46.0話 近しい人たち
―――5月16日(火)
「――千穂! ――おはよ!」
憂のテンションが高い。朝から元気である。大好きな千穂との通学だ。その喜びを全身で表している。
場所は立花家の玄関先。そこで憂は姉に伴われ、ぼんやりと佇んでいた。そして千穂を見付け、彼女が近づくなり、駆け寄ると元気に挨拶してみせたのである。
この千穂との通学を知った前日の夜からテンションは上がった……が、遠足前夜の子どものように眠れない事は無い。睡魔に誘われるがまま、いつも通りの早い時間に入眠している。
「憂……おはよ……元気だね」
「愛さんもおはようございます」
憂が首を傾げてる内に、千穂は愛に朝の挨拶を済ませる。憂の扱いに慣れてきた……のか?
「千穂ちゃん……わざわざ、ごめんね」
愛の言葉に「いえいえ! 好きでやってます!」とフォローした後、首を巡らせ、大きな人物を探し始めた。
「拓真くんは……まだですか?」
どうやら、まだ到着……と言うか、家を出ていないようだ。拓真の家は何度も記しているが三軒隣だ。横を向くだけで確認出来る。
「まだ時間、早いからね。千穂ちゃん、今日は何時に起きたの?」
「私はいつも6時起きです。習慣になっちゃってます。ちょっとドタバタしちゃいましたけど、慣れれば問題なくなると思いますよ」
千穂の気遣いまみれの言葉に、愛は思わず苦笑いを浮かべた。苦笑いを浮かべたまま、千穂に近づき、人差し指で千穂のおでこを押す。
「あぅ」と冗談めかす千穂に、本気で心配そうに語りかけた。
「そんな風だと胃に穴が空くか、禿げちゃうかだよ? どっちがいい?」
「どっちも嫌です……」
「おはようございます!!」
……そんな中、突然、大きな声が響いた。
2人……いや、憂もだ。3人がほぼ同時に声の方角を向く。
そこに居たのは、160cm弱、ややほっそりとした中等部純正制服の少女。
黒髪のショートボブに、微笑むだけで現れる笑窪が印象的な、活発そうでなかなか可愛らしい子だ。
初等部、中等部は純正制服率は高めである。子の意思よりも親の意向が強く働く為だろう。正直、似合っていない子は多い。だが美優は、なかなかに似合っている。
「あ。美優ちゃん、おはよう」
「おはようございます。はじめまして。漆原 千穂です」
「――おはよ――う?」
憂は、またも小首を傾げた。状況に付いていけていないのであろう。
「千穂先輩! 憂先輩! はじめまして! 拓真の妹の美優です! 先輩方、すっごく可愛い!! ……って、先輩に可愛いは、失礼ですよね! ごめんなさい!」
憂に続いて、千穂まで固まってしまった。たしかに物凄い勢いである。
「お前……急に走りだすな。会話はゆっくりだ」
「お兄ちゃん? 話に繋がりが無いよ?」
「あ?」
「あ……って何よ?」
「ゆっくり話してやれ」
「わかってるって! 先輩たちが可愛くて興奮したの!」
何とも仲の良い兄妹である。
そんな口喧嘩に発展しそうな兄妹に、憂が進み寄る。
「――美優ちゃん――はじめ――まして――」
瞳に薄く涙を浮かべた儚い微笑みで、憂は初対面の挨拶を交わしたのだった。
それから10分後。憂は千穂と美優にそれぞれ片方ずつ、手を引かれ歩いていた。本日の通学の時間は前日よりも早い。そのお陰で追い付く蓼学生は少ない。それでも少しずつ集団は大きくなってきていた。
「あの……千穂先輩って……優兄ちゃんと……」
既に下の名前で呼び合っているらしい。美優は一度しか千穂の名字を聞いていない。先程の自己紹介の時だけなのだ。拓真がこの日の通学について説明した昨日も、一度も名字は聞いていない。下の名前の方で覚えてしまったらしい。
「あ……うん。美優ちゃんも知ってたんだ……」
「あたし……好きだったんです。優……さんの事……」
「え……? あ……そう……なんだ……」
何やら立て込んだ話をしている。千穂も美優も寂しそうに話している。朝からテンションだだ下がりの会話だ。
「あたしと千穂先輩って……、似たもの同士ですね」
千穂は答えられず、口を閉ざし、しばしの間、逡巡した。知っている千穂と知らない美優の間には、大きな隔壁が存在する。
「……そうかも……ね……」
憧れの先輩である優を失った美優と、愛しい彼氏としての優を失った千穂。ある意味では似ていると自分を誤魔化し、同意する。そんな千穂の姿には、どこか良心の呵責が感じ取られた。
「お前ら、話変えろ」
拓真がツッコミを入れる。傍で聞いている拓真も居た堪れない様子だ。さもありなん。
兄の言葉を受け、その後は憂についての話題に切り替わった。
それから5分ほど。まもなく学園到着と云った頃。
憂の話をしている内に、美優のテンションはガンガン上がっていき、有頂天となった。
「憂先輩、可愛すぎです! こんな妹が欲しいです!」
姉では無い所がポイントだろう。
憂は小首を傾げる。本来ならば、足も止まっているだろう。だか、両手を引かれていては立ち止まれない。
すぐに傾げた首を元に戻す。
どうやら思考を放棄し、歩行に集中したようだ。若干、歩行速度が普段よりも速い。
憂を返り見た美優。小さな先輩のその背後で集団を捉えた後、美優の笑顔が陰る。集団の半数ほどがササッと目を逸らした。
「……お兄ちゃん。後ろ……変な人が付いてきてる」
拓真も振り返る。その途端、付いてきていたほぼ全員がサッと顔を背ける。拓真の存在感がそうさせたのだろう。
その中にリーゼントでジャージ姿と言う、チンピラ風の男が居た。その男だけは拓真の視線を平然と受け止めた。
……言わずと知れた康平である。
「おい……あんた、なんで付いてきてんだ?」
「へ?」
拓真の言葉に康平は素っ頓狂な声で応じる。そりゃそうだ。
立ち止まる憂たち一行と康平。憂を鑑賞しようと集まっていた面々は、さっさと憂たちを追い越し、学園へと急ぐ。いかつい康平と、でかい拓真のそんな遣り取りだ。巻き添え御免。無難な行動と云えた。
「ほうほう。なるほど。ワイに絡んで周りの「おい! 聞いてんだろ!?」
「え? え!?」
周囲の輪は解けたものの、尚も追い打ちを掛ける拓真。
対する康平は動揺を隠せない。
「拓真はん、どうし「ぷっ……。あははは!!」
吹き出したのは千穂だ。
「あははは――!」
釣られて憂も笑い、拓真もにやりと嗤う。康平の場合は苦笑いだ。
憂はおそらく状況を理解出来ていない。単に千穂が笑ったから憂も笑ったのだろう。
「え? あの……」
もう1人。状況に付いていけていなかった美優に千穂は説明を開始した。
「彼は康平くん。憂の護衛をしてくれてるんだ。その前に友だちだから大丈夫だよ? えっと……あ。居た。向こうのカメラ回してる純正制服の人もそうなんだよ」
「……護衛、ですか……」
それからは康平と梢枝について説明しつつ、最後の信号を渡ると無事に学園へと到着したのであった。
美優は憂の事を、大層お気に召した様子である。憂もまた、美優との通学を嫌がらなかった。
これにより、千穂と拓真&美優による憂の登園付き添いローテーションが成立した。
こうして、憂の登園問題は無事、解決したのである。
……火曜日の3,4時間目は連結の保健体育の時間である。
この日の体育の形は先週とは違った。メンバー選定が終わった今、好きなところに行く形ではなく、選ばれた所に行く形がスマートだ。よって、バスケを選んだ10名がC棟体育館に集合していた。
そして、ビッグなニュースがある。
遂に憂と千穂の両名は、不名誉な連続遅刻記録を「3」で止める事に成功したのだ。喜ばしい限りである。
バスケメンバーはアップを済ませると、早速とばかりに5対5の試合形式のミニゲームを開始した。先週の様子を見た、きょうちゃんの提案である。
拓真&勇太の試合勘を取り戻すと同時に、女性陣と康平の正確な実力を測り始めたのだ。
―――ここで詳しいルールを説明させて頂こう。
球技大会は男女混成チームでの出場の為、変則ルールである事は先に語った通りである。
バスケ部門では先ず、男子の得点と女子の得点が違う。女子の得点は1.5倍し、小数点以下、切り上げ。つまり、女子がシュートを決めた場合、通常のフィールドゴールで3点、3Pシュートでは5点となる。
シュート中のファールからのフリースローと云う流れは無い。ファールを犯した瞬間に相手の得点だ。
シュート動作中のファールは、そのまま得点となる。それ以外のファールは1点……例えばダブルドリブルを犯せば、その場で相手に1点を献上した上に、相手のボールで試合再開となる。そして、ここでも男女の得点の差異は適用される。ドリブル中の女子にファールを犯せば2点。もしも3Pを放つ女子にファールを犯した上でシュートも決まれば、一撃で10点が動くことになる。恐ろしいルールだ。
この女子の得点の拡大もファールを重くするルールも例年通りである。
女子の得点の拡大は、ともすれば男子に任せてしまいがちになる女子たちの積極参加を促し、男子たちは女子に得点させる為の動きをする事が多くなる。これにより、コート上の全員が必死に戦う事になる。無論、やる気のあるチームの場合に限られるがそれは例外だ。
ファールを重くしたのは、ひと言で言えば、円滑な進行の為である。ファールの度に一々、時計を止めていては時間内で収まらない可能性もある。
元々は円滑に進行させる為のルールだったが、大きな副産物があった。
チームそれぞれが極力ファールを控える事により、怪我の防止を図る事になったのである。
大きなルールの違いは、これくらいであろうか。
説明を続けさせて頂く。
試合時間は15分ハーフの前後半。計30分間。その中で1人、10分以上の出場時間が義務付けられている。これに怪我等の理由以外で違反すると試合の結果に関わらず、敗戦扱いとなる。
つまり、憂も千穂も千晶も一試合当たり、最低10分は出場しなければならないのである。
この際、1年生のマッチングも書き記しておく。
すでに予選リーグのグループ分けは済んでいる。エントリーしたクラスのキャプテンが一同に会し、厳正なクジ引きの結果、5組の対戦相手は1組、8組、9組と決定している。
4チーム×2リーグ。上位2チームが決勝トーナメントに進出となる。いきなりトーナメントで行われないのは、1試合で敗退するチームを無くす為の配慮だろう。
その配慮のせいで最後まで勝ち抜けば、1日で最大5試合を戦うハードな日程となる。
そのシビアな日程を月曜にA棟。火曜にB棟と順番に行なっていく。つまりC棟の試合は水曜日に開催される運びになっている。
そして、決勝に進出した2チームが土曜日に一斉に開かれる、棟内に於ける学年を超えた戦いへと突入していくのである。
更に日曜日。今度は棟の壁を超えた戦いに進む訳だが、その話は、C棟代表の座を獲得する事があれば、その時に説明するとしよう―――
このルールを適用し、行われているミニゲーム中、たにやんもきょうちゃんも舌を巻いていた。
青チーム、青のビブスの梢枝と佳穂が思いの外、手強い。梢枝は元バスケ部の言葉通り、上手い。現役バスケ部の2人を持ってしても、ドリブル突破からのレイアップシュートを何度か決められてしまっている。佳穂はシュートの成功率こそ高くはないものの、外れたシュートのほとんどが拓真と勇太によって、リバウンドを制され、何度でも積極的に撃ってきているのだ。
次第に開かれる点差に、きょうちゃんは、内心ほくそ笑む。
梢枝と佳穂、更には康平が思わぬ収穫だ。
彼は元々、絶対の自信があった。自分を含め、中等部時代、全国トップクラスだった男子バスケ部レギュラー4人を擁しているのである。特別ルールの中でも2年生、3年生を倒す自信があったのだ。
そこに来て、この3名の戦力追加。
優勝できるかな?
出来ればいいな?
その程度の認識が『勝てる』に変わった。
それでもやられっぱなしでは、現役バスケ部員として面白くない。
「たにやん! 本気で行くよ!」
「あいよ!」
本気を出せば、同チーム……黄色のビブスの憂と千晶が付いて来られない。その為、全力を出す事無く控えていたのである。
彼ら現役が本気になると、一進一退の攻防がしばらく続いた。
現役バスケ部2人は流石である。たにやんのカットインときょうちゃんの3Pで、点差が開くことはなくなった。先ほどまで通用していた梢枝のカットインもいなしてしまう。それでも点差が縮まらない理由は……。勇太と拓真のツインタワーが制空権を支配しているからである。
残り時間が少なくなり、拓真&勇太の青チームの勝利が濃厚になった頃、流れが再び変わった。彼らは千穂にボールを集め始めたのである。
「え!? また私!? 梢枝さぁーん!!」
拓真からボールを回され、慌てて梢枝を見た千穂は更に慌てる。あろう事か、梢枝は佳穂と談笑中だった。
目の前には憂。両足を開き、腰を落とし、両手を広げ、じっとボールを見詰めている。いっちょ前に様になっている……と云うのは、失礼な話か。彼女が彼だった頃には、最前線で守備に付いていたのだ。
千穂から離れた場所では拓真と勇太が、それぞれ現役バスケ部の2人のディフェンスを抑え込んでいる。
千穂はボールを突き始める。目の前の憂を抜くしか無いと判断したようだ。このミニゲーム中、千穂がボールを突いたのは初めてである。
ボスンボスンと腰の位置の高いドリブルで憂の左側を迂回しようとし、ボールを見失った。
「え?」
「お!」
「あ!!」
千穂に続いて何名かが声を漏らした。
千穂が抜こうとした瞬間、憂が素早く左手を伸ばし奪い取ったのだ。無意識の動作だろう。
憂はそのまま左手で前方にボールを放り投げる。
憂がスティールした瞬間、たにやんが駆け出していた。たにやんは速度を落とし、憂からのボールを収めると、そのまま無人のゴール下でレイアップシュートを華麗に決めてみせた。
「憂ちゃん、ナイス!」
嬉しそうな憂を前に千穂が凹む。優が相手であれば何1つ問題なかっただろう。しかし相手は憂だった。元バスケ少年と言えども、現在は、ひと際小さく後遺症さえ抱えた少女の姿なのである。
折角、同チームの者たちに谷へと突き落とされ、それでも勇気を揮い踏み出した一歩目。その一歩目で振り絞った勇気は木っ端微塵に打ち砕かれた。
傷は大きく、千穂はこのミニゲーム中、自陣のゴール下に引き篭もってしまったのだった。
そこから憂のチームの猛反撃が始まった。外れたシュートは悉く、憂のチームメイト、黄色のビブスを付けた者の手に収まった。完全に流れが変わってしまったのである。
収まったのはチームメイトの手にだけでは無い。きょうちゃんの3Pが外れた時だった。リング手前に当たり、大きく弾かれたボールがワンバウンドし、フリースローライン上にいた憂の両手にすっぽりと収まった。
ゴール前でボールを得た憂は、即座に右手でシュート体勢を取る。咄嗟に佳穂がブロックに飛ぶ……が、憂は飛ばなかった。フェイクである。佳穂は咄嗟の事で気付かなかった。本当にシュートを放つつもりならば、左手で構えていただろう。無意識の動きなら右手で打った可能性もあるが、その場合は、まずゴールまで届かない。
……おや? 無意識だからこそ、咄嗟にフェイク出来たのか? よく分からない。
憂は左手にボールを持ち換え、目下、着地中の佳穂を躱すべく、カットインを試みる体勢を取る。すぐに拓真と勇太が憂の動きに反応する……と、その瞬間に立ち止まり、後方で完全フリーのきょうちゃんに投げるようにパスを出した。
近距離から左手を振り抜く優しくないパスが、ストンと京之介の手に収まる。
完全フリーの京之介は時間を掛け、狙い澄ました3Pを放つ。
バシュ――。
狙い澄まされたシュートはリングに掠る事すら無く、新たに3点を刻んだ。アシストを記録した憂は嬉しそうに京之介に近づき、片手を上げる。ハイタッチをしに行ったのであろう。
彼はそんな憂に気付かなかった。呆然と自らの両手を凝視し呟いた。
「…………ユウ……」
きょうちゃんの呟きは、おそらく憂の耳にしか届かなかった。
「――きょうちゃん?」
憂の声で我に返り、彼女を見やる。そこに居るのは愛らしい少女。彼は優しく微笑み、憂の上げられた左手に自身の左手をそっと合わせた。
「んな訳ないよね」
そう京之介はもう1度、呟くと守備の為、自陣のゴールに駆けていった。
すぐに憂も追従する……が、足が遅い。
凹んで自陣から離れない千穂以外は、すでにコートの逆側に到達していた。もう1度言う。千穂は、このミニゲームが終わるまで凹んだままであった。
逆に憂から勇気を貰ったのは千晶だ。
彼女は旧バスケ部レギュラーたちの力に圧倒されていた。その中で瞬間、瞬間だが確かに光り輝いた憂に負けまいと活動し始めた。
千晶は仲間の支援と相手チームの手加減により、1ゴールを記録した。手加減に気付かない千晶では無かったが、それでも上げた1ゴールは確かな自信となったようだ。
最終的に、ミニゲームは黄チームの猛追及ばず、青チームが逃げ切りに成功した。
佳穂の3Pシュートのフェイクに無意識に反応した憂がバランスを崩し、佳穂に乗りかかるようにファールを犯した事が痛かった。それだけで5点の失点。やはり、ファールは手痛い。
ちなみにバランスを崩した憂を支え、憂の体重を受け止め、共に転倒した佳穂は、どこか幸せそうにしていたのだった。
……佳穂の事だ。狙っていたのかも知れない。
ミニゲームの終了後は、2つのグループに別れた。
1つは3on3で拓真と勇太のブランクを埋めつつ、通常の中学ならば十分にレギュラークラスの康平と梢枝との連携強化を図るグループ。
もう1つは基礎練習のグループである。
そちらでは不思議な光景が見られた。
憂が先生となり、女子3名に教えているのである。
佳穂はまずまず動けるが、あくまで体育の授業で『あの子、まぁまぁ上手だよね』と言ったレベルである。3on3のグループには、フォロー無しでは付いて行けない。
「千穂――もっと――こしを――ひくく――」
「……こう?」
「ちがう――ひざを――おとして――」
憂が左手で見本を見せる。憂はボールを見ずに扱っている。そんな憂の姿が千穂と千晶の闘争心に殊更、火を付けた。
このままでは足を盛大に引っ張り、恥をかくのは目に見えている。しかも憂が出場する以上は、否が応でも注目を集める事になる。
彼女たちは必死だ。プライドを殴り捨て、憂に教えを乞うたのだった。
「ボール――たたかない――」
「やさしく――うけて――」
「あ――!」
憂のボールは転々と転がっていく。小さな左手ではボールの扱いが違うのだろう。ちょくちょくとこのように優の頃には見せなかったミスを犯している。
憂もあらためての基礎練習が必要なのである。
卓球のメンバーとなった5,6組の生徒たちは、その光景を首を傾げながらチラチラと盗み見ていたのであった。
余談だが、体育の授業で合同となる6組は、卓球に出場枠限界の12名が立候補していた。こんなところにも憂の影響が及んでいるようである。もちろん、卓球部等の純粋な立候補もあったのだが、半数以上は5組のバスケ練習を盗み見する為である。