42.0話 千穂と姉
「あれだよー。あのホテル」
お姉さんが指差したホテルは、ちょっとした高台にある、それほど大きくない……けど、小洒落たホテル。
……高くないのかな?
「この辺りって有名じゃないけど、温泉出るんだって。全室、お風呂は温泉引いてるんだよー!」
「温泉! いいですね!」
温泉なんて何年ぶりだろう?
お父さんは家の事もあって、忙しくしてるからあまりどこかに連れていって貰ってないんだよね……!
「千穂ちゃんも温泉好きなんだ! 一緒に入る?」
「えっ!? えっと……」
それは……恥ずかしいかな? お姉さん、プロポーションいいし……。
「憂もついでに入れるよー。起きてからだけど」
憂も一緒かぁ……。
憂のほうが私よりもちんちくりんだから……。
「それならいいかも……です」
「……意外な回答だった。今ので大体、聞きたい事の答え、分かっちゃったかな?」
それからすぐに到着した。
……見えてたもんね。
お姉さんは1回切り返して、車を真っ直ぐに停める。
……車の駐車って性格出るのかな? 斜めに適当に停まってる車もよく見るよね?
あ。憂を起こさないと……。
お姉さんは運転席を降りて、後部座席のドアを開く。
「憂? 憂ってば……」
「あはは! 男の子の憧れのシュチュエーションだね!」
あぅ……。変な事言うから肩を揺する手が止まっちゃいました。
「お姉さん……起こしにくくなっちゃいました……」
「ごめんごめん! でも、任せちゃったからね!」
……むぅ。起こしにくくしただけですか。
「憂? ねぇ、起きて……」
「――んぅ?」
あ。起きた。
「着いたよ。さ……降りて」
お姉さんの声を受けてシートベルトを外してあげると、目をごしごししながら、もぞもぞと動き始める。
……男子憧れのシュチュエーションはどこに行っちゃったのかな? 別にいいけどさ!
あ……私も降りなきゃだね。
急いで車を降りて、ばたんってドアを閉めて、運転席側に回り込むと、憂が立ち上がったところ。
数歩進んだところで私が憂の隣に。ふらふらしてて危なっかしい。
お姉さんがドアを閉める……と、そのタイミングでカクンと憂の膝が落ちた。
「危ない!」
私は、とっさに憂の体を抱きとめる。危なかった……。
「……千穂ちゃん、ナイス。まったく……この子ったら……憂! お・は・よ・お!」
「んん――ごめん――」
憂の足にちからが入って、自分で立ってくれた。
「憂って、いつもこんななの?」
えっと……どうだったかな? こんなじゃないよね?
「……ここまで酷くないです……ね。昨日なんて、ずっと起きてたし……。あ。それでかな?」
「今日はお腹いっぱいだしね……。仕方ない子ね。ほら、憂?」
お姉さんが憂に背中を向けて、しゃがみ込む。
「……私がおんぶしますよ?」
お姉さんはチェックインとか、あるだろうから……。
「そう? それじゃあ、お願いできる?」
「はい」
お姉さんと入れ替わって、憂に背中を見せる。
「――だいじょうぶ――」
……とか言いながら、寝ぼけてるじゃない……。
どう見ても大丈夫じゃないよ?
「無理……しないの!」
「うぅ――」
あはは。お姉さんに怒られちゃったね。
「――ちほ――ごめんね――」
謝りながら体重を預けてくれた。
私は、そっと立ち上がる。軽いね。
「千穂ちゃん、大丈夫?」
……私も小さいですからね。心配になるのは分かりますけど……。
「大丈夫ですよ」
「そう? しんどくなったら言ってね?」
「はい」
私たちはオレンジ色の光の灯るホテル内に入った。
入ってすぐのロビーの一角にあるカウンターに向かうお姉さん。もちろん私も付いていく。
「――ちほ――いいにおい――」
……………………。
「憂? 知ってた? 憂も……いいにおい……なんだよ?」
ちょっとお返し。どう? 恥ずかしいでしょ?
……あれ? なんか重くなってきた……。
寝ちゃったのかな? 寝た子は重いって聞いた記憶が……。
「いらっしゃいませ。お泊りですか?」
カウンターの黒スーツのお兄さんがお姉さんに問い掛ける。
「いえ。デイユースで」
「かしこまりました。そちらの場合、料金は先払いとなります」
「はい」
「あの……申し訳ありませんが、そちらのお嬢様は中学生ですか? 小学生ですか?」
「えっと……高校生です……」
お姉さんが言い淀みながら、はっきり伝える。
……小学生って言っちゃえば、お安くなるかも……なんて思っちゃった小市民な私。
「え!? ……いえ。大変、失礼を致しました」
動揺をすぐに打ち消し、落ち着いた口調を取り戻して話すお兄さん。さすがプロですね。
「いえ、仕方ないですよ。どう見ても子どもですから……」
それからすぐに話は終わって代金のお支払い。福沢先生でお釣りが来てたみたい。ちょっと安心。
「それではこちらへどうぞ……」
違うお姉さんの案内でエレベーターに乗り込む。お会計の最中でエレベーターを呼んで、開放してくれてた。プロすごい。
エレベーターの中で何度か「よいしょ」って、落ちてくる憂の体を上げ直しちゃった。そしたら「本当に大丈夫? 変わる?」……って、憂のお姉さんに本気で心配されちゃった。
でも、言い出した以上は私が責任を持ちます!
「……大丈夫です」とか言っちゃって、元気な返事はちょっと出来なかったけど……。
……。
ホテルのお姉さんに、すっごく優しい眼差しで見られました。恥ずかしかったです。
ホテルの一室に案内されると「ごゆっくりどうぞ」って、ホテルのお姉さんの声を聞きながら憂をベッドに下ろす。お姉さんの手を借りて、そっとね。
ベッドはダブルベッドが1つ。そう言えば、さっきフロントで『その場合でも料金は変わりませんが……』って言われてたのは、この事なんだね。
「んぅ――?」
……下ろした早々、起き上がった。
むかっ。
だったら歩いてくれればいいじゃない!
憂はベッドに座る形で、カーディガンを脱いで……ぽいっと。
続いて、ショートパンツを脱いで……ぽいっと。
こらこら!
まぁ、いいけどね。寝にくいだろうし……。
そのまま布団に入って、もぞもぞと頭から潜っていっちゃった。
……なんだろ? 今まで、見えてた可愛い生き物は?
「こりゃ。窒息するぞ?」
お姉さんが布団をかばりとめくる。
「――うぅ――」
憂は、もぞもぞとめくった拍子で折り重なった布団に上半身を突っ込んで、そこで停止。
…………。
「頭隠して尻隠さず」
「あはは! それ言おうと思ってました!」
2人でひとしきり笑った後、憂を2人で眺める。
今日は黒いパンツなんだね。
小ぶりのお尻からつま先まで、キレイなラインで……なんか、なまめかしい。あれ? なやましい? どう違うのかな? よくわからない。
……ホントにキレイ。
「……憂ってキレイですよね?」
「うん。綺麗だよね」
「ちっちゃいのに」
「ちっちゃいからじゃないかな? 二次成長期の子って綺麗だと思うよ」
……そうなのかな? それはよくわかりません。
「ちっちゃいのに黒なんですね」
「黒だからね。パンツが」
「お姉さん。言い方、ややこしいです」
お姉さんの言ったパンツってのはズボンのほうのパンツね。誰がパンツスタイルとか言ってややこしくしたんだろうね?
「隙間から見えちゃったら目立つと思ったの。違う色だと」
「……そう言うもの……ですか?」
そう言われればそうかもしれないけど……。そこまでしてる人ってどのくら「千穂ちゃんは何色?」
「え?」
何色って何が!?
「やっと……2人きりになれたね……」
「え!?」
にじり寄るお姉さん! 思わず一歩後退!
「憂だけじゃなくて……千穂ちゃんのラインも綺麗だと思うよ? ……見せて」
言いながら私の腰に触れるお姉さん!!
えぇぇぇーーーー!?
嘘でしょーーーー!?
「あ! あの! あの!? お姉さん!?」
「ごめん! 冗談だよ! 冗談!!」
冗談って!!
「シャレになってませんっっ!」
「洒落じゃなくて冗談! ……ごめんって……。千穂ちゃんが可愛くてさ……つい……」
「つい……じゃないですっ!」
「すみませんでした」
「……もう絶対にしないで下さいね。怖かったんですよ……」
お姉さんが平謝りするから許してあげました。まったくもう……。
「千穂ちゃんはウブなんだねー」
お姉さんは憂の布団をかけ直しながら、そんな事をおっしゃる。
「……悪いですか?」
「ううん。安心した。優とも清らかな交際だったんだなーって」
「………………」
……いきなりですね。本題に入るのかな?
「あれ? 顔付き変わったね。気付いちゃった? 本題開始だよ」
さて……何て返事しましょうか……。
「その前に……このホテルどう? 個人的にお気に入りなんだけどな。景色もいいし……」
え……? 景色……?
「わぁ……」
振り返ると私の目に飛び込んできたのは、眼下に見える蓼園市が一望できる風景。そんなに高く上がった記憶ないのに……。
蓼園市って、山裾から平地……そして、また山。そんなところにあるんだよ。結構、平野部は広いんだけどね。
……いつの間にか山裾を上がってたんだろうね。遠くまで見えるんだよ。
あ! 蓼学も大学も見える!
「穴場なんだよ。あんまり知られてないんだろうね。いつ来ても予約なしでチェックイン出来ちゃうんだ」
「もったいないですね……」
「うん。勿体無いよね。もっと商売気を出せばいいのに。そうすれば満室に出来るし、値段も上げられるのにね。オーナーの気質なのかな? ところで憂の事、どう思ってる?」
「え?」
……いきなりですね。変な顔しちゃったかも。
「まぁ、分かっちゃったんだけどね。手のかかる妹……みたいな感じかな?」
「……そう……ですね。はい。そうだと思います」
お姉さんは寂しそうに微笑んだ……。
でも……嘘付いたらダメだよね……。
「憂はね……。まだ、千穂ちゃんの事、彼女だと思ってるんだって……」
…………………………。
…………優……。
私だって、気付いてない訳じゃない。自己紹介の時から、憂はアピールしてきたから。転入した日、『好きな人は?』って質問に対する返事が私への視線だったから。
「はっきりと振られるまで、彼氏で居たいんだって……」
「………………」
……何を言えばいいんだろう? どうしたらいいんだろう?
優の事……大好きだったよ。大好きだったから……私も戸惑う時がある。憂に優の面影を感じる時もある……。
でも……女の子……。優だけど女の子だから……。
「……千穂ちゃんに、これだけは言っておかないと……って思ってね。よく聞いて……?」
お姉さんの表情は真剣そのもの……。
これだけは……か。
なんだろうね……?
……予想は出来てるけど……。
「……千穂ちゃんがね。新しい恋愛の可能性を見付けたら、憂の事は忘れて迷わず進んで欲しい。憂なら大丈夫だから……。この子は、こんなだけどね。案外しっかりしてるんだよ……」
……大体、予想通りだったかな。
でも、その約束はできません。今は憂の事が心配だから……。
女の子になって……怯えてて、戸惑ってて……。
ちゃんと心まで女の子になるまでは、私は支えてあげたい。
「はい。今のお姉さんの言葉、憶えておきます。忘れません」
……お姉さんは小さく溜息。気付かれちゃったよね? ごまかした事。
「約束はしてくれないんだね……。でも、憂の気持ちは伝えたからね。酷な事を言うようだけど……。千穂ちゃんがはっきりと振らない限り、憂は千穂ちゃんと付き合ってるつもりだからね……」
…………あぁ……そっか。
……私がはっきりしてあげないと、憂も進めないって事なんだ。
…………。
それでも……今は振るなんて出来ないよ。
「…………難しいです」
「難しいよね。色々。今の憂を恋愛感情で見るなんて難しい。ま、それは当たり前だから気にしないでね。むしろ、問題は憂なんだから。いつまでも男の子気分じゃ困るんだけどね」
思わず漏れちゃった言葉にお姉さんは丁寧に返事してくれた。
男の子気分。それは仕方ないよね。
……ほんっとに難しいなぁ……。
「聞いてくれて、ありがとう。それじゃ、学園での様子を教えてくれるかな?」
また、いきなり。お姉さん、いつもこうなのかな? ……別にいいけどね。
何から話そうかな? 楽しくなりそうな話がいいよね。
「学園で……えっと……。憂って凄い人気なんですよ。休憩中とか、いっぱい人が見に来るんです。初日はホントに酷くて……」
「それは聞いてる。学園長が憂の事を通知したんだよね。前代未聞だよねー」
「そうなんです。それでも、見に来る人は多いし、取り囲まれちゃう時も何度か……。それも収まってきた感じですけどね。生徒会長のお陰で……」
「生徒会長?」
「はい。全校集会で名前は伏せて、憂の状況について言及してくれたんです。それからは親衛隊みたいな人たちが現れて……」
「親衛隊!? あはは! 何それ!」
「なんでも『憂ちゃんをそっと見守る部』……だったかな? 新しく申請中の部なんですけど……。通りそうなんだそうです。その部……」
「本当に!? 憂……この子って、そんなに影響力あるの……?」
「はい! 可愛いし、健気だし……で大注目なんですよ! それで困ってたんですけどね。収まりそうでありがたいです」
「そこまでだったんだ……。本当、ご迷惑をお掛けしてます」
思いっきり頭を下げるお姉さん。
「いえ! そんな!」……って、私が慌ててたら、頭を下げたまま笑い始めた。
「あはは! 予想してたけど、予想以上! この子、ひいき目なしで可愛いからねー!」
……そんな感じでにこやかムードで話しました。
途中でリストバンドの下の事がバレた時の話をした時もね。愛さんは笑い飛ばしたんだよ。
そっちはバレ易いようにしてたんだって。梢枝さんの言ってた事、正解だったよ。
勉強の様子とか、昼休憩の様子とか、保体の授業は全部、遅刻しちゃった事とか。友だちの事。私は話せるだけ話した。愛さんが心配してる事、分かってたから。
お姉さんって呼び方も修正。これからは愛さん。
私が話のネタに困り始めたら、今度は愛さんが質問を織り交ぜてくれて……話しまくる事、2時間以上。当然、喉も乾くからルームサービス取ってね。
私はコーヒー。カフェオレとかカフェラテが好きなんだけどね。
無かったからコーヒー。
愛さんに意外って言われちゃった。憂と同じでミルクが似合うって。ちょっと傷付いたかも。
でも、憂にミルクって組み合わせを想像して笑っちゃった。たしかに似合うよね。
ホントにいっぱい話しちゃった。