196.0話 久々のお出かけ:逢→哀
「憂ぅ? どれにする? 千穂ちゃん、何かオススメある? 私、こー言うのあまり食べないからさ」
1人増加した護衛対象の皆様は、現在、クレープ屋さんの前で立ち止まっている。合流した女性は、これを買いに来たところ、運良く憂と遭遇したらしい。
「えっと……。チョコとバナナは外せません……よ?」
何やらあざとい語尾上げと同時に、ちらりと左やや後方に目をやった。もちろん、そこは憂のポジションである。
その千穂と憂の繋がれた手を見詰めるのは、取り押さえられた女性だ。
彼女と愛とは、面識があったらしい。
―――それは当然だ。この女性が合流した経緯を語っておかねばなるまい。
『申し訳ありませんでしたっ!』
本日の一大イベント。憂の身バレ以降、初の外出。その重大な役目を請け負った大きな体の警護隊隊長は、白髪頭を思い切り下げ、平謝りだった。
大事な大事な初日に犯してしまった大失態である……が、これは不運だったと云えよう。
取り押さえられた女性は、2つのリストに入ってしまっていた。この日、編成された警護隊のミスではなく、蓼園綜合警備内の一部署、情報管理部のミスである。
そこが管理するリストを基に要警戒者などのリストが、実働部隊に周知されているのである。
女性が入っていたリストの1つは、今しがた例に挙げた要警戒者リスト。前日の夕方以降、新規に追加された女性だった。段階があり、マンション内を長く探索した女性は、なかなかの上位に位置されていた。
……もう1つは、護衛対象者リストである。
この中には、憂とその家族、千穂も拓真も当たり前に、佳穂千晶といった女子も勇太たち男子隊、梢枝と康平さえ、入っている。
……学生やその家族以外にも、リスト内には名前がある。
憂の親戚たちもそのリスト内だ。
今回、取り押さえられた女性の名は、舞。立花 舞。れっきとした憂たちの従姉妹だったのである。
『いえ……。驚きましたけど、大丈夫です。あたしも悪かったので……』
舞も頭を下げた。舞には、謝らなければならない心当たりがある。
黒服たちが抑えたその後、愛がその顔を見やり、『舞ちゃん!?』と、その名を呼ぶと、すぐに取り押さえられたばかりの舞は解放された。
即座に蓼園モールのバックヤードをお借りし、話し合いとなった。下手をすれば、取り調べの様相を呈していたであろう。当然、警察ではない彼らにそんな権利は無いが、彼らはやる。訴えられようがそれはグループ内で問題視されない。憂に何かがあれば、一大事なのである。
それでも、取り押さえられた女性をしっかりと確認し、気付いた愛に、舞も警護も感謝せねばならない。
バックヤードを借りられた要因は、もちろん、『蓼園 肇』の名前である。この街でこれほど、大きなブランドは無い。蓼園グループでは無い、このモールにもその権力は及んでいる。
『……それにしても、どうして蓼園市に……?』
千穂も拓真もちんぷんかんぷん。訝しげな顔で3名のやり取りを見守っていた。憂は何度も小首を傾げては舞を見、目が合うと逸らす……。こんな動作を繰り返していた。どこかで見た気がするが、気のせいかもしれない。
『どうしても優……ちゃ、ん? ……に逢いたくて……。父さんも兄さんも正月には、帰ってきてくれるだろうから待ちなさいって……。今、行くと迷惑を掛けるからって……。でも、我慢できなくて、友だちの家に泊まるから心配しないでって……。あたしたちにも、警備……? ボディーガードみたいな人が、付いてるの知ってたから、その人にも同じ理由を話して……、嘘付いて、憂ちゃんに逢いにきたんです……』
マンション名は、その場で憂と顔を合わせた祖父から聞いていた。ググルマップを開き、遠路遥々、この蓼園市まで運転してきた。
家族には内緒の旅路。だからこそ、憂の住む部屋に辿り着けなかった。立花家の玄関先まで辿り着こうと思えば、セキュリティルームに入り、防火扉のロックを解除するか、エレベータの隠しコマンドを入力するか、どちらかしかない。
要するに、総帥秘書や憂のグループ内のごく一部。後は家族程度しか辿り着けないのである。もちろん、エレベーターの管理会社や、警備の者ならば、突破出来るが今の時点では除外させていただく。
迅の兄や両親。つまり、舞の父母や祖父母ならば、立花家との連絡手段を持っていただろう。立花家の誰かに迎えに来てもらえば問題なかったのである。舞は憂の家族の携帯番号も家電の番号も知らなかった。遠方であり、子どもを卒業して間もないからだった。
けれども、父や祖父母に電話をし、問えば、どう考えても怒られる。いや、叱られる。
舞の父親は堅物で、厳格な人物だ。かつて、生まれ育った町を飛び出した迅と、たったそれだけの理由で仲違いしたほどだ。迅の結婚を機に式、披露宴共に出席し、その仲を回復させたが、そんな人物なのだ。
『だから……。今回は諦めて、きっとお正月に逢えるから我慢して帰ろうって……。でも……折角、大きな街に来たから大きなお店に来て……。クレープ食べたかったから……』
迅は、実は田舎町の出である。古い考えを残している地域だ。その為、家を捨てるように飛び出した迅の事を兄は許せなかったらしい。
……そんな田舎町だ。今でもコンビニさえ数が少ない。歩いて行けるような距離には存在していないらしい。そんな町では、大好きなクレープが滅多に食べられない。専門店のモノを……だ。なので、クレープを食べにこのモールへと足を運んだそうだ。他にもショップの袋をぶら下げていた。午前中をここで過ごし、地元へと帰る予定。そんな最後の行程で、奇跡的に憂と出逢ったのである。
『なんにしても良かったよ』
愛が従妹を見る目は優しいものだ。この従妹は、高校を卒業した年齢のはずだが、内面的な幼さを感じている。
『わざわざ長距離移動して、目的を果たせないんじゃ、ね?』
今年の元日、目覚めてさして間の空いていない憂を残し、祖父母の下に家族4名で父は里帰りした。理由は憂としての生存を内密にする為だ。その時に見た舞の姿は、聞き分けの無い子どものようだった。優に逢いたいと駄々をこねた。
『うん。ホント、逢えて良かった……』
そう言うと、憂に向き直った。すぐに瞳いっぱいの涙を溜め、『久しぶり……。生きてたんだね……。ホントに良かった……』と伝えたかった想いを吐露した。すかさず、千穂が囁く……と、千穂を見やった。表情は変わらなかった。意識し、意図的に変えなかったのかもしれない。
『――ひさし――ぶ、り――』
憂の声は消え入ってしまった。その感情は表に出る。
『憂……』
愛にも妹の感情が移り、悲しそうに憂を見詰めた。
……憂は、従姉である舞を忘却してしまっていたのである―――
そこから、舞に千穂と拓真を。千穂と拓真……従妹である憂に、舞を紹介した。
愛は憂の記憶障害について説明すると『ごめんね……』と付け加えた。
憂も従姉だと、舞を紹介されると、『ごめん――なさい――』と悲しそうに謝った。
舞は……『そっか……。それなら仕方ないよ、ね……。じゃあ、もう1度! 今度は自己紹介! 舞……だよ。またよろしくね』と、平静を装ったように……悲しく笑った。
そこから、警護隊長に『引き続きお願いします』と愛が依頼し、現在に至っている―――
「ね? 憂?」
「んぅ――?」
「チョコと……バナナ……ね?」
小さな憂へと微笑みかける千穂に「チョコとバナナの相性、抜群だよね」と舞が同調した。どこか作った笑顔のようにも見えたが気のせいでは無いだろう。それまでは、2人をどこか探るように見ていた。
「――なにが?」
クレープ屋さんを目の前にし、チョコとバナナと言われれば、具材のことに決まっているが、その存在を忘れているのかもしれない。
「……クレープ……だよ? やっぱりそうですよね! クレープにチョコとバナナは欠かせません!」
最初の言葉を憂に。その後を舞に向けた。憂との会話に慣れた者の話し方だ。
「アイス入れるとちょっと冷たすぎてきついよね」
「あ! わかります!」
「――くれーぷ? いい――におい――」
憂の顔が蕩けた。だらしない顔である。相変わらず、憂は香りに弱い。半年間ほどの嗅覚喪失の反動なのだ。こうなっても問題ないのだ。たぶん。
「あはは。それでチョコとバナナの話はどこに行っちゃったのかな?」
「水平線のちょっと先くらいにはあるんじゃない? 探してみる?」
「やめたほうがいいっす。時間かかるっすよ。クレープの説明からなんで」
「…………?」
千穂、愛、拓真と続いた会話に付いていけない舞は、少しだけ顔を顰めた。
「あ。憂はクレープの存在自体を忘れちゃってるんですよ……。だから、説明するより実物を食べて貰ったほうが早いんです。前に一緒に食べたことあるから、思い出してくれるかも……?」
「……そうなんだ。ありがと……」
何気に千穂は、他者の感情に鋭い子だ。
憂のことを良く知る者と、あまり知らない者。
何となく、壁を感じた両者なのであった。
女性陣4名は結局、チョコバナナホイップを。
拓真のみ、惣菜系のツナコーンを手に、ベンチに腰掛けた。
「それじゃ、お昼ごはんにはどうかと思うけど、頂きます」
「――いただきます」
「……頂きます」
「……きます」
「頂きます」
愛が片手塞がりの為、片手だけ立てると、憂はクレープを持った左手に右手を合わせ、千穂は憂に倣い、拓真は言葉のみ。それもほとんど聞こえず。
最後の舞は、愛と同じように片手のみ立てた。どうやら、立花家のしっかりとした『頂きます』は、少なくとも祖父の代からの教育のようだ。舞も、何ら恥ずかしがる事なく、いただきますが出来た。
それはさておき、早速、憂がかぷりと噛り付いた。精一杯に口を開けたひと口……だが、小さい。
「千穂……? 思い出してくれるといいね」
「……はい。そうですね」
このクレープにも思い出があるようだ。千穂は語っていないはずだが、愛はチョコバナナを勧められた際、気付いたのだろう。
―――千穂の優との思い出。千穂は思い出すと今でも赤面する……、そんな思い出だ。
蓼学生で付き合っている者、付き合った経験のある者の98%までが、このモールで同じ時間を共有した事があるだろう。
当時、中学生だった千穂と優も、部活の休みの日には、このモールを2人で歩いた。
時には買い食いもした。
その中の思い出の1つ。
このクレープ屋で千穂はチョコバナナホイップを、優はアーモンドチョコを注文した。甘党なはずなのに、クリームの入っていないものを選んだのは、男の子としてのプライドだったのだろう……が、この頃の千穂はそれを知らなかった。
食べ始めた頃になって、『優ってアーモンドの方が好きなの? クレープはチョコとバナナが最高だよ?』などど言ってしまった。優としては、野郎ばかり3人でクレープはあり得なかったのだろう。実は初めてだったらしく、『えー? 早く教えて欲しかった……』と凹み……。そこで小っ恥ずかしいイベントが勃発した。
……ひと口どうぞ……である。
夢の為、中2で告白するほど早熟なはずなのに、恥ずかしがり屋な千穂と、健全ヘタレ少年の優。
両名、頬を染めつつ、何故だが無言でひと口交換し合ったのだった。
そんな甘酸っぱい思い出がこのクレープには秘められている―――
「おいしい――!」
しっかりと咀嚼し、きちんと飲み込んでから発せられたひと言だ。表情は語るまでもない。
「……でしょ?」
「千穂……」
愛の目が変わる。声は少し、くぐもって聞こえた。明るいはずのモール内だが、薄暗い錯覚を覚えたはずだ。
「……いえ、大丈夫ですよ。いつか思い出してくれ……」
……たらいいなって事が増えただけですから。
その言葉は最後まで続ける事が出来なかった。
おずおずと無言、無表情で、わざわざここまで足を伸ばしたほどの好物を食す、憂の従姉の顔色を窺う。
「……ごめんなさい。私、無神経でした……」
「えっ……? あっ! 大丈夫、……だよ」
……大丈夫なはずは無いだろう。年に1,2回逢えた程度の従弟だが、舞は憂を間違いなく、可愛がっていた。
幼少期には、顔を合わせるとずっと一緒に過ごした。優と、その姉兄は年齢が少し離れている。だからか、年齢が3つしか離れていない、この従姉に優は懐いた……というか、優は女子相手では無ければ上手く付き合う……? 舞の場合は、親族だからこそ……だったのだろう……?
一緒に過ごした……は、言葉通りだ。お互い小さな頃には風呂も布団も一緒したほどだ。日中は蓼園市……中核都市で育った優を、山に田に虫かごぶら下げ連れ回した。
そんな舞の懐かしい思い出は、憂の中から全てが消え去ってしまっていたのだ。
千穂の語り出しから、千穂に対し、思い出している事項が憂に存在することを推測する事は……可能だ。それは従姉でありながら、千穂に敗北している様を意味している。
「んっー! 美味しかったー! バナナチョコホイップは最高だねっ!」
そう言うと舞は、ゆっくりと立ち上がった。数歩、踏み出し、クルリと回転……すると、スカートが円錐を形取り……。それも瞬く間に重力に従い、収まった。
「明日、仕事だからそろそろ帰るね! 運良く逢えて良かった! また、来年!」
歩き出そうとし、また振り向いた。その時には「憂? 舞さん、帰っちゃう……」と、千穂が囁いている最中だった。愛は「そんな、急がなくても……」と、舞を引き留めようとしている。
「いえ、ホント、帰らないと明日に響く……。愛姉ちゃん、今日は逢えて嬉しかったよ。あと、千穂ちゃん? 拓真くん?」
「……はい」と応えた千穂と目線で応えた拓真に「憂……ちゃんの事、よろしくお願いします!」と、頭を下げ、最後に「憂ちゃん、ばいばい!」と手を振り走り出した。
「――ばいばい」
……憂の口からは最後まで、過去の呼びである『舞姉ちゃん』どころか、名前さえ出なかったのだった。
「……怒らせちゃったんですかね……」
千穂は肩を落とし、ふぅと息を吐き出した。バナナチョコホイップは、ほとんど減っていない。
「……どうかな? あのタイミングで怒るとしたら……嫉妬? それは無いと思うんだけどなー」
「……だといいんですけど……」
「ごめんね。私が変な話、振っちゃったから……」
「いえ……。私も憂ばかり見ちゃって……。舞さんに悪いことしました……」
「それもごめん。隠してきた引け目……かな? なんとなく話しづらくて……。私が舞ちゃんに話を振ってあげないといけなかったのに」
愛は残りのクレープをひと口、大きく開けて食べると、ピタリと手を合わせた。
「んぐ……」と、無理に呑み込むと「ごちそうさまでした」……。きちんと食後の約束事を果たしたのだった。
「……私、食欲無くなっちゃった……。拓真くん、食べて……」
「……あ?」
少し強引に手渡されると、拓真はクレープに残された千穂の歯形を眺めた。
……何となく食べ辛い拓真と、千穂にクレープを渡された親友を目を精一杯細め、睨みつける憂。
変な構図が出来上がったが、憂に2つ目のクレープが食べられるはずもなく、最後には恨みがましく千穂を見やったのだった。




