233.0話 チャンス到来?
―――12月10日(日)
【注目の蓼園市市長選は無所属で出馬の鈴木 慈子さん、蓼園グループ支援受け、圧倒的優位な情勢】
スマホの画面に表示されたニュースの見出しを、白くしなやかな指がタッチした。
【本日、投開票される蓼園市市長選挙は、立候補者8名が乱立する選挙戦が展開された。
前市長の辞職理由となった戸籍偽造問題を受け、かねてから予想された通り、人権問題が争点となっている。
その中でも、遅れて立候補を表明した鈴木 慈子さん(59)が蓼園グループの全面支持を受け、圧倒的優位に立っている。
元々、蓼園商会の強い地盤が背景にある地域であり、前職に続き、蓼園商会の支持がそのまま選挙結果に繋がるだろうと大方の見方だ。
鈴木 慈子さんは、戸籍偽造問題の中心にある立花 憂さん(16)への強い支援を公約に掲げており、市長となればこの戸籍偽造問題は終止符を打つ事になると息込んでいる。】
そんなWEB記事を面白くなさそうに眺めた梢枝は、スマホの画面を黒に戻すと、形の良いお尻を壁から離し、タイトな黒ジーンズの後ろポケットに仕舞い込んだ。
そのまま物思いに耽る。
前日、本居家から出てきた憂は意気消沈していた。決して心在らずと云った状態では無かったが、元々少ない口数を圧倒的に減らしていた。
『梢枝――康平――ごめんね』と呟き、三軒隣の立花家までの短い護衛に申し訳ないと伝えたのみだった。
到着後には、『ばいばい――』と、小さく手を振り、儚さを倍増させていた。
その後、拓真に話し合いの結果を聞こうと足を向けたが、猛烈な勢いの美優に追い抜かれた。直後、『お兄ちゃん!! 憂先輩に何したの!?』と外まで漏れる声を聞き、断念した。
そんなこんなで本日、拓真への聴取に訪れたのである。
梢枝単独で訪れたものの、拓真はベッド上仰向けで天井を眺めたまま、一向に口を開かない。
「………………」
「………………」
梢枝も先程は手持ち無沙汰にスマホを開いてみたものの、話し掛ける事もなく、よく椅子に苛められる壁を背に佇んでいる。
「………………」
「………………」
喋ったら負け。そんな勝負をしているかのような沈黙は、梢枝の笑みにて終了した。
壁から背を離すと、コンコンとノックしてみせたのだ。
「……美優の奴、聞き耳か……」
「気になりはるんも仕方ないですえ?」
壁を見詰める目は優しいものだ。過去、憂への告白の意思を示した美優にその意思を挫くような態度を取ったが、何だかんだ言っても可愛い中学生の後輩なのであろう。
「あいつもこいつもめんどくせぇ」
「……そろそろ昨日どうなったか、教えて頂けますかぁ?」
梢枝と康平のスマホには一昨日、メッセージが届いていた。
あの未だ名前のないアプリを使い、【心配はいらない。もしあいつが大声出しても放っておいてくれ。】とメッセージが送信されていたのだ。
そこまでの情報を得て、悟れない彼女ではない。
憂との対談。その話の流れで、男子との交際の可能性がないと諭すつもりなのだろう、と。
梢枝も憂の外に向いた姿勢。そう仕向けている総帥の意向には疑問を持っている。
千穂との関係は曖昧ながら上手くいっていた筈だ。
長い目で見れば……。
せめて高校生活あと2年と数ヶ月。この内に結論を出せば問題なかったと思っている。
だからこそ、拓真の方向性……。流れに身を任す事無く、千穂と憂を再びくっつけようとする態度は好ましい。
「あー……どっから話しゃいいんだ……?」
動きは無い。頭の後ろに組んだ手を枕に……。正確には枕の上だが、そんな姿勢で足を組み、ようやく話そうかとした時、「ちょっと待って下さい……」と、小声で止めてしまった。どうにも話が進まないが、この両者は憂のグループメンバー。なので、仕方のない事……なのか? まぁ、今に始まった事ではない。
再び、背を預けていた壁から、そっと離れると、もう1度、今度は強めに1度だけ、バンと手の平で叩いてみせた。
「ひゃっ!」
……またも盗聴していたらしい。
「美優! お前、ちょっと来い!!」
「……ごめんなさい」
「堂々と混ぜろ言やいいだろうが」
兄の怒声からたっぷり3分ほど掛け、部屋をおずおずと訪ねた妹は、平謝りだった。
憂との話の際、遠ざけられた理由がよく分かった事案である。
やってしまった理由は、憂が絡んでいるからだろう。普段はしていないと信じてあげたいものだ。
「はい……。あたしも混ぜて下さい」
梢枝は少々、驚きの様子だ。
憂の気の抜けた姿を見て以降の考えは、憂の目を千穂に向けさせようと説得し失敗。次善の策として、男の怖さを力を用い、植え付ける事により、諦めさせる……。
そこで、解放された憂は放心状態のまま、本居家を後にした……だ。
「……構わへん……のですかえ?」
「あぁ……都合がいい。美優、お前にもチャンスが巡ってきたんかもな」
「え? どう言う事……?」
ちんぷんかんぷんな美優を放置し、のそりと体を起こす。一連の動作で両足をベッドから降ろすと、自然に昨日、憂が座った位置に腰掛ける形となった。
「けどよ。成功すりゃ、女先輩たちとの関係はぶち壊れるかも知んねぇ。そこは肝に銘じとけ」
「……わかった」
一方、その頃、千穂の漆原家には佳穂と千晶が馳せ参じている。この頃、千穂は2人を自室に案内していない。妙なアイテム群が引っ越しの際、紛れ込んでおり、佳穂に漁られると困るのである。
ここでは、点いているだけのTVが虚しく響いているが、そんなものだろう。
4人は、繋がっているリビングから漏れるテレビの音量に負けじと、楽しく語らっている。
千穂と憂が付き合っていない事になり、引っ越し……と言うか、この家に戻って以降、よくこうやって、親友2人が姿を見せるようになっている。佳穂千晶の2人は千穂が心配で堪らないのだろう。
ついでに、今、4人が座っているのはダイニングの食事テーブルである。2人だけの家族だが急な来客に備えてか、元々、四脚の椅子が置かれているのだ。
「私は……。やっぱり怖かったよ? 最初は訳が分からなかったな……」
楽しい会話は一段落付いてしまっているらしい。先ほどまでは懐かしい文化部巡りについて語らっていたが、『再構築』発覚時の話に突入してしまっている。
「それは……ぶっちゃけ、あたしもだー。やばい! 思ったもん」
「そう? わたしは何かあると思ってたから。これかって感じだったけど」
千穂佳穂の2人がピタリと止まった……かと思えば、「お父さんはどうだった?」と千晶の発言にスルーを決め込む。
「そだねー。大人の意見も聞いてみたいかも。早々、こんな話出来ないしー」
完全に流された千晶は表情を固くしてしまった……が、「確かにそうですね」と2穂の暴挙も流す事に決めたようだった。
……女子高生3名……。しかも1年生の目が集まった若く見える優男は……黙った。
「……お父さん?」
「え、え~っと……。実は知ってた」
「「「え?」」」
一瞬だけ誠人さんはたじろいだが、以降は大人としての余裕を見せて語りだした。
「僕も本居さん……。拓真くんのお父さんも教えられたんだよ。きっと拓真くんのお母さんも知ってた。
ほら? 千穂? 憶えてない? キャンプの時、僕たち3人で釣りに行ったでしょ? その時に憂ちゃんのお父さんから聞かされたんだよ。
知っていても初めてあの画像を見た時は……目を逸らしたくなったけどね。それでも、何も知らなかった千穂たちよりは冷静に物事考えられたんだ。
何も言わなかったけどね。千穂の事、信頼してたから」
「……呆れた」
口調も表情も本当に呆れたと言わんばかりの物だったが、怒ることもなかった。
アレの発覚以降の父の態度は、千穂を本当に信頼しているかのようなものだった。これが千穂からの大きな信頼に繋がっているのだろう。父は株を大きく上げた訳だ。
「呆れられても困るけどね。子どもたちには絶対内緒。これが約束だったからね」
佳穂と千晶も怒る風でもなく、じっと聞き入っていた。
あの画像の影響は計り知れない。まだ、子どもである2人にも大人たちが隠してきた理由はよく解るのだろう。
「ところで……さ」
「なに?」
父の優しげな瞳は、大切なひと粒種を捉えたままだ。
「夢。お母さんの夢は本当にもう気にする必要ないから。千穂は千穂の思う通りにすればいい。僕を1人にしなければ、だけどね」
にっこり。最後に入った冗談か冗談でないか解らない発言だが、相手として憂を差していた場合、彼女は戸籍上、立花家の次女。性別にこそ問題はあるが立花家を継ぐ存在ではない為、冗談めかして改めてそう伝え直したのだが、娘と友だち2名はどうにも顔を暗くするのみだった。
「渡辺くん。すまんな。休みに呼び立てた」
蓼園市の中心。蓼園駅の横に鎮座するホテル内に、男性2名、女性1名の姿があった。
「いえ、問題ないですよ。大事な話ですからね」
きっちりと揃えられた分厚い書類。そんな紙の塊を腰を折り、両手で丁寧に差し出した。
柔らかなチェアに背を預けたまま、横柄とも受け取れる態度でその男は書類を押し返した。
「待ち人が来ぬ。早々に来るものと買い被っておったかも知れん」
底の知れぬ深い黒の瞳孔は眼鏡の男を見据えたままだ。
「え? 来てないんですか? 来ていない訳が無いでしょう」
薄笑いを絶やさぬ男は背を伸ばすと、もう1人の男から顔を背け、姿勢良く、横柄な男の傍に控える女性に向けた。
「連合体は公式な接触を排除しております」
ハイヒールで真っ直ぐに佇む女性は、感情の篭もらぬ、余りにも淡白な物言いで救いの目を向ける男にヒントを与えた。
「あー! なるほどです!」
それだけで十分だったようだ。
薄ら笑いは屈託のない笑顔に切り替わった。
だが、それは一転。薄ら笑いさえ失わせ、真剣さを初めて浮かべてみせた。
「……それで僕に何が出来るんですか?」
両手を揉み合わせる異世界の商人のように、再び媚び諂う仮面を張り付け、腰を折り下手にお伺いを立てて見せた。
「引き寄せる一手が必要だ」
そんな男を強すぎる眼光が射抜いた。
「ぇ……。でも、それって僕が悪者になっちゃいません……か? 僕、憂ちゃんにも愛ちゃんにも嫌われたくないんですけど……」
この男は大したものだ。確かに座ったままの男の放った何かに晒されたはずだが、それを受け流してしまった。それは師匠にも先輩医師にも出来ない芸当だろう。
「儂の指示だ。名前を使って構わん」
その言葉に小躍りせんばかりの興奮を見せた。
「本当ですか!? やったぁぁ!! これで蚊帳の外からおさらば! 渦中の人物の1人ですよー! それじゃあ書き直しますので、今しばらくお待ち下さい!」
手渡そうとしていた書類を、自身が座るよう指定されていたチェアに置いていた鞄へ乱雑に押し込むと、「すぐに修正してきます!」と、返事を聞かぬまま、部屋を後にしていった。
「ふむぅ……。慌ただしい男だ」
「はい。優秀ですが、大きなミスを仕出かすタイプですね」
「うむ。論文の確認、確実に行なえ。要らん部分は添削しろ」
「畏まって御座います」
「時に、肇さま? Dr.渡辺も仲間の1人です。先程の態度は如何なものでしょう?」
「責めるのか? 壁を創っているのは渡辺くんのほうだ」
……この時、秘書が無茶を言うなと感じたのか、定かではない。
『16歳ながらTHE-TIME紙が発表した、今年の「世界で最も影響力のある女性100人」の2位に選出された立花 憂さんは、今夜、蓼園市内で蓼園グループ新CMの撮影との事です。差別やいじめなど、人権問題解決に強い意欲を見せているCM。今度はどんな切り口で迫ってくるのか、今から楽しみです』
漆原家のダイニングで駄弁る4名が、ニュースに耳を澄ませていた。
『続きまして、天気予報です』
それを聞いた瞬間、どことなく張り詰めていた空気が霧散した。
「すっごいなあ……。『世界で最も影響力のある100人』にも知った名前が入ってたしー」
「本当。どこまで行っちゃうんだろうね?」
佳穂と千晶が、千穂の様子を横目で見つつ、感想を語る。決して、千穂にとっては喜ばしい事ではない。だが、避けては通れない問題である事に変わりない。
「……どこまでも、かな?」
そう自分の予測を述べた千穂が寂しそうだった事に、どこか安心感を得る親友コンビなのだった。
「……そうですかぁ。拓真さんは千穂さんを見ておられたんですねぇ……」
こちらは拓真の長い状況説明がようやく終わったらしい。
「梢枝さん? あんたはどう思う?」
ずっと目を閉じ、背中を壁に預けたまま、腕組みをしていた梢枝の目がようやく開いた。
「千穂さんは恋に敏感な方です。拓真さんが本気であれば伝わり、大いに悩まれる事でしょうねぇ……。それは憂さんに焦りをもたらす……。けど、貴方はそれでええんですかぁ? それは佳穂さんと同じ役回り……。ただただ、つらいだけですえ?」
悲しみを湛えた瞳で見詰める梢枝に「……誰が身を引くっつった?」と拓真は嗤う。
「……はい?」
……珍しい姿を見せたのは梢枝だ。明らかに予想を外されたらしい。
「俺は京之介とは違って、適当な事する訳じゃねぇ。千穂ちゃんが俺に向いてくれたら……」
鋭い視線が梢枝を射貫く。
次の言葉は梢枝の希望に反する事になる。
「憂が自分で撒いた種だ。他の子を見付けるこったな」
「………………」
梢枝が黙した。反論すべき言葉が梢枝の優れた脳から何1つ浮かばない。
「例えば……」
目線を下げ、ベッドを背もたれに聞き入っていた妹を見やる。
「美優。お前とか……」
「え!?」
「梢枝さん、あんた、とかな……」
「……!!」




