213.0話 いざ、研究所!
―――11月24日(金)
憂が休んだ。
梢枝の姿も無い。
康平の姿はC棟1年5組に在る。
千穂もまた教室内だ。
……その空気は何とも重苦しい。
「………………」
得に千穂だ。ふんわりとした微笑みは消え失せ、無表情で授業を受けている。無表情だが、その瞳の奥には、どこか不安が宿っているようにも思えた。
その要因は、もちろん憂の不在だ。
千穂は憂が心配でならない。
前日の夜、憂は突然、暗闇に閉ざされた世界にひと筋の光明を見つけ出したかのように、最愛の彼女に告げた。
「ボク――けんきゅうじょ――いってくるね」
11月16日。『蓼園宣言』と呼ばれ始めた強烈なメッセージを全世界に発した総帥・蓼園 肇だったが、その中には1つの偽りが隠されていた。
―――ここに宣言しよう。
我々蓼園グループ……。
これと共に歩む意思を示した数多の企業……。
この連合体は、今後、立花 憂への一切の干渉を許さぬ……と。
干渉する事があれば、全連合にてその暴挙を糾弾し、制裁を加え、消滅へと導くだろう。
それだけの経済力をこの連合は持ち合わせている。
努々、忘れる事なかれ。
干渉が及ばず、彼女が成し遂げた『再構築』の研究が進み、その成果に因り賜った光は連合で占めぬ。
必ず還元すると誓おう。
何よりもそれを彼女が望んでおる。
繰り返す。
彼女は我々と共に歩み!
全人類に光をもたらす!
道を閉ざすな!
拓け!
無駄な干渉は光は滅し、人類の道を閉ざす愚かな行為だ!―――
これが宣言の全文だが、この中の『何よりもそれを彼女が望んでおる』。この部分だ。
この時には憂の同意は無かった。家族も護衛も誰も彼も憂への研究について、触れていなかった。それは憂自身を研究材料として差し出せと言う事に他ならない。
だからこそ憂本人が言い出す時をじっと待っていた。
昨日の定期検診時、『島井先生? ボク誰かの役に立てるなら役に立ちたい』……。どうすれば良いか問うた。
主治医・島井の回答は明解だった。
『憂さん自身が研究所に赴き、研究の力となる事です。貴女の体には大きな可能性が秘められているのです』
梢枝が示した道標を再度、繰り返すような島井の物言いに憂の覚悟は定まった。
方針が決まるとその日の内に全身に渡るCT、MRI、脳波測定、骨髄液の採取など、行われた。
実に迅速な動きだった。準備されていた事なのであろう。実証するかのように、本日、憂は関東圏にある買収した製薬会社の研究所へと飛び立った。選ばれた道は蓼園総合病院の屋上ヘリポートからの出立。
同行者は保護者である父と、キーパーソンである姉。
『再構築』を最初から最後まで見届けた主治医・島井に脳外科医・渡辺。専属看護師から裕香と恵。
更には、絶大な権力を武器に憂への防壁を築く、後見人・蓼園 肇と秘書・一ノ瀬 遥。
深く関わった者たちは2機のヘリに分乗し、急遽とも思える空の旅路を決行したのである。
その動きに合わせる形で、本日早朝となり憂の公式HPにて1つの方針がマスコミ向けに発表された。
憂は未成年であり、障がい者である事から実名、写真など控えられていた報道だったが、その配慮の必要無し、と声明を出した。これは当然ながら憂の了承済みである。
『千穂ちゃんは学園だよ。憂に合わせて休んでばっかりはダメ』
おずおずと同行して良いか伺った時に姉にこう諭された。
(……部外者……なんだよね……)
千穂は学園内で憂に1番近い。
引っ越し以降は学園外でも驚くほどに距離が縮まった。
今の千穂は公私共に大変親しい友人。
……それだけの事だ。
この突き付けられた現実が千穂の心に影を落とした。
(どうしたら憂と一緒に居られるのかな……)
何度も何度も思った。
発露前には2度目の告白をする。こう決めた。生徒会長に向けて話した時、自分の心の整理が付いたはずだった。
思うとおりに動けばいいんだ、と。
そんな当たり前の事が出来ない。
憂は総帥の経済連合体構築、一連の動きに乗った。自らの意思で。
これは世界規模の動きだ。ただ1人の普通の少女である千穂には重く大きい。質量など存在するはずも無いのだが、全体像が捉えられないほど巨大で、重力の中心のように重く感じるのだ。
(……このまま遠くに行っちゃうのかな……)
「10!」
(…………?)
「9!」
(佳穂?)
「8!」
(授業……)
「7!」
(終わり?)
きーんこーんかーんこーん
「ぎゃあああ! 時計ずれてるぅ!」
課題を与えていた数学教師が「あはは! 大守さん、残念でした! 急にカウントダウン始めるから何かと思いましたよ」と笑声を上げるとクラス中の至る所で釣られて笑みが広がった。
「それでは次の授業で今の問題の解答と解説ですね。してきてくれると嬉しいな」
「宿題はNGだぞー!」
「自由に反するっすよー!」
「いじめ。現役教師のいじめ」
……何気に教師泣かせの校風なのだ。
……ふむふむ。成功だよー。乗ってくれた健太くんと結衣ちゃんに感謝だー。
「礼」
「ありがとうございました!」
「着席」
凌平くんはえらいなぁ……。毎回キチッと先生にご挨拶。見習わにゃいけんのか?
チラリ。
「……どうした?」
ミスった! 目ー合った!
「凌たん、凄い! エライ! あんたが大将!」
「佳穂っ!」
パシッといい音。千晶、叩くの上手になったなー。ツッコミ歴長そうだけど、たったの半年なんだよね。
「……この頃、君の事を考える事がある」
「……ふぇ?」
変な声出たっ! やめろっ! 千晶の前でっ!
「君は賢いのか? 何故、爪を隠している? それは学園生活に於いて武器になる物だ。隠し立てする理由などないだろう」
凌平くんから高評価。何でだー?
「凌平くん、佳穂の事、買い被りすぎてます」
そうだけど……。そうだけどさ……!
「千晶さん? そこでけなしてくるとは鬼畜さんですか?」
「本当の事「なんだとー?」
「……被せてこないで」
「何をだ? 何を被すんだー?」
「言葉を!」
「言葉を被せるって何だー?」
「………………」
「………………」
佳穂? めんどくさいよ?
千穂ぉー? こー言うところだぞー?
千晶も千穂を見て心配そう。こんなに凹んでるのは何で? ブルーデーか? あたしと一緒か? 安定してきたんか? それなら1つ安心。
……なんだけどさ。そうじゃないよね?
千穂? あ。目が合った。不安そうだね。憂ちゃんが傍に居ないとダメなんか。強くなったんか弱くなったんか分からないぞ?
「……どうした? 行かないのか? 次は体育、早めに行動「りょうへー! 行くぞー!」
「健太くん!? 何を!?」
「いいから行くぞー?」
……行っちゃった。健太良い奴。凌平くんは今でも時々空気読めないから。
さて……っと。
残ったのはあたしら半年前のいつもの3人と拓真くん、康平くん。
「そ言えば、康ちゃんも静かだなー?」
「お前も留守番だな」
康平くんは合点がいったような顔。なんだと思ったんだー?
「ワイ、確かに留守番やけど憂さんの護衛体制に抜かりはあらへんよ。今頃、色んな人らが驚いてはるわ。決行の予測は休日。それがいきなりの金曜やさかいなぁ……。しかも空路やったら下手に手出し出来へん。憂さんの無事が条件や……から、なぁ……。しもうた。喋りすぎたわぁ……。黙っててや? 梢枝にしばかれるわ……」
「康平? 答えになってねー」
「……へ?」
「……そうですね。拓真くんが言ったのは、なんで留守番してるの……です」
康平くんは……。表情に変化無し。のほほんしてる。
爆弾発言だったような気がする。さっきの康平くんの。
「いや、ワイ、任務中よ? 今日のワイの護衛対象者は千穂ちゃんよ。ワイ個人としては佳穂ちゃんと千晶ちゃんもやけどな。拓真はんは微妙……」
……千穂は置いといて。
「あたしらには不要だぞー?」
「はい。危機感とか感じていませんので」
「……それは私もだよ」
…………!
「「千穂」」
あ。被った。めっちゃ多い。阿吽の呼吸だ。
「私も……必要ないよ……。私、何も出来ない。憂の役に立ってあげられてないから……」
千穂……。
「私、今日、一緒に行きたかったんだけど……。連れて行って貰えなかった……」
「あー。それやったら「くだらねぇ」
「拓真くん!?」
それは……。
「ちょっと酷いぞー? 千穂ぉー? 泣くなー?」
おー。よしよし。千穂の頭ふわふわー。
「千穂? それってわたしたちと同じ悩み。千穂も同じ悩みを抱えてたんだね……。わたしも佳穂も何も出来てないって……」
「千晶も……?」
千晶は仲間を見付けたようにどこか嬉しそうで、寂しそうで……。あ。千穂こっち向いた。
「佳穂は……?」
千穂の目は、潤んでて……。すっごいキレイで……。
「憂ちゃんの馬鹿ぁぁぁ!!」
……なーんて叫んでみた。
あたしもだよっ! あたしも同じだっ!
3人みーんなおんなじ気持ちじゃないかっ!
こんなに女の子を不安にさせる憂ちゃんは大馬鹿者だっ!
「馬鹿はお前らだ」
……さっきからこの人は。
人が感動のシーンを満喫してる時に。
千穂をハグしてみたあたしを見下ろした拓真くん。
「心配だから安心出来る場所に置いておきたい男心も理解してやれ」
……少し笑った気がした。
「役に立たねーってだけで離れんのか? それなら俺も離れなきゃなんねーな」
さっきのは千穂向けで、今のがあたしら向け?
「じゃあ、何で拓真くんは一緒に居られるんですか? わたしたちと同じで役に立ってないと感じているのなら……」
そんな責めるような千晶の言葉に拓真くんは「今まで一緒だったんだよ。俺らは」って。
ガキの頃からずっとだ。
それが性別が変わった程度で態度変えられるか。
傍に居るんは憂の為なんかじゃねぇ。
俺の為でもねぇ。
一緒に居るんが当たり前なんだよ。
なんかさ。めっちゃ心に響いた。ゴーンって。
でもさー。
結局、拓真くんは憂ちゃんをどうしたいのさ?
……そ言えばさっき、康平くんは何を言おうとしたの?
「憂ちゃん、お疲れ様でした!」
「怖い……検査……無かった、ね」
専属のお2人も出張お疲れ様でした。
私たちとは違って、裕香さんと恵さんはどこまでも一緒に居てくれた。憂が拒否した検査があったらやめられるようにって。
……にしてもさ。マスコミの情報収集力凄いわ。
いつの間にやら研究所の外に押し寄せてた報道陣に私たちは対応。会社の人に迷惑だからね。グループ企業の一角になったって言っても、日は浅いんだし。
ついに『再構築』の全貌解明開始! ……ってとこかな? 見出しは。
「いたいの――あった――」
おやまぁ、不満げな顔だ事。
「よー頑張った! 感動した!」
頭をひと撫で。ちょーどいい高さなんだよねー。しつこく撫でると怒るから一瞬だけ。
昨日の骨髄液の採取。これが痛そうだったわ。背中に注射……。注入じゃなくて抜くんだけどね。それでも注射かいな?
「先生? 注射って採血とか抜く時でも注射って言うんですか?」
聞いてみた。
今日は血液やら唾液やらの病院設備が要らないほう。研究所ならでは検査ってのは、ほとんどなし。
よくよく考えたらそりゃそーだ。
色んなサンプルとか集めて実験とかする施設なんだからねー。憂が出向いたのはアピールってワケだ。
「注射は注入する場合だよー。血を採る場合には採血。聞いた事ないかなぁ? 注射器って名称がややこしくしてるんですかねぇ? どう思います? 島井先生?」
「また難しい話を……。そうですねぇ……。渡辺くんが言った通り、注射と採血の差は歴然です。注射は痛いものですよ。薬液を体内にねじ込む訳ですから。それに対して、採液は痛みを伴いません。痛みを発するのは針を通す瞬間のみです。下手な看護師の場合には、シリンジに余計な動きを与えてしまい、そこから痛みを伴う場合もありますがね」
「そう! 採液! 尿の採取も採液! 血もですね! さすがは島井先生!」
……めっちゃややこしいわ。
おや? 憂の機嫌が良くなってるぞ?
「……どうした?」
「きて――よかったって――。みんな――あかるいから――」
優しい笑顔。今更だけどキュンときた。
ん。コーヒー美味し。
私たちに配慮してくれて、ここの人の居ない休憩所。
憂も私に釣られたのか、コーヒーをひと口。ありゃりゃ。みんなひと口。
「――おいし」
……ほんわかさせられた。あははは。皆さんもですね。
砂糖、ミルク増量……。甘過ぎやせんのか?
「……これで人心地がつきました」
「ほう? 君の口からそんな弱音を聞こうとは」
「お気持ちは解りますわぁ……」
総帥とその秘書、梢枝は別室で談義中だ。
「……憂さまの研究開始の遅延により、どれだけのクレームを受けたとお思いですか?」
この梢枝は定員オーバーの為、朝早く蓼園市を立った。
千穂が同行を断られた真の理由。
「知らん。君の仕事だろう?」
それは一刻も早く、憂を研究所に送り届ける必要があったからだ。
「酷い言い草ですねぇ……。憂さんが知らないままなら、どないするおつもりだったんですえ?」
ところが、憂の覚悟が定まったタイミングが突然すぎた。
「検診時、病院で採血しておる。それを回す腹積もりだった」
元々、空路を選ぶ予定だったが、ヘリの用意に苦戦した。
見付かったヘリは小型のヘリが2機のみ。これ以上は乗れなかっただけの話である。
「拒否された場合には?」
空路を選んだ理由は康平が語ってしまった通り。
憂を攫いたい組織、団体などは確かに存在するが、憂が無事でなければ無意味と化す。遺体でも回収出来れば、研究は出来るかもしれないが、それでは不足かもしれない。何よりリスクが高すぎる。
「それは有り得んわ!! あの子の天使の心がそれを許さんだろう!?」
だからこそ、空を選べば襲撃の可能性は極端に引き下げられる。しかも突然の来訪。
憂を得たい者たちは地団駄を踏んでいる事だろう。
「肇さま? そろそろ参りましょう」
秘書にそう告げられると、憂を声高に賛美する気満載だった総帥は気勢を削がれた。見事なタイミングである。
「……うむ! 憂くんを盛大にマスコミ連中へ見せびらかしてやろうではないか!」
簡素な椅子から立ち上がると彼は、休憩所へと大股を進めたのだった。




