37.0話 ポテト
昨日、私が憂のお姉さんに話をした後、お姉さんはすぐに島井先生に連絡を入れてくれたみたい。
お陰で島井先生に直接、ごめんなさいをする必要がなくなってひと安心。
……だってね。昨日、うちに帰ってたら気付いたんだ。
今日の放課後の送りの機会がね。島井先生と憂が一緒に帰る、最後の機会だったって事……。
島井先生に悪い事しちゃったかも……。
まぁ……いいよね? 島井先生は、これからも憂の主治医。木曜日の定期検診もあるから憂と会えるし……。今週だけで検診も合わせて、3回も病院行ってるし……。
……週に3回かぁ。
やっぱり……憂って、大変な事になっちゃってるんだよね。
私が最後に病院にかかったのって、カウンセリング受けた時だもん。あの頃はご飯も喉を通らなかったな……。
……ダメダメ。前の優を思い出してても先に進めない。今は今の憂を見ていないとね。
現在、土曜日の午前中授業が終わって放課後。
全員で街に繰り出したんだよ。
『お昼……何、食べたい?』……って聞いたら、随分悩んでから『ばーがー――たべたい――』って。
それで……ちょっとお高いけど、NOSバーガー。
もっとリーズナブルなバーガーショップもあるけど、やっぱり味優先だよね。
先払い方式の、このお店。憂の手を引いてレジに向かおうとしたら、千晶に「ちょっと待って」って引き止められた。何かな?
「憂ちゃん、レジで固まっちゃうんじゃない? 先に選んだほうが良くない?」
「あ……そうだね」
これは千晶のファインプレー。1時をしっかり回ってるから人は少ない……けどね。店員さんに迷惑かかるよね。
「憂? 先に……選んで?」
「――わかった」
あれ? 早い反応。どう言う基準なんだろね?
それから時間を掛けて選んだのは、てりやきバーガーとロースカツバーガーにポテトSサイズ。それにコーヒーシェイクまで。
……食べ切れないよ。絶対。
でも、ジャンクフード食べるのなんて久しぶりだろうからって、みんな止めなかった。余ったら男子組の胃に収まる予定。
憂の代わりにレジに付いて注文。結局、店員さんはレジでずっと待ってて下さってた。ごめんなさい。ありがとうございます。
私の注文の声でレジを操作。合間に後ろの憂をにこにこスマイルで見てます。スマイル0円のお店と違うんだけどね。
憂は、その視線で私の陰に隠れちゃった。何してんだかね?
……そして支払う段階になって、問題発生。
突然、リュックをガサゴソし始めて、憂が取り出したのは白いシンプルな封筒。それが問題。
その中には福沢さんが2人と一通の便せん。
とりあえず、その諭吉さんで憂の分を支払いを済ませて、手紙を読んでみた……らね。
【いつもお世話になってるお友達みんなに、お姉さんからの奢りです!】
【高校生は素直に奢られちゃって下さい♪】
これだけ。
たったこれだけの短い文章に、私たちは頭を悩ませる事になっちゃった。
「どうしよ?」
「うーん……」
「なんか悪いよなぁ……」
とか、頭を突き合わせて話してたら、梢枝さんがひと言。
「学園も病院も離れてますから、今は単なる友人の1人。おそらく経費では落ちません。ウチは素直に奢られておきます。時には好意に甘える事も必要ですえ……?」
そう言って、野口さんを1人、憂のお釣りの中から拝借。
私たちは顔を見合わせてから、梢枝さんの右にならえ。
「男の子たちは千円じゃ足りませんよね?」
……って、お釣りを康平さんに手渡す梢枝さん。
そこも梢枝さんの右にならえ。3年間って人生経験の差を見せ付けられた一幕でした。
そして余った……って言っても半分以上、残ってるんだけどね。
そのお金を憂に渡そうとした時に、もう1つ問題が発生。
憂はサイフを持っていませんでした。ううん。持たされてないのかな?
その憂は……ぼんやりと道行く人を眺めてた。お釣りを封筒に収めて預かる。憂がサイフを持たされて無い理由はすーっごく分かるから。
とりあえず空いてる席……って言っても、やけに外を眺めてる人が居たから窓際席に座った。8人の大所帯だから4人がけのテーブルを2席、確保してね。窓際に憂を座らせてあげて、私はその隣り。憂の正面には千晶。千晶の隣りに梢枝さん。「康平さんと違うテーブルがいいんですわぁ」って酷い事言ってた。
だから、もう1つのテーブルには、拓真くん、勇太くん、康平くん。紅一点で佳穂。
……案外、一番しっくりくる配置だったりして。
席に着いたら梢枝さんが何か書き始めた。千晶も。なるほど。
私もボールペンとメモ用紙を取り出し一筆。
【ご馳走になりました。ありがとうございました。美味しかったです。】
【お世話って言うほどの事はしていませんよ? 私は好きでやっています。】
【お気になさらないで下さいね。千穂より】
こんな感じでいいかな? まだ食べる前だけどね。そこはそこ。食べる前から味は知ってるんだし。
私たちの行動を見て、男子勢も佳穂も一筆。勇太くんと康平くんは筆記用具持ってなくて、拓真くんから借りてた。
……全部、机の中なのかな?
全員が書き終えるとメモを集めて封筒の中に。振り向いて拓真くんに声をかける。
「拓真くん。これ、お願い出来るかな?」
「あぁ……たしかに預かった」
「え? どう言う事?」
千晶の疑問は当然かも。
「俺んち……憂んち……3軒隣」
………………えっと。拓真くんならでは……の言い回しなんだろうけど。
……なんか、気持ちいい言い方だな。
「俺んち、憂んち、3軒隣」
「俺んち、憂んち、3軒隣」
「俺んち、憂んち、3軒隣」
「俺んち、憂んち、3軒隣」
私が声に出して言ってみたら、他にも言ってる人がいっぱいいた。
うん。墾田永年私財法みたいな声に出して読みたい日本語だよね。
「おれんち――ゆうんち――さんげんどなり」
あ。珍しい。話しかけないとあんまりしゃべらないのに。みんな同じ事、思ってるみたいだね。憂に注目してる。
「おれんち――ゆうんち――さんげんどなり――あはは」
気に入ったみたい。憂に釣られて誰からともなく大爆笑……してたら、憂の注文が運ばれてきた。憂のだけ、先に注文になっちゃったからね。
運んできて下さったのは、さっきのレジのお姉さん。
「お待たせ致しました。楽しそうですね。中学生かな? お兄さんお姉さんに囲まれていいですね」
そしてまたもや大笑い。
お姉さんは困惑。ですよねー。
「いえ! 同級生っす! まぁ、そう見えますよねー!」
勇太くんがフォロー。女性相手になると反応が早い気がする。
「え!? そうなんですか!? 陰に隠れてたし、人見知りかな? 誰かの妹さんかな? 可愛いなって……」
話しながら運ばれたトレイに目線が動いた。目線を追うと……ナゲットの箱?
「ごめんね! 失礼します! ごゆっくりと!」
慌てて奥に引っ込むお姉さん。
みんな憂が注文してないはずのナゲットの箱に注目。
憂の正面に座った千晶が、ナゲットの箱の下から小さなメモを拾い上げる。私からは見えなかったけど、千晶からは見えたんだろうね。
千晶は読みながら小さく笑うと、私と憂の間くらいにメモを置いてくれた。
【可愛いね。癒やしてくれたお礼に、お姉さんからサービスです。お店には内緒だよ。食べきれなかったらお兄さん、お姉さんに食べてもらってね】
あはは! 私、お姉さんだって!
……って喜んでる場合じゃないよね。
これ、どうしよ?
……それより、あのお姉さん……何か嫌な事でもあった後だったのかな?
「憂さん?」
「――?」
「頂きましょう? 折角の……ご好意ですので……あ、それ……『いやして』って、読みます」
あ……そっか。『知らない人からのプレゼント』なんだよね。梢枝さんって、やっぱり良く頭が回るよね。
「これは……『ないしょ』です」
梢枝さんがメモの漢字を教えてあげて、ちょっとずつ、ゆっくりと理解していく。
……表情が曇っちゃった。最後まで理解しちゃったんだね。1人だけ中学生に見られてたんだもんね。
ウチの制服って、薄いグレーのラインでしか区別できないから、蓼学をちゃんと知ってる人じゃないと、ぱっと見で分からないみたいなんだ。
スカーフ、スカートのアレンジの弊害だよね。
さて……どうやって慰めようかな?
……あれ?
真剣な表情?
……なんで?
「――おしえて――ありがと――お姉ちゃん」……って、にっこり笑顔。
梢枝さんに向けて放った憂の一撃。効果はバツグンだ! ……って、これ何のフレーズだっけ?
「ゆ……憂さん!? からかったら嫌ですわぁ!」
真っ赤になって動揺してる梢枝さん。
「あの梢枝さんを手玉に取ってるね」
「うん。なんて小悪魔……。恐ろしくないけど」
憂は「――あはは!」って笑いながら、コーヒーシェイクを手に取り、しっかりと傾けて、ひと口。
……ひと口。
…………。
…………あれ?
一生懸命、吸ってるみたいだけど、ストローの中にシェイクが上がって来ない。
だんだんと顔が赤くなって……離した。
あー。あるある。ひと口目って飲みにくい事あるよね。
「――すえない――」
肩で息しながら愕然とする憂。どんな肺活量してるんだか。飲みにくいけどさ。何とか飲めるよね?
「貸してみて?」
私が声を掛けると、素直にシェイクの入ったコップを渡してくれた。
まぜまぜ。
混ぜ混ぜ。
憂は私がまぜませ始めると、隣で「いただきます」して、小さな口を精一杯開いて、てりやきバーガーにかぶりついた。包み紙に、ほとんど隠れちゃった顔。ちっちゃいなぁ……。
ひと口、頬張ったんだろうね。てりやきバーガーを離す。
てりやきバーガーには、小さな噛み千切られた跡。
あーあー。ソース付いてる。
口いっぱいに頬張った幸せそうな顔を、千晶がすぐに拭う。食べる前からウェットの用意をしてるところが千晶らしいよね。
「お待たせしました!」
続々と到着する私たちが注文したバーガーたち。
あ。さっきのお姉さんもいる。
憂にコップを返す。もう十分に飲めると思うよ?
憂はコーヒーシェイクのコップを置いたまま、ちゅーちゅー。上半身を目一杯、伸ばして。
……届かないもんね。
なんか、さっきのお姉さん……。口数、少なくなっちゃってる……。
番号札の番号を呼びながら、配っていくだけ。
憂に申し訳ない……って感じ?
「――ありがとう――」
憂の言葉にお姉さんが下向き加減だった顔を上げる。
「――お姉ちゃん――」
にっこり笑顔。
「え? ……え!? あ! ……ううん。どういたしまして」
お姉さんの表情が、声に合わせて、動揺から穏やかなものに変わっていった。
憂……変な技を覚えたみたい……。
私はお店の名前の付いたバーガー。NOSバーガーを食べ切ると、そのあふれちゃったソースをポテトですくいながら食べる。前に、そうやって食べてる人のマネをしてみたらハマっちゃったんだ。
うん。やっぱり美味しい。
…………。
な……なに?
視線を感じて隣を見たら、まだてりやきバーガーと格闘してたはずの憂と、目が合う。
どしたの? ……って意味を込めて首を傾げてみたら憂も傾げた。
……そうじゃないでしょ!
私は憂の視線を感じながら、同じ方法……ソースをポテトですくって、もうひと口。
「――おいしい?」
…………仕方ない事って分かってても、やっぱり淋しい。
……この食べ方、付き合い始めた頃、優に教えたんだ。
その時、優は『これ美味しいよ! 千穂って天才!?』……って大絶賛で。
それから優は、この食べ方を私と一緒にしてたはず……なんだけどな。
……本当に記憶が抜け落ちちゃってるんだね。
バスケ部のメンバーも。5組にいる優の中等部時代のクラスメイトも。
…………憂は憶えてない。
私はポテトでソースをすくって憂の口元に。
憂の頬が赤く染まる。
憂は両手で持ってたてりやきバーガーを、左手だけに持ち替えて、右手でポテトを受け取ろうとする。でも、その手をつかんで封印。
「憂? あーん」
あの時、そうしたから。同じようにしたら記憶が戻らないかな……って。
憂は、あの時と同じように不満そうな顔をして。同じように覚悟を決めて。
同じように小さく口を開いた。
その小さな口にポテトを運ぶ。ぱくりとひと口。もぐもぐ咀嚼。私はどきどき。
『あ――おもい――だした』なんてセリフを期待して。
「――おいしい――! ――千穂――すごい――!」
憂の満開の笑顔。
「……でしょ? 美味しい……よね……」
……私も笑顔を作る。引きつりそうになる口を無理に動かして。
「……千穂」
……千晶の声。佳穂だけじゃなくて、千晶にも……この出来事、のろけちゃった記憶があるなぁ……。
私はすぐに千晶にお手洗いに連れ込まれた。
千晶は何も言わずに抱きしめてくれて……。
千晶の腕の中で、ちょっとだけ泣いちゃった。
うん。
……ちょっとだけ。
あまりトイレに長居もできないから、5分ほどで店内に戻った。
そしたら、あの食べ方が流行ってた。たった2席で、だけどね。
「千穂ー! おかえりー! てりやきのソースもポテトに合うねー!」
「チリドッグのソースも合いまっせ!」
「せやけど、NOSバーガーのソースが一番ですわぁ……」
憂はみんなの盛り上がりに付いていけてなかった。
だから、ポテトでソースをすくって……手渡した。
憂はひと口食べて、今度は、ふんわり笑顔。
ふと、表情が固まった。真面目な顔に変わって、ぴったりと止まった。
「――あれ?」
2分後くらいにそうやって口を開いた。
どこか記憶に引っかかる部分でもあったのかな?
この時、最後まで思い出す事は無かったけど……ね。
憂の脳のどこかに記憶が眠ってるんだって思ったら嬉しくて。
……いっぱい食べて貰っちゃった。
結局、憂が注文したロースカツバーガーとポテトは手付かず。お姉さんのサービスのナゲットは1つ食べただけ。
憂がスカートのホック外そうとしたから、すぐにやめて頂いた。もっと食べたかったのは分かるんだけどね。唇を付き出して不満そうだったよ。
最終的に、残しちゃったものは、男子勢がしっかりと食べてくれました。冷めてたはずなんだけど、文句1つ言わずにね。
某店の冠メニューを食べると余るソース。
あれをポテトで。旨いですよ。
テリヤキのソースで食べるのも好きだけど、ソースが余り残らないんですよね。
あー。食べたくなってきた……。
投稿18時頃。ご飯前の空腹時にごめんなさい。