250.0話 市長とのひと時に
―――1月4日(水)
特別な日。
目覚めて10日ほど。優が手首と首に傷を創った日。
立花 優の最後の日って、言えるのかも……。
あの日の赤は、薄れることのない記憶。
もし忘れたら私は私を許さない。
……忘れられる訳、ないんだけどね。
1年前のこの日、亡くなった優は5日に火葬……。篠本 憂になった。
蓼園さんは、戸籍の偽造に積極的だったよね。
憂が学園復帰するなら儂が絶対に守り通すって、蓼園商会会長職まで放り出して……。
……確かに憂は色々あったけど、約束通り守られてる。
でも、総帥さんはもう1つの約束を忘れちゃってる気がする。
平穏な生活。
儂って呼称をわざわざ言い直して、『私が平穏な生活を与えて見せよう』だったんだよ。
…………。
今のどこが平穏? 普通な生活?
……。
もう1度、話してみようかな……。
だってほら。
今だって憂はイベントブースの主役。
突貫工事でモール内に作られた『ブランドYUU』一号店のオープンイベント。
店頭に立って、両サイドを黒服さんに固められた憂が、来店者と握手をって。もちろん、お店の服を着用中だぞ? 中性的だけど、今回はどことなく女子っぽい。白黒で固めてるのは、憂のこだわりだ。
パンツスタイルのロングカーディガン。でも、袖無し。だからどことなくメンズっぽい。
「やーんっ! かわいかった!」
「おひめさまみたいなおねえちゃんとあくしゅしたー!」
「おー! 良かったなー!」
若い親子連れの握手の感想。
……。
アイドルかっ!!
やっぱ納得できんわ!
コートのポッケからスマホを取り出す。
サ行の下のほう……あった。
電話じゃ! 通話せにゃならん! おりゃ! タップ!
……ちょい緊張しながら耳に『明けましておめでとう!』
……くっそビビった。コールしてないじゃんか。
『今年は良い一年になるぞ! 儂が保証しよう!!』
「明けましておめでとうございます。それは誰にとっての良い一年……ですか?」
……電話越しだと話しやすいかも。
変なプレッシャーが薄まってるって言うか……。それでか。それで総帥さんの電話番号を知ってる人が少ないのか。納得したわ。
『う、む? ……どうした? 愛くんらしくないな。いきなりのご挨拶に面食らったわ』
この勢いを駆って畳みかけてみよう。今なら出来る。私のペースだ。
「アレから一年です。守られていますか?」
敢えて主語を外してみた。
憂を? 約束を? さぁ、どう受け取りますか?
「………………」
『………………』
……困ってるの? どう切り返してこられるのか不安。
やっぱり電話越しでもプレッシャーあるわ。
でも、本人を前にしたら言いたい事のほとんど出てこなくなるし……。
おっと。憂の後ろで存在感出してる梢枝さん。こっち見てるわ。何でもお見通しなワケ? まぁ、まさかね。
『……実は今、海外におってな……。戻るなり話す機会を作ろう。約束する』
……海外かぁ……。
困るんだけどな……。顔を合わすと……ね。
込み入った話をするような場所じゃないし……。失敗した。自宅とかだったら強引に話を進められたのに。なんせ蓼園さんは海外だかんね。日本語なら早々、込み入っても問題ないわ。大失敗。ここじゃなかったら攻められたのに。やっぱ即行動は私に合わんわ。
でも、しっかりとあの日の約束の事だって、受け取ってくれたみたいだし……。
「……分かりました」
仕方ないね。
『可能な限り早く戻る。すまん。また』
通話終了。
……怖っ! 今頃、どんな顔しておられるのかって考えると怖っ! するんじゃなかったかも!
何となく誰かに見られてるような錯覚。遥さんだったり? 今日は来られないってメールあったし、一緒に海外なんだろうか……ら……ね? ……って! あいつ! 多見!?
ホントに見てる奴が居た! こっち見てた!!
「輩がまた監視中ですねぇ……」
うわ! びっくり! いつ、隣りに!?
「アレはもう怖くありませんえ? 何を書いても無駄ですわぁ……。本人は相当、悔しいでしょうけどねぇ」
うわ。悪い顔。梢枝ちゃんは時々、こうやって悪役みたいな顔をするんだよね。敵に対して容赦ないって言うか……。
「あの男が週刊誌に寄稿した記事は、根拠がないと叩かれ、掲載した雑誌そのものが叩かれる始末。もう無駄ですわぁ……。あとは逆ギレ……、個人的怨恨からの犯罪行為に注意しておけばええです。警察にも話は通っておりますから……」
そだね。
個人的怨恨は総帥さんの権力に跪きにくい。それはボウガン男が証明してくれてる。
去年のクリスマス前だったと思う。
憂の研究成果とか脳再生の発表の直前、多見の書いた記事が世間に出た。
総帥も憂もデタラメばっかり。要約するとこんな感じ。
世論の誘導とか、有耶無耶になった戸籍の話とか、偽造するに至った推論とか。相関図まで描いて、めっちゃ噛み砕いて書いてあった。
……あながち間違いじゃない記事。
絶大な権力と庇護欲を掻き立てる容姿で欺いてるって。
本当の悪は誰だって。
説得力を持たせた巧い記事だったけど、タイミングが悪かった……って言うか、タイミングを計ってたって感じ?
直後の発表で多見の上げた批判の声は封殺されちゃったんだ。
根拠もなく憶測で人を叩くな……って。
「鈴木市長は脅迫と強要で多見を訴えたまま取り下げておりませんが、実刑は無理でしょうねぇ。執行猶予付きの判決と云った処ですわぁ……。まぁ、世間の信用を無くしたつまらない男。手口も裁判で明らかになってきていますし……。近い内に蓼園市から消される事でしょう……」
……どうやって?
「物理的に? 違うよね?」
マジ怖い。それはアウトだぞ?
「あの男にも……と、ここではいけませんねぇ。イベントが終わり次第、チャットに詳細を書き込んでおきますわぁ……」
それから特に問題が発生する事もなく、イベントは終了。現在、車中。次なる目的地に移動中。
問題って言えば……。
アレが俗に言う、おっきなお友達……って言うのかな?
ふひふひ荒い息して、憂が頬をヒクつかせながら差し出した手を両手で握ってブンブン。それに物凄く嫌そうな顔をしちゃったくらい?
……まぁ、憂の場合、世間でも元は少年って知られてるから、同情されるだけなんだろうけどさ。だったらアイドルの真似事みたいのすんなって言われても、世間にもっと知って貰う必要があるからで通る。通るって言うか、事実、そうだし。
よく考えられてるよねー。やっぱ遥さんの知恵なのか? 梢枝さんもだけど、敵に回したくない人がいっぱい。
でもさ……?
日本中の人が憂の事を知ってくれたら、それが平穏? これが蓼園さんの目的?
……どうなんだろう?
…………。
あぁ、私も似たような事、思ってたわ。
憂は人目を引く外見してんだから見られる事に慣れてしまえば、それが当たり前。つまり平穏。
……あれって暴論だったのか?
お? チャット来てる。いつ入力したんだ? 憂を挟んだ向こうの梢枝さん。もうチャットじゃなくても良さそうなものなんだけどね。律儀と言うか、約束は違えないって言うか。
梢枝【先ほどの話です。あの男には配偶者も子どもも居ませんが、親は居ます。その親を出汁に手を引いて頂く予定です。これに対し、正義の筆を取ったとしても、所詮は信用皆無の男の記事。不利すぎる戦いから身を引いて頂ける事でしょう】
梢枝【またテープレコーダーとの戦いですねぇ。今度は多見が隠した物を出させる、添枡とは逆の展開ですが。まぁ、あの秘書さんが巧くやる事でしょう】
……な、なんて言うか。
黒い。脅すようなもんじゃないか。
あ。「憂?」
ウトウトしてるわ。もう疲れたんか。まだ予定あるぞ?
「――――――」
ま、いっか。寝せてあげようかね? 梢枝さんも梢枝ちゃんになってるし。マジで憂を見てる時には優しい顔してんだ。この子は。
【添枡ってどうなったの?】愛
なんとなくメールで。
「蓼園市では生きていけませんよって、県外に移住。けれど、配偶者に愛想を尽かされ、独り身となり、細々と畑を耕してますえ? 案外、性に合ったようで活き活きしていると言う情報も」
「話すんかい!」
笑ったー! この子はー!
「どうします? その農地も取り上げますかぁ? どこまでも追い込めますえ?」
「そのままにしてあげて下さい」
……聞くんじゃなかった。添枡センセ。なんか……すまん。私の時は棟が違ったから、接点なかったんだけどね。
……んで、30分ほどで到着。
蓼園市の中での移動だかんね。時間かからんわ。車の停車に合わせて憂をゆさゆさ。
「おーい! ゆうぅー? 着いたぞー?」
「うぅ――? もう――?」
おめめごしごし。それから口を隠してあくび。妹、可愛い。
「ほりゃ、降りるぞ?」
「――うん」
ドアを開けるとそこにいらっしゃるのは、新市長の鈴木さん。
看護部長さんって呼べないのがちょっともどかしい。
いつもの優しい笑顔の鈴木さんに会釈すると、もっと優しい顔になった。
これはサプライズ。
久々に……。それこそ発覚以来、会ってない市長と憂。2人の再会。感動のシーンを演出だ。誰もいないけど。
先に右のドアから降りて、右手を差し出す。
ほれ。こっち来なさい?
私が伸ばした手をじっと見た後、ちょんと指を絡めてきた。ほんのちょっと。
なんじゃそりゃ。
その手を掴むと、やっぱりやらかい。めっちゃ小さくて、ちょいと冷たい。
動き出した。動きのろのろ。別にいいけど。ちなみにロングのゆったりパンツだからパンツは見えん。パンチラ好きとしては残念。
……憂の場合だけだぞ? ううん、千穂ちゃんのもいいかも……。恥ずかしがらせたい……って、何のこっちゃ?
「――あ!」
気付いたか。
周囲に人影なし。梢枝さんも私服さんも、周囲に目を配る。
千穂ちゃんと温泉に浸かったデイユース出来るホテルの近く。何の意味があるのか分からん展望台。人が滅多に来ないとこってのは調査済みだって。逆に言えば、付けられてたりしたらピンチなんだろうけど、付いてきてた車はなかった……よね?
「憂さん……」
あっ……と。泣いちゃいそうだね。鈴木さん。
車から両足を出したままの憂と、近寄っていく優しい市長さん。何となく2人から目を背けた。
んで、違う事でも考えてよう。
この市長さんは、憂の支援を公約にしてたようなものだから、密会しなくてもいいと思うんだけどね。そこはそこ。今度、正式に市役所を表敬訪問する予定。そんな注目される場面だと……。ほら? 今みたいにハグとかしにくいじゃない?
「かんごぶちょ――? ひさしぶり――」
戸惑いながらの憂の声。見なくてもわかる。上擦ってんだから。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
「だいじょうぶ――?」
涙声の新市長と、理解が追い付かない憂。
昨日、説明したんだけどなー。
「とりあえず車内へ」
黒服さんは目立つから私服さん。そんな私服さんに促されて看護部長……じゃない、市長さんは憂を促す。見られたら厄介かもしんないからね。
問題ないっちゃ問題ないんだけどさ。妙な噂を立てられちゃかなわん。会うだけで疑惑が……とか言っちゃう人に逆に問いたい。じゃあ、市長さんとか役職の高い人は、友人を作っちゃいかんのか? 蓼園さんだってそうだ。蓼園さんは友だちの為に動いたらいかんのか?
お。2人とも乗り込んだね。市長のスカートまで入った事を確認したら、ドアをバタン。梢枝ちゃんを見ると目が合った。憂にもう一回、説明せにゃならん。どっちが入るか……だよね。
「梢枝ちゃん、どぞ?」
私が一緒すると、罪を感じてる市長さんが萎縮するかも?
「ちゃんは止して下さい。呼び捨てで頼みますわぁ……」
そう言ってニヤリ。くっそ! やられた! なんとなく茶化してみたら何十倍にもなって跳ね返ってきたわ!
「……よろしく。梢枝」
あらまぁ! 満足そうですこと! この食わせ者め!
憂と市長と梢枝さんが乗り込んで5分ほど。
私のスマホがアラームを発した。
ピピピピピピピピピピピピピピ……。
忘れもしない嫌な音。
緊急地震速報やJアラートよりも私にとっては強烈。
蘇る絶望感を押し殺し、スマホを開き、暗号を入力。
緊急時、このチャットはパスワードを受け付けると、その緊急ボタンが押されたメッセージを優先表示する。
【圭祐が大変です。左足の付け根を抑えて……。おそらく骨折です】京之介
……え?
なんでとか思っていたら、車の後部ドアが左右同時に開いた。
「京之介さんと圭祐さんはスキー合宿に行っておられます」
「大腿骨頸部骨折と思われます。場所は?」
驚いた。市長の優しい顔は真剣そのもので……。
「県内です。県北。山の北側には雪も積もります」
「それでは私たちの病院に搬送も可能ですね?」
「もう話は進んでおりますえ?」
梢枝さんが掲げたスマホを見せ付けてきた。
私も市長も自分のスマホを覗き込む。
【スキー中です】梢枝
【大腿骨頸部か転子部骨折。形成外科の領域だね。緊急搬送の手配を】Dr.渡辺
【ヘリの手配中です。京之介さん? 情報が足りません。今はどこに?】秘書
【蓼園総合病院が受け入れます】Dr.島井
【了解。ゆっくりと受け入れ体勢を作っておきます】Ns.伊藤
【何たるタイミングだ! 儂が国内におれば、剛権を揮ってやるのに!】肇
【お前! あれほど気を付けろって言っただろ!】勇太
【出血とかはありません。今はもうロッジです】京之介
「――どうしたの?」
ありゃ。出てきたんか。
「ちょい、情報の……」
…………? なんて言えば?
「情報を……集めてますえ?」
憂? ……が、足りない。別方向からのいきなりの声だと憂は反応きつい。
「――あつめて?」
ほら……。って話が進まん! 任せた!
【阿呆か。行くんやめとけっつっただろ】拓真
【きょうちゃんだいじょうぶ!?】佳穂
【学生は京之介さん以外、静かに】梢枝
【ヘリの手配、完了しました。遅くとも10分後には立ちます。到着予定時刻は追ってお知らせ致します】秘書
……前にもあったな。こんなやり取り。
「はい。えぇ。そうですか……」
梢枝ちゃんは器用だね。スマホいじりながら電話中か。
【立花家の皆さんに提案があります】Dr.島井
みんな、凄いなぁ。ガンガン話を進めちゃってさ。
私は緊急事態って何も出来ないんだよね。
【おそらく形成外科を交えた緊急手術となるでしょう。その時に憂さんの血液を投与させて頂きたいのです】Dr.島井
私たち一家はこの提案を即座に飲んだ。
憂が圭祐くんの骨折に役に立てるなら。
まだ骨折の状態も不明だけど、選手生命に関わるような怪我かもしれないから。
序盤の13行までに関しては、半脳少女過去編に詳しく書かれております。
未読の方は、この機会にお読み頂けると幸いです。




