表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
312/317

285.0話 懇願

 


 2人は帰宅するまで座らない。

 たったひと駅だけの移動。席の取り合いに億劫な千晶の存在がそうさせている。



 ピピピピ……。



 スマホが耳に付くその音を響かせた時、2人は電車内だった。

 同じ蓼学生の視線が集まるが、両者とも目線を交じ合わせた後、荷物の中から慌てた様子で取り出した。

 バッグを投げ捨て、恐怖にも感じるその音を停止させ、震える手でアプリを開いた。



 秘書【千穂さまが攫われました】



「……え?」


「……?」


 何が書いてあるのか、この一文だけでは解らなかった。

 目を皿にして、何度も見返す。



 秘書【通報したいが圧倒的に情報が不足。両名、いずれか連絡を】



「……これって、本当?」


「こんな嘘、あり得ないけど信じられないよ……ね?」


 佳穂の呟きに相棒が要領も得ず答えるが、ピンときていない。

 あり得ても想像のみに納まっていた現実から逃れるように、ははっ……と笑った。



 秘書【警備会社を経由した情報】


 梢枝【電話の相手は?】


 秘書【白い小型車。千穂さまはそこに】


 秘書【黒のセダンも】


 秘書【相手は2台】


 秘書【葛城>梢枝さん】


 断片な情報がチャット上、小出しにされていく。



 これを見た千晶はチャット画面を閉じると、電話帳を開いた。

 電車内で出来る事を考えた結果だ。


「もしもし! 明日香ちゃん!? 拡散して! 今すぐ!!」


 もはや、電車内、同じ車両に居合わせた者たちは、ただならぬ雰囲気の千晶に注視している。


「千穂が誘拐されたって!!」


 この言葉と同時に空気の比重が増した。






 秘書【相手は拳銃を各自所持】


 秘書【外国人が少なくとも4名】


 秘書【人種は多様】


「康平さん!! GPSはウチのスマホでやってます! 情報を下さい!!」


 緊急アラームを停止し、メッセージを確認した梢枝は、即座にGPSによる位置情報確認アプリを起動した。

 更にはガラケーを取り出し、通話を。

 VIPルーム内のキングサイズベッドで眠る憂のタブレットから発するアラームも、自身のスマホも黙らせたのは愛だ。今、憂が起きると邪魔になる……。そんな判断なのだろう。


 梢枝はVIPルームから飛び出した。愛と同じような理由か。憂の耳には入れたくないだろう。


『助かる。すぐまた単車を出したい。手短に説明する』


「はよう!」


『攫われた。犯人グループは外国人最低4名。2台の車に分乗している。千穂ちゃんはその内、白の小型車に乗せられた。千穂ちゃんの専属が警備会社と電話中だ。詳しくはそこから貰え』


「追うの?」


『難しい事は解ってるが出す。GPS拾ったら電話しろ』


「解りました。気を付けて」


 気を付けて。この言葉は康平の耳には届かなかった。

 梢枝は幼馴染みが単車に跨がったまま、再発進した姿を脳裏に描いた。


「頼みます……!」





 総帥もその秘書たち(・・)も会議の最中だった。


 遥は固定電話の受話器を耳に当て、片手でチャットに入力していく。得た情報を隣の主にも友人たちにも……。そして、千穂の父にも知らせる為に。


 この時、男はスマホ画面を凝視し、流れる第一秘書のコメント群を押し黙り、追っていた。

 やがて、怒りは振り切れた。込み上げる魂の叫びを抑え切る事が出来なかったかのように。


「おのれぇぇぇ!!」


 会議に出席している者の多くの体が跳ね上がった。後方に立ったまま佇む、この場に似つかわしくない、高校を卒業したばかりの女性も。

 立った弾みで椅子は倒れた。それよりも思い切り両の握り拳を振り下ろした音によって。


「皆、聞けぇ!! 儂らの盟友の愛する者が攫われたぁ!!」


 その不動明王のような形相に取締役たちが息を呑む。

 立花 迅は、案外冷静だ。彼は理解しているのだろう。現時点で出来ることなど、TOPを差し置いては何1つ無いと云うことに。


「白の小型車と黒の中型車だ!! 探せ! 探し出し! 八つ裂きにしろぉ!!」


 広い会議室の隅から隅まで野太い声を響かせ、空気を震わせるほどの怒声で続ける。


「敵を許すな!! 漆原 千穂を保護した者は如何なる出世も思うままだ! 全社に通達しろ! これは戦争だ!」


 これを聞くなり、蓼園 肇の第ニ秘書・柴森 文乃は手帳を取り出すと、遥の投げ付ける小出しの情報をようやく纏め始めた。

 憂の父も動き始めた。出来ることが見付かった。それは他の取締役も同様だった。






 加瀬澤 凌平は生徒会活動中だった。

 長机に並んだ一脚に腰掛け、提出された書類の確認作業を行なっていた。そんな中、スマホが不穏な音を発し、この美麗な男は注目。もたらされた情報群により、実際に起きている事件だと判断すると、そこで初めて声を上げた。


「聞け! 漆原 千穂が攫われた! まだ時間はそこまで経っていない! 僕たちにも出来る事がある! 協力を求める!」


「それは本当ですか?」


 突然、声を張り上げた凌平に冷静な声で応じた少女。

 生徒会長、東宮 桜子。

 自分の人生の内、いつか憂を攫い、欲望のままに解体でもしてやろう。

 そんな狂った想いを抱える味方(・・)だ。


 凌平は席を立つと、生徒会室で一番豪華なチェアに座ったままの少女に厚い机を挟んで対峙した。


「嘘を吐く必要がどこにある? 全て事実だ」


 生徒会活動中の少年少女たちに緊張が生まれた。

 彼が出鱈目を吹聴する必要性を感じられず、それでも内容が内容だけに信じられない。


「状況を詳しく。問題を解決するには問題点をまずは浮き彫りにする事です。誤った情報は混乱を招きます。生徒会としては的確な情報を集約し、正しい情報を通達しようと考えます。貴方の仰った『出来ること』とは、SNSによる情報の拡散と収集。相違ありませんね?」


 梢枝と対等に渡り合った過去を持つ桜子。

 現時点では頼りになる味方なのだ。






 康平は国道を疾走していた。

 宛てなど無いのだろう。走り去った方角だけを頼りに探していく。

 どこかに潜んでいるのか、ひたすら目的地に向け逃走しているかも判らない。


 後ろでは、絵里がただ同じ千穂のSPと云う理由だけで、体をピッタリと密着させ、右手を康平の腰に回し、左手でスマホを操る。


 情報伝達には苦労した。

 スマホは2台。1台は康平の物だ。

 その康平のスマートフォンは、千穂のスマホを追うべく位置情報を探し続けていた。こちらには名前が無いままのチャットアプリが入っている。

 しかし、使用中だった。即座にGPSによる追跡を開始した康平の判断は、場合によっては正解だ。絵里の通信機器も画面にヒビが見られたものの、使用可能である為だ。


 その自身のスマホにて、通話状態を維持したまま、自身の会社へと通報した絵里の判断も間違ってはいない筈だ。

 社に情報を集積させ、そこから時間の掛かる警察への通報をして貰えばいい。現に総帥たちにも連絡してくれた。


 だが、この両名の判断が警察への通報を若干だが鈍らせた。




 ―――これが初動捜査網をくぐり抜けた致命的要因となった可能性もある。




 康平のスマホにて、チャット画面を開いていた絵里は、康平に怒鳴った。


「探知出来たって!!」


「…………」


 ただし、聞こえない。フルフェイスのヘルメットと流れる風により、絵里の声は掻き消される。


「鬼龍院くん!!」


「…………」


 2度目の声掛けが届かなかった絵里は、はしたなく康平のスマホを咥えると、空いた左手で康平の腕を叩き……。気付いた康平は単車を止めた……が、目の前には赤信号が。

 どの道、止まっていたのだろう。如何な緊急時であろうとも、交通ルールの無視は特定の権力を除き、出来ない。


「千穂さんの電波拾ったって!」


「本当か!?」


 いつの間にか絵里の左手に戻った自分のスマホを奪い取ると、慣れた手付きで操作していき「しめた! 追うぞ!」と。

 先程とは逆にスマホを現時点での相棒に押し付けると、北に進路を向けた。


 ……赤信号を突っ切って。



 30分後。

 千穂のスマホが発する微弱な電波が動かなくなった。

 蓼園市から外れようかと云う、先の豪雨により土砂災害を起こした地域よりも更に北。


 違和感は拭えないものの、そこに千穂が在る事を信じ、単車を走らせた。

 父・誠人の了承の下、同じくGPSによる探索をしているであろう警察よりも早く。

 更に30分後。康平は黒の車両を山中にて発見した。ご丁寧にきちんと左、ガードレールに寄せ、停車されていたその車内には、千穂のスマートフォンのみが残されていたのだった。


 それを見た康平は天を仰ぎ、その車両をひと蹴りすると、力無くへたり込んでしまった。

 絵里も脱力感を隠す事が出来ず、次の行動を見失ってしまった様子だった。




 その康平がVIPルームに到着したのは、それから更に1時間ほど後だった。



 その直前まで、憂は眠っていた。

 命を賭した手術への献血と、その直後の車椅子で臨んだ記者会見。

 疲労の上、午後になると脳が疲れ、睡眠を欲するが故に。


 ……知ったのは、起床後だ。


 いつもより遅い起き抜けの直後、いつもはVIPルームに居ない人物の姿があった。

 能面のように無表情の誠人。千穂の父の姿が。



 事件の知らせから既に時間は経過している。


 ……そこは重く、湿った空気の病室だった。

 専属の看護師、恵と高山もまた、憂と目を合わせられず、顔を上げられないでいた。

 島井と裕香は事件を未だ知らず、今も心臓疾患の少女の命を救うべく手術室に籠もっている。


「――なにか――あったの――?」


 憂は姉に問うた。

 問われても首を振るだけの愛の代わりに答えたのは、ポーカーフェイスを作った梢枝だった。


 簡潔に。解りやすく。


「千穂さんが……攫われました……」


「――――?」


 脳が理解を拒否したのか、『攫う』と云う単語を忘れているのか、ピンと来ない様子の憂を見て、今度は表情を歪め、苦しげに言葉を絞り出した。


「千穂さんが……連れ去られました……」


「――――え?」


 憂は声を発したままの形で口を開いたまま、目を見開き、その大きな黒い瞳を完全に露わにし、言葉を無くした。


「……ごめん、私が言わないといけないのに……」


「この役目は客観視を決め込む私のほうがええんです」


 梢枝の一人称がウチから私に変化していた。意識して出したものだろう。

 事はそれだけ深刻だ。千穂を救い出すべく駆けていきたい筈だ。だが、何も出来ない。守るまでが彼女らの仕事だ。その領域を離れた今、警察と総帥の探査網に掛かる事を祈るのみ。歯痒い思いでこのVIPルーム内に釘付けとなっている。


 康平から連絡は受けている。


 警察も梢枝もその情報を得て、気付き、若しくは確信した。

 康平が誘拐犯グループに出し抜かれた事に。警察もそのGPSを頼りに初動していた。だからこそ完全に後れを取ってしまった事に。


 スマホの電源は当初、落とされた。早期の発見を遅延させ、行方をくらます為に。


 そして、白い小型車は発見された黒い車両の主に千穂のスマホを渡し、逃走。

 別行動を取ったそのセダンは、追跡者を引き付けようと北上しつつ、電源をONした。


 悔しい。悔しくて堪らない。

 出来る事を思案したが、何も無かった。追う以外の方法などなかった。


 裏サイト発と生徒会発。迅速に発された樹と明日香が拡散した第一報と、遅れて生徒会が発した詳報。

 これらは大拡散されたと言っても差し支えない。

 今やSOCIAL()NETWORK()SERVICE()内はこの話題で持ち切りであり、白い小型車の車種もナンバーも多くの若者の知るところになっている。


 蓼学の各部は部活を打ち切り、生徒会の情報を基に足を使っているそうだ。その中には拓真たちバスケ部の面々も混じっている事だろう。


 警察はGPSの動きが止まった時点で検問を張り、千穂の保護と誘拐犯の確保に全力を投じている。


 鈴木市長は非常事態宣言を発令。自衛隊に出動を要請している。


 ……そんな状況にも関わらず、白い小型車は行方知れず。


 梢枝1人の力では、何1つ出来ない。精々、憂の精神面のフォローをするしか残されていなかったのだ。


「憂さん!」


 ピタリと静止したまま、反応を示さなかった憂だが、康平がVIPルームに戻り、声が掛かるとようやく瞬きをした。

 開け放たれた分厚い廊下直通のスライドドアから入室した康平は、ツカツカと憂の前に立つと、ヘルメットにより乱れてそのままの頭を下げた。


 絵里は置いてきた。


 警察の聴取は長く、彼女を人質にした形だ。残された絵里もまた、千穂は当然ながら憂の心配もしており、快く引き受けていた。とは言え、憔悴し切った儚い笑みだった事は語るまでもないだろう。


「――康平!」


 キングサイズのベッドから立ち上がった憂は、フラリとバランスを崩し、梢枝と姉によって支えられ、ゆっくりと床に座り込んだ。

 起立性の貧血発作……だが、「――なんで?」


「なんで――? 康平――?」


 こう言って、見上げた。

 心から信じ切っていた、頼もしい千穂の護衛を。


「しんじてた――から――おねがいしたのに――」


 ようやく涙を見せた。

 頭髪の乱れた康平の姿を見た事により、実感し、そして理解に至ったらしい。


「――どうして――」


 叱責を緩めない憂に目線を合わせ、しゃがみ込み、愛は肩を抱き寄り添った。


「憂……。康平くんは……必死に「わかってる――!!」


 姉の言葉を塞いだのは絶叫だった。

 心の叫びと言っても差し支えない。

 解っていながら、責めずにいられなかった。


「わかってる――」


 憂の心は押し潰されんばかりに苛まれている。


「ボクのせい――だ」


 明確な犯行声明もないが、おそらくはそうだろう。

 かつて、危惧していたように憂本人ではなく、周囲の者を狙った犯行。

 これにより、最愛の……。想いが強すぎるが故に将来的に発生する問題を考え、憂自身が付き合う事を善しと出来ない相手。


「おしえて――梢枝――康平――」


 憂が……。自分が在るからこそ……。

『再構築』と云う、通常ならば不可能を成し遂げてしまったからこそ、愛する者が命の危機に晒されている事を憂は知っている。



「ボクに――」



「なにが――」



「できるの――?」



 姉を押し退け、涙声で姿勢を変えていく。



「おしえて――?」



「おねがいします――」



 憂が意識不明から目覚めて数日後、あの漢がここで見せたように、頭部を床に付けた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ブックマーク、評価、ご感想頂けると飛んで跳ねて喜びます!

レビュー頂けたら嬉し泣きし始めます!

モチベーション向上に力をお貸し下さい!

script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ