47.0話 先輩と後輩と
―――5月20日(土)
――放課後――
この日の朝礼時、一斉に中間テストが返却された。
蓼学では、このように1度、担任の手に渡り、そこから生徒たちに返却される。
現在、そのテスト結果を持ち寄り、座談会の最中だ。
「憂さんの数学大したもんですわ。ワイ、正直な話、もっとテストきついかと思っとったわ。いや、すんません!」
自身の69点の数学のテストをヒラヒラと揺らしながら、憂のテストと見比べる。憂の数学は72点。多くのクラスメイトを驚かせたのだった。
その憂に千穂が通訳する。グループメンバーは憂に対して普通に話し、それを千穂が憂に分かり易く話す。最近は、このような光景が増えてきている。
「憂ちゃんは数学に力を入れてたみたいだからね。取れて当たり前だと、わたしは思うよ。それより、康平くんと梢枝さんのテスト結果の方が、わたしには驚きだよ」
千晶がジト目で2人にツッコむ。
康平の6枚のテストの結果は70点が3枚、残りは67点、69点、71点であった。梢枝に至っては全テスト70点を達成している。賭けは梢枝の勝利に終わったようだ。
その賭けにより、康平の制服での通学が決定した。
「――すうがく――だけ――だよ?」
憂の他のテストは壊滅状態。数学以外では唯一、物理・化学の合同で行われた理科で28点と言う結果が見られている。化学で稼いだ結果だ。
英語は残念ながら0点。慣れ親しんで居ない英語は、言語野が破壊されている憂には厳しい。それでも授業中、ぼんやりとしなくなったのはデイビッドのお陰であろう。
現国と古典の合同テスト、歴史・地理はひと桁得点である。現代国語は名前を丁寧に書いた者に2点の点数が付けられた。その点数である。利子の優しさなのかも知れない。
「下一桁が0なら簡単ですわぁ。次の期末テストは71点で賭けません? 難易度が跳ね上がりますよって」
「その数学……あたしと勇太より……高いよ」
「梢枝さんって、やろうと思えば全部100点取れてましたよね?」
「……総得点で負けてなくて良かったよ。マジで」
「小さいミスでの減点もあるよって、全部満点は難しいですわぁ……」
梢枝は、そこで声のトーンを下げる。
「それに皆さんより、今まで倍のテストを受けてますので……」
梢枝は純正制服に切り替えて以降、年齢的な話題を隠すようになった。気持ちはわかる……と言うより、最初の頃、隠さなかった意味が分からない。
―――幸いにも、裏サイトには護衛2人の年上情報は出回っていない。梢枝の口から直接、年齢に言及したのは、閑散としていたC棟体育館の一件だけである。あの時の6組の卓球2人組は裏サイトの存在を知らないか、或いは興味無いのだろう。実際に裏サイトを利用している生徒は1割ちょっとと彼女は推測している。コメントする者に限れば、もっと少ないだろう。
憂のグループに於いても、その存在を知っているのは梢枝と康平の2名だけである。
更に言えば、裏サイトにコメントしているのは梢枝だけだ。その梢枝は裏サイトをある意味、最大限に活用している人物であるが、それを知る者は居ない―――
「――たまたま――だよ」
会話が混信していて判りづらく申し訳ない。近頃、このように会話がごちゃごちゃする事が増えている。
憂が1人、置いていかれる状況の改善の為、メンバー全員で話し合い、こうなった。大勢での会話には憂は付いて来られない。その為、常に誰かが憂との会話を織り混ぜているのである。
分かり易いように話を別々に聞いていく事とする。
「たまたま……でも……凄いよ」
――――。
「えいご――こくご――ひどい――」
悲しそうにそう語る憂に、千穂は優しい眼差しを向ける。
「今度……一緒に……勉強……しよっか?」
――――――。
「――うん!」
相変わらず、表情がコロコロと変わる憂なのであった。
その一方、梢枝と千晶の成績優秀コンビの会話を覗いてみよう。
「これからの高校生活、1度も出来ない絶対の自信があります」
……全教科満点の話だ……たしか。梢枝は言明こそ避けたものの、過去に全教科満点を取った事はある……と、千晶は推測している。
「千晶さん? それはわかりまへんえ? 何なら手取り足取り教えましょうか?」
「手も足も取らなくていいです! でも、梢枝さんが先生って言うのは興味あるかも……」
千晶は平均で80点を超えている。だが、表情は冴えない。目の前の梢枝は取ろうと思って全テスト70点を取った。これは全教科100点より難しいんじゃ……と思うからだろう。年上相手とは言え、実力差をまざまざと見せ付けられた気分なのである。
「時間がある時なら、いつでも教えますえ? 勉強しとうなりはったら、空いてる日を尋ねて下さい」
言いながら、梢枝は自身の変化を感じていた筈だ。
彼女は前の高校では孤高だった。文武両道、頭脳明晰。他人を寄せ付けず、断崖絶壁の頂上に咲く一輪の高嶺の花であったのだ。その自分が人に勉強を教えようと本気で向き合っている。
「その時は、ぜひお願いします」
千晶の丁寧な物言いに、梢枝は苦笑する。
「せやねぇ……。今度、勉強会やわぁ」
丁寧な物言いを崩した梢枝に千晶は気付いたようだ。
「うん! お泊りで……とかいいよね!」
「え!? 何の話!? お泊り!? パジャマパーティー!? あたしも混ぜてー!!」
「勉強嫌いの佳穂は、お家で寝てなさい!」
「あーん! あたしもー! 憂ちゃんに負けるわけにはいかないんだよー!! 理系テストで負けたんだよー!」
「なになに? 理系で負けたのはオレもだ! オレも混ぜておくれー!」
佳穂も勇太も総合計点では何とか憂に勝ったものの、予想通りの酷い有様だった。憂のお陰で少しはやる気が出た……と言うより、尻に火が付いたのだろう。
「男子はダメー! お泊り会だよー!」
「拓真ぁー! こうへー! オレらハブられたー!」
「あ?」
「ワイら巻き込まんといてくれ! 言うたの勇太はんやないか! お。ワイ、うまいな」
「テンション下げろよ……」
「旅は道連れ! オレらも混ぜろー!」
「巻き込むな……」
「誰もワイの駄洒落に気付かへんとわ……」
「スルーされたんだ。気付けよ……」
「千穂も参加するよね?」
「うん。今、ちょうど憂と勉強の話してたんだ。お姉さんに頼めば、憂も行けると思う」
……こうして、女子勢のお泊り会の話が進み始めたのだった。おそらく憂の中では適当な日の放課後辺りで、千穂と2人でお勉強……程度の認識だと思われるのだが大丈夫だろうか?
ひと通り雑談をした後、一行は中央管理棟へと足を運んでいた。
京之介がC棟体育館の使用許可を申請し、それが通ったのである。彼はどこまでも本気のようだ。
来週に控えた球技大会に備え、このように申請を出したクラスは相当数に登ると思われるが、その中でバスケコート一面、1時間の使用許可を得られたのは、何やら違う力の動きを感じられない事も無いが、真相は判らない。
今朝、登園後に使用許可を得た事を知った彼らは当然、弁当も何も用意していなかった。その為、中央管理棟の学生食堂へと足を運んだ。
球技大会の直前であるこの日は、高等部の部活動は全て休止となっており、巨大な食堂は閑散としていた。部活があるはずの初等部、中等部の子たちは高等部の生徒との接触を避ける為、そのほとんどが撤収済なのである。
「おい! あれって!!」
「あぁ、噂の憂ちゃんのグループだな」
「純正3人だとー!? ……眼福じゃ眼福じゃ」
「マジで可愛いじゃん!」
「男3人に女子5人だと……俺はあいつらが憎い……!」
「しかも全員可愛いとか。オレ、ショートの子が好みだわ」
「僕はポニテの子、好きかも。他の子たち痩せすぎだろ?」
「いや、やっぱり憂ちゃん! 最高だろ!?」
「否定はしない……が、俺は大人の女性が好みだ」
「癒し系2人……地上に天使が舞い降りた……」
食券の販売機の近くに陣取る男子グループが、声のトーンをそのままに会話している。カメラを回している梢枝にもお構い無しだ。梢枝のビデオカメラについても、既に多くの生徒が認知している。
その近づきにくいはずの券売機にグループは構わず近づき、楽しそうに談笑しながら食券を購入し始める。人の目に耐性が付いてきているのである。
「あー! 君って、C棟の憂ちゃんでしょー!? はじめまして!」
憂たちのグループの後に券売機に並んだ女子グループの1人が、にこやかに声をかけた。
――――。
「――こんにちは」
憂の声を聞き、その可愛らしい高い声に、ひとしきりきゃあきゃあと騒いだ後、あらためて憂に話し掛ける。
「あたしら、O棟なんだよー。生徒会長の予言通り、もうみんな憂ちゃんの事、知ってるみたいだよー。って言うか、生徒会長が広めた部分あるよねー」
小首を傾げ、固まる憂の耳元、千穂がゆっくり噛み砕き説明する。その間に憂のグループも女子グループも食券の購入も済ませている。
憂も一番最初に学生証を券売機に通し、購入済だ。この方法ならばツケとなる。後日、多数ある支払い方法のいずれかで支払えば良いのである。
「球技大会、応援してるからね!」
これも千穂が耳打ちする……と、表情が一変した。
「――ありがと――きたい――してて」
自信満々。不敵に笑う憂に見惚れる者が多数発生した。
その女子グループは、憂のグループに付いてきた。ご飯をご一緒したのである。
カレーライスを美味しそうに頬張っているちっちゃいのには、邪魔をしては悪いと思ったのだろう。佳穂が中心となり話し掛けれられていた。グループ外の生徒から見れば、千穂佳穂が間違いなく話し掛けやすい。千穂は甲斐甲斐しく憂の世話をしている為、笑顔の多い佳穂がターゲットとなっている様子である。
そんな佳穂だが梢枝の力を借りつつ、巧く自分たちの立ち位置を聞き出していた。
総合すると、悪いイメージは全く無い。むしろ、憂の事を加味すれば、好感を抱いている生徒が大多数と言う。つまり周囲から見ると、障がいを持つ憂に優しく接する良いグループと思われているようだ。
ただし、男子勢に対しては、妬む気持ちを抱く男子生徒が多いらしい……とは言っても、この3人にはそうそう喧嘩は売れないと、最初に話し掛けた女生徒は苦笑いを浮かべていたのだった。
その1時間半後。グループは未だに食堂に居た。
ぽつりぽつりと訪れるグループに話し掛けられては、それに応じている。そのグループは全て、各体育館やグラウンドの使用待ちか使用後である。話を聞けば使用時間は一律、一時間との事だ。申請が早かったクラスに貸し出しているらしい。それを聞き、何となく安心したのであった。
新たに話し掛けたグループは一様に残念そうに、それでも微笑みながら憂の寝顔を見詰めていた。
彼女にとって午後は、ねんねの時間だ。脳が2時間ほどの睡眠を欲するのである。練習前にひと眠り……と言ったところか。椅子を6つも贅沢に使い、背凭れで転落防止した上で、食堂のおばちゃんが奥の部屋から引っ張りだしてくれた毛布に包まれ、スゥスゥと可愛い寝息を立て、眠っている。
たにやんときょうちゃんも合流済である。
そんな中、大きな男子が現役バスケ部2人に話し掛けた。その背後には、平均的に高身長の生徒たちが控えている。
「おう。お前らも体育館使用待ちか?」
「あ。先輩。ちゃっす!」
「ん? 何だ? こいつらも一緒か? バスケ辞めたんじゃねぇの?」
「……お久しぶりです」
「ども……」
「たにやんもきょうちゃんもよくつるんでんよな。こいつらが去年の中等部壊したんじゃねぇの? 許しちゃってんの? お前ら」
「「………………」」
たにやんは俯いてしまった。見れば拳を握り締めて。
梢枝を除く女子たちは心配そうに、その様子を見詰めている。
康平はすぐに動けるように姿勢を整えている。梢枝はビデオカメラをテーブルに置いた。下手に刺激するべきでは無いとの判断だろう。
間接的に絡まれている拓真は無表情だ。勇太はギリ……と奥歯を噛み締め、耐えている。
そんな中、口を開いたのは京之介だ。
「……許すも何も僕は彼らに怒ってなんかいません。彼らがバスケの全てを投げ捨てた理由は、痛いほど解りますから」
「優……か……。あいつ、悔しいだろうな。自分が事故ったせいで、あいつの大切な部が崩壊しちまうとか……。俺なら遺志を引き継ぐ。俺なら逃げねぇよ!」
たにやんときょうちゃんに絡んだ3年生の瞳には、薄く涙が溜まっていた。彼も、かつては中等部の先輩として彼らを指導した立場だ。高等部へ上がった後もOBとして、彼らに最大級の期待を向けていたのである。
「……拓と勇太の能力を引き出せるのは、優だけ……ですよ」
きょうちゃんは、傍の可愛い寝顔を見詰めながら呟いた。火曜日のミニゲームで、彼は憂に優の幻影をたしかに重ねた。あの時の……たった1本のパスを思い出しているのであろう。
「お前……「おい……落ち着けって……」
背後の……おそらく同クラスであり、同じバスケ部の生徒が肩に手をやり、制止する。170cmを少し出た程度だろうか? バスケ部にしては若干、小さい。
「……まぁいい。さすがにお前ら1年が、女バスの居るC棟を勝ち抜けるとは思えねぇが……。もし、A棟3-7とやる事になったら覚悟しとけよ? 男バスレギュラー勢揃いだ。俺は準レギュラーだけどな……。一応、球技大会メンバーだ。潰す気で行く」
絡んだ先輩は言いたいことだけ言うと、さっさと食堂を後にした。
3-7と思しき他の友人たちを残して。
「……悪かったな。俺らの中であいつが一番、お前らの世代に期待してたんだ。中等部では慣例で実力よりも3年生優先だったよな?」
「……はい」
「高等部じゃ学年は関係ない。実力がある奴がレギュラーだ。ぶっちゃけ、俺はお前らが……。俺の場合は優が怖かったよ。お前らが上がった途端にレギュラーの芽が摘まれるってな。でも、あいつだけは違ったんだよ。『拓が上がってきたら俺は100%控えだ。ベンチ入りも出来ねぇかもな。それでもいい。球拾いとしてでも、あいつらの全国制覇の力になりたいんだ』ってよ。お前ら知らないだろうけど、地区予選で中等部が負けた時、あいつ、観客席で泣きながら拓と勇太にキレちまって……。お前ら退部してコートに居なかったのにな。止めるの割と苦労したんだぞ。我慢した分、多少は言わせてやってくれな」
ガタッ!
いきなり拓真が立ち上がり、深々と先輩たちに頭を下げた。
「んぅ――?」と椅子が発した大きな音で憂が目を覚ます。
「先輩! すみませんでした!」
ガタ……
「……っいませんっした!!」
勇太も拓真に倣う。
「おいおい! 俺は別にいいって! 言っただろ!? 俺はレギュラーポジションが大切な側の人間なんだって!」
慌てふためき2人の頭を上げさせると、取り直して言った。
「ったく……お前は相変わらず体育会系だなぁ……。拓も勇太もやる気になったらいつでも戻ってこい。俺の場合、お前らとポジションかぶらねーから言うんだけど。まぁ、俺のパスなんか受けてられねーってんなら仕方ねーけどなっ! 天才のパスを受け慣れたら俺みたいな凡人のパスは、受けにくいだろうよ。ははは!!」
「お前なぁ! オレ、勇太とポジションかぶってんだぞ!? 余計な事言うな!」
拓真は再び、深々と頭を垂れた。
「ありがとうございます。でも……俺……」
「はは! 冗談だ! 気にすんな! ただ、優の事は忘れてやんなよ?」
「はい!」
「お! いい返事だな。勇太!」
「「「ありがとうございました!」」」
拓真に続いて、勇太もたにやんもきょうちゃんも、あらためて頭を下げた。
いい加減、体育会系のノリが鬱陶しくなってきたのだが仕方が無い。体育系の部なのだ。
「やめろって! 俺はそんなノリが嫌いなんだってば! それじゃ、またな!」
現在、高等部でPGであり、レギュラーメンバーと思しき少年は走って逃げていった。PGは優と同じポジションである。攻撃の起点となるアレだ。
彼に続いて他の先輩たちもひと言、ふた言、彼らに声を掛け退散して行ったのだった。拓真も勇太もその都度、深く腰を折った。
「拓真――勇太――」
「なっ……」
「憂……起きて……」
憂は小首を傾げたまま、無表情で動かない。
拓真も勇太も変な汗をかき始めている。
「あかべこ――あはは――!」
妙な緊張感が支配した中、そう言い笑い始めた。
……どうやらペコペコと頭を下げる姿を見て、連想したらしい。沈黙したのは、その2つの名称を思い出す事に一生懸命だったからであろう。
そして、午後4時。
待ち侘びた貴重な練習時間となった。
この日、千穂と千晶は見違える動きをしていた。
憂の言葉足らずな説明は、理屈を付けた上で行動したがり、頭でっかちとなる彼女たちには丁度良かったのかも知れない。
1時間と云う限られた時間の中で10名でのローテーションとフォーメーションを試行錯誤の中で構築しつつ、連携を深めたのであった。