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259.0話 頑固者を復帰させるには

 


 ―――2月19日(月)



 朝礼前。そこまで時間が残っていない頃、大勢が笑い合うC棟の廊下を大小2名プラスアルファが闊歩していく。


(おぉ……。ざわついてんね)


 圭佑は金曜に退院。この日、蓼学へと舞い戻った。

 驚異的な回復の早さであり、憂が体内で生産した、人類の歴史を変えるであろう新成分の有用性を存分に証明していると言えよう。


(親衛隊の子らも驚いてたよな)


 杖無し。まだ足元には不安があるにも関わらず。

 ゆっくりとタイル張りの廊下を、一歩一歩、確認するかのように踏み締め、進んでいる。


(夏服だったらブラの肩紐の感触もありそうなもんだけどよ)


 圭佑のスケベな思いはともかく、普段ならば、C棟の多くの生徒から挨拶をされている。


 圭佑が、ではない。


 圭佑に肩を貸す憂が、だ。





 ―――バスケ会復活翌日。木曜日の出来事だった。


 VIPルームの仕切られた一角で、いつものように定期検診を終えると、憂は圭佑の杖歩行の練習に立ち会った。例によって、正確な数値を取る為、そのタイミングでは全裸にされているが、今回は関係のない話だ。因みに何度受けても恥ずかしいらしい。さもありなん。

 同室での衣擦れの音がする、そんな検査。圭佑も悶々とした事だろう。



 閑話休題。



 VIPルームから出た、長い廊下を高山と共に歩いていた。


 慣れない杖。

 脚力の低下は否めず、必要となってしまっている。しかし、骨の付きと手術跡の治癒。ここが加速的に、驚異的な回復を見せたからこそ、もう(・・)杖を使っている。歩けない期間が長ければ長くなるほど、その後のリハビリ期間は時間を要する。


『あぁ……腕だりぃ……。手ぇ、痛てぇ……』


 慣れないからだ。杖の扱いが悪い。


 そんな時に姿を見せた憂。


『ちょっと、肩貸してくれ』


 首を傾げつつ、圭佑の腕の下に入ろうとした憂を『そうじゃなくて』と止めた。

 彼女としては、圭佑の体を支えてあげようとしたのだろう。小さな体で健気なものだ。

 無論、140センチに満たない憂が180ほどもある、大柄な圭佑を支えられる訳がない。


 圭佑が求めたのは、文字通り()だ。肩だけ(・・)と言ったほうが語弊がないだろう。


 憂を左斜め前方に置き、その華奢な肩に大きな左手を伸ばした。


『お! ちょうどいいな!』


 低身長の憂の肩。

 これがまさしくジャストフィット。

 杖での歩行は憂の居ない時こそ継続しているが、憂が居る時は、彼女の肩が杖代わりとなった瞬間だった。


『いいですね。圭佑くんの悪い癖も消えています。島井先生に連絡してきますよ』


 この高山の言葉で分かる通り、圭佑は杖……、その前は馬蹄形歩行器にセフティアーム。それらに縋る傾向があった。

 その悪癖が憂には体重を掛けられない事によって、改善。自分の足の力を大いに使う結果となったのだった―――





 これには、自分の予想と違うタイミングで自分に関係なく再開されたバスケ会に拗ねたのか、単なる意地か。横目で見つつ、参加しない憂を何とか引き込もうとする圭佑の思惑もあるのだが、憂はまだ気付いていない様子である。



「はやかったら――いってね――?」


 圭佑を見上げるちっこいのは、何とも嬉しそうだ。


「そのペースで……いいぞ?」


 役に立てる事が嬉しい。

 何か出来る事はないかと探していた以前も、自分が役に立たない存在へと成り果てた……と、思い込んだ事が起因だ。


 その延長で考えると、ニコニコしている憂の姿に納得出来る筈だ。


 ……彼女のコンプレックスである低身長。だからこそ今こうして、圭佑の杖となっている事にも気付かず。






 ―――2時間目終了後。



「おー。憂? ちょいと……便所まで……頼むわ……」


「――うん。いこ――?」


 やっぱり、この憂が杖代わりになった。

 実は、この『何やってんねん?』と突っ込まれそうな2人の面白い光景が、憂の行動に大きな変化をもたらしている。

 責任感だけは一人前の憂は、圭佑の為。彼のフォローをするべく、学園にフルで出席したがった。


 結果、憂の外遊とも呼べる蓼園氏絡みの仕事は、ほとんど全てをキャンセルしてしまったのだ。


 公と私の境界線。これについては、どこまでの人間の思惑なのか、人が絡みすぎていて全貌は見えない。

 だが、確かに圭佑が考えた『憂とみんなの仲をこの際、ついでに取り持っちまおう』作戦は功を奏したと言えるのだろう。




「うわっ! ちょ! 憂ちゃん!?」


「ここ、男子トイレ!」


「ごめんね――?」


 居並ぶ男子小用便器。何故だか青主体の色合い。憂にとっては懐かしい場所だ。

 男子トイレに入る大義名分を得た憂は、堂々としたものだ。

 元・男子。この事実を如実に表すかのように、淀みなく、ゆっくりと突入した。


「すぐに済む。ちょっと……待ってて?」


「ん――うん」


 用を足す、男子たちから目を背け……どころか、少し離れて背中を向けたのは、女の子になった自覚からの配慮か?

 それとも、立ってしている少年たちへの嫉妬めいたものか?


 早々に『憂杖』が不要になるワケはない。その内に判明するのかもしれない。



 圭佑が小便器に向かい、20秒ほど。

 その間に、運悪く小用中だった男子たちは、そそくさと男子トイレを後にし、新たに出現した男子は、外見が超絶美少女な憂の姿に動揺。誰もがしばしの我慢をし、トイレの外で待っている。ここでもすこぶる変な光景を演出している。


 ジー。


 圭佑のファスナーを上げる音に反応し、トテトテと近づくと「圭佑――?」と、肩を掴みやすいよう、差し出す。

 まだ手は洗われていないが、彼女にとっては気にするようなものでもないのだろう。おそらく汚いモノという感覚は、この蓼学女子の中で最も希薄な内の1人だ。



 手洗い場に到着すると、「圭佑――ちょっと待ってて――?」


 少々の迷いを見せると、何故だか、覚悟を決めた時の凛々しく綺麗な表情を浮かべた。

 そして、「ボクも――」と、女子トイレ内に突入。即座に梢枝が追従していった。


 長らく多目的トイレ以外の使用を控えていた憂が、他の純粋女子も使う一般トイレへ何ヶ月ぶりかに入っていった瞬間だった。

 今から2階。遠いトイレに行こうと思えば、圭佑を待たす事になる。これを嫌ったが故に生じた積極的行動なのだろう。



「ええ傾向やわ。圭佑はんの計算通りかいな?」


 憂を見送り、手を洗い終え、壁に手を突き、体を保持中の彼に近づき、笑顔を湛えながら話し掛けたのは康平だ。

 本日、学園に到着して以降、憂とべったりな圭佑は、他の男子からの攻撃対象に格上げされつつある。何せ、憂の華奢な肩。そこは触れたくても触れられない神聖。こう思っている男子は、今でも多数に登る。


 ……圭佑ならば自力で排除しそうだが、弱っている現在だからこそか?


「副産物よー。憂にゃ、やりたいバスケをやって欲しいだけ」


 思考の素振りを一瞬たりとも見せず、即答だった。

 本心からのもののようにも思えるが、康平の顔付きにも変化はなし。


「憂さんの事は諦めたんかいな?」


 温良な表情は彼の内面の発露だ。

 厳めしい外見とは異なり、康平は怒りを見せない。お地蔵さまのような心で年少者たちを見詰めているに違いない。


「……あー。無理だろうなってなー。憂を落とそうと思ったら何年掛かるか……。それより、俺、いい人見付けたしー」


 急転直下。

 いきなりの憂争奪戦離脱宣言だった……が、仏の康平は「そうかいな。なんや、収まるところに収まる感じやな」と難しい顔の1つも見せなかった。


「あぁ、そうなりゃいいよなー」


 晴れ晴れとした表情で語る圭祐だったが、場所が悪い。

 このカミングアウトは、『憂の血を貰った有名人』にランクアップしていたからか、蓼学内を駆け巡り、この日の内にグループメンバーの耳にまで入ってしまうのだった。






 昼食は憂も持参ありだった。

 憂の食べる姿など、久々なクラスメイトたちは、憂から受ける最大の癒やし時間を大切にしようとしてるかのように、鑑賞中だ。


「圭祐。お前、体育とかどうすんだ?」


 会話の切っ掛け作りは、男子は勇太、女子は佳穂。この場合が大変多い。

 今回も多分に漏れず、勇太から開始だ。自分の席を圭祐に与え、自分は窓枠にもたれ掛かっている。


「当分は見学よ。俺の着替えに付き合わせりゃ、憂が遅刻するだろ」


「違いねー」


 わははと立ち食いで笑う勇太に対して、拓真は不服そうに憂の背中を一瞥した。

 千穂と憂の机の間。他の……。例えば、勇太と拓真。佳穂、千晶の距離に比べれば、明らかに近いが、ぴったりと付けられていた以前とは異なり、20cmほどの距離が空いたままだ。


 その憂の机に千晶が。千穂の机に佳穂が。

 それぞれ振り向き、注文弁当を置き、食している。


 会話は少ない。憂が食べている時には、なるべくなら静かに。そうでないと憂の食事ペースが翳り、昼休憩に遊ぶ事もままならない。

 いつからか生まれた暗黙のルール。暴走してしまう事はあるものの、憂の傍の女子3名は今も大切に守っている。


「いつまでだ?」


「え?」


 その拓真が発した言葉は足りない。色々と。

 声を上げたのは京之介だが、圭祐も同じように何の事だ? ……と顔が言っている。


「いつまで憂を杖にするんかってよ」


 放課後、くっちゃべりながら帰った中学時代。この時間の差なのか、勇太には分かるらしい。


「普通に歩けるまで?」


 答えた圭祐は何故だか疑問形。

 自分でも決めていないのだろう。


「ったく……」


 苦々しい口調とは違い、拓真の顔は変化していない。

 苦々しい表情で言ったならば、重いものになる。拓真は自分の存在感の大きさを理解している。たぶん。

 だからこそ生まれる矛盾した点だと考えると、彼に関するピースが嵌まる。




「ごちそうさまでした」


「ごちー!」


 佳穂と千晶の両名は食べるペースが似通っている。

 お互いを気にする両者は、無意識に合わせている。

 佳穂は、千晶がどのくらい食べたかと横目でチラリと窺い、千晶は佳穂を。一緒に過ごして15年以上。染みついてしまった習慣だ。


「……ご馳走様。言うようになったよね」


 これも『いつの間にか』だ。

 憂と過ごし、彼女の影響を多分に受け、彼女が居ない昼食の〆も、いつの間にか『ご馳走様』をするようになっていた。


「……そういや、そだな」


「だね」


「私もご馳走様!」


 千穂は自作の弁当だ。

 隣りで今も憂が食す、憂の母&姉の特製弁当を懐かしく感じている事だろう。


「おいしそ」


 ここから会話が始まる。

 これも経験則から発した習慣だ。


「千穂のも美味そうだぞ?」

「わかる。贅沢者め」

「自分で作ると味気ないって知ってた?」


 周囲の面々が食べ終わり、会話を始めると、参加したい憂は急ぎ始める。

 食べる手を止めて会話に興じると、憂も雰囲気に流されてしまい、食べなくなる。よく観察していたものだ。


「知らん。それより、寮の弁当ってどーなんだー?」

「寮母さんの愛情弁当とも言えますね」


 そして、ここからだ。

 ここから、クラスメイトたちが憂の食事終了のタイミングを計り、接してくる。

 珍しく憂が学園で昼を摂るこの瞬間を狙って。千穂たちの気持ちもわからんでもないが、憂との接触は図りたいのである。


「ある程度、メニューが決まっているからな。別の物も欲しくなるが、そうも言ってられない」


 私学。しかも入学金のお高い蓼学に単身、向かわせた加瀬澤家の台所事情は厳しいらしい。


「飽きたんかー。じゃあ、今度、あたしが注文弁当取った時、交換するかー?」


「いいですね。わたしたちも寮のお弁当が気になります」


「うむ。僕からしてみれば願ったり叶ったりだ」


「だってよ。千晶ー?」


「佳穂っ!」


 即座に千穂の叱責が飛ぶ。

 千晶の凌平に対する気持ちには進化が見られている。


 彼は真っ直ぐだ。

 障がいと背景を知って以降、ただ純粋に憂を守るべく行動している。憂に良く思われたい。こんな気持ちもどこかにあるのだろうが、それはおくびにも感じさせない。


 ……そんな真っ直ぐの心を持つ凌平に、間違いなく惹かれてしまっているのだ。


 だが、佳穂が匂わせるようにいくら茶化しても鈍感な凌平は、気付いてくれないのである。


「……話は変わるが。憂さんは今日もバスケ会には?」


「来ないよ」


「来ないよね?」


「来ないと思う」


 断言したのは千穂。確率の高そうな予測をしてみせたのは、佳穂千晶だ。

 願望を挟み、僅かな可能性を否定しない幼馴染みコンビと、願望を挟まなかった千穂。

 何気に立ち位置が確認できる巧い質問だった……が、偶然かもしれない。


「そうか。憂さん?」


 デザートの大きな苺に齧り付いた瞬間に問い掛けられた憂は、そのままピタリと止まった。

 止まったまま、首を左に倒す。


 ……続きを促したのだろう。


「バスケ会。今日、姿を……見せて……欲しい」


 如何にも高級そうな苺から口を離すと、小さな歯形に合わせ、囓り取られている。

 もきゅもきゅ。もきゅもきゅ。ごっくん。


「――なに?」


 聞こえなかった訳ではあるまい。

 今が旬の苺の甘さに質問自体を忘れてしまった。そんな感じだ。


「大事な……話が……ある」


 ざわりと教室内が色めく。この男は相変わらず、TPOを(わきま)えない。

 憂が食べ終われば、クラスメイトが彼女との交流を求め、なかなか話が出来なくなる。

 このタイミングは、凌平にとっての狙い澄まし、放った一撃だった。


「バスケ会……来て欲しい」


「うぅ――むり――」


 お願い。お願いさえも憂は渋った。

 意固地もここに極まれり。


 ―――やっぱり、無理か。


 全員がそう思った時、今、憂が最も気に掛けている相手。圭祐の後押しが入る。


「憂? 俺もさ。見てみてー」


「う゛ぅ――」


 唸り声に変化した。

 困っている。彼女は思いっきり困っている。


「中心は……拓真か? 今んところ」


 圭佑は憂に聞かせるべく、ゆっくりと京之介に向けて問うた。


「そ。厳しすぎて……ぶっちゃけ、きつい」


 意図を察したきょうちゃんもまたゆっくりと回答を示した。


 ……これで十分の筈だ。


 バスケに関して、記憶はほとんど飛んでいない。これは全員が感じている。


 拓真の指導は容赦が無い。


 それは『バスケをすると馬鹿になる』と姉が称した優の本気の比ではない。

 暴言、中傷は当たり前だ。


 熱くなった拓真は恐怖の存在だった。これを憂はほぼ間違いなく記憶している。


「……私だけじゃなかったんだ。そう思ってたの」


「うん……。ちょいと安心。きょうちゃんでもそう思うんだから」


「よっぽどですね」


 苦笑する女子3名の姿を見た憂は……。


「行く――」


 遂にバスケ会を覗く決心を固めた。

 何だかんだ言っても千穂……だけではなく、佳穂も千晶も心配なのだろう。


 見学にさえ来れば、後は憂がうずうずするのを待つだけである。




 その後の憂の昼休憩は、クラスメイトとの会話に当てられなかった(・・・・)

 中等部校舎を訪ねたい……と、席を立ち、「俺も! 俺も行く!」と圭祐同行となり、千穂も佳穂も千晶も「行きたい!」と付いていき……。


 圭祐がお荷物となり、中等部に付く前にとんぼ返り。

 午後の授業を寝て(・・)過ごした(・・・・)


 どうやら、思い出探しを再開しようとしているらしい。



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