のGW前以来だよ。なんか嬉しいな。
1年経っても変わらない姫と騎士。姫は本当にお姫様になっちゃったけどね。
目の前の勇太君をさけて、憂ちゃんを見てみた。
あれ? なんかもじもじしてるし。どうしたのかな?
あ。おしっこだ。下腹部……って言うか……そのまんまの場所押さえてるし。はしたない。お止め下さい姫君……。
ぎぃ。
姫……憂ちゃんが立ち上がって、椅子の足が床に擦れて音を立てた。
「「憂?」ちゃん?」
ナイト2人の『憂』って部分がキレイにハモった。
ぎぃ。
私も立ち上がると、勇太君をよける。ごめんね。……って重い!
「ん? 千穂ちゃん?」
よけてくれた。助かります。憂ちゃんの手を取って「行くよ?」と声をかける。
憂ちゃんは首を傾げて、ぽかんとしてる。
そんな憂ちゃんの耳元でささやく。
「おしっこ……でしょ?」
驚いた表情で私を見上げる。いや、わかるでしょ。もじもじしながらそんな所押さえてたら。みんなが気付かなかったのは、睨み合ってる3人に注意が向いてたからだし。
「みんな、ちょっとごめん」
憂ちゃんの手を引いて、囲いを避けながら教室の後ろ側のドアを目指す。彼女(?)は大人しく付いてきてくれた。
「誰だ! その子は! その子が騒ぎの原因か!?」
キザ男さんに見付かっちゃった。ホント、めんどくさい人……。無視して行っちゃえ。
「ちょっと漆原さん! 憂さん連れてどこ行くの!?」
「なんかホント、ずるくない? 抜け駆け?」
「お前、何様?」
クラスメイトからの罵声に足が止まる。こうなる事なんか最初から判ってたよ。それでも私は、このC1-5組で憂ちゃんの傍にいつもいる、ってポジションを確保しないといけないんだ。ちょっとつらい役割だけどね。
私は用意していた言葉を吐き出す。
「この子は優とおんなじ憂なんだよ。私は運命を感じたんだ。憂ちゃんのお世話は私が任されたんだよ。誰に何言われても私はこの子の側を離れない!」
どうだ! 渾身の演技です!
みんなに振り向き、様子を窺ってみる。
納得は出来ないけど、なにを言えばいいか分からないってとこかな? うん。今はそれでいい。
憂ちゃんが私に、ぐっと寄ってくる。
その距離20cm未満? 近いよ! どうしたの!?
私を見上げて、私の顔にちっちゃい手を伸ばしてきた。親指のお腹で私の目尻に触れる。
泣いてなんか無いよ?
……でも……優って、やっぱり優しいな。
憂はみんなの方に振り向く。10秒間くらいクラスメイトたちを見た後、私に向き直って「――いこ」と小さく呟いて、歩き始める。
あれ? なんで私が手を引かれてるんだろ?
よく分からないまま教室を出る。制止の声はもう無かった。そのまま廊下を進んですぐに立ち止まった。
憂ちゃんを見付けて、一気に騒がしくなる廊下。
「おい、誰だ? あの小さい子」
「おー! 純正制服のコンビ! こりゃすげえ!」
「漆原もやっぱ可愛いけど……あれ、なんだ? 漆原が引き立て役とか」
むか。なんで元カレの引き立て役しなきゃいけないのかな? ちょっとイライラ。
憂ちゃんは外野の声は聞こえない様子で私に振り向く。
「トイレ――どっち――?」
………………。
うん。まぁ、そうだよね。
「うわ……声まで可愛いとか。俺、声かけてこよっかな?」
「え? お前ロリコン?」
「いや、同級生だろ? 制服、高等部のだぞ」
「それでも……ちょっと幼過ぎねー?」
なんか……うっとうしいな。早く行こうと憂の手を引きトイレに向かう。
けど、前を別の男子が塞いだ。仕方ないから立ち止まる。なんでトイレ行くのにこんな苦労するのかな!?
「ねぇ、君さ、初めて見るけど転入生?」
憂ちゃんは小首を傾げて、少し考えたあと「――いこ」と私を促す。トイレピンチって言うより、早く喋ったから無視って感じかな?
他のクラスの生徒は憂に後遺症があるなんて知らないから。知らないんだよね……?
「ごめんなさい。お手洗い急いでるんで……」
謝りながら男子の脇をすり抜ける。あっさり通してくれてほっとする。
でも、後ろからわざわざ聞こえる声で言ってきた。
「おい、見たかよ、あれ。シカトとかどーなん?」
あー。もぅ! この子に悪気はないんだよ! たぶん!
「そりゃお前、あれだったら自分のクラスでも質問されまくりだろ? トイレ行きたいみたいだし。お前、心狭くね?」
ありがと! 見知らぬ男子! しっかりフォローお願いします。余計なトラブルお断りですから。
それからちょっと歩いてトイレに到着。いっぱい視線を浴びたよ。憂ちゃん、目立ちすぎ。予想してたけど予想以上だよ。
遠慮のない賛辞。女子の嫉妬や羨望の眼差し。そして……私は引き立て役。いくらなんでも妬けちゃいますよ。なんかむかつく。
手を引いたまんま、トイレに入ろうとすると憂ちゃんが停止。くいっと私の手を引っ張ってきた。
だいじょうぶ? 漏れちゃわない?
彼女(?)を見ると、いやいやって首を振ってる。
なんだろ?
んー? あ。そっか。
女子トイレに抵抗あるんだね。優だもんね。
そうは言われましても男子トイレに連れてく訳にはいきません。こんな子が入って行ったら男子が可哀想だよ。憂ちゃんも痴女のレッテル貼られるよ?
ぐいって引っ張ると、簡単に引っ張れた。必死の顔。本人は抵抗してるっぽいけど。体重、あとで聞いてみよっと。
「――ちょ――っと――まって」
――――。
10秒くらい待ってみた。表情はくるくる変わってるけど、動かないから引っ張る。じりじりとトイレに近づいてく。
「ちょ――ちょっと――まって?」
疑問形に変化した。少し涙目。なんか可愛いんですけど。好きな子をいじめるって男子の気持ちを、ちょっぴり理解しちゃったかも。
――――。
また10秒くらい待ってみた。
憂ちゃんは静止中。ダメなんだよ。優。優はもう憂ちゃんなんだ。
ぐいっと引っ張る。
「まって――まってまって――」
「もう、待てません」
「いやだ――ぃやだ――やだやだやだ」
やだやだ言ってるけど、そのまま強引に引っ張って女子トイレ内に突入する。良かった。空いてるね。ま、もうすぐ3時間目だし当たり前かな?
鏡の前に陣取って化粧直してる私服の3人の子たちが、やだやだ言って引っ張られてる憂ちゃんに注目。
この状況は……私もやっぱり見ちゃうと思う……。
「可愛い!」
「すっごい!」
「何あの子!」
うん。もう慣れた。
憂ちゃんを適当なトイレに押し込んで、憂ちゃんに質問。
「1人で出来るよね?」
憂ちゃんの顔が少しして、すぐに赤くなる。怒ったのか恥ずかしいのか判らない、ごちゃ混ぜな表情。そんな顔でこくりと頷いてくれた。
「傍に居るから、困ったらすぐに呼んで」
そう言うと今度は小首を傾げて、困った表情。そうだったね。これは私が慣れないと。
「近くに……居るから……」
私は言い直して伝える。短く話すと大事なところが伝えられなかったりするなー。言葉の勉強しないと……なんて考えながら個室に1人、残す。
がちゃ。
鍵のかかる音を聞いて、憂ちゃんの入ってる個室の扉にもたれかかる。これは……不安かも。だいじょうぶかな? もし、失敗したらどうやってフォローしようかな?
……って言うか、私ってこんな心配性だったかな?
周囲は鏡の前の3人がひそひそ何か話してるくらいで静か。
がさがさ。
スカート捲り上げたのかな? はっきり聞こえるね。
しゅ。
パンツ下ろしたっぽい。
がさがさ。
スカート上げ直したみたい。
ぎぃ。
座った。うん。ちゃんと出来そう。
……なんか照れるね。やだやだ。私まで変態ちっく。
ちちち。しゃああああ。
ちょ! ちょっと! 音! 音!
「あ! あのさ! その子って初めて見るけど中等部や初等部の子じゃないよね!? 転入生? 何組!?」
やたらと大声で3人組の1人が話しかけてくれた。ありがたいです。
しゃああ。
「5組!! 立花 憂ちゃん! 今日、来たばっかりだよ!!」
私も大声。どうせすぐに広まるから紹介しちゃう。
「へー! そうなんだ! すっごい可愛いからびっくりしたよー! すっぴんでしょ! いいなー!! あたし、お化粧直してるのが馬鹿らしくなっちゃった! あはははは!!!」
………。
彼女が話してる内に終わったみたい。感謝。
ぎぃ。
立ち上がったみたい。あれ? トイレットペーパー取ってないよね。
がさがさ。ぎぃ。
あ。座り直した。
からからからから。
良かった。ペーパー取ってる。
「なんか照れちゃうね。あの子がその音、立ててると思うとさ」
「あー。わかる」
話してくれてた子とは別の子が返事する。
「すっごくわかります!」
私も返事。
「なんで敬語ですか?」……と、大声で話しかけてくれた子。
あれ? なんででしょう?
私が首を捻ってると
じゃあああああああああ。
終わったみたい。
はぁ……。思わず溜息。
「「「はぁ……」」」
3人も溜息。
がちゃ。
個室が開いた瞬間に私が個室に入り込む。慌てる憂ちゃんだったけど、そこは関係ない。
「憂ちゃん。音……消してね」
音消しの機能の説明とか水を流しながらとか、ゆっくりじっくり説明する。
なかなか理解してくれなくて、いつの間にか3人組も合流。
その後、恥ずかしいと理解してくれた憂ちゃんは真っ赤で俯いて「――ごめん――なさい」って言ったんだ。
きーんこーんかーんこーん。
3時間目の始業の鐘に慌てて教室に戻る事に。行く時に大勢いた他のクラスの生徒たちも、もう教室内。スムーズに5組に戻れたよ。
3人組とは別れ際に軽く紹介し合った。彼女たちは7組の生徒みたい。
「憂ちゃん、可愛いから見てるだけで幸せ。5組に転室しよっかな」
とか、話してた。もしかしたら来月にはクラスメイトかも?
教室に戻ったら、すでに授業は始まっちゃってた。
「すいません! お手洗いで苦戦しちゃいました!」
教室後方のドアから先に憂ちゃんを入れてから室内に入ると、すぐに古典の若い男の先生に謝る。
先生は驚いた顔。なんでかな?
先生が苦笑いしながら言った。
「漆原さん。その言い方だと出が悪かったみたいだよ」
あはははってクラス内に笑い声。
んー。これは恥ずかしいかも。
あれ? なんかトイレ行く前、雰囲気悪かったのに変わってる気がする。
何かあったのかな? 後で聞いてみないと。キザ男さんの事も気になるし。
「大丈夫だよ。噂の転入生のお世話ありがとう」
噂? ……って職員室でかな?
…………あり得るかも。
「それじゃ、そろそろ席に付いて。授業始めるよ。みんなが待ってあげてって言うから待ってたんだ」
…………。
ちょっぴり感動。さっき、ケンカっぽくなっちゃったのも、憂ちゃんが可愛いからだしね。みんな大切にしてくれてるよ。
そんな事を思いながら私たちは席に着きました。