4.0話 自己紹介
キーンコーンカーンコーン―――
始業の鐘が鳴る。よく聴けばそれが電子音であると分かるはずだ。そもそも、この学園に鐘は存在していない。
私立蓼園学園高等部普通科C棟。肥大化する高等部の中でも比較的、新しい建物である。進学校の毛色の強い蓼園学園。普通科の使う校舎はこのC棟を含め、A棟~C棟の三棟である。増加を続ける入学希望者を受け入れる為、目下D棟の建築中だ。来年にはまた500名以上、在籍生徒が増加する事だろう。その他、商業科、工業科が使用する校舎もある。初等部、中等部も増築の話が上がっているが着工には至っていない。広大な敷地を誇る蓼園学園だが、敷地は有限。近隣の住民に土地の買収話が出ているがそれは別の話だ。
そんな比較的新しいC棟の小奇麗な廊下をゆっくりと歩きながら、黒髪を肩で切り揃えた優し気な雰囲気を纏った紺色のスーツを着た小柄な女性と、純白のセーラー服を身に纏った、更に小さな少女が会話をしている。白鳥 利子と立花 憂の両名である。
彼女らは1-5の表札の下、立ち止まった。
「呼んだら……入ってきて……お願いね」
数秒の沈黙の後、「――はい」と、鈴の音のような甲高く可愛らしい声が2人だけの廊下に響いた。
利子は、ゆっくりと返事する憂に笑顔を向けると、横開きのスライドドアを開けた。
「リコちゃん、遅刻ぅー」
「2時間目、授業潰すって? 何すんの?」
「そろそろ席替え?」
入室すると同時に生徒たちから、早速とばかりに声が掛けられた。教室内を見回すと31名の男女がそれぞれ自身の席に着いている。薄めのグレーのスラックスに白いカッターシャツの男子純正の制服の少年。白いセーラー服に紺のスカートの少女。学園指定では無いジャージ姿の少年。長袖TシャツにGパンの少年。白いカーディガンにフレアスカートのふんわり少女。半袖シャツにハーフパンツの少年まで居る。
「ウチって席替えないんよ」
「え? マジで?」
「転室だって出来るじゃん。席なんて自由だよ」
私立蓼園学園高等部のいつもの光景がそこにはあった。
「今日から申請OKだろ? 承認後、1ヵ月で転室だから、出たいなら早めにな」
「いや、出ないし。リコちゃん、可愛いし」
特進クラスと呼ばれる各棟1~4組までは、もっと制服率が上がるが通常クラスではこんなところだ。中等部、初等部の制服率は特進よりも更に高い。
「ぉっと………」
周りのクラスメイトは既に静かにしていた。
最後まで話していた少年2人も、ようやく雰囲気を察して静かになった。
―――丁度良い会話だったので補足しておきたい。
私立蓼園学園は同学年内であれば、生徒の希望によりクラスを自由に変えられる。普通科から商業系、工業系への異動も可能だ。無論、逆もまた然り。
自由、自立を推奨、奨励するこの学園ならではだろう。希望さえすれば、例え能力が伴ってなくても特進クラスへの冒険も出来る。
メリットとして、仲の良い生徒たちが集まる傾向があり、いじめが少なく、発生してもクラス変更により、校舎自体の違うクラスに退避する事も可能だ。
自分探しとして、工業系の機械科、建築科、電子科などを渡り歩き、自分にとっての一番を探す事も出来る。
もちろんデメリットも多い。
別の科へ異動した者にとって、それは中途入学と何ら変わりない。元より居る生徒たちは授業が進んでいる為、相応の努力で追い付く必要がある。
更にクラス単位で派閥に近い物が生じる事がままある。クラス単位で敵対関係を生む事さえある。
その対策……謂わば捌け口として、蓼園学園は多数の行事があり、他のクラスや初等部、中等部との交流の場を提供しているのだ。
際限ない異動は混乱を招く。その為、いくつかの制約もある。
クラス間の異動は5月GW明けより申請解禁となる。そして実際に異動可能となるのは例外もあるが1ヵ月間の待機期間後である。
6月の1年生の大異動は高等部の名物でもある。
このクラス間異動、転室こそが私立蓼園学園の最大の特徴と云えよう―――
利子は、生徒たちのざわめきが自然に収まるまで待ち、顔ぶれを見渡す。窓際、後ろから2列目の、どこかそわそわした少女と目が合った。漆原 千穂。珍しい純白の純正制服に身を包んだ、ほんわかした子だ。クラスで1,2を争う美少女である。
(でも、それも今日までかな?)
彼女は優くんの元カノだったらしい。千穂とその後ろに座る一際、大きな少年2人。本居 拓真、新城 勇太。この3名こそ、優の親友と彼女。憂の事を知る生徒なのである……と、主治医の島井先生は利子に伝えたのだった。無論、口調は違う。そこは察して頂きたい。
「せんせ、どしたの?」
考え事をしていた利子は、教卓にほど近い席に座る女生徒に声を掛けられた。
「あ! あぁ……ごめんなさい。今日は転入生を紹介します」
「え!? マジで!? まだ5月じゃん!」
「うっそ! 女の子? 野郎? 女の子?」
途端にざわめきを取り戻す教室内。
「ちょっとー! 静かにー!」
利子は声を張り上げ、沈静化を図る。その大声で即座に静かになる少年少女。生徒たちも早く紹介して欲しいのである。
「えー。彼女を紹介する前に注意事項があります」
「うひょー! 女の子! 来たコレ!!」
「健太うるさい! 話、進まない!」
「ぐえぇぇ……」
健太と呼ばれた茶髪短髪の少年が真後ろの女生徒に首を絞められた。これは日常風景だ。いつもの光景に苦笑いしつつも利子は続ける。
「彼女は長期入院明けで入学が遅れてしまいました。主治医の先生の勧めで社会復帰の為、当学園に転入となりました」
「薄幸の病弱少女きたぁーー! 痛てっ!!」
健太が今度は拳骨を落とされた。
暴力はいけません……と後ろの女生徒。有希に掌を向け、抑えた後に言葉を続ける。
「ここからが注意点です」
生徒たちの真剣で真摯な眼差しが集中した。
「彼女には後遺症が残っています。話しかける時は、ゆっくりと、丁寧に、少しずつ話してあげて下さい」
そう言って、スライドドアを見やった。140cmほどの高さに付けられた覗窓に憂の姿は無い。見えない位置に待機しているからだ。例え、見える位置に立っていたとしても、憂の身長では頭の先が微かに見える程度だろう。憂の身長は140cmに満たない。
「先生。それって……頭やられてるって事っすか? それだと……俺なんかはだいじょぶだけど……その……ハブられるんじゃないですか?」
健太の言葉に呼応するかのように、生徒たちの呟きが小波となり広がっていった。
「それはご家族と主治医の先生の意向です。特別なクラスではなく、通常のクラスで生活させたいとの事でしたよ。それ自体がリハビリになるんだそうです」
「いや……だから、そうじゃなくて。その……無視とかされたら可哀想じゃないっすか」
「健太……。あんたいい奴だったんだ。初めて知った」
有希が割かし酷い事を言った。健太は後ろの少女に何やら抗議している。何とも仲の良い事だ。
「健太くん。心配かな? でも私は大丈夫だと思ってます。彼女をひと目、見たら解りますよ。放っておけなくなる事、間違いなしです!」
「美少女!? 美少女なのかぁーー!?」
1人で騒ぐ健太を有希が制止する。他の生徒たちは不安な面持ちだ。上手くやっていけるか心配になるのも、ここまでの説明から仕方ないと思われる。
鷹見 健太が黙った事を確認すると、利子は声のトーンを1つ落とす。
「もう一点だけ注意事項を……」
雰囲気の変わった白鳥先生の言葉に、室内の空気が程よく引き締まった。
「彼女に『死』と言うキーワードは禁物です。フラッシュバック……と仰っておられました。彼女への直接的な言葉はもちろん、彼女の関わらない場面での友達同士の会話でも……。出来れば『死ぬ気で勉強』とかも避けてあげて下さいね」
長い入院、後遺症、『死』……そんなキーワードの連続で鎮まり返る教室の空気。それを振り払ったのは、またしても健太だった。
「はーい! OKです! タブー了承! みんなもなるべく気を付ける! OK?」
「そうだね。無理する必要もないし、気軽に接してあげてね」
利子は素の言葉が出ているが無意識のようだ。
生徒たちは周りの友達とひそひそ言葉を交わすなり、小さく頷いたり首を傾げたり……と反応は様々だ。だが、健太の活躍(?)もあり概ね好感触のようである。
そんな雰囲気に満足した利子は、生徒たちに背を向けるとペンを手を取り、ホワイトボードに転入生の氏名を書いていく。現代文の教師らしからぬ、どこか柔らかさを含んだ丸い文字だ。
【立花 憂】
再びざわめきが波紋のように広がっていった。これは利子にとって、予想通りの反応である。このクラスは極秘裏に手を加えられている。去年の中等部1,2年生時代の同クラスの者、3年C組出身者と優の所属していたバスケ部の面々で過半数を超える為だ。
健太は優の事を知らない。中等部からのエスカレーターではなく、高等部から蓼園学園に入学した彼は、周囲をキョロキョロと窺っている。
ざわめく生徒たちは一様に1人の少年を思い出していた。3年C組でもバスケ部でもムードメーカーであった立花 優を。
優と憂の関係性……。これは面談での利子も騙されかけた偽情報を折りを見て、『知っている』生徒3名の内の誰かが話す手筈となっていると島井が利子に語っている。
現時点での反応は本人を見せれば、偶然で収まるだろう。何しろ性別自体が違うのだ。
利子は廊下に向かって声を掛ける。
「憂さん、お待たせ……しました。……どうぞ」
生徒たちは固唾を呑んで見守る。
……廊下からの反応は無かった。
「憂さん?」
先生がスライドドアに急ぎ足で近づき、覗窓から廊下を見る。155cm弱ほどの少し小柄な白鳥先生には憂の姿は捉えられなかったようだ。
利子の表情に焦りが浮かんだ。生徒たちもざわざわと騒ぎ始める。
「憂さん!?」
スライドドアを少し開き、上半身を捻じ込む。
周囲を確認すると思いの外、早く見付かった。
憂は廊下の壁を背凭れに座り込み、スヤスヤと寝息を立てていたのだった。
私は数人の立ち上がった生徒に着席するよう促し、廊下に出ました。
憂さんの傍にしゃがむと優しく肩を揺らし、声を掛けます。
「憂さん?」
「んぅ――?」
すぐに目を覚ましてくれました。ちっちゃい手で目を擦っています。
「立てる?」
寝呆け眼で頷いてくれました。憂さんは右手、右足に体重を乗せ立ち上がろうとして、バランスを崩しました。慌てて支えます。そのまま手を貸し、立ち上がって貰いました。
立って貰うと彼女のスカートの後ろを叩きました。汚れてるかなって思って。
「ひゃ――!」
びっくりして私を見上げてきます。お尻に手の甲を添えてガードの姿勢です。思わず苦笑いですよ。
切り替えて声を掛けます。
「教室……入るよ?」
――。
若干の間を空けて、彼女の表情に緊張が生まれました。やはり理解に至るまで少し時間を要します。
「大丈夫」
憂さんの背中に手を回し、ドア前まで歩くと、ドアを大きく開けました。
いよいよ、クラスメイトとの対面です。
そのまま、憂さんの小さな背中を押すように入室させました。
――。
空気が凍りました。予想外の反応です。私の予想では黄色い声が上がると思っていたんですけど……。
健太くんでさえ固まっています。憂さんも最初は気丈に顔を上げていましたが、俯いてしまいました。もじもじと体を揺らし始めます。
沈黙を破ったのは、普段大人しめの意外な生徒でした。
「きゃあああああ!! 可愛いぃぃぃ!」
憂さんの元彼女。千穂さんです。
「うぉぉぉ! 美少女降臨ー!!」
「ちっちゃ~い!」
「うわ! すげ! マジすげぇ!」
「やだ! もぉ! かわいすぎぃ!」
「薔薇色の高校生活きたぁぁ!!」
「かわ?x○☆彡~#@*ぃぃ!!!」
阿鼻叫喚。立ち上がり駆けてくる少年少女。
すぐに出来上がる憂さんを囲む壁、壁、壁。
憂さんは顔を真っ赤にしてるみたいです。俯いてますけど。耳が真っ赤で。うん。可愛い。
いや、いけない。私は教師。この子も周りの子も同じ生徒。私は担任。頑張ろう私。
憂さんの姿を隠すように前に立ち、パンパンと手を打ち鳴らします。このままでは話が進みません。
「はいはい! みんなー! 憂さん、困ってるでしょー! 席に付きなさぁーい!」
……………………。
興奮した様子で、なかなか引き下がってくれません。
「時間はこれからいくらでもありますよー! この状態では何も出来ませんよー!」
渋々、席に戻っていく生徒たち。
憂さんの方を見ると別の視線を感じました。
覗窓から覗く数学の先生と目が合います。
……隣の教室で授業中だったんでしょうね。
私は廊下に出ると謝罪です。平謝りです。ごめんなさい。
「お騒がせして申し訳ありません」
廊下に出た時は驚きました。居並ぶ先生方。遠目には教師不在となり、教室を抜け出したと思われる生徒の姿も。
「全く……。我が校が自由と言っても、他の教室の授業を妨害する自由はありませんよ」
嫌味な数学教師にもう1度ぺこりと頭を下げます。『我が校』って表現はダメです。私立蓼園学園高等部普通科C棟1年。
ほら! どこにも『校』の字が入っていない! ……なんてツッコミはしません。大人ですから。
「ほら! お前ら、教室に戻りなさい! 授業中ですよ!」
廊下に出ていた生徒に八つ当たりしながら、数学教師は隣の教室に戻っていきました。他の先生たちは「賑やかなクラスでいいですね」なんて声を掛けてくれたりしながら、各々教室に戻られました。
「はぁ……」と、溜息を吐きながら1年5組に戻ると、私が教室を出た時と全く変わりない風景でした。
クラス全員、自分の席で憂さんを鑑賞中。皆、子犬や子猫を愛でるような優しい瞳。いえ、1人だけビデオカメラを構えている女生徒がいました。スマホじゃないですよ? やたら大きめなカメラです。いつもかなりの時間、撮ってるけどどこから取り出したのでしょうか?
憂さんは真っ赤で俯いたままです。この子、私が謝っている間、ずっと固まってたのかな?
「自己紹介……したかな?」
憂さんは少し遅れて首をふるふると横に振ります。
「「「おおーーー」」」
それだけでざわめきが……。
「えーっと……。みんなお願い! これから自己紹介して貰うけど……騒がないでね! お願い!」
この子の声を聴いた時のみんなを想像すると怖いです。だから先手を打っておきました。
「憂さん? ……自己紹介を」
俯いたまま頷きます。みんな息を潜めて耳を傾けています。
たっぷり10秒くらい後に覚悟を決めたかのように顔を上げました。
……綺麗。
真っ赤……じゃありませんでした。少し落ち着いた様子でほんのりピンク色。しつこいようですが……ほんっと可愛い。みんなも見惚れてるのかな? 息を潜めて声も出しません。
「――立花――憂です――。よろしく――おねがいします」
静まり返った教室に憂さんの可愛く澄んだ声が響きました。それは驚くほどしっかりとした、凛とした声音でした。
そして……短い挨拶の後、しっかりと頭を下げました。
――。
少しの沈黙の後でした。
パチパチパチパチ
小さな拍手が重なり合います。
パチパチパチパチパチパチ――
それは控えめで、それでも全力の拍手で。
優くんが憂さんとして、私立蓼園学園高等部普通科C棟1年5組……C1-5組に受け入れられた瞬間でした。