260.0話 憂と拓真の約束
「おらっ! 背ぇ低い奴ぁ手ぇ伸ばせ! 足動かせ!」
き、きびしい……。
「はっ! はい!」
はぁ……。はぁ……。
返事出来る千晶はえらい。私はもう無理……。頷くだけで精一杯。
リーダー? みたいなのが憂から拓真くんに変わっただけでこんなに違うとか。
聞いてないよ!?
「腰落とせ!」
分かってます! 分かってるけど!
……足が付いていかない!
「京! ファール狙っちまえ!」
わっ! その指示は嫌!!
腰が高いと足じゃなくて、手で止めちゃう。そうするとファールに。
それは嫌っ!
きついけど腰を落とす。きついけどっ!
「そうだ! 出来るじゃねーか!」
……京之介くんはカットインの構えを解いてパス。助かった……。
私、千晶、佳穂、勇太くんに対して、京之介くん、美優ちゃん、康平くん、凌平くん。グッパーでこうなっちゃったんだよね……。
4on4の、ほぼ出ずっぱり。
憂と愛さん、お兄さんが居ないし、梢枝さんも。拓真くんは指導中心だし。
圭佑くんはもちろんまだ早いし、息を付けない。
憂は『ちょっと――おくれる――』らしくて、まだ到着していないんだよね。
終了くらいのタイミングで到着して、参加せずにさらっと流したりしたら怒るよ? さすがに。
きつすぎるから、憂の頃の厳しくなったり、緩くなったりしてた頃のほうがいい! 今はずっときつい!
でも、運動しないといけないから頑張ってるけど……。
でもでも! きっつい! 憂! 早く戻ってきて!
……無理なのかなぁ? 圭佑くんと凌平くんがここに戻ってくるって流れを作ってくれたのに。
このままじゃ、私、潰れちゃうよ!?
「ほら! 憂! 早く行くぞ!」
剛さん、積極的っすねー。
「なんで――そんなに――」
やばい。顔がニヤケちまうわ。
憂は……なんだ? うんざりしたような困ったような、中途半端な顔で抗議の声を上げてるけど、剛さんにゃ通用せん。
「ほら! 急げって!」
もうバスケ仕様の格好だもんな。
わざわざ回収してきたんだろね。
あのバスケコート、更衣室にいっつもクリーニング済で置いてあるんよ?
俺らは、洗濯カゴに入れとくだけ。貴族気分ってヤツ。
でも、ちと寒そう。半袖のシャツにハーフパンツ姿の剛さんと、似たような格好の下に、ぴったりぴっちりしたスポーツインナー上下を着込んでる愛さん。愛さんはあんまり寒くなさそう。
……あのスポーツ用のぴったししたのって、なかなかいいよな。
黒光りしてるんが、たまらんわ。名前知らんけど、水着の日焼け防止の長い履くやつとか、水に濡れるとすっげーいい。
圭佑って何フェチ?
「ほら! 動けよ!」
草生えるほどやる気満々。
実際、梢枝さんもくすくす笑ってるし。
「――わかった――よ!」
怒った。
バスケ引退したって言ってるだろ!!
……こんなとこか?
歯ぁ、剥き出しで威嚇? そんなちさい歯じゃなぁ……。歯並びも超キレーだし。
ん? 言葉じゃ噛み付いたけど、物理的には噛み付かんの? あれって勇太にだけ? そう考えると勇太って憂の中で上位なんじゃね?
俺も頭なでなでしてみっか?
「よし。それじゃ行こっか!」
「うっす! お願いしまっす!」
学園に迎えと朝は送り。
愛さん、めっちゃ感謝っす!
裕香さんの事、本気で好きになってなけりゃ、今でも付き合いたいレベルっす!
んで、すぐに到着。
ほんの200メートルほどだもんなー。
その距離を愛さんの車でわざわざ移動。
憂の母ちゃん、あとで差し入れって、何持ってきてくれんだろ?
「――――」
憂の顔の面白い事!
すっげー笑える。ここにゃ来たくなかった筈だもんなー。
俺らとしちゃ、勝ったも同然よ。
バスケやってる拓真や勇太見て我慢できるワケねー。
愛さんも剛さんも積極的ってこたぁ、憂にバスケして欲しいんしょ?
すぐっすよ。すぐ。
「ポチッとな」
愛さん、こういうとこいちいち可愛いんだよなー。
リモコンのボタン押したら開くシャッター。
バック駐車ね。俺も免許、あと1年ちょいか。あっさり取れりゃいいけど。
……愛さん巧いっすね。こんなでかい車を一発で停車するとか。
ガレージのドアを開けると廊下を突っ切った正面に見える食堂。
千穂ちゃんが京にキレた場所な。ありゃ京が悪い。あいつはバカだ。
でも目的地は違う。
憂が遊びに使った……違うか。
『ボタン連打に依る加速についての検証』って梢枝さん言ってたわ。そのエレベーターに。
更衣室は今んとこパス。
まずはさっさと地下に……な。
ほい来た。エレベーター。
肩、さんきゅー。
俺の速度に合わせてくれてんよなー。
憂にとっちゃ2ヶ月以上?
バスケバカな憂にしちゃ、マジでよく耐えたよな。
まだ復帰してないけど。まぁ、今日で復帰よ。間違いなく。
参加する気ないよ! ……なんかね?
スカート着用だぞ? 愛さんも時々しか自分じゃスカート選ばないって言ってたし。
白の短めふんわりスカートに白のオーバーニーソックス。上は水色セーター。お上品な感じ? 『運動? しませんことよ?』ってか?
こいつ、この格好を言い訳にバスケから逃げるつもりだろうな。無理だろうけど。
タイツやらストッキングは履かないそうだ。自分では選ばんらしい。
ニーソ、スパッツ、レギンスはOKだけど、タイツはOUTだってよ。基準が分かんねー。
到着ー! いい音じゃん!
ダン! ダン! ダン!
堅いバスケボールが床に弾かれる音。いいねぇ!
キュキュキュッ!
バッシュのグリップ音。最高じゃん!
カシャカシャカシャカシャ。
彩さんのカメラの音。うるさい。
憂の情報で先回りっすね。
ちょ……憂? 歩行速度上がったぞ? ちと速いって……。
お前、バスケしか見えてねーだろ!
お! 勇太の外への投げ下ろしパス! 千穂ちゃん、フリー! 佳穂ちゃんナイスポジション!
「おぉ――」
女子特有の両手シュート。
お……。あんまし跳んでなかった千穂ちゃんがしっかり跳んだぞ?
いい軌道……入った! スリィポイント!
「千穂! ナイス!」
「よっしゃ! 何本でも撃て撃て! ぜーんぶオレが拾うからな!」
「――ナイス! 千穂――!」
めっちゃいい笑顔じゃん。やっぱ千穂ちゃんも可愛いなー。
憂? 足、止めろって。あはは。しょーがねーな!
「凌平! ポジショニング考えろ!!」
お陰でいいもん見えた。
あれよあれ。あの髪を1つ結びにした可愛い子の汗! あれ大好物! 頬に髪が張り付いたりすりゃ、もう最強!!
……ってか、やっぱ拓の怒声も効果あるんな。
憂ばっか指示出してた時、そこまで達していなかっただろ? 最高到達点でのシュートとか。
なんぼかレベル上がってんな。この短期間で。
優と拓真。2人で怒鳴っててきつかったってよ。小学生の頃。
俺が入った中等部時代にゃ優ばっか指示出してたっけ?
「ふいー! 来たか!」
「待っていたぞ」
「憂先輩! お姉さんもお兄さんも梢枝先輩もお久しぶりです!」
「しんどいわぁ……。憂さん、頼んますで?」
お。やっと気付いた。拓真の目があるからなー。手抜き出来んよ。
あいつガチギレしそうだしよー。
「はぁ……はぁ……憂……」
「憂ちゃん、来てくれたね」
「私服ですけどね……。んんっ……はぁ……」
ありゃ? 4on4終わりか?
なーんか、千穂ちゃん、千晶ちゃんばっか、息切れてんじゃん。
相手が……京、康平、美優ちゃん、凌平か……。
……チーム分けミスってね?
「ったくよ……」
どうなってんだよ? ……って拓真見たら、ベンチに歩き始めた。
……ようやく休憩か。
やはりベンチで。つまりベンチに向かった拓真くんは賢い。
僕たちは全員が全員、ベンチに向け移動開始だ。
「凌平、さんきゅな。さっき、千穂ちゃんフリーにしてくれただろ?」
む? ……勇太くんか。小声で何事かと。
「知らんな。佳穂くんが巧く僕の進路を潰してくれただけだ」
「あー。ま、そゆことにしとくわ」
意外だ。よく観察している。彼もバスケ脳という事か。
このバスケの時間は人間が見えて非常に面白い。
勇太くん。5組に戻れて良かったな。本当に。
「……にしても惜しいわ。バスケ部入らんの?」
「その必要性は感じない。プロに成り得るならば考えもしよう。だが、僕のレベルでは厳しい。将来、金に成らん事に現は抜かさん」
「分かるわ。ぶっちゃけるとオレも将来、喰っていけない可能性の高いバスケに何やってんだろって思う事あるぞ。でもさ。今しか本気で出来ねーなら有りだと思ってるよ」
なるほど。青春と云うものか。
僕は生徒会に入る事になるだろう。確認が終われば……な。生徒会に入る利は何だ? 内申か? 一挙両得とも謂える。僕の性格を考慮した上での梢枝さんの人選は見事だ。
「……疲れた」
「うん……」
ベンチに座り込むのは、千穂さんと千晶さんか。
「みんな――だいじょうぶ――?」
憂さんは先ずこう切り出し、拓真くんを見た。咎めるようなものでもなく、単に拓真くんが練習を主導するときつい。これを悟っている物言いに見えた。
「ん……。きつい……」
「……ですね。わたしと千穂は足使え、走れって……」
「そうかー? 今日はそうでもないぞー?」
無理も無い。
今回のチームは戦力に偏りが生じた。だが、拓真くんは再編成せず。これはこれで彼にとって有りなのだろう。
「ごめんね――?」
何とも色々な捉えようのある『ごめん』か?
今まで彼女たちを放っておいた事に対する謝罪か。
それでもやらぬと言う宣言か。
意味も何も無い可能性さえ在る。
どの意味なのか分からない。
相も変わらず言葉足らず。
「普段は?」
……圭佑くん。それは聞かないで欲しい。
見ろ。現役である京之介くんまでが苦虫を噛み潰したような顔をした。
はっきりと主張しないのは、拓真くんがどっかりと腰掛け、腕組みしているからだろう。彼に口答えするのは、勇太くんくらいのものだ。
「「「…………………………」」」
見たことか。
沈黙してしまったでは無いか。
佳穂くんは……?
チラチラと周囲の人間の観察。そして、思考開始。
彼女は今も静寂を嫌う。寂寥感でも感じるのか?
「憂さん。問おう」
では、偶には僕がこの雰囲気を打ち破ろう。
「――なに? しない――よ?」
そうではない。
バスケはしないつもり。分かっている。欲求を理性で押し留めているのだろう。
「君は……。僕と……いや、男と」
「りょうへ……拓?」
止めようとした勇太くんの腕を取り、先を促してくれた。
そうだ。男と付き合えるのか? 無理ならば無理と言うべきだ。
「付き合える……のか?」
時間が解決する可能性を信じ、待てる者は待てば良い。
……待てない者はどうする? 例えば、生き急ぐ僕は? 一刻も早く、両親と弟妹を楽にしてやりたい僕のような人間は?
我ながら悪い例えだ。
僕の求めは、安定した高収入。
色恋など関係の無い話の筈だ。
しかし、変えられた。
憂さん。
君に。
変化した僕の心は、騒ぐ。騒ぎ、精神の安定を求め出した。
ふ……。その溜まった涙は何を表している?
君の言葉で教えて欲しい。
「――いまは――まだ――」
そうか。
……これですっきりした。
「解った。諦めよう」
「……え?」
「凌平くん……?」
千穂さん。千晶さん。意外な顔をされる事自体が意外だ。
僕も日々成長しているのだ。
「――ごめん」
「謝る必要……などない」
……?
梢枝さんは何を囁く?
さして難しく無かった筈だ。
まぁ良い。
1つの恋。たった今、初恋は終わった。元男子。相手が悪すぎた。最初から勝ち目の無い勝負だったと言う事だ。
それならば、次の勝負を挑もう。
「では、次の告白だ」
突き進むのみ。停滞は性に合わん。
「佳穂くん」
「ひゃい!? 何!? 何の流れであたし!?」
僕は弱き者を守りたいのだろう。
梢枝くんとの約束の通り、憂くんをこれからも守る。
……もう1人、守りたい人が出来ては可笑しいか?
「弱い心を強く見せようと。優れていながらお調子者を演じる君に惹かれた」
金魚のように口をパクパクと……。
どうした? いつものように鋭く切り返せ。佳穂くんは爪を隠す心優しき鷹だ。
「なんじゃそりゃあぁぁぁぁ!! 凌ちゃんは今まで何を見てたんだぁ!?」
「君を「ちーがーうーだーろー!!」
む。何も話せな「あれだけあたしがちくちくちくちくちくちくちくちく突っついてんのにー!! 馬鹿!? やっぱり馬鹿なの!? 千晶! ダイジョブ! 今のは無し! ノーカン!!」
す、すごいいきお「なんであたしなんだよー! あたしは憂ちゃんひと筋!! 本気の本気なんだから邪魔するなー!!」
か、顔が真っ赤ではないか。何をそんなに怒り狂う……?
そこまで息を荒げ、肩呼吸に及ぶ理由は何「よ、よしっ! 拓真くん! 休憩終了! 練習再開しよ!?」
……千穂さん? 疲れていた筈では無かったか?
「あぁ……そうだな」
拓真くん? もういいのか? メンバーの体調管理は指導者の大切な仕事だろう?
「それ! その練習! 俺、来年の球技大会で華麗に復活してやんだ! 目標あったほうが身が入るだろ!?」
「いいね! いいね! それ!」
「きょうちゃん!? マジで!? またA棟7組に戻って、そこで3年撃破! じゃなかったの!? 話が違うぞ!?」
「ほりゃ! 佳穂ちゃんも千晶ちゃんも行くぞー! 私、超久々だからきちんと付き合ってよ!」
……愛さんまで。何がどうした?
僕は……フラれたのか?
「凌平っち!」
剛さん? 肩を組まれるなど初めての経験で……。
「ほらっ! 行くぞ! 練習再開だ!」
「は、はい」
ゲームは5on5で開始。
グッパーでチョキ出してもうたワイは観戦中。千穂ちゃん、千晶ちゃんが休憩するべきなんだけどなー。
お約束の馬鹿やってしもうた。すんません。
「拓はどう思う?」
「気付いてねぇ。そんな気はしてた」
さっきの告白の話でっか。
ワイもビビったわー。空気読まんよな。
振られて即告白とか早々出来んわー。
「気付いてねーの、本人だけだったんじゃね?」
千晶はんの気持ちなー。
今は無心でゲームに打ちんではるわ。
ドンドンドンドン。
器用なもんだ。
圭佑はんは、ベンチに腰掛けて、座ったままバスケボールを床に突き続けてる。
「……たぶんな」
……俺もそれくらい出来るぞ? たぶん。
んで、憂さんはゲーム中の10人を見たくないんだろうな。見たらやりたくなるから。
だからベンチの前、2メートルほどの位置に直座り。
女の子座りになってまっせ。あれやる女子多いみたいだけど、やっぱり座りやすいんかな?
ゲームに背を向けて座ってないで欲しいよ。正直。
ボール飛んできたら痛いっすよ? お陰でワイはボール注意。
拓真はんの激は跳ばず。
圭佑はんと久々にじっくりと話したい……上に、目の前の憂さんか。拓真はんもやっぱ憂さんにバスケして欲しいんだろ?
憂さん……。ははは。やっぱりや。
じっと圭佑はんが弄ぶボールを見てるわ。ガン見の釘付け。
頭、上下に動いてまっせ?
「……おっ、と」
うまい! ミスったように見せかけてボールは転々と憂さんの近くに!
「憂? わりぃ。取って?」
目の前。手を伸ばせば届くボール。相手は目下、リハビリ中の圭佑はん。
憂さん。目が見開いてまっせ。ボールに視線が吸い寄せられてるわ。
「憂? 取って」
「――――」
動きませんなぁ……。意地なんやろなぁ……。
「憂?」
今度は拓真はんや。
「ったく。仕方ねぇな」
拓真はんが腰を上げて、ボールに近づく。ゆっくりゆっくり。
憂さんはボールを見たまま。
そのボールに拓真はんは片手を伸ばして……。片手で掴み上げた。
浮いていくボールに合わせて視線が上に。
「めんどくせぇ奴……」
拓真はん……。
これは……ええシーンやな……。
彩さん? 撮ってますかー?
拓真はんは……。
ボールを憂さんに差し出した。
「やるぞ」
「――ぅ」
「バスケ部」
「――んぅ?」
「戻ってやる」
「――え?」
「お前も……やれ」
「――ホント――に?」
「……その内、な」
「ずるい――!」
「約束……だ」
「――うん!」
憂さんは、甲高い大きな声で返事すると、拓真くんが差し出したボールを両手で受け取り、愛おしげに抱え込んだ。




