45.0話 通ってしまう我侭
「――拓真――いや――」
「はぁぁ……」
憂が憮然として言うと、拓真は深い溜息を付いた。憂の気持ちも分からない事はないが、身長問題はどうにもならない。
「…………」
「…………」
「…………」
グループメンバー全員が、何とかならないものかと考え込む……が、憂の家が近くなる訳は無い。
すでに6時間目の終了から時間が経っており、憂を含むグループと数名が教室に残っているのみ。そんな寂しい教室で憂が静かに立ち上がった。
「ひとりで――かえる――」
そう言いながら、リュックサックを背負う……と、慌てて、傍のメンバーが憂を制止し始めた。
「嬢ちゃん。あきまへんで?」
「オレが……一緒に……帰るぞ?」
憂を1人で帰らせる訳には行かない。これは全員の共通認識だ。取り囲まれて進めなくなる。それだけならいい。最悪、襲われる可能性だって十分に考えられた。
「勇太――拓真と――いっしょ――」
憂の理解が及ぶと勇太の折角の申し出は、即座に却下された。そりゃそうだ。拓真より大きい勇太が送ると言っても何の解決にもならない。問題は年下に見られるところから始まっている。
「ねぇ? なんで憂……ごねてるの?」
「千穂……知らないのあんただけ……」
「ずっと教科書開いて悪あがきしてたもんね」
「拓真さんと並んで歩くと、ちっちゃい子に見られて嫌なんやそうですわぁ……」
梢枝の説明を聞き終わると、千穂は憂の頭に手を乗せて言った。
「……ちっちゃいよ?」
「――千穂! あぁ! ――うぅ――」
その手を頭を振りつつ、両手で払いのける。可哀想に。憂は涙目となってしまった。
「……今のは千穂が悪い」
「千穂! 『ごめんなさい』は!?」
「……ごめんなさい」
「――かえる!」
「一緒に……帰ろ?」
千穂が優しくそう提案すると、一気に険しかった表情が緩んだ。その緩んだ顔で「――でも――わるいよ――」と……。
……なんとも説得力の無い事か。
空気が弛緩した。全員が苦笑しつつも優しい目をしていたのが印象的であった。
そして、帰宅中。
結局、本日の帰宅は憂、千穂、拓真、康平、梢枝……と、なかなかの人数を数えている。
……とは言っても、康平と梢枝は少し離れた距離を維持している。
あくまでも護衛と云うスタンスのようだ。
「千穂ちゃん、わりぃな……」
「ううん。憂の気持ち、ちょっと分かるから」
千穂は拓真を見上げながら言った。千穂は150cmをちょっと出たくらいの小柄な女の子である。更にひと回りもふた回りも小さいのが居る為に、目立っていないだけだ。
「……あの2人が……」
拓真は言いかけた口を噤み、前方で隅に寄りカメラを構える梢枝を見て「はぁ……」と大きく息を吐く。彼らが送り届ければ一気に問題は解決するはずだ。
しかし、彼らはその提案をしなかった。あの2人もそれはそれで何か理由があるのであろう。責める訳にも行かない。
「明日の朝は大丈夫」
「……え?」
「明日の朝は妹が一緒に行く。それなら憂も嫌がらんだろ」
「……妹、いたんだ。中学生? でも、妹さんと2人だと危なくない?」
「ん? 俺も行くが……?」
千穂は目を細め、横目からのジト目をぶつける。
拓真は言葉を略しすぎる事が多い。憂との会話が、それで上手くいっている為に顕著になってきているようだ。
「……だったら3人でって言って欲しかったかな?」
「あぁ……悪い……」
梢枝の横を通り過ぎようとした時、憂がカメラの前で立ち止まり、レンズを覗き込んだ。いきなりの行動に千穂も拓真も、何事かと立ち止まる。後ろを離れて歩く康平も、訝しげにその様子を見守る。
「……ゆ……憂さん?」
ファインダー越しの、絶世の美少女のどアップに梢枝は動揺している。梢枝の動揺も見慣れてきた。彼女が唯一見せているウィークポイントは憂である。憂にだけは滅法、弱い。
「――にあってる――よ?」
憂は、『よ?』のタイミングで、いつもと逆の右側に首を傾げた。
どうやら純正制服の事を言っているらしい。たしかに梢枝も似合っている。
「…………そ……そうですか?」
梢枝はファインダーから目を離し、直接、憂を見やる。
……顕になった、その顔は……なんとも締りのない顔をしていた。憂との遣り取り以外では凛とした和風美女なのだが……。
「これから――ずっと――ね?」
……やけに可愛らしく言っているように思える。バーガーショップで味をしめたのか?
とんだ小悪魔だ。梢枝で遊んでいるのだろう。憂の名誉の為に別の見方をするとすれば、純正制服の存在を増やしてしまい、自身を少しでも目立たなくしようとしている……とも考えられる。真実は憂のみぞ知ると云った処か。
「分かりました。夏服も冬服も仕立てますわぁ……」
……良いのだろうか? 榊 梢枝、今年度19歳。卒業時には21歳だ。本当に良いのだろうか?
本人がまんざらでも無い様子なのだから良いのであろう。
いつの間にか合流していた康平は、しょっぱい顔して梢枝を見ていたのだった。
それからは憂と梢枝が珍しく2人で談笑しながら歩いていた。梢枝は普段、自ら憂に話し掛ける事はほとんど無く、基本的に一歩引いた立ち位置だ。必要以上に近付かないようにしているものと思われる。
しかし、今回は違った。憂から話し掛けられた為、喜んで会話している。それはもう、楽しそうに嬉しそうに……だ。
だが、会話をしながらの歩行は、憂には向いていない。すぐに足を止め、考え込んでしまう。帰宅の途につき15分は経つが憂や拓真の家まで、半分も進んでいない。憂のせいで実にまったりとした時間となっている。
「……つまり……妹さんが拓真くんと一緒に行くのは火曜日、木曜日、土曜日なんだね。それ以外……朝練のある、月水金は今のままだと拓真くんと2人で……って事だよね?」
憂と梢枝の後ろでは、千穂と拓真の会話が続いている。先ほど、拓真が妹の美優について、本人不在の中、紹介したところだ。何でも拓真と優に憧れてバスケを始め、中3の今、レギュラーポジションを獲得し、全国大会に向けて突っ走っている最中らしい。ボジションはSG。3Pシューターらしい。拓真は当然だが、千穂は元バスケ観戦マニアだ。やけに詳しい。会話は盛り上がっていた。
「あぁ……。妹にもまだ話してないけどな……」
「うーん……。それじゃあ、私、明日、憂の家に行くよ。迎えに」
「あ!?」
拓真が驚き、上げた声に千穂が少したじろぐ。拓真はひょろっとした勇太と違い、比較的、筋肉質でがっしりとしている。そんな男に『あ!?』とか言われれば、男でもびびる。やめてあげて欲しいものだ。
「悪い」
そんな千穂に気付き軽く謝った後に、前をゆっくりと歩く憂を顎で示しながら続ける。
「元々はこいつの我侭だろ。そこまでやってやる必要ねぇよ」
「……そうかも。でもね。そこまでしてあげたいんだ……とか言っちゃってみたり? 先週の途中から早く学園に行ってるんだし、うちを出る時間なんか、あんまり変わらないよ? だから大丈夫!」
「……まぁ、いいけどな。明日からなのか? 明日は美優、朝練ねぇよ?」
「一緒に行ってくれるか分かんないでしょ? 話聞いた限りだと、複雑なんじゃない? 優に憧れてたんでしょ?」
「憧れってか……いや、悪い。忘れてくれ」
「……それって」
「答えねぇぞ。千穂ちゃんには特に」
「…………とにかく! 明日、憂の家に行くからね」
「……わかった」
「あらあら! まぁ、大勢で! いつも憂がお世話になっております」
憂たち一行は実に30分以上を掛けて憂の家に到着した。拓真の足で8,9分の道を、である。
憂の母は、玄関先で憂の帰宅を今か今かと待っていたようだ。
「はじめまして」と挨拶する梢枝と康平に対し、千穂は挨拶に困っていた。
千穂は実は憂の母とは1度、会った事がある。1度だけ、憂の家にお邪魔した事があるのだ。しかし、その事を憂の母が憶えているか分からない。優の死を知った時も、それを受け入れる事が出来ず、優の家への弔問を躊躇っている内に、そのまま生存の事実を知ったのだ。
「……お久しぶりです」
よって1人だけ遅れての挨拶となってしまった。
「お久しぶり……? まぁ! 千穂ちゃんじゃない! 元気そうね。おばさん嬉しいわ……」
憂の母から見れば、息子が初めて連れてきたガールフレンド。早々、忘れられる存在ではない。
更に5分後。千穂は何故か1人、憂の家のリビングに居た。
他のメンバーは、それぞれ帰宅の途に……いや、ご近所さんな拓真は、とっくに帰宅済だろう。
千穂は所在無げに視線を彷徨わせる。
憂と憂の母は、にこにこと千穂を見詰めている。
千穂は緊張を誤魔化すようにオレンジジュースをひと口啜る。
「凄いわねぇ……。可愛いわねぇ……」
「んっ! こほっ!」
千穂は思わず咽てしまった。声を掛けるタイミングが悪すぎだろう。
「あら! 大丈夫!?」と幸は千穂に駆け寄り背中を擦り始めた。誰のせいだ?
憂も千穂の背中を擦ろうと手を伸ばしたが、背中に触れる事を躊躇う内に母に先を越されてしまった。「あ――」……と、微かに声を漏らし寂しそうだ。昨日、ホテルで素肌に触れた……いや、済まない。誤解を与える言い方をした。
言い直そう。
昨日、千穂の背中を流したのは誰だ。制服越しに触れるなど何を今更。
……と言ってみたものの、憂は、ただ単に昨日の出来事を忘れただけかも知れない。
咽た千穂は涙目だ。経験者は多くないかも知れないが、オレンジジュース等の柑橘類で咽ると炭酸ジュース並に痛い。あれは何故だろうか? 世界には不思議がいっぱいである。
「純正制服……汚れ無くて良かったわね。真っ白だから目立つのよねぇ。私も汚さないように気を付けてたわ」
「え……? おがあ……んんっ!! お母さん、蓼学の卒業生なんですか?」
「そうなのよ。高等部の1期生。あら? 年齢がバレちゃうわね。2年目から、その制服になったのよー。懐かしいわね。今もきちんと取ってあるのよ。ちょっと黄ばんじゃってるけどねー。それでも、思い出のセーラー服だから」
「へぇ……。取っておいたほうがいいんですね……」
「うん。ぜっーーたい、取っておいたほうがいいわよ。愛の制服も取ってあるんだから!」
話をしている内に千穂の緊張は解れた様子である。緊張していた理由はなんとなくだが理解できる。幸は元彼氏である優の母である。もしかすれば義母となっていた人物かも知れないのだ。今となっては、その可能性は限りなく低くなってしまった。残念な話である。
それから、幸の話は剛の帰宅まで延々と続いた。千穂を気に入ったらしい。千穂に夕食まで勧めたが、千穂には父の夕飯を作る使命がある。おいそれとご相伴に預かる事は出来ない。それを理由に遠慮したのだった。
そして、その夕食後。憂を混じえ、家族会議が開催された。
議題は当然、『憂の登園について』である。
千穂に『千穂と拓真&妹でのローテーション案を提示された』と幸は話した。憂が拓真と2人での通学を嫌がった事も当然、話した。
ご近所さんの拓真はともかく、通学ルートが違うであろう千穂には申し訳ないと思った幸は、返事を保留した。家族での話し合いの後、電話すると。
話し合うと言っても憂の徒歩通学に同行できるのは、空いている時の剛か、専業主婦の幸しか可能性は無い。
この母か兄が同行すると云う案を時間を掛けて説明されると、憂は強硬に反対した。やはり家族同伴は恥ずかしいのだそうだ。
他の意見を出しようも無く、すぐに話は纏まった。結局、千穂と拓真&妹のローテーション案に頼る事となった。もちろん拓真へも電話し、妹の美優は快く承諾してくれたと確認済みである。
その家族会議の頃……。梢枝は自宅マンションで日課である裏サイトの確認をしていた。
今日は流れが変わっているようだ。
328:憂たんに平穏が訪れた……。嬉しい。
329:匂い袋買ってしまった。モールの雑貨屋が大量入荷した。ウチの生徒の間だけで大流行w
330:憂ちゃんの自宅判明。まさかの立花 優と同じ。つまり憂ちゃんを引き取った立花家は故・優くんのご両親
331:自殺の理由って何かな……。いじめ? レ○プとか?
332:そろそろ夏服ぅぅ! 待ち遠しいぃぃ!!
333:>330スネーク乙 まじか?
334:>329遅い。愛情が不足してるぞ
335:夏服か。手首と首の傷痕はどうすんだろ?
336:>330マジで!? 憂たん、優くんの代役って事?
337:>331その話題は禁止って何度も。10分※禁止な
338:憂ちゃん可哀想……。
339:夏服って言えば脇! ……だよな?
340:>335そのままリストバンド&チョーカーじゃね?
341:千穂たんて、その優くんと付き合ってたぞ……
342:>335首は未確認。チョーカーの下は謎。
343:暗い話は抜きで可愛さを語ろうZE
344:>330ストーカーか? お前は?
345:>330マジで?
346:>339同意はせんが否定もできん。むしろヘソだろ?
347:千穂ちゃんの笑顔の裏に……。泣けてきた。
348:>330亀レスすまそ。それじゃ、憂たんて、優くんの代役として立花家に引き取られたんか。可哀想情報追加じゃねーか……orz
349:良い事言ってくれた。このスレはそうあるべきだ
350:俺も小首を傾げて見詰められたいぃぃぃぃ!!! 名前、呼び捨てにされたいぃぃぃ!!!
351:>348いや。そうでもない。楽しそうにしてた。良くして貰ってるみたいだ
梢枝は大きく息を吐き出した。
この新しい330の情報により、憂は更なる同情を集める事になるだろう。学園内の庇護欲を一身に集め、益々、憂は守られる立場となっていく。それは千穂と親友2人を始め、憂のグループ全体にも向けられる事になるかも知れない。
憂=優。この真実が明るみになった時、憂の守られる立場は大きな力となるはずだ。
そして、脳の再生。これは世界中の研究者の垂涎の的となる。研究者たちの干渉への大きく頑強な盾でもある。
梢枝は、島井たちの用意周到さに呆れ返りながらも、何処か楽しそうだ。
ふと、白い制服が目に入る。
憂に褒められた。この出来事を思い出し、梢枝は1人破顔した。