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219.0話 一見、変わりなし

 


 ―――11月28日(火)



「……変わらないねー」


「変わって貰っちゃ困るよ」


「だなー。ちょっと安心……したぞ?」


 現在、3時間目の前。体育の為の移動中である。

 いつもの通り、憂の右手は千穂に引かれている。本日はグラウンドでの授業だ。何でもサッカーをするらしい。

 憂たちの後ろでは、結衣がさくらに本気出すななどと言われている。


「――千穂ぉ?」


 憂は憂で不満げだ。最初は手を繋がず歩き始めた……が、着替えの為にグラウンド横のプレハブ然とした更衣室に入る直前、段差に躓き、転びかけてしまった。

 よって、サッカー部普段使いの一面まで……と、千穂に手を繋がれてしまったのだ。


「……だーめ。転ぶよ?」


 これでは何1つ変わらない。憂の想いはこれだろう。

 千穂は千穂で、学園内での憂のお世話と、付き合う付き合わない云々の話は別問題なのだろう。


「うぅ――さむ――」


「確かに……冷えますねぇ……。こんな日は体育館がええですわぁ……」


「そだねー。憂ちゃんの手、冷たいって本当かー? ちょっと貸せー?」


「こら。折角、繋いだのに邪魔しないの」


「……気を付けてあげてね? 何でもないところでも躓く事あるから。今はバッシュだから少ないと思うけど……」


 千穂が手を離すと寂しそうな顔をした。たかだか、手を離しただけにも関わらず。


「千穂ぉー! 話が分かるー!」


 喜び勇み、佳穂が憂の手を取ると「ひゃ! 冷たっ!」と、一瞬手を離し、あらためて握り直した。


「体温あげるー。あたしの……温もり?」

「う? ぅう? 佳穂――?」


「あ! 赤くなったー! マジ嬉しいかも!」

「ちょっと? そんなに冷たいの?」

「ぎゃー! 千晶に取られたー!」

「わっ! ホントに冷たい! 憂ちゃん、冷えすぎ!」

「私の体温もあげるー!」

「あたしも!」


 ……しっちゃかめっちゃか。右手の取り合いである。この分なら憂の冷え切った右手もすぐに温まる事だろう。


「――だぁー!」


 混乱の真ん中で憂が両手万歳で切り抜けようとしたが、残念。背が低く、逃れられない。

 結果、右手だけでなく、両手を温められる羽目になってしまったのだった。



 結局、この3、4時間目のサッカーでは、3時間目で1試合。4時間目でもう1試合。チームを変え、試合が行なわれた。


 3時間目、憂・千穂と同チームで戦った結衣は、最初の内、手加減なんぞしなかった。日本代表ユースを見据えている結衣が学校の授業レベルで全力。それはもう、正に無双状態である。試合開始早々、センターサークルからたった1人で持ち込み、ゴールを挙げるなどダブルハットトリックを記録した。

 以降は再三に渡り、憂と千穂にラストパスを供給し続けるも、残念ながらゴールには至らず。憂へのボールは付近を素通りした。


 逆に4時間目、憂・千穂と別チームに入ってしまった彼女は、何故だかゴールキーパーをしていた。それでも彼女の能力は凄まじく、相手を完封。南米選手に時折、見掛ける『ゴールを挙げられるキーパー』のような存在になり得る才能をこれ見よがしに見せ付けたのだった。


 ……因みに、憂の成績は1勝1分。勝ち越した。憂は、味方の女生徒に優しいパスを足元に何度も貰っていたが、特に活躍出来た訳ではない。きちんと足を使っていた事は明記しておこう。



 そんな午前中の授業が終わると、憂の数多い至福の時間の1つ。お昼ご飯だ。

 学園内に於けるもう1つの至福の時は、朝礼後に行なわれる髪いじりの時間である。この日の髪型は佳穂が持ってきたカチューシャを使った……だけである。不器用な佳穂に出来る事はこの程度でしかない。


 お昼ご飯は、やっぱり母と姉による愛情たっぷりのお弁当だ。至って普通の弁当だが、ありがちなレンジでチンするだけの冷凍食品は一切、使われていない。この辺りは、母のこだわりなのかもしれない。

 千穂の弁当だが、デコ弁にはなったりならなかったり……と、ムラがある。これも姉が好きなサプライズ演出の一環なのだろう。毎日やってしまっては、単に『今日も可愛いおべんとだね』で終わってしまう。


 そんなお昼ご飯の開始から10分ほど後。

 憂が美味しそうに豚の生姜焼きを頬張っている最中、彼らはやってきた。

 この日の朝、転室届を提出し、この日の内に受理。この日のお昼には無事、転室を果たした男子2名。


 前日に拓真の指令を受け取った勇太と京之介の両名が大きな荷物を両手に提げ、「ただいま」と帰還した。


「んぅ――!? ん――んぐ――」


 ……何も生姜焼きのサイズが大きい訳ではない。千穂ならば普通に喋る事の出来るサイズだろう。憂の口のサイズに問題があるだけだ。

 ……この言い方では千穂からクレームが出てしまうかもしれないので、追記しておきたい。千穂は頬張ったまま、ペラペラと話すような、はしたない事はしない。彼女は幼少期から男性受けが良くなるようにと、しっかりとした調教……もとい、教育を受けているのである。


「落ち着けって……」


 大量の荷物を一旦、床に置き、勇太の手が憂の背中に触れようとし、離れていった。セーラー服少女の背中をトントン。単にヘタレてしまっただけだ。

 そんな勇太に気付いた千穂が笑いながら憂の背を撫でると「おかえりなさい」とひと言。それに憂を除いた女子隊の面々が追従していく。みんな、嬉しそうである。それもその筈、『秘密を知る者たち』の学生たちがこれで全員、同じ1-5に戻ってきたのである。

 その分、男子隊の挨拶は無しだ。年頃の男子、そんなものなのだろう。


「ちっ……。しゃーねーなぁ……。憂と千穂ちゃんの可愛い背中も見納めかぁ? 待ってろ。食べ終わったら席空ける」


 それどころか、この通り。勇太の転室以降、ちゃっかりと憂の後ろの席。窓際最後列に居座っていた圭祐など、不満を隠そうともしていない。


「あー。圭祐、悪いな。色々、拓真と話あるし、助かるわ」


 何気に拓真の立ち位置の解る会話だ。拓真は『転室してこい』とメッセージを送ったものの、理由は『直接、話す』で済ましてしまった。

 それでも2人は戻ってきた。彼の存在感は、他の3人(勇太・京之介・圭祐)にとって大きいのだろう。


「……お前なんかの為じゃねぇよ! 憂がここはお前の席だー、ってよ。居座ったら俺の評価が下がるわ!」


「元から低い。勇太、お前もな」


 勇太と圭祐をディスると拓真はニヤリ。バスケ5人衆が揃うと表情がよく出る拓真さんなのだ。


「あーあー、そうですよー。憂が呼ぶ順番だって圭祐のが先になっちまったかんなー。でも、これで順番戻ったりして?」


 勇太は口ではこう言っているが、口ぶりは全然気にしていないよと告げている。優劣は余り気にしないほうなのだろう。


「お前、俺の存在感、舐めてんなよ? 姉さんからの評価、うなぎ上りだ」


「……聞き飽きたって。たった2日で何度言ってんだよ」


 こう言われた理由。もちろん何度も言っているからだ。チャットでも憂の休んだ前日の部活でも、だ。靴屋さん→コーヒーショップのデートコース。短時間でこなせる中では完璧だったと自慢しまくっていた。主に京之介に。これは『憂には拓真』と千穂への告白の最中、そんな本心を打ち明けてしまった相棒に対する意趣返しだ。

 ……根に持つタイプは恐ろしい。お陰で京之介の耳にはタコが出来始めているに違いない。



 その相棒は女子隊との会話の真っ最中である。


「試合の日取り、決まったよ。来週の金曜日。男子バスケ部、ガチで勝負って監督が張り切ってる」


 千穂が提案したと言う、男バスvs元中等部レギュラーの試合。男バス対策を混じえた練習が行われているものの、実は日程が決まっていなかった。そこで昨日、千穂に謝罪し、許された京之介は、1度は冷戦状態へと陥ってしまった千穂へのお土産に監督の尻を叩いたのである。


「……勝てるかな?」


「正直、厳しすぎるね。勇太が守備でどこまで暴れてくれるか……かな?」


 普通に話しているように見える千穂と京之介だが、これについては他の仲間の手前……と、云う部分はあるのだろう。千穂がどこかぎこちない。しかし、時間が許す限り、修復されていく筈である。相手を完全に拒絶するほどの決定的な一撃さえ無ければ、早々、人間関係は完全崩壊などしないものである。もちろん、謝る。これを前提で語らせて頂いた。


「それはそーと、憂ちゃん、バスケ会参加してくれるんかー?」


 佳穂の疑問は当然だ。憂はプライベートに於いて、仲間たちとの関わりを絶つつもりであり、この重大な情報は既に共有されているのである。


「……憂? バスケ会は?」


「――んっ! んんっ!」


 まだやっていた。

 ……なかなか豚さんが食道を通過してくれないらしい。話を振られた千穂の手も止まってしまっていた。

 激しく詰まり、呼吸が困難……まではいっていない。何か知らないけど変なところにご飯粒が留まった……と、同じくらいのレベルなのだろう。


 そんな憂の姿に溜息を吐いた勇太は「ったく! お前は……何やってんだよっ!」と言いつつ、大きな手で憂の背中を叩いた。もちろん、千穂の手を避けて、だ。


(オレ、決めただろーがよっ! 憂を男として扱うってよっ!)


「――ケホっ。んっ――」


(くそっ! 可愛い声しやがって! もう一撃だ!)


 ばぁんと音が出るほどに叩いた。


「ん、ぐっ――」


 ……通ったらしい。涙目で見上げると「勇太――ありがと――」と感謝を示し、「すっきり――」と、和んでいる周囲の空気を更に弛緩させたのであった。




「バスケ――するよ? もう、きまってた――から――」


 これが改めて問われた憂の答えだ。

 ぶっちゃけると、正式には前日に決まったばかりなのだが、その辺の憂への説明はめんどくさい。時間が掛かってしまう。

 ともあれ、参加の意思が確認出来た面々は、ホッとした様子を見せた。もしも、憂が断れば、何の為の練習であり、試合なのか不明となる。あれは元々、悔しさを全身で表現した憂のリベンジマッチの筈なのである。


「……良かった。頑張って」

「あたしらも力試ししたくない? 女バスさんと」

「正直、もうあのままA棟でって思ってたんだけどね」

「うん――。がんばる――」

「……それはオレも。憂の周りも何気に大所帯だし、向こうはバスケ優先仕様だからなー」


 そして会話の混信。所帯が増えるとこうなる機会が増していく。因みに凌平くんは、結衣に請われ、女子サッカー部2名と、セナヒナの計4名と食事中だ。告白こそ蹴飛ばすが、何気にお願いされると弱い部分があるようだ。この為、結衣との通学になってしまっているのだろう。


「それはええですねぇ……。千穂さんも千晶さんもレベル上がってますわぁ……。ウチと美優さん入れて5名。試合、出来ますえ?」

「……申し込んでみよっか?」

「保体もクラス内で多い部に合わせて、バスケ中心なんだよ。たぶん、蓼学ならではだよね」

「そーなんかー! それは知らなかった!」

「わたしも。知らなかった。千穂がやる気ならわたしも乗るよ?」

「なんだと!? そんなん健太さん、知らなかったぞ!」

「うわ。急に湧いて出た」

「健太! 邪魔しないの!」

「だってさー! 俺も誘われたんだぞ! B棟1年10組! 球技大会に向けてサッカー部集まってんだ!」

「健太はここ! 5組に居ればいいじゃない!」




 この日の放課後、憂はやはり千穂と一緒の帰宅をせず、彩の迎えで彼女の会社に到着した。


 前日の会社訪問時、社長・太藺 彩は、憂の名前にはブランド力が備わっていると説いた。更には注目を集められれば集めるほど、周りの一般人の視線に守られ、行動を起こしやすくなる……とも。

 この日はそのブランド力に疑問を持った憂に対し、証明して見せようと……。そんな話だ。


 前日、公式HPを更新。

 オークションサイトに『立花 憂』のアカウントを作り、そのアカウントを発表してみせた。



 30分ほどでその試験が終わった憂は上機嫌で帰宅した。


「お姉ちゃん! すぐに――うれた――!」


 ……上機嫌どころか、興奮状態と言っても良いほどだ。

 その顔は赤く上気しており、人によっては息を呑んでしまうほどに愛らしい……が、マンション内であり、姉と母が居る程度だ。


「……どうだったの?」


「――これ!」


 既に用意されていたらしい。

 タブレットを掲げ、オークションサイトでの結果を示してみせたのだ。

 愛も何をするのかは知っていたようだ。キーパーソンである姉。話は通されているらしい。


「うわ! すご!」


 オークションサイトには即決価格と言うものがある。

 その即決価格はただの巾着袋としては高すぎる5万円。


 出品日時、11月28日17:17。

 落札日時、11月28日17:17。


 驚きの結果……ではない。

 憂には価値がある。例えば、髪の毛。憂の髪は再構築時、全て抜け落ち、そこから生え替わった。つまり赤子や幼児のような毛髪だ。

 そんな髪であろうとも、抜けるときには抜ける。赤ちゃんの後頭部に『良い子の証』とも謂われる円形の禿(はげ)が出来る事がある。これはもちろん先天性のものではなく、寝返りの打てない赤子の後頭部が布団や枕に擦れ、禿が出来上がってしまうのである。

 よく寝る良い子と云う意味で『良い子の証』なのだ。


 ……憂の髪も抜けている。人間だから当たり前だ。

 そんな髪の毛など、間違いなく拾われ、何処かへ消えている筈だ。髪の毛1本1本にまで目を光らせていれば、憂は何も出来なくなる。致し方のない事だ。


 そうやって人知れず儲ける蓼学生は存在している。


 それは一旦、置いておく。

 今回、憂が出品した巾着袋には大きな可能性が秘められている。

 例えば、針で指を刺してしまっていた場合。十分な量には満たないが、ごく少量の血液を手にする可能性……。

 これに総帥の創り上げた『連合』に入る事が出来なかった企業や組織、若しくはそんな背景に気付く事の出来た転売屋が飛び付いた。

 だからこその即決なのだろう。


 裏で動く蓼学生の話に戻そう。


 翌朝、そんな存在が表面化した。


 クラスメイトたちのポストに絆を揺るがす脅迫状が投函されたのである。




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