256.0話 通称・HIRO
―――2月12日(日)
変な人がきました。
今、その……。なんて言うか、凄い存在感の人が目の前に座っています。
その人の映し出されたインターフォンを前にして、固まっちゃった私の代わりに、応対してくれたのはお父さん。
『ち、ちほ? この人、だれ?』
『し、しらない! 私無理だよ!?』
こーんなやり取りがあった事は、もちろん目の前の康平くんみたいな筋肉なのに、胸が……。おっぱいがある人には内緒。
知らなかったんだもん! コート脱いだらこんなだとか! 何の詐欺!?
……って、感じ。
『山武先生と仲良くさせて頂いているひろです。この度は立花 憂ちゃんのご紹介で、伺いました』
山武先生。通称のほうが有名だね。我らが蓼学C棟の誇る家庭科のおばちゃま。
あ! もしかして、手芸部に勧誘してくれたのに返事もしてないから、それで嫌がらせとか!
……そんなワケないか。
コタツを挟んで、私をじっと見詰めるオカマさん……?
見られてるよー……。どう考えても観察されてるぅ……。
ちらり。
微笑んでくれたぁぁぁ!! どうしたらいいの!?
どぎついメイク。ブルーの濃いアイシャドー。それに調和の取れていない、真っ赤な口紅……。ピンクの長い髪……。
お父さんがインターフォンを取れずにいた時に掛かってきた電話。家電に、だね。
私が電話を受けるといつもの警護のお姉さん。
いつの間にか仲良くなっちゃったんだよ。絵里さん、いい人。
『その方は、この頃、憂さまが特に懇意にされている方で、信頼に足る人物です』だって。
……順番、ごちゃごちゃだね。
いち。
インターフォンを前に親子でおろおろ。
に。
お姉さんからの電話。
さん。
お父さんがなぜだか、インターフォンをスルーで、玄関で対応。私は怖かったから、階段を駆け上がって、お部屋に戻ってた。
よん。
部屋に戻って数分。無事、おこたを挟んで向かい合う、今の形に。お父さんは私の左で私と……おかまさん……。おかまさんを見比べてます。
私の左前。こたつの上には、NPO法人・愛と性別、代表HIROって名刺。
……落ち着いてきた。
凌平くんの言うとおりだね。混乱を来すような事態が起きたら、状況を整理したまえって。
もう1度、HIROさんの顔をちらり。
けばけば化粧の……なんか凄い迫力のお顔がにっこり。
「落ち着いた?」
あ。渋い声。バリトンだね。
「不思議なのよねぇ。あたしと初対面の人ってねぇ。大人でも今の千穂ちゃんみたいにそわそわしちゃうのよぉ?」
「当たり前ですっ!」
あっ……。ついつい。
「あらーん。かわいい! 憂ちゃんの言う通り、しっかり者みたいだしぃ」
憂と懇意……。なんで……?
はっ! もしかして! 私へのいじわるとか! 最近、ほったらかしの時、多いから!
「お顔の色がコロコロ変わって、七面鳥みたいだわぁん。クリスマスに焼いて食べちゃうぞ!」
「ダメですよ!?」
「百面相ですっ!!」
……お父さんとほぼ同時だったし。
「改めて、自己紹介するわね」
スルーされたっ!
「名刺の通り、NPO法人『愛と性別』の代表って事になってるHIROよーん! ひろって呼んでね!」
「そのまんまじゃないですかっ!」
なんでだろ? ツッコんでばっかり。
……そうしてくれてるのかな? 私が警戒ばっかりしてたから。
「本名? 聞きたい?」
「え? ……はい」
苗字にヒロ? 名前にヒロ? どっちかな?
「遠江 信司よー。男くさい名前でしょ?」
「ヒロ、入ってないですっ!」
「よくある事よー!」
どこかのおばちゃんみたいに、手首のところで手招きみたいにふりふり。
隣にいたら、ばしって叩かれるパターンだったかも。
……それは置いといてっ!
「どうして、ですか?」
伝わったかな? どうして一文字も入ってない愛称? ……に?
あ、れ……? 真面目な顔になってる。
……やっぱり怖いかも。
「そこツッコんでこられたのってひーさーしーぶーりー! ほとんどの人がヒロ入ってない止まりなのよ」
テレビで見るオカマさんみたいなひーさーしーぶーりーが耳に残って……。バリトンボイスでやめてほしいです。
……褒められたのかな?
「色々あるのよぉん? 聞いてみる? 重い理由だけどねぇ。あたしも憂ちゃんから根掘り葉掘り聞いちゃってるから、教えてあげたらフェアになるしぃ?」
憂から……?
それは……どこからどこまで……?
「お母さんの事も、体の事もぜぇーんぶ聞き出しちゃったわぁ。あ! 憂ちゃんを叱ってあげないでね? あの子は……ほら。何度も何度も質問してたら、可愛いお顔で教えてくれるでしょ?」
体の事……って……。本当に全部じゃない……。
信じられない。
……とか言ってみたいけど、追求されたら隠し切れないのは本当だからね。例えが悪いけど、好きな子の名前とか、どんどん挙げていったら正解にたどり着く感じ?
本当っぽい。
だから「教えてください」って、言ってみた。信司さんなのにHIROさん。その理由。
「あらーん。みぃーんな尻込みしちゃうのに聞いてくれるのぉ? 気に入ったわぁ……。憂ちゃんが大好きなのもなっ! とくぅぅ!」
んーと。なんか失敗しちゃったような……。
早くお帰り頂いたほうが良かったような……。
「あたし、こう見えて結婚した事あるのよー!」
うわ! すっごい意外です!
「もう。可愛いお顔に書いてあるわよー? 傷付くわねぇ……。それで結婚? ……って。まぁ、いいわ。本題ね」
あ。雰囲気変わった。なんかうるさかった顔が静かになっちゃったんだ。静かになっても凄いんだけど、そこはそこ。
「愛する妻と誓い合ったわ。2人の愛は永遠って……。
……でも、永遠なんかあり得ないわよね。
朝、目を覚ますとね。隣で眠ってた妻が冷たくなっちゃってたのよー!
驚いたわねぇ。あれれ? 永遠ってあるわねぇ。永遠の眠り?
あらやだ。話戻すわね。
心不全だって。突然死の時って大抵これ。便利な死因ナンバーワン!
……寂しくなっちゃったわぁ。
残ったものなんて、ほとんどなくてね。若かったから……。
だから、あたしは妻と交わした約束。
『絶対に浮気なんかしない』
これを実行する為にこうなったの……」
…………。
……えっと。
すっごく重い話なんだけど……。
それがオカマさんになった理由って……。
何だか、違う気がする。
「あの……。こう言ったら、あの……。悪いかもなんですけど、貴方が……えっと……。女装されてても、恋愛は可能ですよね……?」
ナイス。お父さん。ぐっじょぶだよ!
あっ……! HIROさん、目を見開いちゃった!! 怖い!!
「あらー! 失敗しちゃったわー! 言ってなかった! 話の展開が悪かったのね……。『愛と性別』についてもお話してなかったし……。もう! 話したい事がいっぱいで失敗しちゃったわぁ!」
「え、えっと……。それで、その団体は何をしておられるんですか?」
お父さんが固まっちゃったから、私が発言。しっかりして……!
「『愛と性別』はLGBT支援団体よー! 同性を好きになっちゃった人とか、どっちが好きか判らない人とかー……」
HIROさんは思わせぶりに溜めて……。次に来るのは……。
「性別の不一致に悩む人……とか、ね!」
ですよねー。
「そんな人たちの話を聞いて、自己解決に導いてあげるのぉー。あたしたちの意見は押し付けないの。あたしから言わせて貰えば、半数くらいの人はね。性癖を拗らせちゃってるだけの人だからよぅん?」
せ、せいへき。
一体、この人、何を話に来たんだろう……。
それより、オカマさんって位置付けはどこに……?
T? トランスジェンダーさんなのかな?
……違う気がする。
「疑問いっぱいみたいねぇ。いいわよぉ……? 興味を持ってくれた証拠だからぁ!」
「そう言われるとそう……なんですケド……」
「聞いてみてご覧なさい? あたしは聞くのばっかり得意なのよぉ?」
……絶対、嘘だよ。すっごい話してるし。
でも、聞いてみようね。ここまで振ってくれたんだし。
「LGBTの団体の代表が……オカマ……で、いいんですか?」
わぁ……。
わぁぁぁ……。
顔が光り輝いた……。
この質問、して欲しかったんですね……。
「あたしねー! 去勢済みなのよー!」
そっ……それは衝撃的な告白ですっ……。
「こっちの情報を先に出してないのがいけなかったんだわ……。妻の話より先に……」
……あ。思い出した……。
奥さんが亡くなっちゃってって……。
……!?
「えっ!? それじゃ……」
「そう。そうよぉん。あたしは子孫を残す権利を捨てちゃったのよー。絶対に浮気できないように……ねっ!」
そんな……でも……。
んっと……。情報が多すぎて……。
「幻滅した? 血の大切さが解ってる千穂ちゃんには、そうなのかもしれないわねぇ……?」
常識で考えて……。普通じゃない選択……だよね……。
でも、それは亡くなった奥さんとの約束を果たす為で……。
……わからない。それはアリなの?
「……僕はHIROさんの気持ち、解るなぁ……」
……お父さんは今でも、お母さんひと筋だからね……。
「誠人さん? そう? ほとんどの人は『バカじゃない?』って言うのよぉ? あたしもそう思うし」
「……どうして? どうしてですか?」
自分でも思う。中途半端な質問だって。でも、聞かずにスルーなんて出来なくて……。でも、目は合わせられなくて。
「価値観なんて、人それぞれよ」
そのガラッと変わった物言いに、思わず顔を上げると……。今まで、怖いって思ってたのが不思議なほど、綺麗で真っ直ぐな目で……。
「私は人がなんて言っても、妻との永遠を保ち続けてる。これからもそう。バカだって言われても関係ない。世間の目なんかどうでもいい。これが出来ないのなら、そんな愛なんか捨てて、性別に見合った愛を探しなさい」
……やっぱりそう。せっかく、真剣に聞いたのに……。
違う言葉が出てくるかも、なんてちょっと期待しちゃったよ?
私だって、考えてないワケないんです。
いっぱいいっぱい考えてます。
「そんな顔しないの! そんな千穂ちゃんだからお節介しにきたのよー!」
……そうは言われても……。
お節介……かぁ……。
「あたし、憂ちゃんに感化されちゃったのね。性癖だー! ……とか疑いようのない紛うことなき、性同一性障害の憂ちゃんに、ね」
そっか。それで憂と会ったんだね。レズだって、ゲイだって、バイだって、トランスジェンダーだって、人によっては『そんなの性癖でしょ?』で済ませちゃう問題だから……。
「今日、千穂ちゃんに会いにきたのは、あたしの独断。もやもやしちゃったのよねぇ。いつものスタイルは、話は聞くけど決断は自分で、なのよねぇ」
すっごい、しゃべってますけどね。
言えないけど。
「……静かになっちゃったわねぇ……。いいわ。聞いててね? もしも、子どもにこだわりがあるから憂ちゃんがダメって言うのならね。あたしはこう言い返してあげるわ」
私がそう言ったとしたら……だよね?
「同性婚しちゃえばいいのよ。精子なんか提供して貰っちゃえばいいんだしぃ?」
「……日本では出来ません」
「どうして? どうして日本は許可しないの?」
「えっと……。倫理的な問題……ですか? 他にも将来的な税収とか……」
子どもが見込めないから……だったかな? 同性婚は政府が絶対に認めないって、どこかに書いてあった。将来的に国の財政をうるおしてくれないからって。
「そうね。税金のお話はこれからなんだろうけどね。蓼園さんはその倫理を破壊するって宣言してるじゃなあい?」
あっ! あのコマーシャル……!
「もしかしたら、憂ちゃんと千穂ちゃんの為。なのかもしれないわねぇ」
っっ!!
「あのっ!」
聞いておかないと!
上擦った声を上げた私に両方の眉を上げて、それが返事。
「総帥さんとは……?」
「ほんの10分ほど。憂ちゃんに御目通りする為の事前面接みたいなのでお話しただけよー? あくまでも、す・い・そ・く」
……もう! どれが本当でどれが嘘なのかわからない!
「もう1つ。二母性って言葉は調べた?」
「……なんですか? それ?」
「あらーん? 憂ちゃんのCM、隅々まで観尽くしたと思っていたのにぃ。ネットとか、まとめ記事がいっぱい出てるわよぉ?」
………………。
あのCM……。なんか嫌だから、1度見てからは、始まってもすぐに違うチャンネルにしてる……。
「二母性。女性同士でも子どもを作る事が出来る可能性があるのよ」
「えっ?」
「これも倫理的な問題で研究自体、止まっているみたいだけどねぇ」
HIROさんは、物凄く穏やかな顔してて、私の様子を窺ってるようには見えなかった。
「……余計なお節介は、ここまでよぉん。あたしは伝えただけ。あとは千穂ちゃんがどう考えるかよぉ……? 二母性。二母性胚とか二母性マウスとかで検索してみてねぇん」
しなしなって、体をくねくねしてるけど、そんな事、もうどうでも良くって……。
もう1度。色々考えてみよう……って思ってたのに……。
「ところで、あたしの胸とか色々、気にならなぁーい?」
「気になりますっ!」
誘うHIROさんと、食い付くお父さんのやり取りに呆然。
終わった後には……。
……って言うか、お父さん! 娘の前でなにやってんの!?
「千穂ちゃんも触ってみる?」
これは丁重にお断りしました。
…………。
ちょっとだけ、気になるケド。
うん。チョットダケ。
それからも色々と話を聞いて貰いました。
普段、聞いてばっかりって言うのも、本当みたい。すっごく聞き上手。
『はっきりとは言ってくれないけどねぇん。憂ちゃんは千穂ちゃんが大好きよぉん。顔に書いてあるんだからぁ』
わかってるけど、聞いちゃった。憂は私の事をどう思ってるのかな? みたいに。
HIROさん、ホントにいい人で。3人で晩ごはん食べに出たり……。
……目立ちすぎたけどね。
『打算? あるわよぉん?』
『憂ちゃんは世界中の誰もが認めるトランスジェンダーだ・か・らぁ』
『おばちゃまから相談を受けた時には思わず電話越しに正座しちゃったわよぉ』
『全裸でねぇん』
『あたしは「愛と性別」の知名度を高めて、もっとたくさんの悩める人の話を聞きたいんだから……』
お父さんの直球の質問への答えがこんな感じ。
おばちゃまとの関係だけはね。はぐらかされちゃったんだよね……。
……?
……!!
大事なこと聞くの忘れてた!!
なんで『HIRO』さんなのっ!?