228.0話 試合終了
ハーフタイム。
15分間のインターバルを利用し、通常、体力の回復と作戦会議が行われる。ハーフタイムの時間は10分か15分。大会主催者が取り決めるものだが、今回の主催、男子バスケ部は迷わず15分のインターバルを提示した。交代要員の多いバスケ部とは違い、5組の人数がカツカツな為だ。ここでも男子バスケットボール部は憂たちに配慮しているようだ。
そして、そのフリーな時間。男子バスケ部も多分に漏れず、作戦の見直し、修正の時間……に、なる筈だった。
「梅田! 何で落ち込んでる?」
だが、控室で顧問が見たのは、暗く沈んだ選手たちの顔だった。
「俺……。決めさせてやったほうが良かったっすか?」
エキシビションマッチとは言えども、負けるわけにはいかない試合だ。13点の大きなリード。その安心感も相待ち、C棟1年5組の心配だ。
憂と相対し続けた梅田先輩は、あの子が心配で堪らない。彼はこの先輩にとって、大事な後輩の1人だった。
「でも、俺……。あいつも……。優も昔、本気で来てたし……」
―――その後輩は、1対1で無類の強さを見せていた。
鋭いドリブルは特筆に値した。その上、フリースローの確率も高い。あれだけのパスを出していた優のシュート確率が低い訳はない。
優が自身でシュートを撃たなかった理由は、低身長に起因するものだ。1on1では強かった。だが、5対5のゲームになった時、予想外のところからブロックが飛んでくる場合があり、ジャンプの最高到達点が低いほど、それにかかる可能性は上がる。
優は、自身のシュートよりも、拓真や圭佑のインサイドや京之介の3P……。味方のプレイに期待していたのだろう。
スリーポイントに関しては、当時の優はまだ力が弱く、距離があればあるほど率が大きく下がる為に封印されていたのだった―――
そんな後輩は容赦が無かった。この梅田先輩は、なかなかポイントを上げさせて貰えなかった。優はこの梅田先輩を前にすると全身全霊を以てプレイしていた。それは優が見せ始めた味方への手加減……。この先輩もまた、勇太・圭祐と同じく、それを善しとしなかった1人であり、俺に手加減とか偉くなったな……と、挑発した。古く懐かしい、優が中1の頃の話である。
第2Q終盤。
憂となり、見せた全力。
少女となった後輩は、今持つ力の全てをぶつけてきた。
全力に全力で応じるべきと考え、憂の攻撃の全てを切り取った。かつて、後輩がそうしてくれたように。
……だが、それが梅田先輩には正解だったかどうか分からない。
優は成長し、この梅ちゃんを超えていき……。現在は少女となり、障がいさえ抱え、その類稀な能力は失われてしまった。
―――1本くらい決めさせても良かったんじゃないか。
答えを出せない問答に、顧問はじっくりと時間を掛けて考え、言葉を選び、ようやく答えた。
「……どうだろう? 相手はあの優くん。今は憂ちゃんだけどね……。手加減したらすぐに分かるかもしれない。全力で来たからこそ、全力をお返しした……。それでいい……はずだよ。終わった瞬間、僕には憂ちゃんが晴れ晴れとした顔をしていたように見えたから」
「……優、か」
「あー……。駄目だ。俺、あいつの気持ち考えると……きついわ……」
……優勢にも拘わらず、何とも暗い控室である。
一方、5組の控室では……。
「きょうちゃん――だから――ね?」
憂が熱弁する感覚の話に、男子全員が耳を傾けている。
「ほんのすこし――あいてに――あわせて――」
「手加減……?」
困り顔は京之介だ。感覚を言葉で伝えようとする憂だが、いまいち伝わってこない。
「てかげん――ちがう!」
両手を広げ、外国人のようにアピールしてみせた。
「もう! なんで――!?」
……怒り始める始末だ。出の悪い言葉にイライラしている。理解してくれない京之介に対して怒っている訳ではない……筈だ。
「まぁ、やってみろ。それでいいな?」
「……わかったよ。じゃあ、第3Q、憂は引っ込むんだね?」
「そのつもりみたいだなー。監督、慌てるんじゃね?」
「だな。ほとんど憂を起点に攻めてきてたからなー。ちったぁ俺らの力業見せてやろーぜ」
「――うん。それで――いい――」
「よっしゃ、決まりだ。お前ら、気合入れてくぞ」
「「「しゃー!!」」」
「――しゃ」
「……遅ぇよ?」
その裏ではメールを入力中の梢枝に佳穂が絡んでいる。
「何やってんだー?」
「……何でもありませんえ? 終わったら……いえ、なんでもないです……」
「何だそりゃー!?」
「……何でもない言いましたえ?」
「教えてよー」
実にめんどくさい。このめんどくさい子の手綱を保持する筈の千晶は、千穂と共に、男子たちのやり取りを見守ってしまっている。解き放たれた時、そのめんどくささは倍増してしまうらしい。
「……美優さんにメールですわぁ……」
「美優ちゃんにかー。なして隠してはったのん?」
「……ちょっと可哀想でしたからねぇ……」
梢枝の口調を真似た佳穂だったが、敢えなくスルーを決め込まれてしまった。めんどくさい子の対応はこれで十分である。
名前の挙がった美優は、『今回は高等部の試合だ。中坊は客席で観戦してろ』と兄貴に言われ、親衛隊とご一緒している。
だが、これは梢枝の嘘だ。
メールの相手は『学園内の騒動を未然に防止する部』の部長。彼は梢枝の指示を受け、大体育館内でとある人物たちを捜索中である。親衛隊には依頼できなかった。親衛隊は中等部の子が中心であり、初等部の子まで混じっている。
……このハーフタイム。控室に戻る際、梢枝の警戒度はかなりのものまで高まっていた。
キャットキラーと目する桜子がけしかけた4名……。その4名は逮捕……補導で済むかもしれないが、その時が迫っている。
仕掛けてくる側にとって、これほどのチャンスはない。
黒服など、年長のSPたちは学園内に早々踏み込めない。
だからこそ、この控室に戻った直後には安堵の表情を浮かべてしまった……のだが、その時の注目は憂に集まっていた。
また仲間内に隠し事をしている梢枝だが、この日を目標に練習をしてきた憂を思うと、隠さざるを得なかったのである。メンバーに危険を伝えれば、プレイにも少なからず影響が出てしまうだろう、と。
「それじゃ、行きまっせ!」
先頭を康平が切り、最後尾に梢枝が。
そんなフォーメーションで周囲に気を配り、無事に決戦の地に戻る5組さんなのだった。
第3Q半ば。
大体育館の観客のフラストレーションが高まってきている。
憂はジャージ上を着用したまま、【しーとういちのご】の文字を隠し、ウロウロとボールの方向に近付いては指示を飛ばすのみだからだ。もちろん、タッチラインの外でだ。
……NBAのコーチそのものな姿である。
「きょうちゃん――! もっと――つよく!」
「すこしだけ――拓真に――あわせて――!」
……そうは言っても簡単には行かない。相手がある事なのである。
その男バスは当初、勇太が言ったように動揺からのスタートだった。憂の為の試合に憂の姿が無くては、肩透かしもいいところだ。
しかし、ゾーンを敷いた瞬間、スイッチが入った。そこは男バスの経験値の高さだ。
相手は憂の居ないチーム。
普通に守り始めれば良かっただけの事だった。
しかも、何故だが京之介のパスがいまいちだ。
力を緩めたパスをカットし、鋭い軌道のボールは味方の手が届かず……或いは、その手を弾く。
点差は広がる一方なのである。
それなら憂を出せよ……! わざわざ見に来た理由は、例の子の奮闘が見たいからだぞ……と。
その憂は左腕を挙げ肘を曲げ、その左腕の手首付近、若干肘寄りに右手で手刀を作り、その指先を合わせた。
アルファベットの『T』を示すとブザー音が鳴った。
タイムアウト。憂の要求通りである。どうやら憂の立場は監督的なボジションとして認識されているらしい。タイムアウトを要求出来るのは、通常、監督などの指定されたベンチの人と、ボールを保持している者だけなのである。
「きょうちゃん。もうすこし――ゆるく――でもつよく――」
「憂! 意味が分からないんだって!」
京之介が近くに寄ると、憂の声は落ち着いたものとなった。試合中は喚いていたが、それは何気に会場のざわめきが喧しく、声を張り上げる必要があったのだろう。思い通りに動いてくれない京之介に対し、荒れていた訳ではなかったようだ。
「憂? わからないって……」
「うぅ――なんで――?」
「なんでって!」
語彙だ。憂の言葉の種類が圧倒的に少なく、それ故に伝わらない。
観客席を見上げ、1人1人の顔を確認していた梢枝が「拓真さん? 優さんのパスはどうでした?」と、両者を宥めつつ、割って入った。
1年5組バスケ会随一の優男の風体の彼が、苛立ちを隠していないからだ。
「……勇太?」
拓真は呼吸を整えている。拓真は全開だ。リバウンド争いに於いて、以前のような働きは出来ない……と、圭佑も勇太も言っていたが、それをものの見事に覆した。
ジャンプ力こそ確かに低下しているようだが、ポジショニングは元から鍛えられている。それに加え、とにかく当たり負けない。体幹の鍛えられた拓真は、相手を弾き飛ばすほどのパワーをいつの間にか得ていたのである。
「優のパスって言えばあれだ。うわっ! て、至近距離でもビビるくらいぶん投げるのに、手に馴染むってゆーか……」と勇太くん。
「そうそう。スポンって収まる不思議なパス」
圭佑が補足すると「そう! それ! そんな感じよ!」と今一度、勇太が。
そんなメンバーを横目に汗を拭いつつ、拓真が再び口を開いた。喋られる状態に戻ってきたのだろう。彼は男バスを相手に能力の全てを出し切るつもりだ。
「京のパスは……荒い。ちったぁ合わせろ……」
鋭い瞳が現PGを見据えると、京之介は、その視線から逃れるように憂に視線を送った。
「……そうは言われても、ね……」
憂のよく解らない指示を実行できない少年は、ふぅ……と息を吐き出し、続いて天井を見上げた。
……そんな時だった。
「……思いやり? かな?」
おとがいに人差し指を当てつつ、口を挟んだ千穂の言葉に憂が興奮する様を見せた。
「そう――! ――それ!!」
千穂を指差す。しかも笑顔で。褒められた所作ではない。『コンビニ』業務終了後、駆け付ける予定の愛の不在に救われた。愛ならば、人を指差すな! と、引っ叩いているだろう。
「そうだな。それだ。優のパスは受けやすいようにボールの回転まで計算されてた」
拓真が指摘すると「……言われて見りゃ、そうかも?」と、圭佑が同意し、「優って、凄かったんだな」などと、勇太が今更な事を言い出した。
「きょうちゃん――。おもいやり――ね?」
「……わかったよ。出来るだけ……『合わせる』ね……」
見上げ、懇願するような憂から目を逸らすと、時計が動いている最中、何度も言われながら理解に至らなかった指示を反芻し、5人はコートに戻っていったのだった。
直後に鳴り響いたブザー音。「……えらく長かったですねぇ……」は、梢枝の呟きだ。
所要時間3分以上。通常ではあり得ないタイムアウトの時間だった。これも男バスさんが塩を送ってくれての事なのだろう。
……思いやりのあるパスを。でも、力強く、激しく。
簡単に出来るものではない……が、攻撃を繰り返す内に段々と周囲との呼吸が合ってきた。
第3Qの終了間際には、拓真へ呼吸ぴったりのラストパスを送ったほどだ。
京之介、覚醒の日は近い。そう予感させるパスだった。
このクォーター出ずっぱりだった5人の退場はブーイングの中……では、なかった。憂が出場しなかったにも関わらず……だ。
次第に息を合わせていく京之介のパス。ガッツあふれる圭祐のインサイドへの切り込み。ディフェンスを嘲笑うかのような拓真のシュート。
それよりも何よりも、5組のディフェンスに観衆は魅せられた。
勇太と拓真。
かつて、優が絶対の信頼を置いたツインタワーは、男バスレギュラー候補たちを相手にしても無双した。オフェンスリバウンドでは厳しいものの、ディフェンスリバウンドは悉く制したのである。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「ふぅぅ……だいじょぶかー? 拓真ぁ?」
「どこまでも本気だよな。こいつは」
両の膝に、両の掌を突き、荒い呼吸を繰り返す拓真を、勇太と圭祐が呆れた様子で見下ろしていたのが印象的だった。
第4Q開始時には、さすがにブーイングを受けた。
最後の10分なのに、憂は未だにベンチだった。それどころか、観衆の心を掴んだ拓真も引っ込んでしまった。
スコアは45-58。第3Qの点の動きが少なく、なかなかのロースコアゲームでもある。
『最後の5分まで、しっかり休んでくれたまえ。それまでは僕が暴れてみせよう』
こう言って、勇ましく出場した凌平だが、経験値が足りない。個人のプレイでは『こいつが始めて数ヵ月!?』と驚かせるプレイを見せるのだが、どうにもいまいち他との連携が甘く、点差は更に広がっていった。
だが、5組からしてみれば点差など、もはや些細な事だったのかもしれない。
残る5分。
憂と拓真が同時にタッチラインを跨いだ。
同時に湧き起こる大歓声。佳穂も千晶も誇らしげに2人の背を見送る。
梢枝は少しの間、2人の背を目で追っただけで、すぐに観客席へと視線を戻した。康平も同様である。
……千穂は……。
千穂の目は淋しそうだった。
「どうした?」
……そんな千穂に気が付いたのは、ベンチに戻ってきたばかりの凌平だった。
「……これで、最後なのかな……って……」
「何故? 君が誘えば問題なかろう?」
「……どうかな? 無理、かも……」
……暗い千穂はさておき。
第2Q以来、久々に中等部時代のメンバーに戻った5人は、スタイルを変更した。
フリースローサークル後方に憂。
その右、ゴール45°の3Pライン外に京之介。更にその正面に勇太。
左には、京之介と同じ45°だが、こちらは3Pラインを跨いだ圭祐と、憂、圭佑のポジションに線を引いた奥には拓真。
かつて、県の小さな大会をもぎ取った時の布陣だ。
最初に行なっていた京之介へのパスは成されなかった。
少し自陣へ引いた梅田先輩に向け、走り出し、2Qラストの再現を受けて立つ構えを見せた先輩の虚を突いた。
左手から放たれたパスは、狭い敵選手の隙間を縫うようにワンバウンドし、走り込んだ拓真の手に。いきなりのローポストに入った。
受けた拓真はそのままレイアップシュートを華麗に決めてみせた。
次の攻撃ではゴール付近に勇太へのハイボール。空中でキャッチした勇太はそのままダンクシュートに持ち込み……ゴールリングに弾かれた。
すると、この試合は試合では無くなった。
優が憂として見せる攻撃に男バスが受けて立つだけ……。こうなった。
でかい奴のパスは憂の手に収まると、再度、5組は攻撃を開始する。
残りの4分間強。5組は、ただただ攻め続けた。
結局、勇太との大技・アリウープは3度、試行し成功しなかった。
心残りと言えば、それくらいだろう。
圭祐へも京之介へも、憂はラストパスを供給した。
敗戦のブザーが鳴り終わった瞬間には、リストバンドでグイと目元を拭った憂の姿が大体育館全ての人の心に残った事だろう。
……いや、全ての人では無い。
延々と探し続けた、『学園内の騒動を未然に防止する部』の5名は、憂の勇姿を見る事が出来なかった筈だ。
試合終了。整列。礼。
この後、憂は男バスのベンチに歩み寄り、深く深く頭を下げた。
時には全力で戦い、時には温情を見せてくれた男バスへの心からの『ありがとう』だった。
……その頃、控室に向かう通路の曲り角で、部長はついに彼らを発見した。
場内からは惜しみない拍手が聞こえてきた。
憂たちの退場が間近に迫ってきている事を予感させる……。そんな温かみあふれる拍手だった。
部長はインカムに何事か言葉を発すると、ポケットに手を入れ、何かを握りしめている男子3人へと近づき、一喝した。
『貴様らは屑か!? 罪に罪を重ねるな!! 悔い改め、やり直せ!!』