41.0話 甘々
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私は憂に手を引かれながら、西館に戻る憂の後ろ姿を見詰める。
憂……大丈夫かな……?
平気そうな顔してたから平気なの……?
予想より泣かなかったし、思ったより冷静だったよね……?
……正直、もっと取り乱すかと思ってた。
それとも、感情を押し殺したの?
もしかして、あの時、嗅覚の回復と一緒に感情をコントロールできるようになったのかな?
……わかんない。
もしも感情をコントロールできるようになったとしたら、考えてる事、もっと分からなくなるよね……。それ、嫌だな。
……試してみる?
今、この憂の小さくてひんやりした、柔らかい手を振り解いて『嫌い』って言ってみたら……?
…………。
無理。そんな事、出来ない。
……すぐに分かるよね。そんな事しなくても。
「……憂?」
憂が立ち止まって振り向く。
「――なに?」
言葉と同時に小首を傾げる。
……かわいいな。
「どこ……いくの……?」
首を傾げたまま、ストップ。
……考えてなかったの? じゃあ、何で歩き始めたの?
「――はら――へった――」
あはは……食欲あるんだ。ホントに平気だっただけかも? でも『腹』なんて言ったらダメです。憂は女の子なんだよ。それも飛びきり可愛い女の子。
「……はら……ダメ」
憂は唇を突き出す。すっごく不満そう。
……唇、早く治るといいね。痛々しいよ。
「――おなか――すいた――」
言い直してくれた。ちょっと感動。
……でも私は、あんまり食欲無いかも。
「――たべたいもの――ある――」
「……お昼に……しよっか」
振り返ると、お姉さんと島井先生と梢枝さんが少し離れてた。さっきの話かな? きっと、そうだよね。
「康平くんも一緒に行く?」
斜め後ろ、2メートルくらいの位置の康平くんに声を掛ける。
……サングラス、外さない? 怖い人に見えちゃうよ? ……わざとだよね。たぶん。怖い人を演じて。人を遠ざけて。憂を守ってくれてるんだよね?
「……ワイの事は放っておいてや。勝手にやってる事やさかい」
勝手にやってる……?
今日も仕事じゃなくって、友達として来てくれてるって事なのかな?
あれ? 憂が康平くんに近づいていく。真面目な顔してるね。なんで?
「……憂さん? どうしました?」
康平くんの顔に、震える手を伸ばして……サングラスを外した。
その顔を見た途端、憂の顔に笑みが浮かんだ。
「――ホントに――康平だ――!」
「「………………」」
……気付いてなかったんだ。震えてたのは緊張してたからなんだね。
あはは! 康平くん、赤くなってる!
憂、ちっちゃいから、サングラス外すのに距離が近くなっちゃってるからね。
至近距離の笑顔は破壊力あるよね!
「千穂ちゃん、お待たせ!」
「あ……お姉さん、お話は終わったんですか?」
「うん。さっきの事。なんか感情を隠したように見えたからね」
やっぱり……そう見えたんだ。
「……判らない事はいくら考えても判らないですよ。きっと、すぐに判ります」
……島井先生。考えてる事、一緒です。
あ。そうだ。
「島井先生……。昨日はごめんなさい!」
「え!? 何の事かな!?」
あれ? 動揺してる……?
「昨日、私たちが憂を連れ出しちゃったから、折角の迎えの機会を……。憂って、明日から徒歩で帰宅ですよね……?」
「あぁ! なるほど! いや、びっくりしたよ。急に謝られるものだから。私は、毎週木曜日に憂さんを迎えに学園にお邪魔するよ。定期検診があるからね」
う……そうだった……。これは恥ずかしい……。
「千穂さんは気遣いの出来る優しい子ですね」
「いえ! そんな……」
顔を上げると、島井先生はとてもとても優しい微笑みで私を見ておられた。余計に恥ずかしいかも……。
「ところで、学園からの帰りは拓真さんとウチらが付くとして……登園は、どうしはるんです?」
「……ちょっと迷ってます。もうちょっとの間、車で送ったほうがいいかなって……。たっくん……拓真くんは迎えに来てくれる……って、言ってくれてるんですけど……」
「そうですね。私は徒歩での通学をおすすめします。せめて1時間は歩けるようにならないと、この先、苦労しますよ」
あ……その事……。ちょっと会話に割り込みます。ごめんなさい。
「その事なんですけど……昨日、憂が体力を付けたいって、言ってましたよ」
お姉さんは俯いて静かに考える。
「……はい。先生と千穂ちゃんがそう言うなら……」
お姉さんは、少し考えた後にそう言うと、心配そうな表情で憂に目を向ける。
……なんか……ごめんなさい。
「――ねぇ――?」
お姉さんと目が合った憂が声をかけた。お腹に両手を当てて、今にも泣き出しそうになってる。
「――おなか――すいた――よ?」
「あはは! 可愛い!」
私が笑い出したら、みんな笑い出しちゃった。
少ししたら、憂の瞳から涙がこぼれちゃった。あらら。ごめん。笑い者にした訳じゃないんだよ?
「ごめん! 憂! そんなつもりじゃ……」って、慌てるお姉さん。
「うん! お昼にしよ!」って、私。
「感情の制御……出来ていませんねぇ……」
島井先生が、そう呟いておられた。
「お待たせ致しました!」
でか! これは想像してたよりでっかい!
……また食べ切れないよ。これ。
うわぁ……憂の顔、輝いちゃってるよ。
ホントに食べてみたかったんだね。それ。
あれから私たちは、軽食の食べられるお店に入った。
ここにそれがありそうだったし、私もお姉さんも軽くで良かったから、ちょうど良かった。
憂が全員を誘ったけど、島井先生は辞退された。
『若い人たちの会話に付いていく自信がありません』だって。
康平くんもあらためて辞退したけど、梢枝さんに引っ張ってこられちゃいました。『何でも無下にするものやありまへんわぁ』って言って。
6人掛けのテーブル。憂を挟んで私と梢枝さん。
梢枝さんの対角線に康平くんが座って、憂の正面にお姉さん。
……梢枝さんと康平さんって、仲悪くないよね? 梢枝さんの照れ隠しだったりして。
その康平くんはお姉さんが隣に座ったものだから、緊張してるっぽい。
人間関係って、面白いね。
憂は先に届いたそれを前に、私たちを見回す。
「先……食べなさい。冷たい……うちに」
「――いいの――!?」
あれ? 理解早い。反応早い。
憂は私に輝く瞳を向ける。
「……うん」
……ちょっと気圧されちゃった。
憂は1人1人に確認を取っていく。
最後の康平くんは『気にせず……食べて……』って、超優しい口調。康平くんって、掴めないキャラクターだよねー。
「いただきます――」
きちっと手を合わせてから『いただきます』して、スプーンを手に取る。
声が良く通るものだから、周りのお客さんの目が集まっちゃう。
……みんな優しい顔で憂を見てた。
今の一瞬を切り抜いたら、行儀の良い可愛い女の子……だもんね。
憂は、スプーンでごっそりすくう。
……絶対、自分の口の大きさの事、考えてないよね……。
精一杯に開いた小さな口に、ひと口目を運ぶ。私は紙のナプキンを手にする。おしぼりだと汚しちゃうからね。
ぱくり。口の周りにクリームとチョコソースを付けたまま、とろける表情。
……子供か!
「なんて予想通りな顔……」
……とか言いながら、紙ナプキンで口元を拭ってあげる。こぼさなかっただけマシだよね?
憂が食べたいって言ったもの。それはパフェ。
憧れてたんだってさ。だったら普通に注文すればいいのにね。複雑な男心……?
女の子になって、念願叶ったみたい。すっごく嬉しそう。
こんな事なら、優の頃、私が注文してあげれば良かったね。
私、パフェって食べないからなー。最初は美味しいよ? でも、だんだんと胸焼けしてくるんだよね。
それにお昼ご飯としては、どうなのかな?
お姉さんが何も言わなかったからいいんだろうね。
ぱくぱくと食べ進める憂。
うん。幸せそうだよね。見てる私たちも幸せになるよ。たまたまこのお店にいた人たちも幸せそうに見てる。それって凄い事なのかも……?
いい勢いで食べてるよね。
「そういえば……ウチでも食べるペースが上がっててね……」
頬杖を付いて憂を眺めてたお姉さんが話し始める。
「嗅覚って大事なんだね。舌……。味覚だけじゃ無くなったから、ペースが早まったんだと思うんだ。でもね……」
…………?
……お姉さんの頬が緩む。何だろ?
「見ててごらん? そろそろ、一気にペース落ちるよ」
それからしばらく。私たちのお昼ごはんも無事に揃って、食べ始めた頃。
憂は、でっかいパフェの半分をちょっと越えた辺りで、ホントにペースが一気に落ちちゃった。
「――うぅ――おいしいのに――」
憂がお腹をさする。そうだよね。ペースは上がっても胃の容量がおっきくなった訳じゃないもんね。
憂はカットソーの裾をまくり上げると、ショートパンツのボタンに手を伸ばした。
「てい!」
その手をぴしゃり。軽くだけどね。
「――千穂――いじわる――」
すぐに涙目。上目遣いで私に文句。
そんな顔されても許しません。はしたないです。あなたは大勢に見られてるんですよ。
私たち全員が食べ終わると、結局、憂待ちの状態に。
昨日の私たちと違って、お姉さんは甘くなかった。パフェは甘いのにね。
『自分で頼んだ物は責任持って自分で食べないとね』
憂も小さい頃から、言われてきたんだろうね。
「うぅ――むねやけ――」とか言いながら頑張って食べてる。昨日は私たちに甘えちゃったのかな? あはは。さっきから、頭の中があまあまだ。
「太りますえ? 憂さんの1日の消費カロリー、このパフェだけで超えるんやありませんか……?」
あ。珍しい。梢枝さんの助け舟。
「そうですねー。でも、体重も増やさないと……ね?」
「…………」
梢枝さん、一刀両断で撃沈。
それから10分ほど。最後のシリアルを口に運んだ。
頑張ったね! ぱちぱちぱちぱち!
涙目で食べ切った憂に「えらいね。いい子」ってひと言。声を掛けたお姉さんの表情が優しくって……きょうだいっていいな、なんて思いました。
「ごちそうさまでした――」
手を合わせる憂に祝福の拍手を、どこかで感じちゃった。
お店のお客さんや店員さんの心の声なのかも。
すぐにお店を出るには、きつそうだったから、小休憩。
かき入れ時にごめんなさい。
「――ぱふぇ――あまく――なかった――」
「あはは! 憂さん、パフェは……甘いですわ!」
きょとんとして小首を傾げて、理解して……顔が怒った。
「――康平!」
「あぁ――うぅ――」
頭をわしゃわしゃ。あぁ……もう……。ダメでしょ?
怒るとダメみたいだね。言葉が出なくなる時があるみたい。3年生の教室を訪ねた時に同じようになったよね?
「康平――きらい!」
しばらくわしゃわしゃして唸って……ひねり出した言葉は、いたってシンプル。
シンプルなだけに突き刺さったのかな? 康平くんは絶望の表情。
あーあ。頭、ぼっさぼさ。
「……怒らせて凹むくらいなら、言わなければええでしょうに……。メンタル弱いんやから……」
梢枝さんの言葉に私とお姉さんは苦笑い。
それから、憂の髪をブラッシングして、すぐに席を立った。
お会計はお姉さんが全部持って下さった。2日続けて、ありがとうございます。なんか、すみません……。
「長居してすみません」
お姉さんがお店の人に謝ると「いいえ! とんでもないです! 今日はチョコレートパフェの売上が跳ね上がってるんですよ!」だって。
憂へのお礼だって、棒に付いたアメを貰っちゃった。
ちっちゃい子へのサービス用かな?
私が受け取って、憂に渡してあげた。例のセリフで断ろうとしたから。TPOが分からないのかな?
アメを渡した時、すっごく複雑そうな顔してたよ。
「あ! そうだ!」
お店を出るとお姉さんが突然、言った。何か閃いたみたい。
迷わず、洋服のショップに入って、白のロングカーディガンを買って貰っちゃった。
「検証してみたいから!」って言われたら断れませんでした。
それから屋上駐車場に出て、白のロングカーディガンを羽織ってから、車の陰でハグ。
「――千穂!?」
……って、最初はじたばたと抵抗してたけど、すぐに大人しくなっちゃった。
ホントに白でした。お姉さん、すごい。
車に乗り込むと、窓を開けて梢枝さんと康平さんに感謝を伝える。
学園ではお仕事だけど、今日も昨日の放課後も純粋に憂を心配して来てくれてるんだもんね。たぶんだけど。
「……友だちやから、当然ですわぁ……」って恥ずかしそうに言った梢枝さんが印象的。
「そうだね! 私も友だちとして接していいかな?」
……って言ったらね。2人とも嬉しそうに了承してくれたんだよ?
別れ際に「康平――梢枝――またね――」って、憂が手を振ったら、康平くんが完全復活で手をぶんぶん振ってた。
お姉さんの車は私たちを乗せて走り続ける。
……知らないところにちょっとドキドキ。
憂は、うつらうつらし始めちゃった。
「あの……お姉さん? どこに……?」
「んー? ホテルだよ。いいとこあるんだ」
「……え?」
ホテルって泊まる訳じゃないよね?
日帰りのホテルって……。
えー? そんな……まさかだよね。
信号で引っかかって、お姉さんが振り向く。
「あれ? 千穂ちゃん、赤くなっちゃって……どんな想像したのかな?」
うぅ……お姉さんの意地悪。
「デイユースって言ってね。普通のホテルで休憩できるんだよ? まぁ……知らなくて当たり前かな? 私も1年くらい前に知ったばっかりだし」
「へぇ……そんなホテルもあるんですね」
「最近はあるんだよー。もちろん、あんな事やそんな事に使う人も居るみたいだけどね」
…………えーっと。どう言葉を返したらいいんですか? 私、高等部に入ったばかりなんですけど……。
「あはは! ごめん! 冗談だよ! ……たぶん」
……たぶん。
ぷぷー!
後ろからのクラクション。
「あ! いっけない!」
信号を見てなかったお姉さんが慌てて、車を発進させる。
「もうちょっとで着くからね。それまで憂を起こしててね」
隣の憂を確認する。
「……もう遅いかもです」
「……そうなんだ」
……憂はすでに、すやすやと気持ちよさそうに寝ちゃってた。




