201.0話 宣言
―――11月16日(木)
「愛さん! 聞いて下さい!!」
プンプンと怒りを振りまいているのは、裕香だ。専属看護師として、発露後、院内での有名人になった内の1人である。彼女ら専属たちは、鉄壁の守秘義務を誇る看護師として、名を轟かせたのだった。
……元々、VIPルームの看護師として有名だったが、そこはそこだ。
「今日、急患……って、言うか……その……事故で心停止しちゃってたお子さんなんですけど……」
いきなりの尻すぼみである。
傍の島井は「ははは……」と苦笑いを浮かべている。
既に憂の検診は終了。千穂はこの日、婦人科を受診している。『1人で大丈夫ですよ?』と言っていた。大きな成長と謂えるかも知れない……が、恵と高山が付いていった。1人にするにはまだまだ危険ですえ……と、護衛の片方に言われているからである。千穂が顔も名前も知らない患者に見せかけた警護も混じっているのだが、まだまだ不安定……と、言う事なのだろう。
よって、現在の憂は伊藤との珍しい2ショットなのである。
「……それで、その子は……?」
愛が促すと、また怒りを再燃させてしまった。そこからは泉の如く、どんどんと言葉が湧いてきた。島井も止めなかった。彼も表情こそ穏やかだが、内心は腸の煮えくり返る思いなのだろう。鉄壁の守秘義務はどこに行った? ……と、言いたくもなるが、彼らも人間だ。好まない人間の文句があれば、聞いて欲しい事もあるだろう。
「……はっきり言えば、既に亡くなってる状態だったんです! でもその母親は、島井先生を指名してきて、仕方なくあたしと一緒に救急救命室に入ろうとすると『とにかく生き返らせて欲しい! 貴方にはそれが出来るんでしょう!!』って、すごい剣幕で! でもやっぱり、どう見てもダメだから死亡診断を下して、すぐに救命室を出て、それを伝えると『怠慢です! 訴えさせて頂きます!』って……。そんなのより、お子さまが亡くなったんですよ!? 島井先生に文句言う前に少しは悲しんであげて欲しいですっ! 憂ちゃんは色んな要因が重なって、命を繋いだ結果、『再構築』を起こしたんです! それなのにあの人は!! 事故の原因だって、救急隊員が教えてくれました! 自転車で母親とお子さま2人、縦に並んで走って、母親が急いで点滅信号を渡ったからだって! 轢いちゃった車は青信号で出た記憶があるって! 小学校にもまだ入っていない子ですよ!? お母さんが点滅信号を無理に渡ったら追いつけない上に追いかけちゃいますよね!? どう思います!?」
愛がその魂の叫びのような声音に眉を顰めると、そこでようやく島井が口を挟んだ。
「裕香くん? すっきりしましたか? VIPルーム以外では絶対に愚痴ってはいけませんよ? 愛さんには、口外されない絶対の信頼があるから許しただけです」
絶対の信頼。この言葉は心の底からのモノに違いない。憂の秘密を共有し、守り抜いた者たちには、そこから別のところに漏れないと云う確信がある……が、医療従事者としては、完全にアウトな行為である。前述したが、島井にとっても腹立たしい出来事だったに違いない。
「――ゆうか? ――どうした――の?」
伊藤と何やら『男同士の内緒話』をしていたはずの憂がトテトテと、えらい剣幕の裕香に近付いてきた。その澄んだ瞳は不安に揺れている。勘違い事案発生かもしれない。自分の事で怒ったとでも思っているらしい。
「やっぱ裕香はまだまだ怖いっすね。恵のほうが口は硬いっす。大体、先生がもっと早く止めるべきっすよ。気持ちは分かるんですけどね」
まともな関係者が居た事に安心感を得る……が、実名を出さず愚痴るくらいの事は、看介護の世界でよくある事なのである。
「ないでも……ないよ? 癒された。ありがと……」
裕香の感情は憂の姿を捕らえると一転した。相変わらずの癒やし系本領発揮具合だ。この看護師たちは憂の男子制服姿に驚きはしたものの、特別、何も言わなかった。憂の葛藤は存分に理解しているのである。
要するに……。
この日も男子制服で通学した。『クリーニングに出しちゃったわよ?』と母に言われたからである。今週中は男子制服確定……と母の談だった。はっきりと言えば嘘だろう。憂のセーラー服は一着のみでは無い。
その嘘を聞いた憂は『うぅ――しかた――ない』と諦め、今度は兄に『お前、セーラー服のほうがいいん?』といじられ、拗ねていた。複雑な乙女心……? 男心でも無いはずだ。とにかく、ワープポイントたっぷりの入り組んだ迷宮のように複雑な心内なのである。
……男子制服でも女子制服でもない、私服での通学と言う蓼学ならではの選択肢もあるはずなのだが、何故だか、そこには行き着いていない。例え、その冴えたやり方に憂が気付いたとしても、姉により却下されるはずだ。今回の男子制服には、陰謀めいた作戦が隠されているのである。
「恐れてはいたのですが……ね。憂さんの『再構築』を知った人が同様の過程を望む事態は想定していました。今回は、死亡判定を下すしか無い状態でしたが……、これから先、正に憂さんと同じように、辛うじて命を繋いでいる場合、難しい選択を迫られる事となります。国内の事例では報告を受けておりませんが、海外では無理な延命の末、結局、命を落としたと言う事例が挙がっております……」
どうやら、これを話さなければならない為に裕香を止めなかったようだ。憂にはともかく、家族。とりわけキーパーソンの姉には話しておかねばならないだろう。
「……それは……。えっと……」
姉には言葉が見付からない。島井の挙げた例は『再構築』によって、医療の現場の在り方が変わってしまった事を示す例なのである。
「大丈夫です。ご家族にも、憂さんにも負い目に感じる必要はありません。早い内に我々、蓼園総合病院も警笛を鳴らします。ですが、これから先……。そうですね。こんな事例に関し、コメントを求められるかもしれませんので、お伝えしたのみです。その時には、何も言わず我々に任せているとでも言っておけば良い事ですよ」
「……はい。それで……その海外の人は苦しみを伸ばしただけ……ですか?」
「いえ。意識は1度も戻っていないので、それはありません。ご安心下さい」
最後の声音は実に柔らかく、医師としてではなく、1人の先人としての言葉のようにも聞こえた。
この日の憂は寝ない。
裕香の声音に驚き、1度はソファーまで歩いてきたものの、自分に対してでは無い事を理解すると「いとうさん――いこ?」と、またベッドに戻ってしまった。
憂は何故だかこの日、伊藤と顔を突き合わせ、語り合っている。顔が丸く大きな伊藤と、超小顔の憂。遠近感が崩れてしまいそうだ。伊藤を近くに感じてしまうが、これは錯覚なのである。
「千穂ちゃんの事が心配なんだねぇ……」は姉の言葉だ。重く、どこか苦しい島井と裕香の話の後であり、愛はその姿に癒やされよう……と、ベッドに近付いたが物凄く嫌そうな顔をされ、舞い戻ってしまった。
「愛さんの憂ちゃんへの理解は、もうとっくにあたしたちを越えていっちゃったんですね……」
裕香は、どことなく……ではなく、しっかりと淋しそうだ。
憂となり、10ヶ月を超えた。自宅で過ごした期間は、このVIPルームで過ごした期間に肩を並べた。その間、憂は回復し、内面的な成長を見せている。誰よりも憂を理解していた専属の、喜ばしくも淋しい感傷……。それを愛はよく理解出来たはずだ。
一方の憂は……。
相談相手に伊藤を選んでいた。『男同士の内緒話』と称したのは、憂ではない。伊藤の方である事は強調しておこう。
その憂は眠そうな目をグシグシと擦りつつ、伊藤に精一杯の言葉を紡いでいる。
「――ボク――だんしと――つきあえない――」
「まぁ……わかるっすよ?」
伊藤は想像してしまったのか、愛嬌のある丸い顔を歪めてみせた。
男子だった筈が、今は女子。言い寄る男子たち……。そんな構図を『自分がもしもそうなったら』と置き換え、想像している。この専属たちには、それが出来る。大半の者が出来る。人の痛みを想像出来ない者こそが、憂を糾弾した……若しくは現在進行形で悪意を持ち合わせている者たちだ。
「なのに――わかって――くれない――」
「そりゃ……えーと……」
折角の相談相手だが、詰まってしまった。伊藤には解るのだ。その相手の気持ちも。絶世の容姿を持ちつつ、ひたむきに生きようとする様は、男女の区別なく虜にしていってしまう。
「ことわろう――したけど――ごういんで――」
珍しく良く話している。伊藤とは、実は入院時も余り話していない。
手首の傷を作った時、憂は伊藤に対し、距離を置いた。憂は女子として初めて男の力を恐れてしまったのだ。だが、伊藤は憂の自傷を止めさせるべく取り押さえただけに過ぎない。
それから時は経ち、憂から伊藤に謝罪し、丸く収まった。だが、伊藤は必要以上の接触を避ける。相手は元が男子とは言え、可愛すぎる事が原因だ。
「強引……?」
憂は憂で、人が好きなタイプだ。特に男性との会話を好む傾向にある。憂としては、伊藤との微妙な距離感を寂しく感じていた事だろう。おそらく、伊藤1人になった事を幸いに相談を持ちかけたに違いない。
「ことわった――のに――でーとって――」
「デートっすか……」
伊藤は首を捻る。この終わる事のない無限ループから抜け出す方法を……。
「ボク――おとこ――だった」
「……そうっすね」
この世界を恨む。何故、こんな試練を我に与えたのか……。
「だんしと――つきあえない――のに――」
これで3週。微妙なニュアンスが違う為か、憂には話が進んでいるように感じているのだろう。
突然、伊藤の顔に光明が見られた。この輪廻を断ち切る妙計でも浮かんだのだろう。
「試して……ことわれば……いいんすよ……」
憂はいつも通り、小首を傾げ……。笑った。ちょっと悪い笑顔にも見えた。そのデートの相手が圭佑だから……で、あって欲しい。これから先、お試しデートをしては、やっぱりごめんねー。そんな小悪魔に成り得る可能性を感じた伊藤は……笑った。
……ではなく、無限ループからの脱却が素直に嬉しいのだろう。
「――それ!」
憂と伊藤。遠目に見ても笑い合っている2人を見て、他の3名が不思議な顔をした……瞬間だった。
ピンポーンと、NCが鳴らされ、裕香が駆け出した。千穂たちの帰還……と思われたが、裕香の連れてきた人物は姉と主治医の予想を裏切った。
その男はいつも傍に控えているはずの女性を伴わず、このVIPルームに辿り着いた。
……総帥・蓼園 肇である。
「やぁ! 諸君! 久しいな!」
彼は横柄にも聞こえる挨拶を済まし、愛と病院関係者に土産を渡し、憂の傍に寄った。
「憂くん! 花火が……好きと……聞いた!」
聞いてはいない。憂が……では無い。今は彩の会社にある、立花家のアルバムを開いたおっさんの所見である。
そこには小学生時分の優が、ポカーンと口を開け、花火に見入る姿があった。これを総帥は好物の1つと判断した。おそらく初めて見た実物の花火だったのだろう。蓼園市には花火大会が存在しない為、安易には鑑賞出来ない。隣では幼き日の小さな拓真と、更に小さな美優が同じように口を開けているベストショットだった。
「へぇ……。そうなんですか。でも時期が悪いですね。この時期じゃどうにもなりませんよ」
「うむ……。そうなのだ。だからこそ! DVDを持ってきた! 伊藤くん! さぁ、再生を!」
「用意いいですね」
伊藤は半ば呆れ、半ば感心したような表情で、座っていた丸椅子から重そうな腰を上げると、総帥からディスクを受け取った。
「これ、ブルーレイですよ……」
「そうか? 何でもいい。頼むぞ!」
「了解です」
伊藤は部屋の端に移動していった。そこに何やら色々と装置があるようだ。
「――はなび?」
反応が遅かった。遅かったが、今回は総帥と伊藤への配慮に見えた。2人の会話が落ち着くタイミングを見て、話し始めたのである。急成長かもしれない。
「良い物だぞ? 見るが良い」
ウィーンと情けない音を立てつつ、大きなスクリーンが姿を見せる。大画面の液晶ディスプレイには勝てないだろうが、それでもスクリーンに投影される大きな花火は、見事な大輪の花を咲かせてくれる事だろう。
スクリーンが降りきると同時に広大なVIPルームの蛍光灯が全て落ち、間接照明が暖かかな光を灯す。カーテンもいつの間にか自動で引かれてしまった。
何気に広大で豪華なだけではないロイヤルスイートな気分を与えてくれる部屋だ。
ソファーで会話していた3名も中断。ゆっくりと腰を上げ、ベッドに向けて歩き出した。
プロジェクターからまばゆい光がピュアホワイトの天井から降りた白壁に投射される……と、そこに隣に居るはずのおっさんが居た。いつの間にか、ちゃっかりと憂の隣、ベッドの上に腰掛けている。柔らかなマットレスは沈み、何気に憂は斜めになっている。
前回、このプロジェクター&スクリーンが起動されたのは、例の暴露以降、数日間の話だ。その時の設定のまま、TVとしての機能が働いたのだろう。
「――あれ?」
憂が隣のおじさんを見上げる。何気に傾いているだけに、体を寄せ、上目遣いに年配男性の機嫌を伺う少女のようで、嫌な構図だ。
「……んむ?」
総帥がそんな憂に気付き、信奉する少女に目を向けた時、憂は画面に目を戻した。
総帥が釣られ、画面を見るとそこには自ら立った本日午前中の記者会見のVTR。ニュース番組だろうが、音声は再生されていない。伊藤が何やら操作しているが上手く行かないらしい。
視線を感じたのか、隣の小さな憂に目を戻せば、またもや目が合い、その美しい瞳は画面へと戻っていった。
「あ――そっか――」
ポソっと呟き、妙に納得した様子を見せた。「2人居る……とか、思ったんか!」と姉のツッコミが聞こえたが、生憎、そのおでこに届く距離ではない。遥が居ない今、総帥は誰にも止められない。その憂と総帥の距離感に割り込む余地がない。
―――残念ながら、TVが無音声の為、この日の記者会見での総帥の言葉を紹介させて頂こう。
この日、総帥は国内外、多数のメディアを前にオーバーなリアクションに言葉を乗せ、雄弁に語った。
ここに宣言しよう。
我々蓼園グループ……。
これと共に歩む意思を示した数多の企業……。
この連合体は、今後、立花 憂への一切の干渉を許さぬ……と。
干渉する事があれば、全連合にてその暴挙を糾弾し、制裁を加え、消滅へと導くだろう。
それだけの経済力をこの連合は持ち合わせている。
努々、忘れる事なかれ。
干渉が及ばず、彼女が成し遂げた『再構築』の研究が進み、その成果に因り賜った光は連合で占めぬ。
必ず還元すると誓おう。
何よりもそれを彼女が望んでおる。
繰り返す。
彼女は我々と共に歩み!
全人類に光をもたらす!
道を閉ざすな!
拓け!
無駄な干渉は光を滅し、人類の道を閉ざす愚かな行為だ!
更にこの後、自らの口で製薬会社買収以降、交渉の纏まった企業名を羅列していった。
世界に名だたるIT企業。優れた研究所を備える超有名大学。とある1つの小さな部品製造に特化した、名前の知られていない……だが、無くてはならない企業……など、その数は相当数に上った。その企業も北米、南米、亜細亜、欧州、中東、アフリカ、オセアニア他……と、各地に散らばっているように思えた。
製薬会社買収時、既に協賛企業に連ねていた多数の企業と合わせ、世界経済の何割に及ぶか想像も付かない企業連合体を構築してしまったのである。
秘書である遥がこの日、追従していない理由は、この宣言後の対応に多忙を極めているからに他ならない。
そんな中、木曜の午後、この蓼園総合病院最上階・VIPルームに姿を見せた。これはこの時間にこの病院に訪れる事が絶好の対外的アピールになるから……だけでは無さそうだ。憂と接触を果たした総帥はニコニコと上機嫌そのものであり、その辺のおっさんと何1つ変わりない。
この宣言の後、設けられた記者団の質問に対し、『これ以上の企業の接触、交渉は不要とメッセージを発したと捉えて頂いても結構です。もはや、この連合は如何なる干渉をも撥ね除ける力を有した』と、以降の全ての交渉を打ち切ったようにも思えるものだった。
そして、これは彼が幼き日に描き、追い求めた夢を叶えた瞬間だったのかもしれない―――
「あの。総帥さん? いいですか?」
ブルーレイディスク再生の話だ。ここの設備はブルーレイ対応済らしい。
「うむ! 頼む!」
総帥の持ち込んだ映像は、とある有名花火大会の様子を映したものだった。高画質な大画面の映像は、このだだっ広い部屋を会場に作り替えたかのような迫力を備えたものだった。
「――おぉ――」
「――すごい」
「でか――!」
このように段々と興奮の度合いを高めていき、クライマックスのしだれ柳の連発にはスクリーンいっぱいの美しい光の共演に「まじ――すごい――!!」と立ち上がってしまうほどだった。
ちなみにプロジェクターからの光の妨げにはならなかった。それだけの身長を持ち合わせていなかったのである。
「千穂――! すごかった――よね!?」
途中で戻ってきた千穂に今まで略されていたはずの、優の頃の口調まで飛び出す興奮ぶりだ。
その上気した憂の小動物ぽい姿に気を良くした総帥は……。
「よし! 決めたぞ! 花火大会だ! このDVDの花火大会を超える花火大会を憂くんにプレゼントしよう!!」
……と、宣言したのだった。
この日、世界中に向け鮮烈な宣言を果たし、干渉への分厚い壁の創設を成し遂げた総帥は、以降の処理をそっちのけで、憂と花火のブルーレイを鑑賞し……。
毛色のまるで違う宣言を人知れず、行なっていたのだった。




