53.0話 解けて縺れて
本日、3話目の投稿です。
読み飛ばしにご注意下さい(2度目
多くの拍手を背に受け、大体育館を退場するとそこでも拍手が巻き起こった。
「にいちゃんさいこう!! ダンクさいきょう!!」
「かっこよかったよー!」
勇太に纏わり付く、就学前と思しき子どもたちの姿も見られた。
5組のクラスメイトたちと、応援の為、わざわざ足を運んだ出場メンバーの父兄たち。拓真の妹や憂の姉である愛の姿も見える。そして担任である利子の姿も在った。
幼児たちに続き、話し始めたのは「佳穂……お前、ちっとも役に立ってないし」と、彼女の父と思しき人物。
「ウチの娘なんて、役に立たないどころか、足を引っ張ってばっかりで……」と、千晶の母と思われる人物も。
千穂佳穂千晶の3人娘が足を引っ張ってしまった理由は、レベルが高すぎたから……に、他ならない。しかも彼女らは自薦では無く、他薦によりバスケメンバーとなった。責めてあげると可哀想である。佳穂は隠すこと無く、ぶーたれている。
「まぁまぁ、皆さん。まずは彼らの健闘を称えてあげてください!」
佳穂千晶の両親の声を耳にした利子が、家族を横目に苦笑いしながら助けを出すと、集団は彼らに遠慮なく賛辞を送り始めた。中には女バスへの文句も聞かれるが、それはすぐに窘められる。
たちまち喧騒に包まれた。
騒がしいその場所で千穂は愛を見付け、ソッと問い掛ける。
「憂の足首は……?」
千穂の耳元へ愛は囁く。その穏やかな声音に、彼女はホッと胸を撫で下ろしたのであった。
わいわいがやがや。喧しい時間はしばらく続いた。
「――きょうしつ――いこ?」
憂がそう声を上げるまで、C棟1-5関係者は大体育館のメインに使われる出入り口を、封鎖状態にしていたのだった。
「この子が憂ちゃんかい? 本当に可愛いねぇ!」
「でも車椅子なんて……可哀想……」
愛は背中に謎の重圧を感じながら、憂の座る車椅子を押していた。
現在、C棟1-5への移動中である。1-5の表札が見えてきている。1-5のほぼ全員に父兄を加え、大人数の上に憂を先頭にしている。小さな段差の度に足が止まる。故に移動は遅い。それでも、もうすぐに到着するところまで来ている。
「綺麗な子ですね……」
「そうだねぇ。観賞用に頂けないものかな?」
「お父さん!! 何言ってんの!?」
「お母さんも静かにして! 恥ずかしいから!」
佳穂と千晶が何度目かの抗議の声を上げる。彼らは延々と憂の可愛さに賛辞を贈っているのである。
絶賛、抗議中の2人の傍ら、千穂の表情は冴えない。憂の状態に安心したのも束の間、別の気掛かりが出来てしまったらしい。
愛は、千穂の様子に気付いていたが見て見ぬふりをした。理由は解っている。
「バスケ代表のみんな! 今日は本当にお疲れ様! カッコ良かったよ! 先生、感動しちゃった! 応援に来てくれたみんなも、ご家族の皆様もありがとうございました!」
1-5に入室すると利子は、そう労いと謝辞と述べ、深々と頭を垂れた。そんな利子に、パチパチパチパチパチ……と、惜しみ無い拍手が贈られた。だが、利子は特に何もしていない。
拍手が止むと彼女は表情を引き締めた。
「皆さんも気になっている憂さんの容態について……。お姉さん、お願いします」
「はい」
愛が進み出る。躊躇いは見られない。どうやら、事前に打ち合わせ済みのようだ。
愛は教壇の手前で向き直ると、一礼し、話し始める。毅然とした愛の立ち振舞いは、何とも美しい。
「まず今回の球技大会のメンバーの皆様、ご迷惑をお掛けしました。ごめんなさい」
再び謝罪の為、深く腰を折り、礼を繰り返した。教室内は静かだ。真剣に愛の言葉に耳を傾けている。若干、言葉を崩しているのはここに居る多くが高校1年生の為だろう。
「皆様も既にご存知の通り、本日の早朝、憂は階段を踏み外し、転落しました。全ては私の注意不足による処です。ご友人の皆さんには、ご心配をお掛けした事と思います」
私の注意不足。本心に思える。愛の真剣な表情の中に悔やんでも悔やみ切れない、後悔が見て取れた。
「憂の状態ですが……、幸い足首に僅かなヒビが入った程度で済みました。後は、いくつかの痣を作った程度です」
教室内が安堵に包まれた。
姉の説明によると、決して軽症とは言えない。
しかし憂の右足首は、もっと酷い状態だと想像している者が多かったのだろう。
よくよく考えれば、憂は入院する事も無く、応援に駆け付けたのだ。全治何ヶ月と云う怪我では無い事は明らかなのだが、そこは憂の持つ虚弱な雰囲気のせいだろう。
愛の言葉には1つの嘘が隠されていた。
―――憂の足首の状態。
憂の足首は柔らかい関節に守られ、ヒビなど入っていなかった。
……単なる軽い捻挫である。
憂の無痛については周知されていない。憂は、その無痛と思考力、記憶力の低下により、足首の状態を気にせず歩くかも知れない。走り出す事さえあるかも知れない。状態を悪化させる可能性を排除する為にギプス固定されたのだ。
そのギプス固定への……、謂わば言い訳がヒビ……亀裂骨折なのだ。
「……憂? ご挨拶を……」
千穂は憂の症状の安心感もあったのか、どこかぼんやりとしており、憂への説明をしていなかった。普段ならば、こう云った場面。同時通訳のように憂に囁いているのだが、今回はそれを怠っていた。彼女にしては珍しい。彼女の気掛かりは払拭されていない。
……と、なると。
何の事やら分からず、憂は小首を傾げ停止してしまった。
そんなタイミングだった。
「ちょっとー! ここ開けてくれないかなー?」
廊下側からの声を聞いた利子が駆け寄り、ドアを開放する。
そこに居たのは幾人もの大人たち。ドアの向こうから声を張り上げたのは、千穂の父であった。それを見たか聞いたか、千穂の翳っていた表情が明るくなった。
彼女は姿の見えない父の事が気になっていたのだ。
『応援行くから』
その約束を違えたとまで思っていたのかも知れない。無理もない。父は彼女にとって、唯一の家族なのだ。
大人たちは沢山のジュースやお菓子に、おむすび。簡単なおかずの類を抱えていた。台車まで引っ張り出されている。酒類まで用意されているのはご愛嬌だろう。
ドアを開けた利子は、笑顔で教え子たちに向き直る。
「サプライズですよー! 決勝戦後の祝勝会の予定が、早まった上に残念会になっちゃいました! それで準備が遅れたんだよ! お父さんやお母さんの姿が見えずに心配しちゃったかもね!」
「ははは!!」と父兄たちの笑声。それが収まると利子は残念会の開始を宣言した。
「みんな盛り上がっちゃいましょう!!」
「いやぁー。憂ちゃんは本当に可愛いねぇ……」
「……お父さん。もういい。縁を切って下さい」
「佳穂!? そんな酷い事言わないでくれ! ……そうだ。立花さん。娘同士トレードといきませんか?」
「手のかかる娘ですよ。お考え直し下さいね」
憂の母、幸がやんわりと断る。当たり前だ。
宴の開始宣言から30分ほど。もう佳穂の父は酔っ払ってしまっている。顔が赤い。
憂は酒の匂いが苦手なのか、顔を顰め、その美貌を歪めてしまっている。憂の両親は酒をほとんど飲まない。愛も剛も同様だ。
因みに、その憂の父・迅は仕事が入り、応援に駆け付ける事が出来なかった。例え、仕事が入っていなかったとしても観戦には訪れなかったかも知れない。彼は憂の怪我に相当なショックを受けていたのだ。剛も似たようなもので、今日のこの場に現れていない。
「もう! お父さん! 憂ちゃんに近付かないで!! 嫌がってるじゃないの!!」
佳穂は実父の腕を引っ張り、教室の隅に追いやってしまった。扱いが酷いが、酔っぱらい相手だ。そうでもしなければ延々と嫌がる憂の側を離れない。
「佳穂ー! なんて酷いことを!」
父は泣き真似をして娘の気を引こうとしているが、佳穂は父を無視して憂の近く、千晶の傍に行ってしまった。
佳穂と千晶は顔を見合わせ、頷き合う。
「千晶ちゃん。佳穂ちゃん」
どう切り出そうか。そもそもこの席で切り出すべきか。
2人は悩んでいた。
そして、一年間の時を経て、優の事故について謝ろうとした矢先に、愛に声を掛けられた。
……2人に緊張が走る。
「はい……。お久しぶりです」
いち早く反応したのは、すぐに冷静さを取り戻した千晶だ。
「ちょっと……いいかな?」
「はい……」
「はい」
少しタイミングのずれた返事はエコーのようにも聞こえた。
愛は、佳穂と千晶を「懐かしいねー!」と、中庭へと導いた。
5組は満員以上だが、C棟全体では人気がまばらである。
それでも目的である5組バスケ代表が破れ、そこそこ人影は増加しているが秘密の話をしても問題ない程度だろう。ここまで観てしまった以上、決勝まで……と言う生徒がほとんどなのだ。
「……あの時、謝りに来てくれた2人が今では友だちなんだね。不思議な縁」
愛は中庭に誰も居ない事を確認した後、そう切り出した。朗らかな表情で。
「もう……気にしなくていいんだよ。あの事故は2人のせいなんかじゃない。私も……きっと、憂もそう思ってる」
「憂ちゃんも……?」
「うん。ちょっと前にね。……歩道橋に連れて行ったんだ。思い出したんだと思う。直前の千晶ちゃんと佳穂ちゃんの事も……。誤魔化されちゃったけどね。憂は責めてなんか来ないでしょ?」
佳穂と千晶は、それぞれ別々に静かに頷く。
「だからね。もう気に病まないで。憂も気にしてなんかいないんだから。……さっき、私と母に……また謝ろうとしてたでしょ? ……必要ないよ。忘れちゃって……って言うのは、ちょっと寂しいから言えないけど……」
呟きながら小さく微笑む。
優の事。優が彼女たちを助けた事までは忘れて欲しくないのだろう。複雑な胸中が垣間見える。
2人は泣きそうに……いや、佳穂は隠す事も無くひと筋、頬に涙が伝っている。
「過去を引きずらないで? 前を向いて行こう? 私は……貴女たちが、これからも憂の友だちで居てくれると嬉しいな……」
「「はい!」」
涙声の返事と共に、千晶の瞳の水溜まりも決壊した。
……それは、一年の時を経て、2人の心の奥深くに厚く淀む陰が振り払われ始めた瞬間だった。
その頃、屋上では拓真と勇太、京之介と圭佑が向かい合っていた。現役バスケ部員が元バスケ部員を呼び出したのだ。
「今日の試合で確信したんだ……。憂ちゃんは優なんだって。指示が優の出す指示そのものなんだよね。言葉数は減ってるけどさ」
神妙な面持ちの京之介に続いて、圭佑が口を開く。
「京之介に1度言われてたんだ。優と憂ちゃんが似てるってな。それから考えたよ。たしかに共通点多くて参った。でも優は死んだんだって。有り得ねぇ……って。でもな……優の最後の試合でのサインまで出したんだ。今は確信してる。今更、違う言われても信じねー」
「「…………」」
2人は無言だ。何をどう言えばいいのか分からないと云った処か。
「拓も勇太も知ってたんだよね? もしかして、僕たち以外のバスケメンバー全員かな? ……ただの勘、なんだけどね」
「「………………」」
「なんか言えよ!」
言葉を発しない2人に、圭佑は怒りを露わにする。
「そうだ……って言ったら?」
「拓ぅ! おまえ!「渓やん!! ……落ち着いて話そう?」
「……落ち着けるかよ。こいつら知ってたんだぞ! 俺ら、一緒にやってきたじゃねーか! 俺は中等部からだけど、京之介は初等部からだよな!? 俺らってそんなもんかよ!? なんで言わなかった!? なんで教えてくれ、なかったんだ……よ」
圭佑は俯き、肩を震わせ始める。それを見て勇太がようやく語り始めた。
「……教室に生徒会長が来た時あったよな? そん時、憂……あいつ泣いただろ? 思い出した「勇太。俺が話す」
その時の事には触れないほうがいい。拓真はそう思う。
事故後、拓真と勇太の事を優は憶えていた。
それに対し、圭佑と京之介の事はその後、思い出した。
憂の為を考えるならば、触れないほうが賢明であろう。
「思い出した? ……拓と勇太は憶えて貰っていたのかな? ……寂しいなぁ……」
だが、勇太を止めるタイミングがほんの少しだけ、遅かったようだ。拓真の懸念通りの反応が京之介から戻ってきた。
「……たぶん、だけどな。電車通学のお前らと徒歩で一緒に帰ってた俺ら……。たったそれだけの差じゃねぇか……って、思う。勇太の場合、でけぇから印象に残ってただけかも知んねぇけど。あぁ……それ言ったら俺もかも。千穂ちゃんだけなのかもな。心の底に残ってたのは」
拓真は言葉を慎重に選びながら語った。いつに無く口数が多かった。拓真も必死なのだろう。
「……他に憂ちゃんが優だって知ってる人は?」
圭佑は俯いたまま聞き入っている。京之介は根掘り葉掘り聞き出すつもりに違いない。
「お前の勘のまんまだ。佳穂、千晶、梢枝、康平……。連れの中ではこれだけだ。4人は憂の転入後に知った」
「……僕らにまで隠さなきゃいけなかった理由は?」
京之介の目付きが鋭くなった。圭佑も顔を上げ、拓真を睨みつける。泣いては居なかった。プライドがその一線を踏みとどまらせているのかも知れない。
「憂は……病院暮らしの最中に言ったそうなんだよ。『普通に暮らしたい』って。体そのものが変わったんだ。隠さなきゃ普通の生活なんか送れねぇ……」
拓真が知っている脳再生については、その口から聞かれなかった。この件は、あの時、同行した千穂、梢枝、そして拓真本人の中に秘められたままのはずである。少なくとも千穂は誰にも言っていない信頼がある。梢枝は康平だけには話しているかも知れない。だが、拓真は口ではアレだが康平を信頼している。例え、伝わっていても問題ないと彼は思う。
「そう……。大体はわかったよ。でも……」
「……俺らにくらい話してくれても良かったんじゃね?」
京之介の言葉を引き継ぎ、口を突いた圭佑の言葉は重かった。
拓真は何も言えず黙ってしまった。
すると突然、勇太が膝と両手を床に付き、頭を地面に擦り付けた。
「頼む! 誰にも言わないでくれ!! オレ! オレ……憂の願いを叶えてやりたいんだ! 頼む!!」
「……言わねーよ。憂ちゃんが優かぁ。あいつ生きてたんだなぁ……。俺、すっげー嬉しいんだよ。こう見えても……な」
圭佑の噛み締めるような言葉を聞き、京之介は天を仰ぐ。零れそうな涙を堪らえようとしたのだろう。
それでも涙が耳の方向に伝っていった。
「けど……お前らをまだ許せねぇ。時間をくれ。俺、転室するわ。月曜に申請出す。許せるって思ったら5組に戻ってくるわ。優には……まぁ、任せるわ。俺らが秘密を知っちまった事。言いたけりゃ言えばいいし、言うべきじゃねーって思ったら隠しときゃいい。ただ優の為に判断しろ。いいな?」
「……わかった」
圭佑は淡々と言った。言うだけ言うと京之介の肩を1つ叩き、拓真と勇太に背を向ける。京之介は土下座のままの勇太を起こすと、何も言わず圭佑の後を追いかけた。右手を挙げてヒラヒラと手を振りながら。
「あんさんら、どこ行ってたんや? 主役がおらんなったらあかんやろ?」
京之介と圭佑が教室に戻ると、康平が早々に出迎えた。康平は良い笑顔だ。
「ちょっとね。正直な事言うと、激戦で疲れてたから休んでた」
京之介は、困り顔で笑顔を引き攣らせている車椅子の少女に視線を注ぐ。
「怪我なんか! すぐに直して! 一緒に行こ!」
蓼学の行事は多い。話題は再来週に迫った課外授業の話題のようだ。
京之介の視線の先、佳穂が憂を説得している。いや、駄々をこねているようにも見える。
憂は元々、課外授業に参加しない予定であった。課外授業のメニューにあった山登りと肝試しがネックだ。
軽度ながら右麻痺を抱える憂に、その行程は無理があるだろう。行事全体の進行を遅らせる事になるかも知れない。かと言って、そこを参加せず、待機すれば千穂たち3人もまた待機するだろう。
憂は怪我の治りが早い。異常とも云えるほどだ。もしかしたら2週間後には亀裂骨折さえ治癒しているかも知れない。
……本当は軽い捻挫だ。おそらく治癒しているだろう。
しかし佳穂の懇願虚しく、最後まで母と姉の牙城を崩す事は出来なかった。憂も行きたいとはひと言も言わなかった。憂は憂で同級生の女子と一緒の風呂やら睡眠やら何やら、色々と問題があるのだろう。
課外授業は球技大会とは違い、自由参加の行事だ。
参加しない者は集められ、授業の復習のようなものを受ける予定となっている。
「おねーちゃん、かわいー!」
「ちがうよー! きれいっていうんだよー!」
「くるまいすー! おひざのせてー?」
憂の周囲に纏わりつく勇太の弟妹を眺めつつ、京之介は課外授業への参加を取り下げ、憂と過ごしてみようと決心したのだった。
投稿前の修正作業中、落ちかけました。
夜勤明けはダメですね。修正した部分に誤字、脱字あるかもです(笑
少し寝ます。今日中にもう1話上げます。お祭り気分!
19時までには上げたいと思っておりますー!