278.5話 康平の隠し事
「――はぁはぁ」
憂の息切れが早い。
これは先週、血を与えた影響だ。激しく運動するにはまだ少し早かったのだろう。
「――きゅうけい――しよ――?」
「了解だ!」
「……はーい」
「憂さん、無理は……よくないですえ?」
不満そうな美優のような子も混じっているが、全員揃ってベンチに向かっていく。憂の決定を覆す子はここには居ない。居るとすればそれは拓真だったりするが、現在は蓼学の体育館で汗を流している事だろう。
「前回はどのくらいで回復したんでしたっけ?」
「確か、半月ほどで元に戻ってたぞ?」
珍しい組み合わせで会話があったので挙げておきたい。
剛と千晶の両名である。特に色恋がどうのこうのではなさそうだが、何が切っ掛けになるやら世の中分からない。
「そうですねぇ。あの頃は、このバスケ会も復活してなかったので、詳しい数字は今回が初になりますけど、確かに半月ほどで戻った気ぃしますわぁ」
横槍が早速、入ってしまった。
憂の集合の号令を反故にする筈のない梢枝によって。
今現在、この施設には6名のバスケ会メンバーが集まっている。
姉の謎デートのもやもやを払拭する為、憂はバスケに逃げた。これは兄の見解だが、あながち間違いではないように思える。
しかし、小さな体で400ccもの献血後、僅か9日。如何にチート体質の憂でもまだ本調子ではない様子だ。
かれこれ小一時間で4度目の休憩だったりするのである。
「ちょっと、シュート練習してきます」
「球拾いするぞー?」
「助かります!」
なので早速、美優・佳穂の2名が捌けてしまった。休憩から。何気に珍しい構図だ。
拓真の妹にとって、成長著しかった昨年度だが高等部に入って、やはり最初はベンチ入りからのスタートとなりそうだ。何せ、女バスは選手層が分厚い。まずは目標をレギュラー奪取に据えている。
そんな美優にとっては、自由に使えるこのバスケ専用施設。部活が無い日には、ただ1人で黙々とシュート練習を繰り返している日もある。それは部内のライバルとの差を縮める貴重な時間だったりするのだ。
「これも島井先生に報告しておいたほうがええですねぇ」
輸血後半月ほどで回復。成人女性の献血のスパンが4ヵ月と定められている事を鑑みた場合、驚異的な数字だろう。どちらかと言えば渡辺が欲していそうな情報ではあるが、主治医優先か、それとも渡辺への苦手意識か。
「美優ちゃん――ジャンプ――ひくい――」
憂の観察眼が火を噴いた。バスケオンリーの機能なので、便利能力と言えるものではない。
「もう息が整ってるし」
「早いなぁ……。呆れるわ。何の為の休憩なんだって思う」
……憂の呟きに対する返答とは違ったが、千晶の言った通りであり、剛の同意の通りだ。
息切れを起こし、ベンチに座って1分ほどで元通り。これではわざわざ休憩せずともコート内でプレイをサボれば回復出来るレベルである……が、そこは根が真面目なせいだろう。きっと、コート内では常に全力。くらいに思っている。当然だが、お遊びプレイ時は省く。
「そうですねぇ……。もう少し……飛べば……飛躍」
梢枝が途中でやめてしまった。
『もう少しジャンプ力を付ける事が出来れば、更なる飛躍を遂げられるだろう』
これを短くしようと思うと少し難しい。
「――美優ちゃん!」
だが、梢枝が自分の意見に同調してくれたのは判ったらしい。きっと飛躍と云う単語は理解していない。
「はーい! どうしましたかー!」
立ち上がった。立ち上がりはスムーズだ。
足を引き、上半身を前傾させ、前に向けるイメージで立ち上がる。これが憂は上手だ。座位からの立位で苦労した期間は短い。
だが、島井も渡辺も優の頃の卓越した運動神経との因果関係について、何のコメントも出せない……が、今は関係のない話か。
さて、憂は美優の指導に入った。
20センチメートルほど身長差のある後輩を見上げて、スクワットやらダッシュなどのメニューを重点的に行なうよう、指令が下った。
美優は、また憂の言いつけを律儀に守り、成長していくのだろう。
指導中の憂は置いておくとする。
ベンチに残った剛、梢枝、千晶で興味深い話が始まったからだ。
「ところで、今日はなんで突然、集めようとしたんですか?」
千晶の目線は剛に向かっている。今までは剛がバスケ会の中でも一歩引いて、見守るような形を取っていた。だから今までは、あまり憂の同級生たちとは話していない。
「あー……。姉貴がデートで憂に何も教えず、出掛けていったんだよ」
「デートって千穂と……ですよね?」
「そ。聞いてたみたいだね」
「はい。嬉しそうにしてたので」
「それ。相手が千穂ちゃんって憂が知ったら、色々あるだろ? 付いていくとか、付いてくるなとか」
「……解ります」
「姉貴が言わずに行っちまったんも仕方ないとは思うんだけどね」
「それでストレスの発散ですか。憂ちゃん、バスケしてたら幸せそうですし」
「……付き合わせてごめんね。憂のわがままに」
「いえ、それは全然……じゃないけど、問題ありません」
千晶のチャットでのコメントを参照すると出てくる【え? 佳穂、あんた……って、いいや。わたしも、さんかしますよ?】。きっと佳穂とどこかに出掛ける約束でもしていたのだろう。
予定を潰してまで付き合う2人は本当に憂優先。何よりも大切にしている証明だ。
因みに、千穂からのお断りのチャットは、昼ご飯の最中に届いた。
【ごめんね。今日はおでかけしてるから、ふさんか】千穂
これを見た憂はあからさまに落胆していた……が、過去の話だ。バスケが憂のメンタルを回復させてくれたのだ。
「千穂ちゃんが来られないと康平くんまで来られないのが痛いよなぁ」
「…………」
康平の名前が出た瞬間、黙って聞いていた梢枝がピクリと反応した。
視界の端にでもその様子が映ったのか、千晶は聞いてしまった。
「梢枝さん……? どうしたんですか?」と。
「いえ、なんでもないですわぁ……」
「ん? ケンカでもしちゃったん?」
続いて、つい聞いてしまったの剛だ。謎に包まれた梢枝のプライベート。興味が鎌首を擡げてしまったのだろう。
「……そうじゃないんですけどねぇ。あの人、最近、ウチと目ぇ合わさんのですわぁ……。昔からあの人、何か疚しいことがあるとそうなるんです」
これは梢枝なりの誠意だ。彼女はクライアントの疑問には可能な限り応える努力をしている。
「隠し事か何かですか?」
「……そうでしょうねぇ。大方、好きな人でも出来て、言い出せなくて困ってるってとこやないでしょうか?」
「え? 詳しく聞きたい」
千晶の敬語が崩れた。やっぱり千晶は年長者の梢枝に対して、敬語を使ってしまっている。以前、崩す努力をしたのだが、結局は元通りだ。ついでに言えば、年長者だけでなく、異性に対しても丁寧な言葉を使ってしまう癖がある。
「……言い出せないってことは、俺たちの仲間……?」
「そうじゃない……と祈っているんですけどねぇ……。あの人が任務をほっぽり出して交際はない思うんですわぁ……」
「……康平くんですからね」
「分かる気がするわ。康平くん真面目すぎるし」
「――康平?」
康平の名前が連打したタイミングで戻ってきた。
美優に練習メニューを指示し、この日の集まりに意味合いを作った子が。
……とは言ったものの、そんな策は弄せない。自分の都合だけで人を集めた事さえ、気にしていない……と言えば語弊がある。気が回らないと表現しておこう。
「――あ!」
そして、盛大な勘違いが発動する。
「お姉ちゃんの――でーと――!」
次のひと言は声を潜めた。さも、これが真実です……と、言わんばかりに。
「――康平――だ――」
姉が千穂とデートをしている事を知らない憂ならではの発想だ。
他の面々は、この日のバスケ会に康平が不参加な理由を知っている。康平は千穂の外出時、近辺を警護しているのだ。
……それはクライアントである憂の指示だったりするが、そこは憂クオリティだ。そんなところには理解が追い付いておらず、思い付いたばかりの愛×康平の構図に脳が支配されているのだろう。




