236.0話 従兄妹同士で
―――12月16日(土)
キッチンから戻り、長毛の絨毯の上、胡座を組むと早速、「ほいじゃ、始めるか?」と切り出した。
「そうですねぇ。結構、多いですえ?」
殺風景な部屋だ。物が少ない。
この従兄妹はいずれも部屋が物淋しい。
面白いのは、片や汚したくないから。片や必要ないから……と、理由が異なるところか。
「お前……。また変な京都弁出とるぞ?」
従兄のツッコミに梢枝は苦々しく笑ってみせた。無理をして口調を変えている事は、何度も何度もお互いに突っ込み合ってきた。
「もうええですわぁ……。中途半端に混ざるよりは……」
立花家と漆原家の引っ越し以降、梢枝と康平は夕食を共にする機会が増加している。
2人が護衛対象に置いていた立花、漆原の両家は、蓼園綜合警備の警護下に引き継がれた。有り体に言えば、彼らには多くの自由な時間が生まれたのである。
過去には3日に1度くらいの頻度で情報を共有していたが、現在は毎日。それも可能な限り、こうやって顔を突き合わせるようになっている。
「ふうん……。まぁええよ。俺は最後まで抵抗するからな」
康平が作った固く拙いハンバーグは既に胃に収まり、食器は流しに置かれたままだ。梢枝は一切、片付けない。片付けようか……などと問う事は無く、据え膳を食らうのみである。
「お好きにどうぞ……」
2人の距離が随分と近付いたように感じるが、共にバスケを修めていた頃に戻ったくらいの物だろう。もう少し踏み込めば、お前ら付き合っちまえレベルに上がる。
康平と梢枝は従兄妹同士。結婚しようと思えば、法的に可能なのだ。ところが、残念ながら特殊なイベントは何も発生していない。
「俺からいくで?」
「どうぞ」
一瞬、畏まった言葉遣いに顔を顰めたが「昨日の話はもうええな?」と気付かなかったフリをしてみせた。
「はい。今日の話だけでええです」
昨日の話とは拓真が千穂に告白したらしい……。と、言うものだった。梢枝はこの情報を得ていたので、何も驚く事もなかった。
「今日は特に動きのない一日だったわ。敢えて言えば、今日も愛さんからメッセージが届いたくらいだ」
「……今日はチャットだけで済んだんですかぁ……」
この頃の愛は少々、情緒不安定となってしまっている。
今まで、憂の為に仕事を早退し、職場を変え……と、憂の為の行動が目立っていた愛だが、それがピタリと止まった。
愛する妹本人が蓼園商会寄りとなり、自分の手から離れていってしまった状態なのだ。なので直接会ったり、電話が鳴ったり……と、何気に忙しい。
「気持ちは分からん事もないですけどねぇ……。なして康平さんに?」
「よー分からん。誰かに聞いて欲しい。でもなかなか相手が居ない。近いような遠いような俺がちょうど良かったんだろ」
「良かったですねぇ……」
冷たい目を向ける従妹に「そんなんないわっ!」と抗議し、余計に怪しまれる康平だった。
「それで何か言っておられましたかぁ?」
この問いには、雑談は含まれない。何か重大な事を聞いていないか、だ。
「最近、憂さんが1人で風呂入るようになって寂しい言うておられたで」
惚ているのか、素なのか……。さして重要で無さそうな情報が出てきたが、梢枝にとっては違ったらしい。どこか遠くを見るように「……そうですかぁ。遂にお風呂も自立……」と呟いた。
彼女はきっとこう思っている。『一緒に入る事が出来なくて残念』と。
1人入浴に関しては、立花家が自宅から離れている間に、微改築したのが大きいだろう。お手洗い、浴室、階段の上下、憂の部屋……など、要所にボタンが取り付けられたのである。
そのボタンはナースコールが押された時と同様に家中に響く音を発する。ナースステーションのような集積する部屋はないが、一軒家レベルならば十分な機能だろう。
憂が家に一人ぼっちでお留守番。こんな事態には、まず陥る事がない。
「そろそろ泡の洗顔が必要かどうかも聞かれたぞ? 俺に分かるわけないけどな」
「まだ必要なさそう……と言うより、そちらの専門は病院ですわぁ……」
憂のぷにぷにほっぺを想像したのか、今度は目尻がだらしなく下がった。
「……それもそうか。他に標準体重に乗りそうで乗らないって。食が細くて困る「それも病院ですねぇ……」
「…………」
「…………」
『護衛として必要な情報』が出ず、言葉を被せてしまった。憂のあれこれは精神衛生上、よろしくない……ではなく、この従兄は頭が悪いのか……、思考はこっち寄りと思われる。とは言っても、最初の『1人でお風呂情報』も2人の負っている任務に関しては必要ないのだが、そこはそこ、なのだろう。
2人の任務について。
康平にとっての憂。彼女は護衛対象者ではなくなった。依頼者となったのである。
普段は新たなターゲットである、クラスの友人たちとクライアントを護り、必要があれば、その都度、憂の指示に従う……と、云ったものだ。
それに対し、梢枝は以前からの契約の形を堅持している。いや、契約の内容は改められているのだろう。憂が学園から離れ、公的に動く時、彼女は毎回、同行しているのだ。そんな付き人やマネージャー的な動向から、自宅外に於ける憂の警護全般を引き受けているものと思われる。
「憂さんの自立度が上がってるみたいで、寂しいんだろうな……」
しみじみとした物言いが印象に残った。
「そうですねぇ……。子どもも成長すれば、いつか親の手を離れます……」
そんな愛の感傷は、時に冷たさを身に纏わせる和風の女子にもよく理解できたようだった。
「せや!」
「……せや」
「そうだ……。何か、剛さんの元気が目に見えて無くなってきてるらしいわ」
油断すると出現してしまう関西弁を修正。わざわざ言い直すと、梢枝が反応を示した。目の色が変わったと言えば言い過ぎだが、「……そう言う情報が欲しいんですえ?」と食い付いた。
「いや、お前……。その剛さんだって、憂さんが手を離れて寂しいんとちゃうか?」
「……仲を回復させた言うても兄と妹。しかも6つ離れているんですえ? 適度な距離感があるんですわぁ……。そう感じていませんでしたか?」
補足すると、憂は類を見ないほどの美貌の少女。他人に見える気遅れはなくなったとしても、大学生を終える剛と、まだ高校一年生の女の子。家庭によっては仲良くいつも一緒かもしれないが、その率のほうが少ないはずだ。
「そりゃ……まぁ、なぁ……」
「愛さんにどうしたのか問うて貰うたほうがええかもしれませんねぇ……。剛さんが彼女を作りはったのは、『再構築』暴露後よって、その彼女さんも輩かもしれませんわぁ……。少しも気にしておりませんでしたねぇ」
「あぁ……。それもそうか。メッセージ送っとくわ」
「そうして下さい。他には?」
「憂さんのまふ……!」
「……まふ?」
「……いや、なんでもない。そんなとこだ。たぶん」
最後に付いた余分のひと言を聞くと、小学生時分、カビパンが机の中から出てきた子を見るような目を向けたが、これ以上は無駄と判断したようだ。これはきっと、いつもの事なのだ。康平は口下手ではないが、説明に難がある。
「それでは、ウチからですね」
「ほい。聞こう」
「……メモないと用意せんでええんですか?」
「んなもん要らんわ。舐めとんのか」
ここまでの遣り取りから、メモを取れは言われても仕方がない気がするが、梢枝は「まずは銃弾の偽物を送ってきた脅迫犯4名です」と、話しを始めた。大丈夫なのか……と思うが、意外とこの従兄への信頼度は高い。そのまま進めるらしい。これもいつも通りの慣習なのだろう。
「その4名に大雑把過ぎる指示を出した、上の1名は内偵中です」
どこか愉悦混じりの表情に見えた。彼女の場合、敵と認定した者にはとりわけ厳しい態度を示す時がある。男性の場合に多い気がするが、気のせいではない筈だ。
「……その内偵調査って何とかならんのか? 早く捕まえればいいだろ……」
「その辺りは康平さんのほうが詳しいでしょうに……」
「緊急逮捕……。現行犯とは違い、通常逮捕にあたっては確実性が求められるから……。でもなぁ、その期間、犯人は好き勝手に過ごしてんのや。犯罪被害者の気持ちなんぞ考えず、のうのうとなぁ……」
「仕方ありません。冤罪は問題外ですが、逮捕からの聴取……。一連の流れで、さも真犯人のように報道……。人権を、と言われるのも仕方ありません」
「だから、その報道がだな! ……って、話変わっとるわ」
「えぇ。康平さんが逸してしもうたんですえ?」
「そら、スマンなぁ……」
……あくまでこの2名の考えである。
「遥さんの部下が補導された4名に指示を出していた輩と接触しました」
補導された4名……について。
千穂たちクラスメイトに語った『いたずらだった』は、真実とは異なる。だからといって嘘ではない。この辺りは真面目に生活する者と、半分裏稼業に身を置いた2人との差だろう。馬鹿正直ではやっていけない。
「……内偵捜査中。ええのか?」
「警察内部にも総帥一派がおるんちゃいます? 知りませんわぁ……」
ほとほと呆れたと顔が物語る両名だったが、「それで?」と康平が更なる情報を求めた。
「そこで途切れました。その男へ指令を下した者には辿り着きません。そこまでの必要性もありません。何が潜んでいるか分かりませんからねぇ……。その男が受けた指令は憂さんを攫う機会を作れ……だったそうです。
その男の本気度は低く、お金を握らせた4名に指令を丸投げ。例の4人は自分たちで考えた結果、クラスメイトを剥がそうとあの脅迫状に至った訳です。
故に、相手の本体は本気じゃありません。成功すればラッキー程度の考えでした。ですので、本気で追跡すれば危ない連中と、不必要な一戦を構える覚悟が必要になってしまいます。それはウチらみたいな学生……。弱者がいる以上、得策ではありませんからねぇ……。お互いのダメージが少ない内に手打ち……と、云った処でしょう……」
未成年者であった事。これ以上の事態の拡大を嫌った事。否が応でも、世間の目がまたもや集まる事。単に使われる立場だった事。
こういった事情を加味し、統合すると『いたずら』という事にしておいた。
これが真実である。無論、警察は脅迫状の送り主を補導した以外、何の発表も行なっていない。拡がるのは、梢枝が言ったいたずらのみだ。
「んで……。適当に考えた上で脅迫して、警察がチラホラし始めて困ってた4人が何でナイフ忍ばせとったんや?」
あの部長が直前で彼らの凶行を妨げた件だ。こちらは警察沙汰になっていない。被害届を提出していない。
「それに関しては彼ら4名、いずれも口を開きません……。けれど、あの間抜けな脅迫状以降、これから芋蔓逮捕される首謀者かっこ笑いは、自分は関係ないとばかりに一切の接触を絶っておりますので……」
「そいつの指示じゃない……?」
「えぇ……。そうでしょうねぇ……。ウチの勘はあの猫娘だと告げてるんですけどねぇ。猫殺しからも4人からも一切、東宮 桜子の名前が挙がりませんわぁ……。よっぽど、脅しているか巧みに人を使うのか……よう分かりませんけどねぇ……。B棟2年のミスコン立候補者に変な煙が立ち込めているのも、あの桜子さんでしょうし……」
「……それも勘、か?」
今度は梢枝に呆れ始める康平。これだけ勘で済まそうとすればそうもなってしまうだろう。しかも、相手は『保護した筈の猫が家や別荘から一時的に居なくなった』『ドアの向こうで笑った』と梢枝から聞いているだけの存在であり、全くの潔白かもしれないのだ。
「ウチら……。いえ、ウチを躍らせて遊んではるんやわ」
むかつくわぁ……と、悪態を突こうとしたが、康平の手が動き、そのお陰で言葉を飲み込む事に成功した。
その康平はスマホを操作する……と、「はは……。これは困ったわ。どうすりゃいい?」と画面を向ける。
愛【憂が髪をめっちゃ切りたい言ってるんだけど……。これはさすがに止めていい?】
「……これは……。どんな心境の変化なんでしょうねぇ……。今日は総帥さんのところでの謁見が終わると、LGBTの団体さんのところに行って、色々話を聞いておられたので……。ご自分が『T』に当たるかもとか、思いはったんでしょうねぇ……」
「そうやなくて」
梢枝が言ったのは、その思考へ到達するに至った経緯の推測である。
「ウチは嫌です」
「お前な……」
康平さんの表情が強張った。少し、怒り始めたのかもしれない。だとしたら快挙……だが、そのまま穏やかな……。だけどいかつい、いつもの康平に戻ってしまった。
このメッセージにに対して『どうすりゃいい?』と聞き、返ってきたのは自分の希望……。少しくらいムッとするだろう。しかも2度目のはぐらかしだ。
「この文面……。愛さんも嫌なんです。それは康平さんでも分かりますえ? 止めていいと返事しはったらええでしょう? それとも憂さんが最悪、角刈りレベルまで髪を切ってもええと?」
ここにきてようやく想像してみたのだろう。しかめっ面に一瞬で変化した。
「……嫌だわ」
「でしょう? ほら、早う返信しぃ!」
「はいはい。ちょい待ち」
従兄の手が動き始めたと同時に、鼻筋通った美女の表情が弛んだ。普段、憂たちと絡む以外では全くと言って良いほどに見せない顔だ。
「愛さんの文面……。なんや、えらく親しげで何よりですわぁ……」
「ちゃう! ちゃうぞ!?」
「そうですかぁ? 護衛対象者とその家族から、依頼者とその家族に……。ターゲットの場合、問題大有りですけど、クライアントなら余り問題ないんやないです?」
煽る。煽る梢枝の口許が実に楽しそうに吊り上がっていく。
そんな従兄いじりに興じる従妹の姿を見る事なく、スマホ画面を見詰め何やら考え込む康平なのであった。
その後、この情報共有の時間が再び動き始めたが、まとめさせて頂く。
脅迫状の送り主である4名は、国家権力の下に補導となった。
この補導を受け、学園は無期限停学を発表。1名だけ混ざっていた3年生からして見れば、事実上の『もう学園に来なくて良い』とも謂える重いものだった。
だが、部長の必死の一喝がなければ、もっと事態は深刻化……どころか、取り込まれかけていた変な組織との繋がりから足を洗う結果となり、感謝こそすれども遺恨を残す可能性は低いだろうと言う事だった。
更に重要な1点。千穂と憂とを引き裂こうとする動きに関して、梢枝は秘書に問うたそうだ。
その時、遥は『一時的な事となるよう祈っております』と梢枝に怒りを植え付けたかと思えば、『全てをお任せください。あの方は憂さまにとって悪いようには決して致しません』と言い切ったそうだ。
しかしながら今現在の総帥は、秘書の言葉とは正反対の動きをしており、梢枝は『いつも含蓄ある話し口で嫌ですねぇ……』と、同類を嫌う素振りを見せた。かと思えば『これからその意味を考えてみますねぇ……』などと言い、その裏やら裏の裏やらを炙り出す気配を見せた。