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231.0話 拓真の家で:牛乳は必須

 


『適当に……座っとけ』


 妹が出掛けると、兄はすぐに1階へと降りていった。施錠の確認が必要だ。漆原家も立花家も導入した機械警備だが、本居家は何もしていない。


 堂々と。


 これが本居家のスタンスであり、立花家との親交を再開させようと、父が画策中である事を立花家はまだ知らない。ついでに警戒の1つもなく拓真のベッドに座った憂は、拓真母と憂母の両者が憂の居ない日中、どちらの家でと言う事もなく駄弁っている事を知らない。

 憂の母と拓真の母は、気の合うママ友同士なのである。


 大人しく座ったままの憂は、白いダッフルコートを身に着けたまま、壁の向こうを見詰めている。きっと、拓真と話すべき事を反芻しているのだろう。それは回想と大差ない。


 ガチャリとドアが開いたが、憂は真正面を見たままだ。明らかに気付いていない。


「チッ……」


 舌打ち。ここで意識を引き戻された。「んぅ――?」と、拓真に目を向けるとその視線は下に下がり、幼馴染みの手に固定された。


「ぎゅうにゅう」


 バスケやバレーなど、高身長有利なスポーツを(たしな)む少年に必須の飲料。身長を伸ばすと言う、この牛乳神話は揺るぎない。憂も拓真も美優も、小学生の頃からお世話になっている。


「今も……飲んでんのか?」


 勉強机に2つのコップを置き、注いでいく拓真に「いまは――へった――」と返事があった。


「……そうか」


 注ぎ終わった2つのコップの内、1つを手渡そうと差し出すと、憂は両手で受け取った。

 これで美少女にミルク。素晴らしい組み合わせが完成してしまった訳だ。

 両手で受け取る。何かを飲む時、基本的に両手使用。これは落としてしまわない為にこうなった。そのまま、小さな口に息づく柔らかな唇に寄せると、コップを傾け、コクリとひと口。


「――なつかし」


 こんなひと言を発した。

 母・幸はよく憂に牛乳を差し入れている。蜂蜜入りのものを、だ。

 憂となって以降、自発的な行動は極端に減った。今は何やら外に対し、活動的になってはいるが、自分でお菓子の袋を開ける事もない。日常生活は基本、受け身だ。


『今は減った』

『懐かしい』


 何気ないひと言の裏側を拓真はどう感じ取ったのか。ごく最近の……バスケを辞めると心に決めたその後か、それとも随分と前の事なのか、判断は付いたのだろうか?


 コクコクと半分ほど飲んだ憂は「ありがと――」と、拓真にコップを差し出した。


「あぁ……」


 両手で差し出されたコップ。小さく柔らかな指先と触れ合っても、拓真の表情は動かない。勉強机に受け取ったコップを置き、「コート、脱げ。暑苦しい……」と、もう1つのコップを取り、3秒ほどで空にした。


「――うん」


 コートを脱ぎ、現れたのは少年のような服だった。ゆったりとした8分丈ほどのズボンも少年ぽさを醸し出している。

 これが憂の関わった……と言うか、憂がプロデュースする新ブランドの試作品である事を拓真は知らない。同年代の少年たちが着るような服装だが、しっかりと憂のサイズで仕立てられている……が、無頓着な幼馴染は、そんな事にも気付いていないだろう。


 拓真はコートを受け取ると、ハンガーに吊るされた自身の制服の上に引っ掛けた。

 その足で憂の隣に座った。もちろん、同じベッド上である。

 基本、5組内に於いて、憂の半径1m以内には男子生徒は踏み込まない。勇太やら圭佑やらが立ち入る事はあるが、それでも時折だ。そこは聖域と化しており、早々近寄り難い。元が男子と知れ渡った前も後もだ。理由は発覚以降、変わっているだろう。

 前は周囲を近しい友人に囲われた絶世の美少女。こんな状況から安易に近づけず……。

 後は元が男子の女の子に近づく事に向けられる同性からの眼差しと、畏怖を植え付けている身辺警護の対象者(ターゲット)であると言う絶対的な理由……。

 そんな近づき難い憂の横、20cmほど。拓真は聖域に容易に踏み込んできた。戸惑いの1つも感じさせず。


「――拓真?」


 拓真の気持ちを憂は感じる。あっさりと隣に座ってくれた幼馴染に頬が締りを無くしている。


「バスケ……しねぇぞ……」


「――――――――」


 小さくなった幼馴染みが、バスケをしろ……。本気でバスケに取り組め。

 そう言い出す前に機先を制する。朗らかだった柔らかな頬が早々に強張ってしまった。


「――どうして? 拓真は――できる――」


「ボクが――みてれば――」


 男バスとの試合で感じた印象なのだろう。顔を見て解るとは言えども、それはもちろん考えている事全てを……ではない。あくまでも、大抵の事は解る、だ。


「拓真が――するなら――」


「ボクも――するよ――?」


 言い換えると、遊びのバスケに付き合ってあげるから、拓真は部活に戻れ……と、言っている。


 それにしても憂と拓真の座高の差。それはもう相当な物だ。よって、上目遣いに見上げる形になってしまう憂だが、拓真にとっては()が見上げるように見えているのかもしれない。


「うぜぇ……」


「お前が……どうしようと……関係ねぇ……」


「俺に……押し付けんじゃ……ねぇ……」


 その言葉を吟味し、理解が及ぶと同時に瞳が潤んでいく。

 それを見れども拓真は続ける。怒りはどこかに去ってしまっているように見えるのは気のせいではないだろう。

 思考能力の低下してしまった親友の返答を、のんびりと待っていた。


「俺の本気も……お前と同じ……。昨日で……終わり、だ」


 ――――――――。


 半分、脳の削れた憂は思考の際、その重量バランスを取るべく、左に小首を傾げる。それは無為であり、必要な時間だ。


「どうしても――? 拓真が――やめるなら――ボクも――やめるのに――?」


 そこにあるのは地雷だ。拓真への理解が深い憂には解っている筈の地雷を、簡単に踏み抜いてきた。


「お前……変わったな……」


「――え? なに?」


 ボソリと小さく早口で呟いた言葉を憂は聞き取れない。

 もう1度……と、憂は右耳を寄せた。


「変わった。お前は」


 憂に希望に応え、もう1度、きっぱりと告げた。


「拓真も――だ――」


「あ?」


「拓真もだ――。まえは――もっと――」


 もっと色々な表情を見せてくれていた。


「きゃぷてん――させた――から――」


 皆まで語る必要は無い……と言うことか、単に語彙力の不足から途中でやめたのか、憂の場合判断は付きにくい。もしかしたら、それだけで理解してくれると言う、拓真への信頼の高さなのかもしれない。


「ちっ……要らねぇ事、思い出してやがる……」


「え――?」


「いい。続けろ……」


「ボクのせい――なのに――」


「ボクが――あわせなかった――からなのに――」


 当時、小学6年生の優は、未来を見据えていた。

 中等部に進学した時、必ずぶつかる藤ヶ谷学園。最高学年となった時、憂は全員が同じ気持ちを抱いてくれていると過信し、味方を鍛えるべく、容赦ないパス出しをしていた。

 その後、陰口に終始する同級生を前に拓真はキレた。そして、何人もの仲間が辞めていった。当時、自分の責任だと落ち込む優を姉は諭した。

『合わせてあげるって事も必要なんじゃない?』と……。


 そのエピソードを表とすると、その裏側。拓真は拓真で悔いた。キャプテンとして失格だと。

 その時、お互い心情を推し量る余裕がなかった。のちに2人はお互いの変化に気付きつつも何も言えず、それを受け入れていった。そんな小6から中2の5月までだった。


「お前の……せいじゃねぇ……」


「――ううん――」


「俺の……せいだ……」


 憂にとっては(いささか)か、理不尽な主張だろう。

 その為、次は「ちがう!」と強く否定した。互いの理解の深い2人だが、その時の部分のみ……と言えば言い過ぎかもしれないが、確かに深い穴が存在した。


「――拓真は――! えっ!?」


 キレ始める憂を止める為、怒りに身を任せたのか、拓真の大きな左手が憂の右肩を掴んだ。強く……。きつく……。


「――ぃたっ――」


 憂の口元が引きつり、頬に力が入ったのか、目が細まった。


「勘違い……してんなよ?」


 それでも拓真の左手は、憂の肩から剥がれない。痛むほど、肩を鷲づかみされた憂も睨み返した。2人の間に男女の壁は存在していないかのようにも見える。


「ちょうし……こいてんなよ?」


「ちょうし――?」


「ちょうし……乗ってんじゃ……ねぇ……」


「のってない――!」


 ギリリと歯を噛み締め、怒りを表現した。稀に見せるようなプンスカとした怒りではない、重い怒りだ。


「乗ってんだよ!」


 拓真も、だ。

 拓真は小学生の頃の一件から。

 憂は女性となり、いつの頃からか、可能な限りで感情を殺そうをしていた。2人の似た部分が、お互いを弾き合う。磁石の同極が反発し合うように。

 それが皮肉な事に、お互いが余り表出しない感情を剥き出しにさせている。


「お前中心に世の中っ!」


 連々と言葉を並べようとし、「お前……中心に……世界……回ってねぇ……」と言い直した。怒りに任せ、想いをぶち撒けても憂には届かない。


 憂は小首を傾げ、理解に務める。拓真は待つ。

 口喧嘩にしてはテンポが悪い事、この上ない。



「チヤホヤされて……お前は……変わった」


 1分ほど後で話を続けた。半ば解れば良い……と、言ったところか。一々、待っていては折角、盛り上げた怒りが萎んでいってしまう。


 憂に言いたい事がある。

 憂の不満な部分がある。

 憂が外を向いた理由を理解は出来るが、納得はしていない。


「――そんな――こと――」


 続くはずの『ない』が出て来ない。

 ここで拓真は左手をようやく離した。憂に聞く耳を持たせる事に成功した。


「図星か?」


「ずぼし――?」


 伝わらない。拓真は自身の棘が抜け落ちていく感覚に襲われている筈だ。


「……合ってんだろ?」


「――あってる? なにが――?」


「はぁぁぁぁ……」と、ここで拓真は大きなため息を吐いた。それでなくとも鋭い目付きが半眼になっていたが、通常のモノに落ち着いてしまった。


「……もういい」


「え? ――ごめん」


 憂も萎んでしまった。確かな怒りを見せていたが、聞き返したり忘れたりで、どうでも良くなったのかもしれない。


「とにかく……バスケは……しねぇ……」


「――だか」


 堂々巡りを右手の平を向け、制した。


「俺は……お前の……言いなりにゃ……ならねぇ……」


「拓真――」


 今度は、しょんぼり。

 違う展開となった事に満足したのか、口元が微かに……ではなく、はっきりと笑みを象った。


「最初から……言ってただろ?」


 ――――――。


「バスケは……危ねぇ……ってよ」


 憂がバスケをするにはリスクが高い。これは間違いない。島井も渡辺もバスケを禁止しなかったが、それは憂がやりたいと意思を示していたからだろう。

 転倒し、脳震盪を起こした事がある。自宅でも……バスケでもだ。

 今までは運良く脳震盪で済んでいた……とも言い換えられる。下手をすれば、脳出血を起こす。その危険度は健常者に比べ、遥かに高い。


「ちったぁ、考えたみてー……だけどよ」


「俺が……辞めただけで……お前も……辞めるなら……」


「――やめるなら――?」


 目が無くなった。拓真が見せた朗らかな笑顔が、彼の細く鋭い目を完全に消してしまった。


「御の字……だ」


 久しぶりに見た表情だった。憂にとっては。

 京之介も当分、見ていないだろう。ごく稀に大笑いするが、その場合とは異なる優しい微笑みだった。


「おんのじ――?」


 そんな懐かしい顔を見て、憂の1歳児よりも澄んだ瞳は潤んだが、分からない単語は、ただ単に分からない。「ったく……」と、憂最後の試合を前に短く刈られた髪の毛を無意味に掻き上げると、バツが悪そうに言い直した。


「いい事! なんだよ!」


「いいこと――?」


 小首を傾げた憂に「お前の……作戦……失敗だ、ばぁーか」と笑う。


 笑われ、むぅ……と、カモノハシのように唇が突き出される。

 そんな憂のどんな顔をしても可愛い様子がツボに入ったのか、「あはははは!!」と、屈託のない笑い声を上げる。すると「拓真が――バカだ――!」

 憂は、白く並んだ歯を見せ、怒っちゃうぞアピールして見せた。

 頭わしゃわしゃは出現せず。どこか、遊びの延長的な感覚なのか、2人ならではの何かか。


「ぎゃははは!! やめろ!! 笑い死ぬ!!」


 ……しかし、それは単に笑いを助長させる結果となってしまったのだった。




「……悪かった。機嫌……直せ……。ほら……」


 実に5分は笑い転げた。何がそこまで面白かったのか不明だ。拓真ならではの感じるものがあったのだろう。笑われるほうも、その間、黙って笑われていた訳では無い。

 笑う拓真の頭部に右手を振り下ろしたが、ほぼノーダメージ。

 今度は左手で……と、小さな握りこぶしを作ると、頭を掴まれた。そのまま、手を伸ばされた。それだけで憂の手はどちらも届かなくなってしまった。それでも拓真に比べ、随分と短い手を一生懸命、伸ばしていたが、尚も余計に笑う拓真を前にやがて諦め、只今、不機嫌の権化となった。


「……憂?」


 勉強机の上の牛乳を取る為に拓真は立ち上がったが、憂はベッドの真ん中、正座で背中を見せている。


「背ぇ……伸びる……かもよ?」


「ぅぅ――――」


「悪かった……ほら……」


 謝ってみせると、首が回った。各関節が柔らかいだけに、大きく回され、若干のホラー感がある。

 意図はないだろうが、そんな恐怖映像を創る憂は、目が細くなっている。所謂、ジト目と呼ばれるものだ。『この野郎』を態度で示すには、打ってつけの方法だ。


「背ぇ……伸ばせ……」


 長い手が伸びてきた。

 憂は不満を表したままだが、受け取った。

 残っていた半分ほどの牛乳をゴクゴクと飲み干して見せるとコップの返却。

 受け取った拓真は「それじゃ……本題、だ」と、話が終わった……、バスケ復帰の説得に失敗したと思っていた憂にとっては、予想外の展開を提示し始めたのである。




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