240.0話 文化祭おかわりっ!
―――12月27日(水)
遂にこの日がやってきた。
多くの男子生徒が待ちに待ち、ごく一部の女生徒たちにとっては来て欲しくなかったこの日が。
そんな少女たちの心とは裏腹に、よりによって晴れ渡り、放射冷却現象でヤケに冷えた朝だった。
現在10時すぎ。気温も段々と上昇し、なかなかの暖かい一日になりそうだ。天気予報も気温は10℃を超えてくるだろうと予想していた。
しかし、文化祭をおかわりするにはこの冬休みを利用するしか方法が無かったとは言え、やっぱり寒い。
後半がお流れとなった10月の文化祭当日の路線のまま、露店を出しているクラスは防寒具着用で寒さを凌いでいる。
そんな文化祭おかわり。
消え去った後半戦を取り戻す為なのか、一般開放されており、とんでもない客数を弾き出す勢いである。
これは蓼学にとって、注目を集め続けた恩恵だ。
何気に今年度、中止された体験入学やら説明会やら、この機会に蓼学を見ておこうとしている蓼学中等部外の中学生の姿も多く見られている。実は『再構築』の発覚以降、かなりの数の学校行事が中止となっているのである。だからこそ、この機会に蓼学を見学しておこうとしているのだろう。
そして、一時期、入学者数は初の前年度割れと見込まれていたが、状況は転じ、D棟完成分の生徒数増を超すだろう……と、予測されている。よって、転室システムにより、当初は余力を持って新年度が開始される蓼学。過去の受験成功率ほぼ100%だが、今回は、いくらか下がりそうである。さすがに来るものは拒まずの姿勢は貫けそうにない。
客層はもちろん、中学生のみには留まらない。遠方から駆けつけた中学生には、もれなく両親が付随している。他にも普通の蓼園人。他校の生徒。蓼学生の親・親戚。何やら嗅ぎ回る記者やら、好意的な記事を書く記者やら……。
何とか注目の人をひと目でも見たい接触したい人なんかも混じっている事だろう。
因みに、この日の一般開放時間は、本日は午後1時半までに短縮されており、一般の人は14時からスタートするミスコンを覗くことは叶わない。
全て生徒会の判断であり、集客数を顧みた時、正解だったと言える。何しろ、一般客の数が史上最高を超えるのは間違いなく、露店やクラスが出したショップなど、そこかしこが品切れを引き起こす勢いだ。とても16時までは持ちそうにないのである。
……が、これは単にミスコンの舞台に数多くの蓼学生を引き入れたく、一般客を混ぜ込みたくない裏事情も多分に影響しているはずだ。
無数の一般の人に紛れて、世界が注目する美少女・憂の兄であり、蓼学OBの剛も、このおかわりを覗きにきているようだ。
「お! 豚汁あるぞ!」
「ホントだー。食べよっか?」
まさかの彼女連れである。就職を決め、卒論をクリア。必要な単位も取った今、彼も彼女も暇なのである。
「列が長い……」
「……仕方ないよね。寒いし」
愚痴りながらも列の最後尾にきちんと並んでいった両名であり、この両者を陰で見守る剛の友人2名は「……どっかの棟に入れよ」「わかるわ。寒ぃのに……」と、もっと不満を露わにしていたのだった。
「うまっ……! 寒い中でこれは卑怯だよな」
「そだねー」
何気に2人が豚汁2杯を買った露店は、前回、串屋さんを出していたはずだ。その時は周囲に焼けた肉の香りを撒き散らし、人を集めていた。随分と商売上手のようである。
やや小柄な身長をカバーするかのように、高めのヒールの付いたブーツとトレンチコート。白いマフラー着用の彼女は、はふはふと里芋を口に運び、おいしそうに咀嚼。呑み込むと言った。
「妹ちゃん、どこかでお店番してるの?」
その言葉を聞くと、微笑ましく食べる様子を見守っていた剛の表情が硬くなった。
……毎回だ。毎回のように憂ちゃんに会わせて、家に行きたい……と、せがんでくる。
「……憂のクラスは人数少なくて、出し物はパスしたってよ。今回、憂はミスコンに出るだけ」
「え!? 行きたい!!」
「一般客は1時から随時、撤収。開催は2時から。無理だって」
「えー? 明日は4時まで開放するのに、納得行かないー。そだ。ミスコン参加者の家族枠で見せて貰ったり出来ないかな? 掛け合ってくれない?」
「無理だって。家族も見られねーの」
本当にしつこい。
剛は思い出している事だろう。
『俺、お前の彼女を疑っててなー。んで、マークしてたワケよ。そしたらやっぱりだ。あの子、連れの子らに言ってたぞ? あの子のお兄ちゃんに近付けば、色々と恩恵に預かれると思ってたのに、家にも入れてくれないってよー。悪い事は言わん。あの子はやめとけ。お前、モテるんだから他の子にしろ?』
友人はここまでしか剛に話さなかったが、これには続きがあった。
『私みたいな可愛いのが、家に連れてってって言ってんのにさー。童貞なんじゃない? チャンス逃すタイプぅ?』
『あんたそれひっどい』
『酷くない! 本当に抱かれてあげるつもりだよー? その報酬で髪の毛とか、唾液とか……。血……は、無理かなぁ?』
『金の亡者か。あんた。総帥に知られて消されても知らんぞ?』
『だからたらし込んでんじゃないの。お兄ちゃんが協力してくれたら余裕でしょ?』
『怖いヤツ。マジヤバい。手に入れたとして捌けんの?』
『そこはほら。色々と……ね? あー。血が欲しいわ……』
こんな会話を全て耳にした。だからこそ、何度も何度も彼女と別れるべきだ……と、諭している。剛がそれでも別れる気が無ければ、目の前で糾弾でもしてやるつもりだ。
この友人2名。本気で剛と憂の兄妹の心配をしているのである。
憂たちは、C棟1年5組の教室に引き篭もっている。
教室の外には、憂に興味津々の者も混ざっているかもしれない。脳再生の事実まで公表した彼女にとっては、今が人生で1番、行動を阻害されている時期なのだろう。
憂のそんな状況を顧みて、5組のクラスメイトたちは各体育館で発表されている、軽音バンドの曲やら、全国区の知名度である吹奏楽部の演奏やら、演劇部の舞台やら……。
スマホやビデオカメラで撮られたそんな映像を見せて貰っては、食い入るように見詰めている。
……かと思えば、興味のない華道部の出し物などには、とことん興味を示していない。その生け花に興味を示しているのは、むしろ隣の席に座る千穂のほうだ。またも華道部は、憂たちをテーマにした作品を出品しているらしい。普段は目立たず、引き立て役に徹する霞草を主役に据えた作品だった。因みに、それを撮ってきた瀬里奈は呪いそうな表情で、映像に感動する千穂を立ったまま、見下ろしている。
何気にこの教室を離れず居座っているのは、憂と千穂。拓真と康平くらいのものだ。
この4名を退屈させないよう、ひっきりなしに友人たちが出入りしている。
その出入り口を固めるのは、大人たちだ。一般開放された学園内、堂々と黒服が憂の警護に当たっているのである。
知らない人が5組を見れば、ヤの付く商売の模擬店でも出されているかのような光景だ。
そんな状況下なので、梢枝はフリーな時間を得た。
よって、2年生女子の捜索を開始し、ほどなく接触に成功した。。
頭脳を駆使し、推理する……事も無く、人海戦術である。蓼園氏の手の者は相当数、この文化祭おかわりに繰り出しているらしい。
文化祭期間中の為か、屋上は無人だった。冷たい風が吹き曝すこの場所を梢枝は選んだ。他のSPはここには居ない。C棟3階でやきもきしている事だろう。
「……いつ、制服を純正に?」
まずは軽くジャブを放った。以前、見た時の彼女の制服はアレンジされていた。赤いチェックのスカートが目立った時もあった。それが上下ともに白。梢枝と同じく純正制服をいつの間にか身に付けている。
「生徒会選挙に打って出ましたので……。私は立場上、負けられない立場なのです。反蓼園グループ連合の旗頭のような立場でして。私にその気はないのですけど……」
彼女は当初の文化祭で選挙の立候補者名簿に名前が載っていなかった。桜子は、生徒会に入学以来、所属していたらしい。この立候補は生徒会長の虚を突いたものだ。
通常、生徒会長候補者選は文乃が千晶に伝達した通り、締め切り後の追加立候補を容認していない。ところが、この桜子は名簿に名前を載せてしまった。生徒会長は生徒会に元々、所属している人から選出させたい。そんな生徒会の活動に勤しむ者の気持ちを巧みに突いた。千晶の時から時間は経過し、変わってしまった要望を文乃は抑えきれなかったのである。いや、抑えられないよう、桜子のロビー活動が功を奏したと言える。多数決に持ち込まれ、桜子は自身の立候補に成功したのである。
「生徒会長になろうと思った時、この白い制服は強力な武器になるのですよ?」
歴代の生徒会長の顔ぶれを梢枝は調べてみた事がある。
最悪、自分が生徒会長になり、権力を持ち、憂を護る為に。
その時の結果。
男女比は4:6で女性優位。その女性の中の半数以上は、上下白の制服を身に纏っていたそうだ。白のクリーンなイメージとそれに似合う容姿を持つ女子。候補者選に至っては、容姿端麗な純正制服女子の勝率が抜きん出て高かった。女子からの得票率はそこまで上がらないものの、ミスコンの代用品として、男子たちから扱われていたのだろう。現に裏サイトの過去ログを漁ればそのような情報に辿り着く。
「そうなんですかぁ……。知りませんでした。ところで何故、生徒会長選挙に?」
しれっと嘘を吐き、聞きたい部分に一歩踏み出す。敵は弁が立つ。油断をすれば一気に持って行かれる……か、遊ばれる。
「憶えておられませんか? 貴女に伝えた筈ですけれど……」
両手を口元に当て、はぁと熱い息で暖める。ここは蓼学で1番寒い屋上。そんなところに連れ出した梢枝に嫌な顔を見せず、付き合っている。
選挙活動の一環か、それとも裏に何かを潜ませているのか。梢枝は相手の意図が知りたい。
「私も正義の味方がしたくなりまして……ですか?」と、一言一句、間違う事無く伝えてみせた。
それはC2-4を訪ねた時の事だった。
誂われている。舐められている。そう思った。
梢枝が東宮家を訪問する。約束はこの日の内に違えられた。嫌な思い出だ。
「私の言葉の全てを覚えて下さっているのですね。光栄です」
そう言って嗤う桜子に梢枝は一瞬、黙した。すると敵は好機と見たのか、「でしたら、私の言動の全て。貴女にもあの子にもマイナスな事をしていない事、記憶なさっているのでしょう? 記憶力に絶対の自信を持っておられると伺っておりますので……」と畳み掛けてきた。
舌戦だ。桜子は遊んでいる。梢枝は探っている。
剣呑な空気が流れたが、そんな空気を梢枝は無視を決め込む。
「これからもそうだとは限りません。桜子さんは何故、4人をけしかけました? 何故、猫殺しを?」
一気に踏み込んだ。何か掴んだのか、それとも単にじれただけか?
「私が? 何故、そのような事を?」
桜子は奥二重の目を見開いてみせた。さも心外とばかりに。
「貴女に協力する理由がないからです」
「……そんな弱い理由で真犯人呼ばわりですか……」
如何にも悲しげにまつ毛がわななく。
これまでを顧みてみよう。
直接の接触は梢枝からだ。猫のイラスト入りの無記名の封筒を桜子は下駄箱に投じ、梢枝はこれを挑戦状と捉えた。
以降、梢枝は彼女について調査を開始。当初、問題にしたのは猫の数。多数の猫を引き取っているにも関わらず、自宅に少なく、別荘にも居なかった。そこで梢枝は、彼女も猫殺しだと推測した。
時を置き、康平に再接触したのは桜子のほうからだ。脅迫状の犯人は3名ではなく、4名である……と。これは蓼園も警察も握っていなかった情報だ。このお陰で1人も漏らすことなく補導に至った訳だ。
……つまり、彼女は微塵にも真犯人と呼ばれる立場にはない。
「ミスコンに立候補されたB棟の候補者、O棟の候補者に良からぬ噂が流れております。これも貴女ですえ?」
「……どうしてですか?」
遂には目元を拭った。完全に、無実の罪を糾弾する梢枝が悪である構図だ。事実、そうなのかもしれない。それでも梢枝は抜いた刃を納めない。
彼女は待っている。敵がボロを出す瞬間を。
……いや、それはもう毛の先ほどだが、敵は晒した。
梢枝は正確無比に『私も正義の味方がしたくなりまして……ですか?』と問うた。通常ならば、この助詞は『を』が正しい。正義の味方ではない、間違いなく悪と自己認識している桜子が正義を演じようとする為に生じた齟齬であろうと、梢枝は考えている。
問いに対する桜子の答えは『私の言葉の全てを覚えて下さっているのですね』。
これが意味するのは、桜子もまた驚異的な記憶力を有しているであろう事実。一言一句を記憶し、両者は対決している。
桜子がこの護衛・頭脳担当に絡んできた理由は、純粋に楽しみたいと言う欲望と、憂の体への興味。もしも『再構築』を繰り返す事が出来るとすれば、猫をいたぶり殺す猫殺しにとって、これ以上の玩具はない。
その場合、危険過ぎる存在だ。梢枝の執着の要因はここにある。
「生徒会長になり、何をなさりたいのか……。興味もありませんが、選挙には有利に傾くでしょう?」
「確かにそうですが……。でも私はそんな不正など……」
この日の邂逅。結局、桜子は尻尾を見せず、ただ単に1年生の梢枝が2年生の桜子をいじめているような展開に終始したのだった。
再び5組の教室内。
憂たちは、昼ご飯を食している。
何気に昼ご飯は選びに選んだ逸品だ。クラスメイトたちが実食し、感想を頂き、1番評判の良い物を買ってきて貰った。実に良いご身分とも言える。
憂は、割り箸で少量の昆布の佃煮を摘むと、小さな口に放り込んだ。すぐさま、ご飯を掴もうと箸を使い捨て容器に入ったご飯に。不器用な右手では、なかなか上手く行かず、脇に控えていた明日香が憂の口に少しのご飯を運んだ。
もきゅもきゅ。もきゅもきゅ。ごっくん。
「おいし――」
和む。周囲が。具体的には千穂、佳穂、千晶、明日香、瀬里奈と陽向だ。
男子勢は再三、戻ってはくるが、今現在、拓真と康平、凌平、ついでに樹くん以外は不在である。
これはA棟の3階で明日香が樹と一緒に実食し、紹介した。ほかほかご飯とご飯のお友セットである。何気に渋いチョイスだが、千穂も拓真も康平も。教室からトイレ以外にお出掛けしていないメンバーも満足そうに平らげていっている。
続いて、海苔の佃煮をご飯に乗せた。賢い方法だ。これならば、箸を少し冷めた元ほかほかご飯に慌てて伸ばす必要がない。
憂の頬やら、顎やらにご飯粒でも付けば可愛らしいが、生憎、そんな気配はない。付いたとしてもすぐに誰かが取ってしまう事だろう。
……外の事など露知らず。5組は今現在、平和そのものである。
外では口論が起きていた。
お昼となり、サンドイッチを提供する軽食屋さんに剛と、彼女の樹里が入った。注文を終え、サンドイッチが届いた頃になって、彼女は『トイレ』と言い出した。
彼女を見送り1分後。スマホが着信音を発した。剛に散々、別れるべきと諭していた友人からで、『1階に降りていった』と伝えられた。
C棟の1階。樹里は5組に近づく事も出来ず、剛の友人その2に止められた。
そこで剛が追い付き、詰め寄った。
『どこに行くつもりだった?』
『何度、お願いしても妹ちゃんに合わせてくれないから』
『ダメだっつたろ?』
『……むかつく』
『なんて?』
『むかつくって言ってんの! このシスコン! 弟か妹か知らないけどさ! どれだけ大事なワケ!? 変態なんじゃない!?』
遂に本性を現した彼女に『2度と俺たち兄妹に近づくな』と別れを告げたのだった。
トボトボと蓼学の敷地を後にする大学4年生3人組。
「……剛? だから言ってやってただろ?」
「あー。結構、マジだったのに。くそっ!」
悪態を付いた剛の肩をポンポン叩き「今日は飲み明かそうや!」と、樹里の調査を行なった友人その1の言葉。
剛は久々の彼女を失うと同時に、友人2名を親友に格上げさせた事だろう。




