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248.0話 倫理の壁

 


 ―――12月31日(日)



 立花家にとって、正に激動であった1年が終わりを迎えようとしている。

 終わりゆく1年を象徴するかのように、立花家のリビングは張り詰めた空気だ。


「…………」

「…………」

「…………」


 少女から目を逸らすかのように、年末恒例となったお笑い番組を睨み付ける姉と兄。更には従姉である舞。こっちのほうがまだマシ……と言える。


 既に祖父母は立花家から引き上げ、本日は駅前に鎮座するホテルに泊まっている筈だ。ここには舞だけが残った。舞の父、母、兄。前述した祖父母。

 蓼園の立花家には、舞を含めた6名を収容するだけの部屋も寝具もない。これが既に撤収した理由である。

 (さと)の立花家の面々が蓼園市に来たのは、ある意味で快挙だ。憂とその家族の現状を鑑み、古い習慣を捨て、正月を一緒に過ごそうと田舎を離れた。いや、一緒に過ごすべきと考えている意味では、やはりしきたりめいた何かに縛られているのかも知れない。


『ほーせー! アウト!』


「あはははっ!! おっかしい!!」

「ははは!! 母さん、バカだねぇ! この人は! 自分でやっといて」


 点いているテレビは、笑うと負けの番組だ。笑えば笑うだけ酷いお仕置きが待ち受けている。


「ぶふっ!」


 剛が吹き出した瞬間、「おにいちゃん――あうとぉー」と澄んだ声が響いた。


「あっはははは!! もう! それやめてよ!!」


 母・幸の大笑いが止まらない。笑いつつ、向けられた剛の尻を、大きな型紙で作られたハリセンで叩く。

 パァァン! と、異様に良い音がした。


「ぷくっ」


 舞の膨らんだほっぺたから、空気が少量漏れた。


「舞ちゃん、あうと――」


 テレビ内での罰ゲームとは異なる罰ゲームを立花家は実践しているのである。


 パァァン!!


「痛ったぁ……」


 向けられた20歳前の女性の尻が容赦なく、引っぱたかれる。痛みは最初は無かっただろう。しかし、問題は数だ。今まで、何度叩かれたのだろう。間違いなく既に3桁には突入している。しかもここに来て、その叩かれるペースは増加の一途。威力もマシマシだ。



 ……大概はこの子のせいだ。


 眠そうにコクリコクリし、思い出したかのようにパッと目を開けると、笑わないか見定めているのだ。

 テレビよりも3人にとっては、憂が面白い。それだけでなく、参加していない迅も幸も笑いまくるものだから始末に負えない。


「落ちそうね」


「「「………………!」」」


 幸の言葉通り、憂の瞼がまたもや重そうに下がってくる。

 やがて、完全に憂は黒目がちの瞳を隠してしまった。


「……もう無理みたいだね」

「うくっ!」


 父が言うと姉が吹いた。その姉から漏れた音を拾い、パチッと目を開いた憂が「お姉ちゃん――あうと」

「ぐふっ……」

「お兄ちゃん――あうと」

「あはははは!! グフってやめてよぉ!」

「舞ちゃん、あうと」


 パァァン、パァァン、パァァンと並んだお尻にお見舞いされるハリセンの音……に、負けず憂は両目を閉じた。ループしている。既に1時間以上、繰り返され、ダメージが蓄積されている。



 ―――どうしてこうなった?


 蓼園市立花家での晩餐が終わり、祖父母たちホテル泊まり組が立つと、憂が気弱な事を言い出した。


「ボク――おきてたいけど――じしんない――」


 このひと言が切っ掛けだった。


『だったら、笑っていればいいんじゃない? ううん。笑っていられればいいのよ』


 こうして考えられたのが、このハリセンシステムだ。お笑い番組を見、笑えばアウト。憂の手の中のハリセンでパン!

 当初、キャッキャと喜び、叩いていた。

 姉弟(愛剛)従姉()も威力のない憂のハリセンだったから何ら問題はなかった。

 ところが、22時を過ぎると憂に睡魔が襲いかかってきた。


『ぜったい――ねない――!』と、意地で起きていようとする憂は審判に集中。代わりにハリセンを持つ母は、手加減の1つもない。大きく上に振りかぶり、下に振り抜く。

 当分の間、この音で覚醒していた憂。確かに滑稽な光景なのだ。



 3人分のハリセン音。

 これが遂に届かなかった。憂の耳に。L字ソファーの角の指定席でクッションを背に微動だにしなくなった。


「もう、いいわよね?」


 お笑い番組の『チャラーンほーせーアウトー』に目も耳も向けず、幸が頑張り続けた3人に確認を取る。


「……そうだね。いつもよりめっちゃ頑張ってた」


 姉は憂の健闘をたたえ、剛は「あとちょっとだったのになぁ……」と残念がる。


「そうだねぇ。脳を冷ましてあげないとね」


 憂の脳のオーバーヒートを指摘する迅も全員が全員、目尻が下がっている。


「剛くん、毛布ない?」と問うた舞も例外ではない。


「取ってくるわ。でも、風邪とか引くんか試してみたいけどね」


「鬼か。もっと妹に優しくしてやれ」


「ホント。憂ちゃんには特別優しくしてあげて欲しい」


 剛と舞から浴びせられた中傷は愛の背中へ。


「あー。はいはい。ごめんねー」


 何だかんだ言いつつ、愛も毛布を取りに動いていた。


 憂は、来年も家族の愛情に包まれる事だろう。






 ゴーーーーーーーン。



 30分後、憂は起こされた。

 年越しそばが待っている。食べたいと自分で言った。立花家に於いて、自分が注文したものは責任持って、自分が食べきる。これは外食の場合だが、もちろん自宅でも似たようなものだ。食べたいと作らせておきながら、就寝は出来ない。


「――――――――」


 憂は、ぼんやりと虚空を眺めている。

 考え事の最中……ではない。正反対の何も考えていない、が正しい。


「はい。お待たせー」


「憂? 先に……食べなさい」


「――――――――」


 姉の手によって父に配膳された年越しそばは、父から憂の前に。

 これから続々と年越しそばが届くはずだが、少しでも早くと思う父の思いやりだろう。


「――――――うん」


 反応の遅さが何倍にもなっている。眠気は簡単には消えないらしい。




 ちゅるちゅる。

 ずずー。


 いまでも憂は麺を上手に啜れず、変な音を出している。それでも、箸で押し込んでいくような外国人よりはマシだ。日本人として過ごした経験は憂の脳のどこかに残っている。


 テレビはチャンネルを変えられた。

 憂は何も、この年越しそばの為に起きておこうと思ったのではない。

 現在、視聴中の歌番組。年が明けた最初のCMの為だ。


『10! 9! 8!』


 手を止めた。この場の憂を含めた全員が息を潜めて、その時を待つ。


『3……2……1……A! HAPPY NEW YEAR!』


 テレビの音声と同時に姉、兄のスマホが鳴動する。憂のタブレットにも着信があったのか、ピコピコとLEDが点滅を始めた。

 毎年、毎年、負荷は増していっているらしい。某超有名異世界ファンタジーアニメの滅びの言葉と同様だ。きっといつか追いつかなくなるのだろう。


 そんな事は露知らず。


 憂はチュルチュルと頑張って麺を啜っている。蕎麦はもちろん、蓼園総合病院にて様々なアレルギーの検査も受けたが、ただ1つの問題も見付かっていない。脳はともかく、身体に関して言えば完全無欠の健康体。憂とはそんな少女なのである。


 その少女を起用した全国ネットのCMは、憂がちょうどソバを食べ終わった後に流れた。


「………………」


「………………」


「………………」


「………………」


「………………」


「――――おぉ」


 憂を除く5名は沈黙している。

 感嘆の声を漏らしたのは、1人だけだ。

 憂はきっと理解していない。迫力ある映像技術に呑まれただけだろう。よって、彼女の反応は参考にならない。


 今回、反応を窺うために黙り、観察する者が2人居る。父と姉の2人だ。彼らは完成したCMをあらかじめ見せて貰っている。姉のキーパーソンとしての復権は、総帥と2人切りで話した成果だ。


 姉を飛び越え決定する事は『もうない』と総帥は誓っている。


『もはや断行するような案件がない』


 若しくは姉さえもコントロール可能な状態となった。それとも、やはりキーパーソンの意見は大切だ、と思い直したのか。


 過去の総帥と秘書を顧みる限り、前者の方に寄っているのは確実だろう。


 本題に戻る。

 初めてCMを見た3名。母と兄と従姉は、その内容を反芻しているに違いない。




 ―――だだっ広い校庭のような場所で、白いワンピースに白い靴、白いチョーカー、白いリストバンド……。白ずくめの白い憂が真っ直ぐカメラを見詰めていた。

 対比する、吸い込まれるような美しい黒い瞳が印象に残る。


『ボクを知っていますか?』


 何度、撮り直したか分からない、流暢な第一声に対し、一斉に文字が踊った。どんどん画面手前に湧いては、憂に向けて進み、小さくなり、まるで憂の体に吸い込まれていくようだった。


【知ってるよ】

【いきなりの有名人だ】

【立花 憂】

【存じ上げません】

【奇跡の人とか?】

【『白の少女』】

【憂ちゃーん!】


 上記はごく一部だ。録画再生し、一時停止せねば読み取れない……。いや、停止しても読み取れないだろう数の重なり合った返答が憂に収束していった。


『どう思いますか?』


 発された甲高い幼児のような声にすかさず文字が踊る。


【可愛い】

【希望の星】

【元男で……ちょっと可哀想】

【色々大変だろうな。って】

【いや、聞かんほうがいい】

【天使?】

【ごめんけど……。やっぱ引くわ】


 どこで取ったアンケートかも不明だ。そんな説明は一切、最後まで見られなかった。しかし、中には佳穂ならばキレるだろう侮蔑の表現もコマ送りを繰り返せば、目に入る筈だ。

 そんな心無い言葉を吸い込んだ。全てを受け止めた。

 すると、真っ白(無垢)を表現しているであろう純白の少女の衣装が変わった。

 灰色だ。グレーのワンピースに切り替わった。靴もハイソックスも何もかも。


『研究のこと――。どう思いますか?』


 それでも問い掛けは続く。


【やめたほうがいい】

【ありがとう】

【色々と問題起きそう】

【したいようにするといいよ】

【モルモットでいいの?】

【人権を考えると……】

【私にとって希望です】

【感謝しかない】

【倫理的な問題をクリアしないと】


 ここでも様々なメッセージが投げ付けられる。

 やがてぶつけられた文字を吸収したかのように衣装は濃く。黒へと徐々に変貌していった。


『これって何ですか?』


 疑問符と共に小首を傾げた黒の少女にカメラがズームしていく。急速なズームであり、画面酔いしそうな映像だった。

 ……いつの間にか、自身の小柄な体の前に開かれた憂の両手の掌には【倫理】の明朝体が乗っていた。これはもちろん、合成だ。実際には肘を曲げ、手の平を上に向けているだけだ。


【え?】

【越えてはならない領域?】

【難しい質問だね……】

【常識みたいなヤツ?】

【わかんない】

【道徳】

【善悪の普遍的な規約】

【人の正しさ】


 曖昧なものから、明確な答えまで画面いっぱいに文字が踊る。それはまた憂に集まっていった。

 これは比喩だ。憂もこの『倫理』と言う言葉に突き当たった。だからこそ、見識を広げていった。


 新年早々。


 今もどこかで憂の『再構築』と『脳再生』により、議論が繰り広げられている事だろう。もしも老人が若返れる事が出来れば、人類は老いを克服する。

 だからこそ蓼園グループと連合体は、数々の国際的な機関より、研究を中止するよう勧告を受けている。


『倫理でやめていいんですか?』


 チョーカーが首輪に。

 リストバンドが手枷に。


 瞬間的に変貌した。


 鎖など存在しないが、憂を(いまし)める事で、その勧告を痛烈に皮肉った。


『問題ある研究って――こんなにあるんですよ?』


 憂の手の平から大量の文字が湧き出す。


【ヒトクローン胚】

【遺伝子操作】

【ヒト受精胚作成】

【キメラ胚】

【出生前検査による命の選別】

【二母性胚】

【iPS細胞】


 ほんの一部だ。読み取れない文字も数多い。


『……生きられる子もいるのに……』


 憂が悲しげに目を伏せた途端、画面が光り、少女の中から映像がパラパラと流れていった。

 とても、目で追える速度ではない。放送の終わった今頃、コマ送りしている者もいるだろう。


 生きられる子……。生きられるかも知れない子。

 ……蓼園総合病院にも入院している。先天性の疾患と闘う子たちが。

 一瞬の不注意による事故で命を落とす人たちが。


『研究はやめません』


『続けながら話しましょう?』


 ここでホワイトアウトしていった。

 更にトドメと謂わんばかりに黒い文字が(えが)かれる。


【蓼園グループは倫理の壁に挑戦します。】


【再構築しましょう。】


【世界に新たな倫理を。】


 憂の決意表明に続いて、グループの意思が示された―――




 時間にして1分半。蓼園グループ新CMロングバージョン。それは濃密で挑戦的なものだった。

 要するに、やりたいようにやるから、倫理とかで攻めてきても無駄だよー。それどころか応援してくれると嬉しいな!

 こんなメッセージが籠められているのだろう。


「これ、よく出来てるわねぇ……」


 早速、録画したCMを再生し始める母上殿に「頂いてるよ……? そのCMの全バージョンのブルーレイ……」


「「「………………」」」


 申し訳なさそうに切り出した父に、視線が集まる。憂はその時、目をグシグシと指を横に擦っていた。何となく言い出しにくい状況になってしまったのであろう父だが、さっさとそのディスクを出していれば、憂がグシグシする必要もなく、尻叩きも実行されなかったと思えば、業は深い。


「ほら……。これ、文字を読もうとして一時停止すると、憂がテレビ越しに見てるのよ。可愛いわ。憂の外見を上手く使ってるわねぇ」


「でしょ? 私も見せて貰った時、そう思った」


「……なんか照れるな。身内がCMに……。しかも全国版だぞ……」


「ホント。従弟がそんな事になるなんて思わなかったよ」


 スルーされる父が哀れだ。


「――ねる。おやすみ――」


 眠気の強い憂は、父の寂しい視線に気付く筈もなく、小さな背中を向けたのだった。

 タブレットは新年の挨拶が届いているよ! ……と、教えてくれているが、そんな事には気付きもしない。


「あ! 私も!」


 よたよた進む憂の後を舞が追う。


 ……一緒に眠る予定なのである。

 姉の許可が降りた事を妹は知る由もない。




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