44.0話 徒歩で通学
―――5月15日(月)
あー。久しぶりだな。優んち行くの。
事故現場行った後以来か?
あん時立てた線香は何だったんだ?
……まぁ、いいか。
元気なんだ。優が。難しい事は考え無しだ。
革靴に足を突っ込む。
今朝は、うるさい妹は朝練。あいつ、朝練ねぇ時は俺と一緒に行きたがるからな。
……明日からどうすっか?
千穂ちゃんらと相談か?
それとも立花家の新しい家族っつって、憂の事、話しちまうか?
妹も親も憂の事、気付いてねぇし。けどよぉ……。あいつ、優に惚れちまってたしなぁ……。受け入れられるか? 憂を?
俺ら本居家と立花さんちは、去年までは家族ぐるみの付き合いだった。今は希薄になっちまったけどな。それも仕方ねぇ。元々、俺と優の付き合いから始まった親交だからな。
バタバタと忙しねぇ足音。母さんうるせぇ。
「拓ちゃん、もう行くの? いつもより早くない?」
「あぁ。ちょっとな」
「拓ちゃん、最近、良い事あった? 優く……あ。ごめん……」
思わず苦笑いだ。今でも俺の前での優の話はタブーなんかよ。もう1年以上経ってんだけどよ。
「吹っ切れた。問題ないさ。行ってくる」
「……そう。いってらっしゃい」
俺は玄関の扉をくぐる。
「――あ! ――拓真――おはよ――!」
なっ……何で!?
玄関先には憂が居た。いつもの純正制服。
……セーラー服。よく着てるよな。俺が憂の立場だったら……。
考えたら駄目だな。これは。憂だって理由があるんだ。
ん? なんか……スカート短くなってねぇ?
膝、全部見えてるぞ……。
憂の後ろには、一家総出の立花家。憂を養子に……って、話すんか。でけぇ決断したな。立花家。まぁ、その内バレるなら早ぇ方がいいか……。
「……拓ちゃん……誰? その可愛い子……」
……母さん。声、掠れてんぞ。
俺は玄関の扉を全開にする。
「立花さん!? 皆さんお揃いで……」
焦ってんな。一家総出の立花さんちなんて、母さんが見るのは1年以上、空いてんだし。
まぁ、あれだ。あれは優にゃ見えてねぇだろうけどな。
「いや……ははは。その子は、私たちの新しい娘です」
「もう。お父さん、説明になってないよ。……おはようございます。たっくんのお母さん……」
憂の姉さんが憂の傍まで寄り、挨拶。
たっくんのお母さん、優のお姉さん……。こんな呼び方してたんだ。両家は。名前や渾名で呼ばれてんのは、俺と1つ下の妹、美優。立花さんちは優だけだ。
……もう、『たっくん』は正直やめて欲しい。俺、180超えてんだぞ?
「おはようございます……。お久しぶりですね。皆さん……」
皆さんの中、当然、憂は含まれねぇ。マジで微妙な立場だよな……。
「お久しぶりです。この子は……」
憂の姉さん……愛さんは表向きの設定を母さんに告げる。
優の病室の後に入った施設の子……ってヤツな。一緒に後遺症についても話す。ゆっくり、短くってのな。
「さぁ……ご挨拶……」
憂は説明の間、凍ってた。無表情で変化無し。
……変わる時もあるよな。この違いは何だ?
まぁ、いい。
「――憂です――はじめまして――」
神妙な顔して、愛さんの説明聞いてた母さんの表情が驚きに変わり、ゆっくりと悲しみに染まる。
……そうなるよな。普通は。
表向きの設定だと、憂の存在は優の代わりに立花家に貰われた、可哀想な子だ。
あ? 母さんが真面目な顔付きに変わってんな。
「はじめまして……憂ちゃんは……今……楽しい?」
おいおい。マジか。すげぇ質問だな。もし、『たのしくない』とか言ったら、絶縁状態に陥るぞ。
「――たのしい」
憂は笑顔で言った。
……可愛いじゃねぇか。
「拓真……。憂ちゃんと仲良くしてあげてね」
「……あぁ」
母さんは憂の母さんに視線を戻す。
「幸さん……貴女、また穏やかな顔に戻れたんだね。あの事故から貴女ずっと無表情で……でも、今年に入ってから前みたいに物腰の柔らかい貴女を見かけて……。どうしたんだろうと思ってて……。気にはなったけど聞けなくて……。貴女が戻れたのは……憂ちゃんのお陰?」
「私、そんな無表情でしたか……?」
優の母さん……相変わらずボケボケだな。
……論点違うぞ。
「お通夜状態から脱却できたのは、間違いなく憂の……この子のお陰ですよ」
憂の姉さん……愛さんは、憂を優しく見詰め、肩を抱きながら微笑んだ。
……クソ……綺麗なんだよ。愛さん。
「あはは! ――あかいよ――拓真!」
…………。
うっせーよ。
母さんはツッカケを履いて出てくる。
その勢いのまま、憂の母さんにハグだ。
「たっくんのお母さん……」
優の母さんは慌てた様子も見せず、受け入れる。
「……良かった。本当に良かった。もしも憂ちゃんが優くんの代用品だったら……私は貴方達の事、許せなかった……。でも、憂ちゃんの今の笑顔で確信持てました。また……家族ぐるみでお付き合いできるかしら?」
「喜んで!」
憂の母さんの嬉しそうな声と、半べその母さん。
……なんだよこれ。憂が退院してから調子狂うような事ばっかりじゃねぇか。
「……拓真」
「……兄さん?」
「憂の事……頼むな……」
……それだけ言って、憂の兄さんは、背を向けて行っちまった。
「わかってる!」
門を出て、遠ざかる後ろ姿を追い掛け、声を掛けたら、手を上げてヒラヒラ。あの人、チャラくなってたのに髪も黒に戻って……。心境の変化か?
……あの人、大学4年だっけか? 就活なだけか? ……わかんね。
「憂! 行くぞ!」
キリ無さそうだからな。愛さんも憂の父さんも仕事じゃねぇの?
「――うん!」
足を引きずりながら小走りで駆け寄ってくる。嬉しそうだな。
……こけんなよ。
「まぁ! 偉そうに! 憂ちゃん、ごめんね! 拓ちゃん! ペース合わせてあげるのよ!」
「――いってきます」
「わかってんよ!」
……みんな通学路を曲がるところまで見送った。
俺ら、そんな餓鬼じゃねぇよ。
歩き初めて10分ほど。
……遅い。しゃあねぇのは解ってんだけどな。普段ならもう着いてんぞ。まだ、半分も進んでねーじゃねぇか。
それよりだ。
……なんだこいつらは。後ろから追い付いちゃあ、並走しやがる……。
とんだ集団登校だな。一旦、並んで追い越してくヤツらも居る。それも半数くらいだ。残りの半数は俺らの周りで並走。……30人超えたか?
お? また追い越してった。兄妹か?
中等部の兄ちゃんと初等部……低学年か? そんな兄妹。
「ねぇ見て見て! お兄ちゃん! あのお姉ちゃん、すっごいかわいいよー?」
妹さんが憂に気付いて、ベタ褒めだ。まぁ、気持ちは分かる。
「んー? お前の方が……」
兄貴が言いながら振り向いて、途中で言葉が途切れた。
……おい。そこで止まってやるな。妹さん、可哀想じゃねぇか。
「兄妹かなー? いっしょだねー! わたしたちと!」
妹か……。まぁ、そう見えるだろうな。この身長差だ。
あん? なんで立ち止まったよ? 仕方ねぇから立ち止まったが……。遅刻すっぞ。
俯いて、ぷるぷるしてんな。お。顔上げた。なんで睨むんだよ……。しかも涙目じゃねーか。
「――拓真と――いっしょ――いやだ!」
ほら、危ねぇ。走り出そうとして、つんのめったところを憂の右腕を掴んで支えた。
「文句……無しだ……行くぞ」
そのまま右腕を支えながら歩く。
「うぅ――くやしい――」
……。
……聞こえてんぞ。
……それから更に5分。集団の人数がくっそ増えた。うぜぇ。
「うぅ――ぐすっ――」
……はぁ……。
……泣かれても困るんだが。
新しく合流したヤツらはヒソヒソ俺に文句言って……。
……うぜぇ! あぁ! うぜぇ!!
あ? 前から純正制服? 千穂ちゃんじゃねぇか。なんで前から?
勇太も佳穂千晶コンビも現れた。
「おはよ! 遅いから心配で迎えに来ちゃった! それよりこの集団、何? それに何か、憂を連行してるみたいだよ! 遠目に驚いちゃった! あ! 憂、泣いてるじゃない!?」
いくつ質問してんだ。
「1つずつと憂の事、頼む」
「……1つずつ? そっくりそのままお返しします!」
あ? 何の事だ?
千穂ちゃんは憂の手を取る。
「ちほぉ――」
「何、情けない……声……出してるの?」
「『質問は1つずつ頼む。あと憂の事をよろしく』って言うべきですわぁ……」
あ!? 梢枝さん、集団に混じってたのか!?
あぁ!? 純正制服!?
「梢枝さん!? どしたの!? 超似合ってる!!」
佳穂ちゃん、声でけぇよ。
「その事には触れんとって下さいな……」
「総帥からのプレゼントですわ。着てかないと任を解くって……」
「……康平さん? 余計なお喋りは必要ありまへんえ?」
「すっごい。3人になっちゃったね。純正……」
「そうだね……。あたしたちもやっちゃう? 千晶次第だけど……」
「ホンマの事言うて何が悪いんや?」
「いや、絶対着たかったんだって」
「着たくなかったら拒否して終わりだろー? 梢枝さんの場合」
「わたし? 無理無理。無理だよ?」
「ほーほー。その解釈はありでっせ!」
「好きに言うて下さい……」
……なんだよ。これは。
「あー! 憂ちゃんのスカート短くなってるー!!」
「ホントだ! 憂、可愛い!!」
「おぉ……すげーな……」
「憂さん、それ反則や……」
セーラー服の上を捲くられて……やめろ……。
「うっそー!? 折ってない! 裾上げ済み!?」
「ひゃああ――――!!」
「佳穂!? 何やってんの!?」
「ちらっと見えたお臍……可愛い膝小僧……。良すぎですわぁ……」
「……ちょ……ワイは見てませんで……」
「憂ちゃんって、インナーシャツ着てなかった?」
「お姉さんの頃と生地が変わって、ほとんど透けなくなったの、愛さん知らなかったみたい。昨日、話した……」
「千穂! ぐっじょぶ!」
「よしよし……怖かったね……」
「あ! 千穂の胸が……」
「大きくなってる……」
「ちょ……女子!? その話題やめれ!!」
「底上げしやがったなぁー!?」
「憂さん……いいですわぁ……」
「ちょ!! 佳穂!? やめて!!」
「佳穂さん!?」
「佳穂! わたしも混ぜて」
「やだぁぁ!」
………………。
「あー! うるせぇ! 周りの連中もさっさと行け!! 康平! あんたもどっから現れた!?」
「――いこ? ちこく――する――」
……お前が1番の原因じゃねぇかな?
それからしばらく。一行は50分を過ぎ、到着した。
「お前ら遅い! 朝礼でリコちゃん、心配してたぞ!」
「……無事で良かった」
「ホント。私たちも心配したんだからね」
……順番に健太、副委員長の優子、委員長の有希だ。他のクラスメイトたちも何人かうんうん頷いている。
「今日から憂が徒歩だから……」
何故だか責められているのは千穂である。
でかい、若しくはいかつい男子3人には当然、言いにくい。
女子たちも、先ず梢枝は論外だ。手痛い反撃が予想される。
佳穂と千晶は、絶賛セット販売中。千晶はともかく、問題は佳穂だ。これまでを省みるに、彼女は気が強いものと認識されている。
……よって、クレームの窓口は、いつも千穂なのである。不憫な立場だ。
「へぇ……徒歩なんだ。憂ちゃん……大変だった?」
有希が心配そうに憂を覗き込む。憂は小首を傾げ、熟考した後に言った。
「――あるいみ?」
ツッコミを入れたそうな何人かが、その言葉を飲み込む。たしかに全然、状況が伝わってこない。
「人――いっぱい――」
「誰が集めてるんですか……」
小声早口の千穂の言葉は聞き取れなかった様子である。不満そうに唇を尖らせる。
「それにしても千穂ちゃんたち、余裕だよね」
優子が感心したように言った。
「え? 何が?」
「え?」
言った優子と言われた千穂が顔を見合わせる。
「中間テストだよ? ……今日」
「あはは……だいじょうぶ。うん。だいじょうぶだよ」
昨日、良い子の寝る時間以上に、早く眠りに就いた千穂なのであった。
……忘れていたのか?
……教室の廊下側の最後列では、梢枝の周りにもう1つの人だかりが出来ていた……と、追記しておこう。
さて、簡単にだが中間テストの様子を語っておくとしよう。今回の中間テストは主要科目のみである。僅か一日で済ませ、明日からは通常授業である。
まず千穂は大苦戦の様子だった。小休憩時間は即座に教科書を開き、アンダーラインしてある箇所を頭に詰め込んでいた。昼休憩時も昼食もそそくさと済ませ、教科書を開いた。
それでも6時間目が終わった直後、涙目になっていた。
涙目の千穂に憂が『――よしよし』と頭を撫で、余計に千穂を凹ませていた。
佳穂は空欄の多いテストだった……が、本人は全く気にしていない様子だ。
勇太も同様である。佳穂と勇太の脳は、どこかが筋肉で出来ているのかも知れない。
千晶は全問埋めていたようだ。千晶の成績は中等部時代、二桁台と言う上位を維持していたので当然だろう。
拓真もまた、ほとんどの問題を埋めていたようだ。
千晶ほどでは無いが、拓真も勉強は出来るほうである。
梢枝と康平は遊んでいた。全テスト70点狙いで何かを賭けて遊んでいたようである。
そして……問題の憂。
憂の科目によってだが、意外と回答を埋めていた。佳穂よりも埋めていたかも知れない。
今回のテストは科目によっては、ルビが振ってあった。おそらく憂への配慮である。流石に国語、英語は、振り仮名無しであったが。
それでも上出来である。
テストの結果が待ち遠しい。
もしかしたら佳穂や勇太より上と言う、番狂わせを演じるのかも知れない。