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257.0話 憂さま主催の食事会

 


 ―――2月13日(月)



「ふむぅ……。やはり、静画より動画が良いわ……」


 ………………。


 何を仰りたいのでしょう? はっきりと言って頂かねば判りかねますね。つまり、無視しましょう。


「遥くん……。どう思うかね? 確かに素晴らしい写真だ」


「はい。明日香さまの撮り溜めた画像の中、吟味に吟味を重ね、厳選した物が肇さまの下に届いておりますので」


「……このシャーペンを手にする画像など、実に美しい」


 見ろ……と、私に向かい手を伸ばす肇さま。

 ……自室では、必要以上に近付かないようにしているのですが。


 襲ってしまいますよ?


 などと言える筈もなく、肇さまから大きな写真化された憂さまを受け取る。


「はい。ノートに目を落とす憂さまの長い睫毛。流れ落ちる美しい栗色のストレートに近くなったヘア……。素晴らしいです」


「わかるか!?」


「はい」


 分かりますとも。

 それにしても、この頃、髪質の変化の著しい事。

 千穂さまのふわりとした髪。以前は相似していたのですが、もはや千穂さまの髪質とは異なっております。ところが、色は千穂さまのそれとほぼ一致。

 面白いものです。


「これはどうだ!」


 差し出された写真を受け取ります。

 これは……。良いですね。


「先程の少し後……でしょうか? 板書が間に合わず、はわわと焦りが生じておりますね。こちらは可愛らしい。見事な仕事です」


 ささやかな疑問が生じました。

 明日香さんの席は憂さまの席とは離れている筈です。

 まるで、教室の外から撮ったような位置取り。


 ……サボって撮影は感心しません。

 ですが、良い仕事です。


 本当にお可愛らしい。


 肇さまを拝見すると、写真を次から次に(めく)っておられました。次を探しておいでですね。

 私も全て確認させて頂いているのですが。


 ……そして、焼き増しを依頼しております。


 いつの間にか、この私まで虜に……。

 とんでもない御方ですね。憂さまは。


「肇さま?」


 なので、話さねばならぬ事に方向を転換しましょう。


「なんだ?」


 ……上機嫌ですね。だらしないご尊顔です。

 これでは単なる好々爺。

 私と憂さまだけの代物。憂さまは特別なのでこれで良いのです。こう思えるようになりました。


「本日、関東より戻られた鬼龍院筆頭常務より報告を受けました。佐藤常務から退職の相談を受けたとの事です」


 この建国記念日の振替休日に相応しない報告で申し訳ありません。


「うむ」


 ……予想外です。幹部の辞任の意向を受けても、好々爺のままですか。


()い。構わん。受けてやれ」


「……制度の利用は?」


 今回のグループの大きな転機。あのCM。

 これに付いてこられない社員は多いと予測しました。よって、本年に入り、まもなく肇さまが示された一時的な退職制度。

 退職金は満額支給。蓼園市内の土地、物件の査定額通りの買い上げ。更には引っ越しに際し、補助金を出す。


 従えぬならば蓼園市から出ていって欲しいという制度。支持出来ぬ層は蓼園市に無用。


「使わせてやれ。佐藤も今までよく尽くしてくれた」


 ……大盤振る舞いも良いところですね。

 ですが、憂さまをお護りする資金は憂さま自身がいくらでも生み出して下さる。


 しかし……。


「とりしま「わかっておる」


 遮られてしまいました。


「取締役も何人手を挙げるか不明。心得ておるわ」


 人材の流出。

 肇さまは人を大切にしてきた。その御心の発現が蓼学なのです。


 ……巷ではそうは言われていなかったのですけどね。青田刈りだの、思想洗脳だのと揶揄される始末。


「同じ方向を全員(全て)が向くなど夢物語だ。追従出来ぬ者は去るしかない」


 好々爺が一転。寂しい壮年男性に。

 これは肇さまにとって、苦渋の決断。反旗を翻す可能性のある者の排除。


 心中、お察し致します。


「1割で済むか……?」


 ……なんと言う、気弱な御目を……。


「貴方は、天下の蓼園グループ総帥です」


 しっかりして下さい。


 そう、意味を籠めました。

 肇さまは、一瞬、驚いたかのように目を開くと、直後にはいつもの肇さまに戻られました。


 ……気弱な瞳は目に入らなかった事に致しましょう。


「今のところ、制度を利用し退職を申し出た者は本社内で3%ほどです。取締役の退職者はそれなりの人数に登ると推測しておりますが、出世を望む管理職、及び一般社員の退職は数少ないと思われます。つまり、安定を求める熟年の者が早期に隠居する道を選んだだけの事。結果、締め切られる3月1日時点で6,7%程度と思われます」


「そうか。相分かった」


 またしても心配顔ですか……。

 いけませんね。


「蓼学生を子に持つ者の退職希望は、ごく僅かです。ご安心下さい。最悪の場合、寮も御座います」


「うむ。それなら良い」


 お優しい方。蓼園を裏切る者の子の心配。

 最後まで付いていきたいと願う次第です。


 そんな殊勝な事を想っている時でした。

 ジャジャジャジャーンと主のスマホが鳴り響きました。彼の好む名称のクラシック。曲そのものがお好きな訳ではないのですけど。


「愛くんか……。何事だ?」


 少し困り顔ですね。本日は様々な顔を見せて下さいます。


「もはや噛み付かれる心配は御座いません」


「そうだな……」


 ほんのつま先ほどですが恐れているのですね。

 その通りです。肉親を真に想う者は強いのです。


 今まで何度も苦労を……。

 過去、その絆に何度、歩みを妨げられた事か。


 ……過去の私は、それらを蹂躙してしまっていました。必要な犠牲だった……と云う事にしておきましょう。


「やぁ! 愛くん! 元気か!」


 ようやくタップした主の明朗な声音。


 ……。


 微塵にも不安を感じさせない口調ですね。


「な! なっ!!」


 どうされました……? そんなに慌てられるとは。


「ゆ、憂くん!」


 理解致しました。

 サプライズ演出を好む愛さまは、自身のスマホを憂さまに、と言う訳ですね。


「あ、あぁ。少し……驚いた……」


 愛さまと思い通話すると、相手は憂さま。

 肇さまならば、当然、震驚なさる事でしょう。


 愛さま。お見事です。

 もう電話口のお相手は変わったようですね。顔を見れば分かります。


「憂くんがだと!? 行く! 行くぞ! 場所は!?」


 ……一体、何事でしょう?

 良からぬ事態が……。そんな訳はありませんね。緊急事態であれば、()うの昔に私に連絡が届いています。


「わかった! 午後6時だな! 18時で間違いないな!?」


 18時とい「わかった! ありがとう!!」


 ……。


 なんと苛烈な勢いですか。

 どうやら、お食事にでもさそ「遥くん!!」


「はい。ラフな服装が宜しいでしょう。して、どちらでしょうか?」


「……どちらとは?」


 愚問ですね。脳が沸騰してやがります。


「Meat or sushi?」


「……寿司、だが……。何故、分かった?」


「脳みそ。腐るにはまだ早う御座いますが?」


「なっ……!」


 憂さまがご存知の、『貴方を招待出来るほどの店』など、知れております。

 口座にはそれこそ、私の生涯所得を超えるような額がありますが、立花家は憂さまの金銭感覚の崩壊を善しとしておりません。よって、憂さまは新たな店の開拓など出来ていません。


 ならば、かつて肇さまと会食されたホテル内の肉。

 違うのならば、ご家族で外食された大将のお店。


「2択ではありませんか」


「……済まん。頭を冷やしてくれたようだな。落ち着いたところで支度を始め「まだ15時です」


 全然、冷えておりませんね。






 さて、憂さまが飲食店に向かわれるのならば、確認せねばなりません。


 オフィスに戻り、あの店の電話番号をプッシュすると、至って普通のコール音。耳に心地よいですね。


 ……憂さまが傷付けられる可能性など無用。


 1つ1つの事例に於いて、(ゼロ)にする必要があります。心無い者は今も蓼園市に存在しております。完全に排除は不可能ですが、大きく減らす事は出来ると信じております。


 ……それまでの辛抱です。


『…ま寿司です!』


「蓼園商会の一ノ瀬です」


 いけませんね。電話では、きちんと受話器に口を添えて話す必要があります。大切な名前が聞き取れませんよ?


『……えっと。ご予約でしょうか?』


 新人さんですか? まさか通じないとは思いませんでした。


『本日のご予約でしたら申し訳ありませんが、満席となっております』


「ありがとうございます。大将はいらっしゃいますか?」


『はい。少々お待ち下さい』


 受け答えは悪くありませんね。今頃、首を傾げていなければ、ですが。

 大将の店は、その職人気質のせいか、予約で満席になる事などありません。なのに満席。つまり、本来ならば承っている予約を停止したと云う事です。それは、憂さまの影響でしょう。

 おそらくたい『はいはい、すみませんね。仕込み中でした』


「一ノ瀬です。他のお客様のご予約状況をお伺いしても構いませんか?」


『あぁ。申し訳ねぇが、弟子の店に回しちまったよ。ウチじゃ面倒見切れねぇ』


 これは困りました。状況が読めません。

 何とお伺いすれば『まぁ、心配なさんな。他の客とごっちゃにしねーよ。俺だって、あの子のファンの1人なんだ。また、腕を奮ってやるよ』


 ピ。ツーツーツー。


 …………。


 ……これだから職人気質の方は困ります。話を聞きやがりません。






 17時50分。

 早く日が長くなって欲しいものですね。寒くて仕方がありません。手が(かじか)む。行動の遅れは損失を産むばかり。稀に功を奏す場合もありますが、そんな天運よりも、確実さを求める。私は常にそうありたい。


 ……それでも時には、ギャンブルも必要ですが。無論、勝率を高めた上で。



 徒歩100メートルほどの距離で停車。

 肇さまと私は2人、肩を並べて無言。お忍びの逢引(あいび)きですので。


 この角を曲がればすぐに見え……。


 …………。


 何故、憂さまがお店の前に?

 警護の者たちも確かに整列していますが、報告を受けておりません。


「あ――! そうすい――! 遥さん――!」


「おぉ! 憂くん! 久しいな!!」


「お久しぶりです」


 ふふ。嬉しそうですね。肇さまも憂さまも。

 まるで稀にしか逢えない遠距離恋愛中の恋人同士。


 ……有り得ませんが。犯罪的な年齢差ですので。


 駆ける憂さまに愛さまが会釈しつつ、追従。合わせて黒服私服も。

 お忍びだった筈なのですが、何故、こうなっているのでしょう?


「そうすい――! いこ――!」


 あ……。憂さまの手袋に包まれても尚、小さな手が肇さまの手首を。

 主からの行動ならば妨げるのですが、こればっかりは。


「一体、何が?」


「それが……。とにかく、ここでは寒いし、目立ち始める前にお店へどうぞ!」


 愛さまも言葉を濁しましたね。

 ……何かのサプライズでしょうか?




「いらっしゃい!」

「……いらっしゃいませ」

「お久しぶりです!」


 相変わらず、粋の良い弟子と、無愛想な大将。

 奥の席の付近には、憂さまのご家族のお姿。


「ここ――!」

「失礼します!」


 にっこにこ笑顔の憂さまはカウンター席の椅子を引く大サービス。


「……失礼致します」

「すまんな! ありがとう!」


「遥さんも――!」

「失礼します……」


 私まで。


「感謝、致します」


 入店は憂さまと愛さまを先頭に、肇さま、私、更には黒服、私服……。


 全て理解致しました。


「わはははははっ!! やはり憂くんは優しいな!!」


「会長。すみませんね」


「気にするな! こうでなければ面白くないわ!」


 迅さまの謝罪の理由。


 憂さまは、おそらく日頃の感謝として、肇さまを招待されました。


 ……ところが、憂さまの感謝の相手は肇だけには留まらず、周囲を固める警護の者に及んだ。

 主はこうやって、笑い飛ばしておいでですが、心中複雑でしょうね。





「――(ひらめ)――(ふな)――(ぶり)――(ぼら)――(まぐろ)――(ます)――(なまず)――(にしん)――(はたはた)――(はも)――(はや)――」


「お前、またそれか。食べろ?」


 魚偏の漢字に強い。本当でしたか。

 しかし、必要を感じない知識です。


 ……そうでもないみたいですね。

 私服、黒服、共に驚きと愛情に満ちた表情をしております。

 大将は偏屈親父からデレるおじいさんに変身なさっておられますね。それでも握る手には淀み無し。全てはお任せコース。全てが憂さまの奢り。四捨五入すると三桁になりそうです。


「あの」


「はい。如何なさいましたか?」


 この席順はどなたの采配でしょう? 今、話し掛け下さった愛さま、ですか?

 お母さま、お父さま、お兄さま、憂さま、肇さま、私、愛さま。

 愛さまの向こうには、彩さんと同僚の皆さま。


 ……見事に満席ですね。対面式のカウンター席。私たちの背後には、警護の者たち。

 あの電話、嘘では無かった。私もまだまだです。


 それにしても本日の警護の者は幸運を授かりましたね。非番の者には私から何か行わければなりません。


「蓼園さんと遥さんのお誕生日を教えて下さい」


 耳元に囁かれました。肇に聞かせたくないのですね。


「肇は3月1日。私は2月9日です」


 また歳が増えてしまいました。嫌ですね。

 若返りが現実の技術となれば、試してみたい。衰えは苦痛です。いつまでも肇さまの為、戦い続けたい。


「あちゃ……! 3日前とか……!」


「お気になさらず」


 祝って頂くような年齢では御座いませんよ?


「ありがとうございます。実は、憂の友だちからお2人にお返しをしたいと言われてまして。もちろん、憂の時みたいな大きなパーティーとか無理ですけど……」


 憂さまの(お金)を使わなければ、ですね。

 言わずとも理解出来る部分は排除。話しやすい方です。


「3月1日。ささやかですけど、空けておいて頂けますか?」


「畏まりました。肇には内密に」


「感謝……!」


 あぁ、理解致しました。裏があるのですね。

 肇の指針に沿った計画です。


「憂? 円周率は?」


 漢字はおしまいですか。

 他者よりも小ぶりな中トロを頬張り、至福を味わっておられる憂さまに、お兄さまが質問。

 私も中トロ派です。大トロとなると脂が乗りすぎていて、重く感じてしまいます。


「さんてんいちよん――いちご――きゅうに――」


「憂! 思い出したの!?」


 愛さま。急な大声。少々、驚きました。


「――わすれた」


「お前……。紛らわしい……」


「解説をお願いします」


 肇さまにも頭上にも疑問符。円周率とは何の事でしょう?


「憂が優の頃、一生懸命憶えたのが、魚偏の漢字と円周率なんです。でも、円周率はすっぽりと頭から消え去ってまして。その記憶が戻ったのかと思ったんですけど、違ったみたいですね。やっぱり優の時と一緒で興味を持って、また憶えようとして、そこまでだったんだと思います」


「ゆっくり! ……憶えればいい」


 その通りです。とは言え、当の憂さまは違ったご様子です。


「ボク――。おもいだすの――わすれてた――」


 しょんぼり。

 これは梢枝さんから情報を得ております。

 一時期、憂さまは無くした記憶を取り戻そうとされた。忘れている事で傷付けられる家族と友人が存在する事を良しとされず。


 有耶無耶になってしまっていましたね。学園内でも早々、教室から出歩けない時期がありましたので。


「おもい――ださないと――」


 矛盾です。それは公ではない、()の範疇。


 ……良い傾向です。


 程なく憂さまは梢枝さまにチャットコメントを送信。

 思い出すんだと息込んでおられました。


 榊 梢枝と鬼龍院 康平。

 この場に不在だった事に違和感がありましたが、両名へは、また別の機会に感謝の気持ちを示されるのでしょう。




後書きです。


Twitterにて、270話ほどで完結とお伝えしました……が、現在、271話を書いております。

相変わらずどんどん文字数増える作者ですみません。


完結は280話くらいになる……かな?


その時は地味に近づいておりますよ。

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