282.0話 電車で移動するテスト
―――4月28日(土)
蓼園市は県庁所在地ではない。
県下一の人口を抱えているにも関わらず……だ。
これは、蓼園市が急成長を遂げた都市である事が大きな要因であり、時折、県庁の移転話が浮上している……が、実行は成されていない。
蓼園市が乗り気でない事。
これに原因が集約されている。
そんな政令指定都市間際の市にある学校法人・私立蓼学学園高等部。
そして、県庁所在地の誇りを刻む市にある学校法人・私立藤ヶ谷学園高等学校。
両校の定期戦の歴史は長く、蓼学創立のその年から脈々と受け継がれている。
例年、旧みどりの日であり現昭和の日である4月29日と、9月の第4日曜日の2回。
4月には蓼学に藤校を招き、9月に蓼学が藤校へ。
生徒同士の散らす火花はさて置き、多方面に於いて交流のある学園同士は仲が良く、バスケ部も相互に招待しているのである。
……が、今年はものの見事に逆だ。
今季に限り、蓼学が先に遠征する手筈となった。
蓼学中等部男子バスケ部の元4番であった少女の為に。ただ、それだけの為に。
元々、先方から連絡があった。
『立花 憂さんは藤高にとっても特別な生徒であり、先の遠征で是非ともお会いさせて頂きたい』
こんな提案……と言うか、依頼だった。
これが憂の『修学旅行行けるのか問題』と掛け合わせられ、話し合いの結果、遠征の順番を逆転。今回、憂を含めた女生徒たちの藤校遠征帯同が決定したのである。
……おそらく、蓼学側にとっての疑問である、何故会いたいのか? 本気なのか? ……を図る意味合いもあったのだろう。
これに対し、藤校側は2つ返事で快く受諾したそうだ。
詳しく話を伺うと、何でも部員たちから立花 憂に……と、話が挙がったものだったらしい。
藤校の生徒も特別な気持ちを抱えているようだ。将来、藤高に立ち向かったであろう不運の少女に。
―――何かと混乱を招く藤校、藤高、藤中などの呼称について。
藤校とは県内外での通称だ。中高一貫の男子校……ではあるが、蓼学とは形態が異なっている。
私立藤ヶ谷学園高等学校と私立藤ヶ谷学園中等学校の2つの法人に分かれており、総称が藤校。そして関係者は明確に区別するべく、藤高、藤中と呼んでいるのである。
もう1点。
交流が盛んなのは高等部に限った事だったりする。
蓼学中等部と藤中。部によって異なるが、バスケ部に関しては相当、仲が悪い。だから蓼学高等部と藤高は交流を持っていても、根本的問題で生徒同士の仲は悪かったりする。高校に上がっていきなり『これからは仲良しね』なんぞ出来るものではない―――
そんな男子バスケ部の遠征先にお邪魔するのはバスケ会メンバー全員……ではなく、千穂、梢枝。そして、憂。
この3名だ。付添いとして、愛の同行も決まっている。愛はPTAとしての参加だ。
……佳穂はメンバー漏れを大いに嘆いた。
遠足気分で同行を申し出たが、予定人員をオーバーすると却下されたのである。
これは何も意地悪などではない。
佳穂の性格を鑑みた時、もしも道中や先方の校内で憂に対して誹謗中傷。
そんな事態に陥ってしまった場合、滅茶苦茶邪魔になるから……なのだが、本人は勿論、知らない。相棒は存じていても佳穂は知らない。佳穂を外さないといけないから千晶も外そう。そうなった恨みを相棒が抱えている事を佳穂は知らない。
さて、『道中』と表現した点について。
今回の招待。
前述の通り、憂が遠出した時、本人と現地の人の反応を知る為のテストを兼ねている。
実に丁度良い土地なのだ。何しろ、一応は憂への圧倒的支持を誇る蓼園市からは離れた場所だ。憂のお膝元から離れる事が可能であり、尚且つ、憂の側に寄った思想の持ち主の多い土地である事。
実にテストに持って来いな土地柄なのである。
思想が憂に寄り添う形になっている者が多い原因は、ローカルテレビ局にある。
蓼園商会の息が半端なく掛かったテレビ局があり、藤校側にも蓼学側にも同じ番組が流れているのだ。
無論、情け容赦の無い憂の為のプロパガンダ番組がちょくちょく放送されている。
そんな影響なのか、蓼園市から離れた一行だが、電車内で千穂と並んで座る憂を見る目は温かい。
一般の反応を見る為、わざわざ車両まで選んだ。進行方向の両サイドに長い椅子があり、対面式に腰掛けるタイプの鈍行列車で移動している。
最早、心配は杞憂に終わった。そこまで言えそうなほどだが、現実はそう甘くない……かもしれない。
憂の護衛たちは、常に最悪の事態を想定して行動している。
今回の遠出は、事前の発表など一切無し。ところが修学旅行であれば、調べる事が可能……なのかもしれない。
ある日突然、遠方に住むこの世から消したい人間を見掛けた場合、害を成すには難度が高い。
ところが用意周到であれば、可能と成り得るかもしれない。
……そんな過剰な考えで、過保護に守られているのが、電車内で向こうの窓を見詰めるこの少女である。
姿勢は良い。ピンと背筋を伸ばし、両膝を揃えている。
バスケ部員はどうした?
そろそろこう言われそうなので注釈しておくとする。
バスケ部は蓼学が持つマイクロバスで移動している。
駅までの移動やら駅での待ち時間やら考慮すると、バスケ部が先に到着する事になるだろう。
当然ながら、テストの為にこうなった。バスで移動してしまっては、周囲の反応など窺えない。
「何見てんだろうね?」
愛の呟きにピクッと小さく体が跳ねたのは、千穂だ。
「ごめん。寝てた?」
「あ、いえ……」
図星である。落ちかけていた。
電車に揺られる事、既に30分以上。
当初は少し緊張した面持ちだった千穂だが、こうも平和であれば眠気も襲ってくるだろう。
憂は、じっと向かいの窓を眺めるのみで、いまいち反応が薄い。
4名とは離れて遠目に見守る千穂専属SPの絵里さんも少し、堕ちかけていたのは内緒だ。無論、遥の手の者も私服で隣の車両に乗車しまくってたりしている。
「千穂ちゃん、ここのところいい顔してるよね」
「……そうだと思います」
先日の一件、憂が記憶を戻した件は千穂の心に大きな影響を与えたようだ。
表情に表れるほど、充実ぶりを示している。
「そんなに嬉しかった?」
愛は意地悪な質問をぶつけてみた。
肯定すれば、じゃあ付き合ったら? ……くらいの意味合いを込めて。
「……はい」
肯定してしまった。愛が驚くほどの安らかな笑みで。
「……そっか」
考えていても実行出来ず。それの典型的なパターンだった。
「じゃあ……決めたかな? 引っ越しの事」
「……期限まであと3日ありますよ? 今日、含めて」
転んでもただでは起きない『お姉ちゃん』に、不満そう……でもなく、どこか挑戦的に横目で見た。
「決まってんでしょうに」
逆に不満そうなのは愛だ。
心穏やかな時の千穂は余裕があり、何だか強い。そんな事を感じ取っているだろう。
事実、過去に何度か梢枝さえも手玉に取っているが、そんな時は総じて精神的に強くある時だった筈だ。
「決まってますよ?」
10近く離れた少女に、聡明な筈の愛がおちょくられる展開。
一歩離れて向かいに座る梢枝もどこか楽しそうだ。
「……教えてよー」
唇を『よ』の形のまま、むぅと突き出した。降参してしまったらしい。
「引っ越します。先に言っておきますけど、先の事はともかく、い・ま・わっ! 憂と一緒に居たいから」
ヤケに『今は』を強調してみせた言い方だった。
焦らせないで欲しいと暗に示してみせたのだろう。
「もー。そんななら、もう寄りを戻せばいいのに……」
「女のプライドです! 3度目はありませんっ!」
1度目は中等部時代。父に唆された感もあり、本当の内面とは異なり、早熟にも思える告白をした。
2度目は実った告白から時が経ち、大きく状況は変わっていた。彼氏彼女の関係は曖昧になり、やがて憂が千穂を想うが故に離れようとした時、繋ぎ止めようとした。
「……私だって、きちんと告白して欲しいです」
消え入るような声だった。
だからこそ、心の声にも聞こえた。
もちろん、大声を出したせいで同じ車両に乗車する、その他数名に注目されてしまったせいもある。
……が、なんだかんだ言っても、千穂の中には憂への強い想いがある。
そう確信した愛は「私はもう背中押さないよ? 憂が考え抜いて、それでも千穂ちゃんと……って思って告白したら、その時、大喜びするね」
こう言って、到着までニコニコとしていた。
……その間、憂は両サイドでそんな話をしている事など露知らず。
延々と流れる風景に見入っていたのだった。
因みに、憂の右手と千穂の左手は延々と繋がれている。
「お待ちしておりました!」
入り口で待っていた禿げ頭を隠さない教頭と名乗った男に連れられ、バスケ部専用体育館に入ると、即座に愛と同年代の女性が近寄ってきた。
……後で聞いた話だが、屋外にもバスケコートがあるらしい。
「あたしはここでマネジャーの真似事をしてる宮本です。今日は皆さんの案内――」
よく喋る元気な女性だ。
長々と語ったので纏めさせて頂く。
……聞いちゃいない子が2名ほど出現したが、理由は各々異なる。
1人目は憂。
バスケ専用の名の通り、バスケコートが二面。奥のコートでは目下、蓼学との練習試合中。もう一面は中等部の少年たちが基礎の反復練習を繰り返している。
そんなバスケ漬けの環境に感嘆の声を上げて以降、魅入っている。
もう1人は千穂。
中学生たちは一瞬、憂たちに気を取られたが鬼監督の檄により、それなりの集中を取り戻している。
……が、バスケは5名の出場で行われるスポーツだ。高校生たちの大半が練習試合観戦中だった。そんな少年たちの目が白いセーラー服を纏う少女たちに注がれている。
この目のせいで、まごまごしているのだ。
宮本さんはそんな男子たちのお世話をしているのだそうだ。
……実は藤高顧問の妹なのだが、そんな事までは最後まで知る事はなかった。
「あはは……。ごめんね。ここ男子校だから……」
長い自己紹介を終えると、千穂の様子に苦笑いを浮かべた。
綺麗とも可愛いとも違うが、活発な印象を与える笑顔だった。
「……ここ来るまでも見られたでしょ?」
「あはは……。はい。実は……」
応えたのは年長者である愛だ。
おそらく宮本さんは勘違いしている。愛もバスケ部をお手伝いする関係者くらいに思っている。
「女の子が珍しいんですよー。しかもこんな可愛い子たち……って、ごめんなさい!」
途中で憂について思い出しただろう宮本さんは即座に謝った。
元男子に可愛い。失礼に当たるかもしれない。そんなところだろうが、憂は聞いちゃいない。聞いていたとしても最近の傾向から怒りはしない筈だ。
「いえ、大丈夫ですよ」
ぶっちゃけ不躾な視線があった。
この体育館に到着するまでの間に。それは現在進行形で観戦中の高校生からも。
「――あっち――いっていい――ですか?」
「あ、はい。行きましょ……」
どうにも奥の練習試合が気になって仕方がないらしい。
なので、移動した。
千穂の腰が引けていたが、憂の様子に仕方なく。
「お! 来たね!」
どうやら試合に集中していたらしく、こちら側の顧問がようやく気付いたのか、試合中にも関わらず近付き、話し掛けてきた。
「遅くなりました」
……と、愛が言ったものの、練習試合が始まってしばらく経つ様子だが、予定時刻通りである。
「……やっぱり藤校さんは強いですね。話になりません」
愛へフランクに話し掛けた顧問。
そんな光景を羨望の眼差しで見詰める藤校の生徒さん……だけではなく、何気に蓼学生も羨ましそうだ。相手は蓼園学園最強ユニットの呼び声高い、憂千穂コンビご一行なのだ。
「――負けてる」
「あぁ。負けてる」
いつの間にか合流し、憂の呟きに応えたのは拓真だ。
京之介も圭祐も追従してきている。
「――なんで――出てない――?」
不満そうだ。ムスッとし、拓真と京之介を見やる。
千穂は……。様子が変わってきた。間近で全国レベルの激しいプレイ。
生粋のバスケ好きの血がざわめいている。
「……俺に言うな」
「――あの人――だれ?」
ご尤もだ。選手の出し入れの采配など、もちろん監督の手に委ねられている。
結果、第3Q半ばでスコアは52-39。劣勢もいいところだ。
因みに憂が言った『あの人』とは、蓼学の新一年生だ。スポーツ奨学生として入部した期待の星であり、今回、スタメン出場している。
「お宅のツインタワーは脅威ですね。そちらに行ってしまった高梨くんの存在が実に惜しいです」
人数が増えた。
眼鏡を掛けた長身の男。スーツは脱いでいるが、スラックスにカッターシャツの出で立ちで、そうは見えないが藤高顧問である。
「……ですが、こうもシュートを落としてくれなければ、折角のリバウント力も」
顧問同士の感想だ。
藤高はやはり、ゴール下の勇太と、初めて名前の出た高梨くんの2年生コンビを脅威に感じ取り、ゴール下での競り合いからミドルシュートに切り替え、戦っている。当然、勇太やら高梨くんやらが辛抱堪らず出てくればインサイドを狙って。
ものの見事な攻撃を繰り返している。
「――あたりで――負けてる!」
その通りだ。
勇太と高梨くんはゴール下を固めるべく、引いて守っている。
残りは5人対3人。
……となれば、残りの3人は強くディフェンスをする必要がある。
ところがそこで負けている。それがフリーを生み出し、高確率のシュートに繋がっているのだ。折角、アウトサイドからシュートさせても、外さねばリバウンドもクソもない。
「拓真――! いれるべき――!」
……どうやら是が非でも拓真を出場させて欲しいらしい。
「あ――! きょうちゃんも――!」
取って付けた感は、顧問も京之介本人も抱いた事だろう。




