247.0話 瀬里奈の憂鬱
「セナヒナコンビはどこに連れてくんやろ?」
「同じやないですかねぇ? 健太さんらと同じく、話したい事がようけあるんですわぁ……」
「俺だってあるんだけどなー」
健太たちを追跡していたメンバーは1人だけ入れ替わった。
勇太→圭佑に変更が成されている。存在感の有り余る勇太から、なかなかの存在感の圭佑へ。これもテストを兼ねているのだろう。
「圭佑さんは、これからも憂さんを追うつもりですかぁ?」
「……どうかな? わかんね。いつまで待っててもラチ明かねーし」
「それは如何なもんかと思うで?」
「康平さんとは価値観が違うだけよー。一途に追うヤツもいれば、弾数撃って勝負する俺みたいなのもいるわけ。付き合ってみねーと誰とピッタリかなんてわかんねーし」
どこか険悪なムードになってきているが、これはやむ無し。否定されれば意見をぶつけるしかない。人間とはそのような生き物だ。
「憂ちゃん、ここだよー」
「喜んでくれるか……分からないけど……。あったほうがいいと思うから」
口調に差異がほとんどなくなった瀬里奈と陽向。以前は少々、粗い口調だった瀬里奈だったが、陽向を手本に修正した為、こうなってしまっている。
因みに、後者が瀬里奈だ。ゆっくりだったが、配慮が行き届いていない。憂とのやり取りの回数の少なさが要因だろう。
「――ざつ――?」
「雑貨……」
「とにかく、入ろ?」
憂に触れられない奥手な瀬里奈の代わりに、陽向が憂の手を引き、入店する。
ここはO棟1階。1年C3組。商業系であるO棟、工業系であるT棟はややクラス名が特殊だ。もちろん、科が商業科、情報処理科など多岐に分かれる為である。
……とまぁ、不要な情報はさて置き……。
―――10分後。
「憂ちゃん、これ……?」
「あ! これも可愛いね!」
「おぉ――」
シュシュやらカチューシャやら試着タイム中である。
「――かわいい?」
「うん。可愛い」
「……かわいい……ね」
最初、喜々として、憂に似合うと思うものを試していった瀬里奈だが、憂が喜ぶ度に萎んでいっている。
今は、憂の小さな頭のやや後方、両サイドで髪が結ばれている。子どもがよくしている、あの丸いのが2つ付いたヘアゴムだ。クルクルと巻き付け、玉を引っ掛けるだけで結べる便利アイテムである。名称は不明だ。
「――これは?」
手に取った次なるアイテムはリボン。さっきから何気にノリノリだ。自己の可愛さを認識してしまった憂は、更に可愛くなり得るアイテムを好み始めている。
男子だと自認している筈なのだが、何故だかそのような傾向が生じ始めた。
その心理を想像するに、可愛い少女を鑑賞している男子……なのか? もちろん、鑑賞しているのは自分なのだが、こんな感じでしか考えられない。
「……ん? ……どうかな?」
言い淀んだ陽向。憂の髪の長さと変質が問題だ。憂の髪は相変わらず、肩の上、所謂オカッパくらいの長さに維持されている。
現在、愛が通っていた美容院の女性が切っている。今や愛と憂のお抱え美容師に近い立場にまでなってしまっている。思えば、この美容師はラッキーだ。相当のお金が懐に入っている事だろう。何しろ、憂の髪には価値があり、横流しされると困るのである。
閑話休題。
そんな髪の長さ。しかも細くフワフワだった髪の毛はストレート度合いが向上。それに合わせるかのようにコンディショナーなど、総取っ替えされ、どちらかと言うと、千穂のふんわりヘアー寄りではなくなってきた。
つまり、リボンをそのまま使おうとすると難しい。ゴムで結んで、その上に使用する形は何か違う感でもある……のか?
「……こっちは?」
瀬里奈が見せたのは、ヘアピンとリボンが一体化したものだった。セーラー服、胸当て部分に小さく咲く、校章同様の薄ピンクである。
それを2つ結びにされた後方ではなく、前髪の少し後ろ、やや震える手で左寄りに装着した。
……ヤケに似合う。
「……かわいい、ね」
「――そう?」
鏡を覗き込むと、綻んだ。
……どうやら本当に似合う事を知り、喜んでいるらしい。
「これにしよ……?」
「瀬里奈……」
陽向が心配そうに声を掛けた通り、彼女の瞳は涙を湛えていた。
少々、勘違いが混じっている筈だ。憂は男子を捨てていない……が、今の瀬里奈の目には、きっと憂が女の子に染まったように見えている事だろう。現に、女の子アイテムを明らかに喜んでいる。
……きっと、健太の『俺なら楽しむ』と言う言葉にも影響を受けている。
瀬里奈は憂の手を取った。思い切り。
躊躇い、戸惑い、全てを振り払って。
―――千穂と話した屋上。
ここで瀬里奈は千穂から『元々、女の子になった以降の憂とは付き合っていないんだよ』と聞いた。これはややこしい事情があるが、本当の事だ。
その前には、『なんでもっと自分を見て欲しいなんて事言ったの?』と初手から切り込んでいる。
瀬里奈にとって、憂が居ながらあんな発言。許せなかった。
千穂、憎し。
こんな感情が瀬里奈の中に渦巻いている事を察した陽向は、陰湿なイジメっ子気質が再発する事を恐れ、千穂と話すべきと諭した。憂と彼女たちの間で起きた一件を繰り返す訳にはいかない。これに瀬里奈は乗った。
『2度目は無いぞ』
総帥のこの言葉は学園長を介し、彼女たちの耳に入っている。
……そんな切り込んだ質問に対する千穂の回答。
『……みんな勘違いしてる。優とは……うん。付き合ってたよ。でも、それは昔話……なんだ』
そう言って、微笑んだ。儚く、哀しそうに見えた。そんな瞬間を目の当たりにした瀬里奈は、渦巻いていた怒りが急激に萎んでいった。
『憂は……。女の子になっちゃったんだ。もう戻れない……』
優を想っていた自分。千穂が先に告白し、2人は仲睦まじく過ごしていた。過度な接触はしていなかったが、中等部の園庭の端で弁当をこっそり食べていた事を知っていた。
1度、もう無理だ、と諦めようと努めた。
優の事故は決定的な一撃だった。荒れた。自分の感情を抑えきれなくなった。
……半年以上の期間を置き、優は亡くなり、反対に千穂は立ち直った。
憂の転入。障がいを抱えた謎の美少女の出現。
同姓同名の少女のお世話を利子に押しつけられたような形の千穂は、尽くした。まるで、優の代わりだと言わんばかりに。
利子が憂の世話を千穂に依頼した理由は、千穂を立ち直させようと言う、真心みたいなものだと思っていた。しかし、千穂はとっくに立ち直っていた。自分は見ていた。千穂を。
……許せなくなった。陽向にさえ伝えていないが、憂への攻撃は謂わば、千穂への当て付けだった。
事件を起こした。
無痛の発覚。酷い怪我。良心が疼いた。
……もう終わったと思った。
憂に赦され、自分を見つめ直した。
以降は梢枝の力を借りつつ、瀬里奈もまた立ち直っていった。
……時を置き、立花 優=立花 憂だと報道で知った。
結局、千穂は自分が可愛かったんだと思い込んだ。しれっと優の傍に居た。また憎悪が渦巻いたが、精一杯、自制していた。
まだまだ自分を抑え込んでいる時、ミスコンで千穂は言った。
『……でも、私は憂のオマケじゃありません。私も1人の人です。付属品じゃないんです。たまには私も見てみて下さい』
千穂と話し、この発言の意味を取り違えていた事を恥じた。
千穂は自分と同じ想いを抱えていた。
―――自分と等しく、優を失った存在だった。
『私はね……。これから違う人を探してみようと思ってるんだよ……?』
こう言ってふわりと笑った。
全てを覆い隠すような笑みだったが、瀬里奈にはその裏側が読み取れなかった。遂に吹っ切ったように見えていた―――
「憂ちゃん、すっごく似合ってたよ! ありがとう!」
商業科の女子に見送られ、雑貨模擬ショップを後にした。
憂は瀬里奈に買って貰った蝶々結びのリボン付きヘアピンを外してしまった。
これで歩くには恥ずかしいのだが、大切そうにポケットに仕舞い込んだ憂を見た。
瀬里奈は憂にお返しで買って貰った、装着中の陽向とお揃いの白いシュシュに触れる。
すると、大きなため息を1つ吐いた。
「……瀬里奈?」
「うん。千穂ちゃんが諦めた理由が解った。憂ちゃんは女の子になっていってるんだ……」
瀬里奈はあの屋上での千穂と同じように晴れ晴れとしつつも、どこか辛そうに陽向に笑顔を向けて見せた。
「もし、ね――? 男子になったら――何したい?」
O棟。雑貨屋さんの2軒隣りには、軽食屋さんが模擬出店されていた。
そこで本日2つ目のソフトクリームを舐め取りつつ、憂は例の質問をぶつけた。
「……もし、なれるなら……。好きだった子に……告白したい……」
「んぅ――?」
憂は小首を傾げ、じっくりと今、聞いた言葉を咀嚼する。健太たちと話した時にもこうなり、ソフトクリームが溶けていったのは、ご想像の通りだ。また店員さんが慌てて、お皿を持ってくる展開が待ち受けているのだろう。
「――え?」
どうやら気が付いたらしい。
男子になれたのならば、好きなのに諦めた子に告白する。その意味が。
かと思えば、何やら目を丸めた。
「える――!」
……驚きの表情だ。憂の勘違い発生。
彼女が勉強中のLGBT。その内のレズであると指摘してみせたのだ。
「…………?」
「…………?」
残念ながらいきなり『える』と言われても『レズビアン』には繋がらない。
憂の驚きに満ちた発言に2人が小首を傾げる面白い事態が発生した。
「……誰のせいですかねぇ?」
これは別の席に着く、護衛頭脳担当が小さく呟いたツッコミである。
「がんばって――!」
「う、うん」
憂は自身の事はさておき、性の悩みに一定の理解を示しているようである。
「私は……」
変な方向に向いてきた話を戻したのは、陽向だ。彼女は爆弾発言を続けてみせた。
「この子」
そう言って、瀬里奈に向き直る。
「危なっかしくて……男になったら……首輪付けておく、かな?」
「――んぅ?」
比喩的な表現は苦手だ。憂は右手で最近は付けてたり付けていなかったりするチョーカーに触れた。
……首輪だとでも思っているのか?
10時開幕の文化祭おかわり。
12時、C棟1年5組に2度目の帰還を果たす直前、6組の女子に話し掛けられた。
「あれ? 千穂ちゃんは?」
C棟の生徒の認識に問題あり。
彼ら、彼女らにとって、憂と千穂は一緒に居るのが当たり前なのだ。
「おひるから――いっしょ」
『お』が付いたのは、姉の教育の賜物だ。きちんと女の子らしい言葉遣いが出来ている。現在の愛の防衛ラインだ。徐々に戦線が後退しているが、憂も成長している。喜ぶべき事なのである。
それはともかく、人が増えてきた。6組女子がちょろちょろと憂の周囲に集まってきた。
その内の一名の言葉に、憂は強烈な反応を見せる事になった。
「拓真ー! 拓真――! どこ!?」
眉尻が上がっている。上がっていても尚、美麗なのは特権だろう。
「千穂ぉー! ちほぉー!?」
周りは見えていない。
『千穂ちゃんと拓真くんが一緒に回ってたから驚いたんだ。午後から一緒なんだね。良かった』
こう6組の1人が言ってしまった事から憂は千穂、拓真の捜索を開始した。プンプンと怒りを振りまきつつ。
千穂は、佳穂千晶と一緒に文化祭を楽しんでいる。
勝手にこう結論付けていたらしい。拓真に誘われても千穂がOKする訳がない……と。
とんだ我が儘だが、周りが見えなくなった憂の行動は、推測だが本能に基づいたモノだ。理性は働いていない。
よって、C棟を出るなり、大声で2人の名前を呼んでいる。生徒や児童、PTA。果ては一般の人にまで注目の的となってしまっている……が、今の憂には関係ない。
「憂ちゃん、2人なら……向こう……いたぞ?」
憂に優しい人は、いくらでも湧いて出る。
そんな機会こそなかったが、暴露直後であったとしても、こうやって手を差し伸べる人は多く居たのだろう。
「さっき、見たよ? 向こう行った」
指差す寒々しい中で焼きそばを炒める露店女子も。
「ん? 2階にいたよ?」
A棟の男子からも、親切を招き寄せ。
「あ。そこのお店にいたよ」
さしたる問題もなく、千穂と拓真の滞在する地に辿り着いた。
「千穂――! 拓真――!」
「憂……」
「あ? どうした?」
「――う? え――?」
どこかホッとしたような千穂と、不敵に問う拓真。
対する憂は、どうしたと聞かれ、我に帰ったのかしどろもどろだ。
冷静になり、自分が如何におかしな行動を取ったのか、理解したのだろう。
千穂は自分が振った。その千穂を誘い、文化祭を満喫する事に何ら後ろめたい物はないのだ。拓真にも千穂にも怒りを表す筋合いはない。
「わあったよ……。邪魔もんは……消えるわ……」
「え? 拓真くん?」
「うぅ――?」
理由は語らず。立ち上がった拓真は、コーヒーを飲み切ると、2人分の代金をテーブルに置き、さっさとドアに向かい……、振り返った。
「あぁ、そうだ。美優のヤツに後で時間……。作ってやってくれって伝えておいてくれ。憂予約ジャンケン。勝ったのにドタキャンは、ねーわ」
「ワイが伝えるわ。誰か教室おるやろ? メールしとく」
「ありがと。憂? 座って?」
「ぅ――うん――」
「どう言う事です?」
二手に分かれた護衛の片割れ、梢枝は拓真を追った。
彼の言動は不一致している。
彼は言ったはずだ。
本気で千穂を奪う。
千穂を自分が捨てた……と。
ところが拓真の行動は千穂と憂を近付け、戻そうと悪役になったものだ。
「……わかんねぇ」
「……はぁ。そうですかぁ……」
ツッコむ気も失せてしまったらしい。
……どうにも捉えがたい男なのである。
因みに、この日、行われた生徒会長候補者選挙は15時に締め切られ、即日、開票。
16時の文化祭おかわり、終了の放送と重ね、選挙結果速報が成された。
この中で特筆するべきは、C棟で圧倒的な票を得、首位選出となった東宮 桜子。これで生徒会に於けるC棟の代表と云う立場を獲得した。
この圧倒的な人気は、生徒会にて行われる生徒会長決定投票に大きな影響を及ぼすだろう。だが、柴森 文乃に続いてのC棟からの選出となれば、前例が少なく、彼女にとっては予断を許さない状況である。
人気をグングンと伸ばし続ける桜子。
彼女を敵と見做す榊 梢枝は、桜子を糾弾するには、材料不足と判断。この日、歯噛みしつつも、現生徒会による、生徒会長選挙本投票への干渉をしない決断をした。




