281.0話 思い出の色
憂さんは教室を飛び出すと、階段の方向へ! ここ中等部の校舎! 思い出した! 憂さんが!!
「きゃっ!!」
「ぅあ――! ごめん――!」
「え!? 憂……先輩!!」
ぶつかって、頭を下げて……また走り出した!
そのちょっと前を梢枝さん! 明日香さんも有希さんも転倒しないように周囲を固めています。私も! 参加しないと!!
「わっ――!!」
「うわっ! せ、せんぱい!?」
また……ぶつかりかけた……。今度は男子生徒。
どうしたの……?
慌ててるから……だけじゃない気がする……。
なんだか危ない!!
「すみません!! 通りますえ!!」
梢枝さん! 梢枝さんも気付いた!
えっ? 梢枝さん急停止!! 憂さんの為に道を開けた……? いけない!!
「その先は階段ですよっ!! 今のままじゃ落ち……」
……梢枝さんが避けた理由が分かった。
階段の前に……拓真くん。
拓真くんに道を塞がれて、憂さんはようやく停止……。
「んぅ――?」
また目を擦って……。
「だれ――?」
もしかして、見えてない!?
「よう。急ぎか?」
「拓真――! じゃま――!」
「うっせー」
押しのけようとした憂さんの手を払って……抱えた。憂さんのお腹を肩に乗せた形で。
「拓真――!?」
中等部の子たち、ごめんね! 驚かせてばっかり!
憂さん! ポカポカして怒ってるけど、違うんだよ!?
「掴まっとけ……」
拓真くんは反転して、駆け足。階段へ。
どうやってるんだろう? 憂さんをなるべく上下させないようにして……。
それより、いつから待ってたの? 拓真くんは。
あっという間に1階に到着ですねぇ……。
憂さんは途中で意図に気付かれたようです。大人しく拓真さんの制服を捕まえておられましたわぁ……。
「よっ……と」
「――さんきゅ。拓真――ごめん――」
「おぉ……。早く行ってやれ……」
拓真さんに降ろして貰うた憂さんは反転。
教室へと玄関への二方向……。迷わず玄関側に向かいはった。
間違いなく、思い出されたみたいですねぇ……。
拓真さん……。
思えば、拓真さんも不憫な人やわ。
彼の言葉は真っ直ぐでした。
言葉の通り、憂さんを真っ直ぐ想う千穂さんが好きなんや。どうにも浮かばれませんねぇ……。
あ……。そこは違います。
「こっちですえ?」
「んぅ――?」
立ち止まって振り返って……。
「こっち……ですえ?」
また言い直し……。
千穂さんやったら、憂さんが慌てているから、まず呼び止めて……。それから話してたはず。
あの子の言葉は聞き直す機会が圧倒的に少ない……。
妬けるわぁ……。
「ここですえ?」
「あ――。そうだった――」
最初に向かわれたんは、3年C組の下駄箱です。
そこは今、もちろん他の生徒さんが使われています。なので、今回はこちらの空いてる下駄箱を使用させて頂いてるんですえ?
……少なくとも3年C組時代の記憶は蘇ってますねぇ。無意味と思ってたん恥ずかしいわぁ……。
ローファーを投げ置き、上靴を中に……。
それじゃ、いけませんえ? 高等部に戻った時、困ります……。
後でウチが回収を……。それより、ウチも履き替えんと……。
「私が持ってくね?」
ウチもローファーを投げた瞬間に後ろからの声。
「頼みますわぁ……」
有希さんも気ぃ利きますねぇ。
あ!!
「いけません!!」
「――――!!」
……あかんわぁ。脅かしてしもうた。
踵。
「きちんと……履かんと……」
転びます。憂さんなら間違いなく……。
「でも――!」
涙目ですねぇ……。
……。
ウチと微妙に……。ほんの少しだけ、目ぇ合いません。
これはもう、何か起きてしもうたと考えてええですねぇ……。
思い出された反動? それ以外の何か?
そうやない。今はそれを考える時ちゃいます。
「逃げません……。待ってますえ……?」
ウチの知らないその頃のように、憂さんが行くまで千穂さんは待ってます。
園庭の片隅で……。
「うぅ――。うん――」
……不満そうにしゃがんで履き直し……。
すぐに走り出したい気持ちは解りますけどねぇ……。転んで失神でもしてしもうたら、またの機会になってしまうんです。
……すみません。一刻も早くと云う気持ちは痛いほど解りますけど……。
「――よし」
また目を左第一指の付け根でゴシゴシ擦ると、気合いのひと声の後、再スタート。
……もうすぐですえ?
思い出のワンシーンまで。
中等部の子たちが見守る中、憂さんは硝子貼りの玄関扉を飛び出すと、すぐに左手に折れる。ウチは離れず傍に。
その先には中等部だけが持つ園庭。初等部は代わりに遊具の……は、どうでもええわ。その内、覗きに行くんやろうけど初等部の思い出探しはまたの話や。
そこ段差! ……ありますえ?
「梢枝――ありがと――」
ホンマ、気ぃ付けて欲しい……けど、今は無理やろうねぇ……。
ようやく玄関の段差をクリアした憂さんは、少し走ると芝生の一角に突入……。
園庭へ。4本の銀杏の木が出迎える。
両サイドには各々、銀杏に挟まれた背中合わせの小さなベンチが計四脚。ここから中等部の憩いの場。
ウチ、銀杏の木ぃ嫌いなんやけどねぇ。
特定の時期、臭すぎるんですわぁ。
銀杏を越えると身長ほどの茂った木……。名前、知らへん。
そこのベンチもスルー。
もう少し奥。奥に行くにつれて、どんどんと低い木に変わっていく。最奥には草花。そこまでは行かない。
奥行きばっかりで細長い、面積はそうでもない中等部の園庭。
「あ――!」
……少しだけ出た根に躓いた憂さんを今度は明日香さんが片手で助けた。助けはるん分かったよって、任せてしもうたわ……。
もうちょっと……。
あと少しで……。
見えた。
躑躅の木の前のベンチ。そこに静かに座る千穂さんの姿。
慌てて走り寄る憂さんを見た瞬間、千穂さんの表情が花開いた。
……瞬間で、よう解りはったねぇ。
ヒントこそ有希さんに出して貰うたけど、それだけです。
千穂さんが今、気付いた通りです。憂さんは思い出したんですえ? そないに必死の形相してはったんやろか?
「――千穂?」
……また目ぇ擦りはった。見えてへんの……? 本人を目の前にしての言葉としては疑問系なのおかしいわ。
「うん。千穂だよ?」
「千穂――」
「うん……」
フラフラと歩み寄る憂さんをベンチから立ち上がって迎える千穂さん。座っておられた横には小さな包みが2つ……。
ええ画やねぇ。
明日香さん? ちょっとシャッター音五月蝿いです。そのカメラのせいで、憂さん助ける時、片手やったんですえ?
「……おかえり」
トレードマークの笑み……。
嬉し泣きしそうなん堪えての笑顔もそうなるんですかぁ……。発見やわ。
「――え?」
「ううん。今日は……。遅かったね」
そこは解らんでええ……ですかぁ?
優さんに『おかえり』言いはったんですえ?
「――ごめん」
……今の千穂さんの言葉も憶えていれば、その内に解るでしょうねぇ。
大きな大きな意味合いの『おかえり』が。
「ん……。座ろ?」
「――うん」
2人並んで腰掛けると、千穂さんはお弁当を膝に。
「さ……。私たちは消えましょ?」
有希さんの小さな声。助かりましたえ?
聞いた話では、有希さんは優さんの事を好いておられた。それなのに協力してくれはったんは、健太さんの存在が大きいんでしょうねぇ。
「そうだな」
「うん……」
……ありがとうございます。
有希さんもさくらさんも明日香さんも「お疲れ様でした」
彼女たちはウチに手を振ると、それ以上の言葉を発すことなく満足そうに頷いて退散……。
あれ? いつの間にかリコちゃんも居ませんねぇ。拓真さんもそのままドロンですかぁ……。
ウチも康平さんも離れてあげたいんですけど……。
すみませんねぇ。任務優先させて頂きます……。
せめて、視界の端まで移動するんで許して下さいねぇ。
「はい。どうぞ」
「ありがと――」
千穂さんはお手製のお弁当を憂さんの膝に……。
毎日、こうしてたんやろねぇ……。
……リア充すぎ中学生。
高校生になって大きく変わった憂さんは、膝上の弁当箱の包みを開いて……。蓋を開けて貰い、千穂さんに箸を受け取ると……。
―――「……思い出した?」と聞かれた。
「――――」
そして、手ぇ止めてしもうた。
2人のベンチの後ろの躑躅が風もないのに揺れましたねぇ。
あそこですかぁ。姿見せん思うたら……。
ウチはスマホを取り出して、通話……切断……。
ワン切り言うヤツやね。
良かった。きちんとマナーモードにしてはった。
雰囲気壊したら申し訳ないですからねぇ……。
「――ぜんぶ――じゃない――おもう」
そう言って、俯いてしもうた……。
「……良かった」
……そうですね。
全部じゃない。それは言い換えれば沢山思い出した。
思い出しただろうと言う、状況証拠の積み重ねだったんが本人の言葉で『思い出した』に変わった瞬間。
「……ほんとに良かった」
千穂さん……。堪えきれんくなりましたねぇ……。
漆原 千穂と云う存在だけ。極端に言えば、それだけを憶えておられた憂さんが白黒の千穂さんに色を塗っているようなもんですかねぇ? セピアだったものに、しっかりと色を付けたようなイメージ。
千穂さんの中で、少し褪せていた記憶も鮮明に甦っているんでしょう……。
「あはは……。ごめん。食べよう?」
涙をそっと拭い、自分の膝から弁当箱をよけると、憂さんの膝の弁当箱に手を伸ばす。そうですねぇ。憂さんに任せると、ひっくり返してしまうんがオチですわぁ。
「……梢枝?」
……!
「驚きました」
急に後ろから声を掛けるもんやありません。いつ躑躅から出てきたんですか……。
「いきなり驚いた言われたワイのほうが驚いとるわ」
横に並んだ康平さん。
ウチも康平さんも千穂さんたちの視界の端に存在する程度の位置取り。
……それでも邪魔でしょうけど、そこは堪忍です。憂さんの目の様子、見極めんといけんのです。
「……康平さん? 憂さんの目が……」
「……目が?」
やっぱり。
ここ最近、この人、ウチと目ぇほとんど合わさん。
……仕事は、きっちりこなしてくれるからええけど……。
「見ていれば判ります」
「分かった」
目の事が解ったかのような言い方せんで下さい。
「話し下手どころか返事まで下手ですねぇ」
「……悪かったなぁ」
……これだけ話し掛けても目は合わず。
間違いないわぁ……。
この人、何を隠してはるん? 康平さんの昔からの癖なんですえ?
高校入って、バスケ辞めた時と同じ。隠し事の後ろめたさ。
「たまごやき――どこ――?」
「……え?」
…………。
見えてない……? でも、ここまで来たゆう事は、ごく一部が……? 憂さんは4時間目の終わり頃から、ずっと目を擦っておられた。
何が起きてるん? 緑内障?
「――千穂の――たまごやき――」
「……うん。好きだった……よね……?」
嬉しさと心配の入り混じった複雑な表情。
そのまま千穂さんは、こちらへ視線を……。
「――これ?」
頷く。聞いてみて下さいとメッセージを込めて。
「……見えないの?」
千穂さんは心配そうに憂さんの顔を覗き込む。
「ううん――。見える――」
……見える? 言葉が足りません……。
「まわり――ぴかぴか――きらきら――してて――」
即座にスマホを起動。
島井先生の名前を探すと同時に距離を取る。
「まんなか――ちょっと――くらくて――」
『はい? どうなさいましたか?』
「憂さんに異常が出ました。視覚です。視界の周囲が輝き、中心辺りは暗いようです」
即座に応答して下さって感謝です。
繋がらんかった場合、チャットで緊急アラームでしたえ? ウチもあの音嫌いや。
『…………』
考え中ですかねぇ? もっと情報を。
「睡眠は本日はまだです。愛さんがコンビニ勤務中であり、依頼すればすぐに動けます」
『……困りましたね。それだけでは判断付けかねます。なるべく早めに病院へ』
「ありがとうございます」
通話を終えると見えない……と言うより、見辛い憂さんに卵焼きを『あーん』の最中。
「千穂の――たまごやき――。やっぱ――さいこう――」
……凄い瞬間。
見逃さんで良かった。
特別な笑顔。
今まで見た中で最大級の笑みだったかも……。
これ以上、2人の邪魔はしてあげたくない……けど……。
「憂さん! 千穂さん! すみません! 憂さんを病院へ!」
「梢枝さん! 分かりました! 憂? ごめん。立とう?」
「愛さん! 非常事態です! 憂さんを至急、病院に!」
「え――? 千穂の――おべんと――」
「また今度……ね?」
「目がおかしいって「康平さん!? 説明しなさすぎや!!」
――――――。
――――。
……愛さんの車に憂さんが乗り込んだ瞬間、電話がありました。
島井先生から話を聞きはった渡辺先生から。
『今日は例の思い出探そうデーだったんだよねぇ?
じゃあ、憂ちゃんはいっぱいいっぱい思い出そうと頑張ったんだよねぇ?
それで今は視界の端がキラキラ? だとしたら中心付近が見にくいのは、外が眩しいから……。
これらの状況と症状を纏めると、「閃輝暗点」でほぼ間違いないねぇ。
脳外では常識だよぉ? 救急救命では違ったみたいだけどさぁ!
これは偏頭痛の前兆って言われてるんだよぉ? 血流増加に伴う脳血管による脳への圧迫が原因だよぉ? 憂ちゃんの場合、違う可能性もあるけど……。とりあえず、保健室で寝せてあげて欲しいなぁ。
頭が疲れちゃったんだからねぇ。
寝て起きて、まだ症状あったら今度は島井先生じゃなくて僕に電話して?
それじゃ、よろしくー!』
この渡辺先生の言葉の通り、憂さんは昼寝し、起きると……。もう目を擦ることもなく。普通に見えると言う事でした。
偏頭痛の前兆。
憂さん、脳の痛覚だけ切り離されてはるから偏頭痛など有り得ない。せやけど、しっかり前兆だけはあるですねぇ。
……判りにくうて困りますわぁ。
それより、渡辺先生。
あの人、島井先生を意識しすぎてないですかぁ?
今頃、鬼の首取ったようにしてはるんでしょうねぇ……。
それはええです。それは。
眠っておられる最中は千穂さんの思い出語り中心の時間。
千穂さん、愛さん、ウチの3人でです。
『優って、毎回、卵焼き美味しい卵焼き美味しいって言うんですよ。耳にタコが出来ちゃうほど』
『今まで1度も残したことないの、密かに自慢なんです……!』
『早く起きないかな……? 起きたらもう1度、園庭行っていいですか?』
『ハンバーグも好きですよね! ミートボールとか!』
『おむすびより白いご飯のほうがいいんだそうですよ? おかずが美味しいからって』
……これが佳穂さんの言うてた惚気なんでしょうねぇ。
千晶さんも言いはせんけど、思ってたって事ですかねぇ?
そんな罪深い千穂さんに愛さんが手痛い一撃をお見舞いされました。
『そう言えば、我が母が弁当要らないって優に言われたって嘆いてた時期あったわ』
『母の愛情弁当よりも千穂ちゃんの愛妻弁当が良かったんだろうね』
『お陰で、全員分の弁当がない時もあった。お父さんなんか相当寂しそうにしてたなぁ……』
これを聞いた千穂さんはようやく惚気終了。
それでも突然、ニヤニヤしたり……。嫌なオーラ出してはりました……。
憂さんが目を醒ますと、目の確認の後、本当に園庭に。
中等部が授業してる横で遅いお弁当を。教室からは見えへんのですけどね。
『お腹……。すいたんだよ?』という言葉が示す通り、わざわざ待っておられました。
あぁ。笑い話もありましたねぇ。
憂さんの印象に残ってた切り干し大根。
この名前も『ほそいの――』とか『きいろっぽいの――』とか、なかなか出てこんで苦労したんですけど……。
憂さんが『あれ――おいしかった――』言われて。
今回、久しぶりの千穂さん弁当には入ってなかったです。それが。
『……もうあの味付けは永遠に無理かも』
意味が分からず、つい口出ししてみたら『あれ、冷凍食品だったんです。チンするだけ……』だそうですよ? ウチ、笑い堪えるの苦労しましたわぁ! しかも、もう販売停止してるんそうです!
まだ笑い話ありますえ?
ようやくC棟の玄関に戻った時です。
憂さん、普通に上靴履かれました。何を気になさる事もなく。
中等部の下駄箱に収めた筈なのに……ですえ?
有希さんが戻してくれた事に気付きもせんと……。これも面白かったわぁ……。
『……本当に楽しい一日だったようですね。貴女の声を聞けば判ります』
「はい。それはもう……」
帰宅後の電話の相手、秘書さんもどこか楽しそうですねぇ。
これなら……。
大丈夫そうですわぁ……。悪いようにはせんでしょう……。




