270.0話 新学年
―――4月6日(金)
春休みは大きな事件、事故なく終わった。
春休み中。
憂は相変わらずバスケ会に参加しつつ、病院内での患者やその家族との語らい。NPO団体の会合への出席と自らも相談。
蓼園商会を介した要人などとの面会や市役所の訪問と、これに付随したTV放送に出演など、精力的に活動している。
そのテレビ出演。
憂は自身の血が役立つなら……。こう言って、人助けしたい気持ちを吐露した。役に立たない自分にも出来ることが見付かったと何とも嬉しそうだったのが視聴者の印象に残っているだろう。
これに同席し、出演を果たした島井は、『憂さんの気持ちは分かりますが、物理的に多数の患者を救う事が出来ない』と憂から直接、何度も血液を頂けない悩みを告白。より一層の研究加速の必要性を説いた。
倫理を盾に研究の停止を訴えるいくつもの団体や機関を牽制した形だ。
憂の血液の有用性は、圭祐が実証してみせた。
もはや杖も憂の肩も必要がない。部活こそこれからだが、バスケ会では以前のような動きを見せつつある。
これに対し、元々の見解である全治3ヶ月自体を否定する文面も一部週刊誌に踊っていた……が、レントゲン写真をこのTV出演で公表。
このローカルTVの出演の模様は、全国放送のニュースや情報番組に取り上げられる逆輸出の様相を呈した。この全国版のニュースでは各局、レントゲン写真を専門医に確認。確かに治癒に時間の掛かる骨折であると断定すると同時に、驚くべき快復力と口を揃えた。
レントゲン写真自体、圭祐本人の物か怪しいなどとネット深部では疑われているそうだが、あくまで一部の意見である。
公表された画像は正真正銘、圭介の骨折直後のものであり、不要な反論は余計な疑いを招くことになる。いちゃもんなど、付けようと思えば何にでもどうにでもなるものだ。
憂の価値。そして、評価は向上の一途だ。
GW明けの5月7日。
10歳の先天性心臓疾患患者の手術施行が発表された影響も多分にある。
今、対象の少女はその時を待ちつつ、体力の維持・向上を図っている最中である。長時間を要すオペであり、少女の体力が持つか持たないか。ここに焦点が当てられており、憂の血液を投与することで手術時間の短縮と術後の回復速度の向上が目されている。
更にちゃっかりしているのか、カンペでも出たのか、憂は医療面の話が終わると、発売開始間際となった自身のブランドのインナーを紹介。
『女子は元より、男子も着け心地にこだわって欲しい』
こう言って、宣伝していた。
以降は、予約殺到。もしかすると爆発的ヒット商品となる予感まで漂っている。何せ、元男子である女子が、『男子の下着には問題あり』と自信を持って送り出した商品なのである。
男子は思っている事だろう。
男子の下着と女子の下着。そんなに違うものなのか……と。
TV出演時の話はこんなところだ。
その他、蓼園商会絡みの案件と言えば、どこぞの国の大企業のCEOやら、中東の石油セレブやら、再生医療の権威やらと面会など……したが、相手が誰やら分かっておらず、通訳の遥を介して……。若しくは通訳の言葉を砕く為に遥が更に通訳しての対話。なので相当な意訳が入ったらしく、先方もご満悦で帰国の途に就いたそうだ。
バスケ会は毎日のように開催。
決められた週3回の全体練習では用事のある者を除き、基本、全員参加。
他の時間は、やりたい者がやりたい時に参加。そんな形に落ち着いた。それでも美優はバスケ大好きなのにまだ部活がない。そんな少女が入り浸っており、付き合う形で誰かしらが施設で汗を流した。
結果、基本的には日中、誰かが滞在しているような状況だった。
憂も週4~5日のペースで参加しており、色々あったけどやっぱりバスケ大好きであることを如実に示していたのであった。
休日は日曜に確保されるようになった。
今後の予定では、定期検診のある木曜日は学園を全休するそうだ。
そんな憂に合わせるかのように、時間割は選択科目であるフランス語とドイツ語やら、基本科目の英語やら国語やら妙に文系の授業が木曜に集中しているのは、変な色眼鏡で見てしまうが、偶然なのであろう。
結果、憂の外での仕事やらそんなものは、木曜、土曜に集約される事になった。
先方からしてみても、土日よりは何かとやりやすい事だろう。通常、土曜日曜祝日は一般企業ならば、お休みなのである。
休暇が確保されたのは、蓼園 肇総帥閣下のゴリ押しである。
一時的にでも外遊中心の生活となったのは、憂本人が決めた事だ。
それからまたも自己の都合により、学園中心の生活に切り替えた。言い換えれば、わがままだ。
そんな身勝手な行動のツケを総帥が支払った形だ。面会希望者との日程の折り合いに苦心したのは間違いない。いや、苦労したのは総帥ではなく、その秘書や指示を受けた社員か。
さて、ここまで新学年となった変化は春休みの説明に終始した。
そろそろ本日に目を向けてみたい。
この日、憂は……。
朝は普通に姉の送りで通学した。
駐車場からC棟校舎までは当たり前のように親衛隊が周囲を取り囲みつつ、移動した……が、七海の姿は無かった。
彼女は初・中等部で構成される親衛隊から晴れて卒業。新女子高生となった……が、所属する棟はA棟。普通科の棟ではC棟から1番遠い……が、ゴールデンウィーク明けには、早々にC棟への転室届を提出するだろう。七海ならば間違いない。
先程からC棟、C棟と連呼しているが、憂たちC1-5の生徒たちはD棟にクラスごと移籍しないか、という学園からの提案を拒否した。6組の生徒たちが体育などの都合により同時に異動を提案され、クラス内での再三に渡る話し合いの結果、D棟移籍を5組と共に……と、決断したにも関わらず、だ。
その後、6組は5組のC棟残留を受け、C棟残留に追従した。何かと振り回され、少し可哀想なクラスである。
5組が残留を決めた決定的な要因は、憂本人がこれ以上の特別扱いはいらない。こう言ったからだ。
この意見を梢枝と康平が猛烈にプッシュ。
学園内での危険は皆無に等しい……と。
昨年度末、惜しまれつつ(?)も解散した『学園内の騒動を未然に防止する部』の後釜となる新部の創設に予告通り、七海が動いている。
元・部長の下に集まった生徒は男子のみであったが、新部長に七海が収まれば、女生徒も参加することになるだろう。
そうなれば、例の部では成し得なかった女子トイレ内の安全確認なども可能となるのだ。
元・部長以下、最後まで残った5名全員が新部への参加表明をしており、『学園内の(以下略』並の戦力を保有するだろうと。
だからこそ、人目を忍ぶようなD棟引っ越し話を蹴り飛ばしたのだ。
もちろん、新部だけでは説得力に事欠くだろう。
朝と放課後には親衛隊に守られている。例の部、元部長も5組に特別制度最後の転室者として5組へ転室してきた。それに加えて、写真を撮りまくる明日香の存在は、直接的な証拠を押さえることに繋がり、自重を促す。
5組6組の絆も固くなっている。更衣室内も安全そのものだ。
もちろん梢枝は今も憂専属の護衛……。
良からぬ行動を安易に取る者など、早々現れない。
つまり、万全の体制で臨めるので憂の言葉通り、C棟に残留しようじゃないか……と。
そこまで憂の安全を保障してみせたが、ある人物が不安を隠していなかった。その人の不安を一掃する一環なのか、安全宣言を実証する為か。
この日、憂はお弁当を持ってきていなかった。
いや、憂だけではない。
普段から自分弁当持参の千穂も。
通学時に近くのコンビニで好きなものを買ってくる場合の多い佳穂千晶も。
注文弁当やら母さん弁当だったりする拓真やら勇太やらも。
それどころか、寮の弁当のはずの凌平まで昼食の持参がなかった。
よって、昼休憩には珍しく中央管理棟にある学食へと移動中である。
状況は異なるが、これは過去に何度か行なった前例と同じだ。
新一年生。中等部からの持ち上がり組はいい。ちょくちょくと憂の姿を目にしている。
問題は、そうではない外部からの受験入学生。
噂の美少女を見てみたい者が一定数……。いや、過半数を超える勢いで存在している。
そんな彼ら彼女らへの顔見せ。
C棟に籠もっていれば、姿を見たくても見られない者たちの不満は蓄積され、いずれは爆発するかもしれない。復学当初のように。
そんな周囲の周囲の外野のガス抜きに憂たち一行は、C棟を飛び出した。
千穂に右手を引かれ、どこか転びそうな危うい足元なのは今も変わりない。以前とは比較にならないだろうが、右の軽度麻痺は今も変わらない。
「お、おい! あれ!」
「うわ、めっちゃ小さい!」
「立花先輩だ! 苦難の道を踏みしめ、人のために進む天使!」
中央管理棟入り口付近ですれ違ったのは、入学式やら説明会やらを終え、学園内探索中の少年たち。
この日、この時を狙っていたのは護衛の2人だ。
憂をアイドル化してしまう計画は、今も終わっていない。
「憂せんぱぁーい! 千穂せんぱぁーい!」
「ねぇねぇ!? あの人が榊先輩!?」
「そだよー」
初日で作った友だちなのか、中等部時代親衛隊員だったと思しき、セミロングの興奮女子に問い掛けた同じくセミロング少女。おそらく片割れは、外部からの入試入学だ。梢枝を知らない者など、去年から蓼学に居た者の中、皆無に近い。意気投合した片割れにとっては、中学生活最初の友だちなのだろう。
「かっこいいー!」
「梢枝先輩かっこいいけど、あたしは可愛い憂・千穂派ー」
「そう? 憂・梢枝も堪らなくない?」
「あー! わかる! そっちも捨てがたい!」
……何の話か?
延々とこの2人を追っていては、ネコやら何やら聞こえてきそうなので、他の一年生に目を向けることにする。
「先輩たちをお昼も見れるとかラッキーだよね」
「だよなー。俺ら役得かも」
「そろそろ京乃介先輩に見初められたい……」
「お前な……」
男女混合の親衛隊の姿も見える。
高等部の昼休憩より早く、僅かな時間しか残されていないが、新隊長の下知を受け、不測の事態に備えている……ような、憂たちを鑑賞しているような、親衛隊に入隊する事でお目当ての先輩への接触のチャンスを窺う下心のような……。
そんな親衛隊員の姿が沢山。
ところが、これで十分なのだ。
憂たちグループを注目している存在が、敵意や打算を抱えて入学した少数の人間を牽制してくれるのである。
至る所でこのように新しい友人や、既存の友や仲間らと語らう光景が広がっている。
2年生になっても注目のグループなのは変わりがないのだ。
それは学食内に於いても同様だ。
食べ始めて何分か経過し、そこそこ食べ進めている状態だ。
そんな中、憂のお皿だけはなかなか減らない。
「憂……? ちょっと遅すぎ……」
憂はパスタ。好物のナポリタンをぐるぐると巻いている。
以前と何ら変わりがない。不器用な右手がパスタぐるぐるを阻んでしまう。
「でも――むずかしくて――」
「……そう?」
だったら巻かなきゃいいんじゃ……。
千穂も佳穂も千晶も男子勢も、ただ鑑賞しつつ学食で腹を満たすその他大勢も全員が思っているだろうが、口には出さない。
出すだけ無駄だ。憂は食べ方にこだわりがあり、指摘されても決して曲げない。このような頑固さは障がいの影響もあるのかもしれないが、真相は不明だ。
「あたしもぐるぐるー!!」
「むしろあんたはぐるぐるせずに食べて欲しい。パスタは憂ちゃんとあんただけだし」
「たしかに佳穂がぐるぐるすると認めることになっちゃうような……」
「今の憂ちゃんの気持ちは分かるぞー! なんかぐるぐるせずに食べるとこれじゃない感がめっちゃ強くてさ」
「……言われてみれば、ウチもぐるぐるせずに食べた事ないですねぇ」
「あ。言われてみれば私も」
「わたしも……」
「勇太もかー?」
「ん? 考えた事ねー……けど、やっぱ巻いてるような」
どうやら他の男子たちもそうらしい。
因みに本場のイタリアでは巻いたり巻かなかったりらしい。
「たべおわったら――」
「……ん?」
「珍しいね」
「だなー。憂ちゃんが食べながら喋るとかー」
「基本、無言で美味そうに食べてるかんね」
佳穂に相槌を打つのは勇太だ。
何気に最近、よく話すようになっている。元々、気の合う2人だ。一緒に過ごせば自然とそうなる。
「今日はお前らもだ」
行き慣れていない学食。
拓真の指摘通り、確かに今日は女子たちも話ながら食べている。
「……憂? なに?」
すぐ隣の席。千穂が椅子をわざわざ近付けて座っているのは、利便性の問題だ。
憂と千穂の距離感はほぼ戻った。物理的な距離が……だ。
「ちゅうとうぶ――いく――」
憂は千穂の目を見て、言った。
その距離、2人分の肩幅程度。ヤケに近いが、元々こうだ。
千穂の表情が憂の言葉を受け、コロコロと変化していった。
怪訝なものから驚きへ。
驚きから微笑みへ。
「……忘れもの探し。再開されるみたいですえ?」
「……うん」
千穂の目に薄く膜が張ったのは、気のせいではないだろう。
中等部へ!!
そんな宣言をしてみたものの、グルグルをやめられる訳でもなく。
休憩時間を思う存分、食事に使った憂には中等部訪問の時間など残されておらず、C棟2年5組に帰還する事になった。
何事もなく、無事に。
教室に戻る途中。
中等部を訪問するには、まずは利子に相談するべき……。こう諭したのはもちろん梢枝だ。
建設的な意見である。
いきなり中等部を訪問し、『見せて』と言っても難しいだろう。
先生方も憂が相手となれば尚更だ。どう見積もっても授業が崩壊してしまう。
諭された憂は、この日の放課後、忘れない内に職員室を訪ね、利子に相談。
後日、中等部時代の教室を借りる……と言うか、中学生たちの授業に参加することが決定した。
これは利子の意外な行動力がもらたした結果……だが、C棟への残留を親兄弟以上に心配していたのは、何を隠そう、この担任教師である。