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230.0話 拓真の家で:荒れる兄

 


 ―――12月9日(土)



「あー! クソっ!!」


 良く蹴られる可哀想な椅子さんだ。昨日も散々蹴り倒された椅子はキャスター付きだ。ガツンと壁に当たり、そこでピタリと沈黙した。

 その音で拓真は顔を(しか)めた。

 でけー音立てやがってくらいに思っているのだろう。


 その直後、「うるさいっ!」の声と並行し、ドンと壁が鳴った。


 壁の向こうは美優の部屋である。壁の向こうからの怒声が壁を通り、文句を拓真に伝えた。両名の間を取り持つ厚くない壁さんは、妹の握り拳の底で叩かれているらしい。


 ……握り拳の底の筈だ。正面から殴れば、痛めるだけだ。


(ったく、ドンドンドンドン壁叩いてんじゃねーぞ……)


 部屋の主は、檻の中を彷徨(うろつ)く獣のようである。せわしなく、無意味な移動を繰り返しているのだ。


(あいつ……。憂の奴、汚ぇ方法使いやがって……)



 前日の控室での事だ。


『ボク――バスケ――もう――やめるね――』


 拓真にとって、予想通りの宣言だった。何ら驚く事はなかった。

 でかい少年の怒りは、その後の発言のせいだ。


『え!? 憂ちゃん!?』


『なんで急に!?』


(佳穂ちゃんも勇太も……別に急でも何でも無かっただろうが。単に最近の外に目ぇ向けてる傾向と一緒じゃねーか)


 この男は何を考えているのか分からないと、妹どころか、梢枝や康平まで思っているが、それは余り動かない表情と口調に起因している。いや、動かない訳ではなく、出てくる声音は自分の感情を押し殺すようなものである事が多い。


『やっぱり……そう、なんだ』


(やっぱり千穂(あの子)は勘付いてた。よく見てんよな……。憂の事になると必死だ。それは別れたって今でも変わんねぇ……)


 拓真は自分の外観も性格も理解している。何気にキレやすく、可能な範疇で自分を抑え付けている。それがフィルターの役割を果たし、何を考えているのか分からない状態となってしまっているのである。


『すっきり――したから――』


(梅田先輩に木っ端にされて、踏ん切りか? あの優が? ……みてーに思ってたらやっぱりだった。

 全力で止めたんは、勇太と京。あとは佳穂と千晶の2人だ。圭佑はあれだろ? どうせ辞められねぇって思ったくらいのもんだ……)


 足を止め、思考に没頭する。この男、よく考え、よく見ている。こう評した人は多い。最近では利子、古くは梢枝に康平……。()もだろう。


『でも――ボク――』


『そうだ――!』


(そうだじゃねぇよ。何が『拓真がバスケするなら』だ!! バスケ部戻れ!?)


「ふざけんな!!」


 もう一撃。不幸な椅子は、けたたましい音と共にその華奢な躯を横たえてしまった。

 拓真はまたも「ちっ」と舌打ち。きっと、戻すのめんどくせぇくらいに思っているのだろう。


「お兄ちゃん!! うるさいんだって!!」


「あ!?」


 乱入。

 2回目……どころではない兄の狂騒に、辛抱たまらん妹が兄の部屋に突撃してきた。


「荒れてる理由も知ってる! 戻ればいいでしょ!! 戻れば憂先輩バスケ辞めないんだから!! 私なんか……。私なんか、憂先輩が引退するって言った時、その場に居なかったんだよ……」


 そして泣いた。妹からして見れば憧れの先輩の最後のゲーム。

 しかも、終わってから知った。その気持ちは兄も解らない事はないだろう。


「めんどくせぇ……」


 ところが兄から出てくるのは暴言。いつもこうだ。


「よっぽどお兄ちゃんのほうがめんどくさいよ! 何考えてんのっ! 憂先輩をどうしたいのっ!? 憂先輩が大事なら憂先輩の言う事、聞いてあげればいいじゃない!!」


 勇太は怯むが、美優は怯まない。何だかんだ言ってもそこはお互い1人しかいない兄であり、妹だ。どんなに生意気を言えども、兄は妹に手を上げたことはない。


「ガキは黙ってろっ!」

「いっつもそれ! 他に言える事無いのっ!!」

「キーキーうるせぇ。声がたけぇ。ヒス起こすな」

「……ぇ…。もう! 知らない! 勝手に荒れてろっ!!」


 売り言葉に買い言葉。この兄妹は何気に喧嘩が多い。美優は捨て台詞を吐くと、兄の部屋のドアを乱暴に閉じ、自室に戻っていったようだ。



(……バスケ、か……)


 昨日……。憂の最後の試合のあった夜、メッセージが届いた。

 いつも憂の傍にあった子からだ。今は憂が暴走している状態だと拓真は思っている。憂の居ない教室が増えてきたこの頃、目の前に座る少女……とは言え、若干、左に寄っている。憂と千穂の席は未だにその間が埋まっている。

 これは千穂の未練だ、と判断している。元に戻すのが手間など、千穂の性格を考えれば有り得ない。あの子は面倒事を嫌な顔を見せず引き受ける。

 そんな千穂は授業中、ふいにため息を零す。隣の空席を眺めては、つまらなそうに授業に復帰する。


 千穂【拓真くん……。憂はコートの外で見てたんだよ? 気付いちゃったんだ。憂がコートに居なくても拓真くんは全力を出せるって……】


 昨晩のメッセージ。

 どう返すべきか考えていると次のメッセージが届いた。


 千穂【でも、今日の試合は憂の最後の試合だと拓真くんも分かってた。だからだよね? 全力を出せたのって】


 鋭い。こう思った。梢枝や康平よりも鋭いんじゃねぇか……とまで思う。


(……そうだ。(あいつ)にとって、マジで最後の試合のつもりだったんだろうよ。最初は、な。

 途中で気ぃ変えてんじゃねーよ。半分なくなった頭捻らせてんじゃねぇ。とって付けた条件出したんがムカつくんだよ……)


 試合終了後、控室での話が終わり、解散直前に憂を捕まえた。


『明日だ。バスケん事……含めて……話がある』


 憂の気持ちは分かっている。拓真は全力を見せた。憂、最後の試合で。

 全国大会にこそ出場出来ないが、地域の大会では、県外の全国大会出場校さえも打ち倒す事のある蓼学高等部。その高等部相手にも拓真の力は通用した。

 憂を守ってやりたいと筋トレを積み重ねた結果、強かったポジション争いを不動の物とした。

 これを見た憂は……姑息な考えを以て、拓真をバスケに繋ぎ止めようとしている。あのバスケ馬鹿がこれまで拓真の得た新たな力に気付かなかったのは、自身が接触を避けて貰っていたからであり、拓真もまた、勇太などリバウンドで争う者たちに怪我を負わせまいと配慮していたからだ。


 周囲と距離を取るべく心に決めた引退のふた文字を憂は覆した。幼馴染みをバスケに繋ぎ止める。この事の為だけに。


(お前の覚悟は生半可な覚悟なんだよっ! 考え浅いんだ!)


 またもや苛立ちがその鎌首を(もた)げてきた時、階下からのインターフォン。


「はーい! はいはい!!」


 大声で返事をしつつ、美優がドタドタと階下へ。


 舌打ちが部屋で虚しく消えていった。


 美優(あいつ)は阿呆か! 誰かも解んねーのに『居ますよ』みたいに言ってんじゃねー! ……くらいに思っているのだろう。


 口ではきついが妹思いの少年。それがこの兄だ。

 父も母も出掛けた。自分は確かに家の中だが、1人の時でもおそらくこうやって返事をし、無警戒に玄関を開けている。兄は妹が襲われる可能性を考慮し、また苛立ちを募らせた。


 今回の訪問相手は誰か分かっているので、ゆっくりと部屋を出ると「憂先輩!!」と嬉しそうな声が耳に届いた。

 兄は無表情に怒っている。きっと、妹にひと言……などと思っている事だろう。


「お兄ちゃん! 憂先輩が!!」


「うるせぇ! わかってる!」


「何よ!?」


 階段を降りた先には、憂とその兄姉の姿があった。たかだか三軒の道のり。1分に満たない距離だが、姉と兄以外の人間も動いているのだろう。憂直属の身辺警護2名も居るかもしれない。

 ところが拓真は、それを過保護だとは思わない。何かあってからでは後悔しても、し切れない。


 この少年は凌平と並び、第2の護衛くらいの自覚を持っている。

 その凌平は、こんな厳戒態勢を過保護過ぎると吐き捨てる。拓真とは考えの大きく異なる部分だ。

 拓真は味わい、凌平はそれを知らない。

 彼ら2人の相違点は優の事故を直接経験したか否か。

 あの時、拓真には大きな穴が空いた。心に……だ。


 後悔しても遅い。だからこそ、今の憂の行動を阻害しようとしている。



「わざわざ、すいません」


 電気の灯っていない玄関先で会釈。

『憂のお兄さん』が少し苦手だった。苦手になった。チャラかった。いつ頃からか、チャラくなった。兄へのそんな抵抗感は、憂への想いを兄の中に感じた時、大きく薄まった。他人行儀な態度は、苦手意識を持っていた頃の名残だ。今でも憂の幼馴染みは兄に対して、どこか余所余所しい。


「拓真……。お前、相変わらずだな。もう少し美優ちゃんに優しくしてやれ……。なんかあってからじゃ遅いぞ」


 そう言って、憂をチラ見する剛。

 きっと拓真は思った事だろう。この兄が言うと重すぎる……と。

 剛がどれだけの想いを妹と化した弟に抱えているのか。


「そうだそうだ! 憂先輩のお姉さんもそう思いますよね!?」


「……うん。そだね。元気だからケンカ……。まともに出来るんだよ」


 もちろん、この綺麗なお姉さんも、だ。

 たった1つの事故。優の時は相手が相手だっただけに、大きなニュースとなった。これとは異なり、報道されないよくある(たぐい)の事故。

 そんな物が周囲に撒き散らす喪失感……。

 これを拓真も知っている。


「な! 優しくし……」


 剛の言葉はピタリと止まった。きっと気配を感じ取った。目線は拓真を捉えていた筈だった。

 ……どれだけ大切に思えば出来る芸当なのか想像も付かない。


「美優ちゃん――ごめんね?」


 憂が話そうとした。これを兄は気配で感じ取った。


「え? いえ……その……」


 拓真のこめかみに青筋が薄らと浮いた。幼馴染みの動きに苛ついた。

 憂は美優に謝った後、でかい兄貴を見上げた。玄関の段差込みでその差は1メートル近い。

 怒りを倍増させた事に気付かない……事は、ない。

 優と拓真はそれだけの一緒の時を刻んでいる。

 美優に言った『ごめんね』。それには『拓真のせいで』と枕詞が確かに乗っていた。憂は分かっていながら拓真を煽っている。


「まぁ……。とりあえず……上がれ」


 兄姉と妹の手前、冷静な物言いで憂に声を掛けた。こうし始めて何年か。始まったのは小学生時代にまで(さかのぼ)る。


「じゃあ、お願いね?」


「……襲うなよ? 同意があったらだ。いいな?」


「……勘弁して下さい」


「ははは! 冗談だ! まぁ、頼むぞ!」


「いえ、俺が来いって言ったんすから」


「じゃあ、美優ちゃん、行こっか?」


「……え?」


「2人切り。憂も拓真くんも本当に2人で話したいんだってさ」


「でも……! 大丈夫ですか!? お兄ちゃん、何を考えてるか分からないんですよ!?」


「……拓真くんなら大丈夫だよ。お兄ちゃんを信用してあげよ? 私が大丈夫って思う理由も話してあげるから……。ね?」


「……支度します。外、寒いから……」


「一瞬じゃねーか……」


「お兄ちゃんは黙ってて! 憂先輩のお姉さんとお兄さん! ちょっと待ってて下さい!」


 そう言うと、ようやく靴を脱いだ憂の手を引き始めた。

 兄の部屋へは階段だ。危ないと思い、無骨な兄に任せる事無く、階段を上がる理由として『支度』というカードを提示した……のでは、なかった。


 階段を上がり終えると、美優は兄を睨んだ。いや、ガンつけた……と、まで言って良いレベルだった。


「お兄ちゃん。憂先輩に何かあったら絶対に許さないから」


 兄に精一杯の牽制をした美優は、自室からコートを取り、階段を降りていった。最後に振り返ると「絶対だからね!!」と念を押し、家を後にしたのだった。




 ―――1つ。拓真について。


 拓真が感情を出来る範疇で殺すようになった理由……。

 これは小学生時分の最上級生となった直後の出来事だ。



『優……。あいつ腹立つよなー』


 テーピング用のテープを取りに、部室に戻った拓真が聞いたのは陰口、だ。


『先生もなんであいつレギュラーにしてんだよー』

『だよね。パスが通るのってケイちゃんとたくまだけだしー』


 ケイちゃん。京之介の事だ。小学生時分。既に、この頃には、京之介は優に心酔していた。

 優と拓真。2人が毎日のように行なっていた居残り練習に自ら加わり、優のパスに順応していった。

 ……他の子たちは、練習が終わるとすぐに遊びへと繰り出していた頃だった。この日も優と京之介は、未だに居残りで練習中だった。


『ひーきだよなー』

『キャプテンと優とケイちゃん、ずるいよなー』


 知っていた筈だった。自分たち3人が居残りで練習をしていた事を。それらの事実を無視し、チームメイトたちは3人への文句に興じていた。


 ……我慢ならなかった。


 左腕のキャプテンマークが仲間の暴言を放置出来なかった。


『お前ら! クソか! そんなとこでヒソヒソ文句言ってる暇があったらシュートの1本でも撃て!!』


 ……これだけならば、今のように口数少なくなっていなかっただろう。次に放ってしまった余計なひと言。これが決め手となった。


『やる気がないならやめろ!!』


 この翌日以降、ポツリポツリとコートから仲間たちは姿を消していった。

 優は自分のせいだ……と思い込み、姉に『合わせてあげたら?』と諭され、本気のパスは拓真と京之介の2人だけにとなってしまった。


 この頃の拓真は、まだまだ幼かった。


 自分のひと言がチームメイトが辞めていく切っ掛けとなった事を、優と京之介に言い出せなかった。

 中等部2年生となり、3年生が引退した後、拓真はチームメイトたち全員が推すキャプテンの責務を拒否した。絶大なキャプテンシーを持ち合わせているにも関わらず、だ。


 この事に優は理由を問わなかった。口には出さなかったが、色々感じる部分があったのだろう。

 何も言わず、第2候補として京之介を推薦。キャプテンマークは京之介の左腕に巻かれる事となった。


 ……拓真は今も忘れられていない。だからこそ、感情を可能な限り、自分の胸に仕舞い込んでいる。





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