195.0話 久々のお出かけ:隠
とある勧誘熱心なショップにしばらく滞在した結果、憂のテンションは下降し、逆に千穂のテンションは上昇した。拓真は表情1つ変えず、他の客を鑑賞……いや、警戒していたくらいだ。彼は服装に気を遣わない。本日もジーパンに長袖のシャツを合わせた代わり映えのしない服装だ。代わり映えしないと言えば、ある意味、千穂もそうだ。いつものように、白い長袖トレーナーに黒の膝丈ふんわりフレアスカート。これに白のショートソックスを合わせている……が、黒のショートブーツに隠れてしまっている。いつものモノトーン。愛の絡んだお出かけの時は、いつもモノトーン。きっと、以前、似合っていると褒められたからなのだろう。
服装の話はこの辺りにして、千穂のテンション上げの理由は単純だ。好みの服が目の前に沢山。千穂のような外見に気を遣うタイプの女子ならば、大抵、こうなってしまうだろう。反対に憂のテンションの下降の理由。
「うぅ――ちがうの――ばっかり――」
店内をウロウロと探していたのは、メンズの服だ。ところが、このショップ。憂を惹き付けようとしていただけあって、ウィメンズ物のサイズが実に豊富だった。普段、愛が憂の服の買い物に来た時、あるもの以外では苦労する憂に合うサイズ探しだが、この苦労の必要が無い。おそらく陳列してある衣類の感じから高校生以上をターゲットにしているのだろう。それにも関わらず、140cmの衣装が豊富に取り揃えられている。それでも店員さんは「拡充の最中でまだまだなんですよ……。ごめんなさい……」と眉を下げた。
千穂に囁かれた憂は、そうじゃない! ……と思った事だろう。
メンズ服も当然、高校生以上をターゲットにしてある。
つまり……。最小のサイズでも憂にはぶかぶかなのだ。着てみるまでも無い。
「ありがとうございましたー! またお越し下さいませー!!」
愛も千穂も拓真も会釈を返し、2件目の店を出た。店員の言葉が示す通り、ショップの袋をぶら下げた千穂はほくほく顔である。何点かの商品を購入していた。
「いいショップでしたね!」
「ん? そうだね。気持ちよく選ばせてくれたし」
「えっと……。拓真くんは何が気に入らなかったのかな?」
拓真は仏頂面で付き従っている。大体、いつもこんな感じなのだが、千穂は人をよく見る。変化の無い拓真だから分かりやすい。こう言った憂の気持ちが少しは解ってきているようである。
「……何でもねぇ」
「たっくんにも見えちゃったんだね」
「…………?」
愛と拓真の遣り取りに千穂は小首を傾げる。憂も傾げた。何故かは不明だ。時々、こうやって千穂の真似をするので、それかもしれない。意味がある行動なのか、そうでないのか、現時点で不明である。
「千穂はいいの! 気にしたらダメだよー」
「……そっすね。俺も余計なことは考えるんやめますよ」
「そうそう。精神衛生上、そのほうがいいよ? でも一切、考え無しってのも問題だからね?」
「……考え無し」
拗ねた。千穂が。
愛の言い方が悪かったらしい。人をよく見るはずの千穂の目だが、今回ばかりは大好きな系統の服が沢山……。そんな光景に吸い寄せられていた。
現在、次のショップに移動中である。千穂の服と……目的にはなかった憂の女性衣料は一緒に千穂がぶら下げる袋に入っている。買わなければならん雰囲気になってしまったのである。
「千穂ちゃんはそれでいいの! 今は憂を見てくれてたらいいんだからさ!」
……何気に愛のテンションも上がってきているようである。
そんな時だった。
「はーい、どうぞー?」
何やら人集りが出来ているイベント広場の一角を歩いていると、若い女性の声と共に、憂に向けて自然な動作で手が伸びてきた。しかし、その手は私服SPによって阻まれ、憂まで届かなかった。
女性は不思議に思ったのか、笑顔が崩れた。
「んぅ――?」
憂は自分に声を掛けてきた女性を見た。
そこで初めて女性は少女の顔を見たのだろう。
「あ……! ごめんなさい!」
そこでは道行く子どもたちに、プカプカと重力に逆らい浮かぶバルーンを手渡していた。何かのイベントらしい。これが目当てのような子ども連れも周囲に散見される。ボンベから気体を注入するイケメンお兄さんとおじさん。出来上がったそれを大量に浮かべ、子どもたちに手渡していくミニスカイベント衣装の女性が2名……。その内の1名だった。
「私ってば、高校生に失礼でした! ごめんなさい!」
憂を顔ではなく、身長で見たらしい。確かに憂は、そのイベント対象者である、小学生以下に見えてしまう。
憂に気付き、慌てて黄色い風船を引っ込めてしまったが、愛が近づき、「ありがとうございますー!」と、受け取った。
「あ……」
それは愛の優しさ……なのだろう。このイベントの女性は、憂に気付いた瞬間、嫌悪感を見せず、ただ驚いただけだ。高校生である事も知っていた。それは憂について、わざわざ調べてくれた人物だと告げている。
そんな女性の『やってしまった感』を取り繕ってあげたのである。
「はい! 憂!」
「――え?」
風船の紐の先の輪っかを憂の左手の小指に通すと、2,3歩下がって……言った。
「やっばい! めっちゃ似合ってる!」
……そこには、千穂お姉ちゃんの左手に、右手を引かれた幼い憂ちゃんが存在したのだった。
「さ! 行こっか!」
そそくさとその場を離れた。千穂も拓真も愛の意図に気付いたらしい。
先程のイベントのお姉さんは、敵ではなく味方と成り得る人物なのである。
次の……3件目のショップに入店すると……更に憂が拗ねた。
イベント広場で姉が受け取り、風船を持たされ、理解に至った時点から不機嫌なのに輪をかけた。
「お姉ちゃん――!」
「憂……。仕方ないの……。あんたの……サイズ無い!」
女性用……。レディスならば、辛うじて見付かる。SSでも大きいのだが、稀に見付かる3SやらXSだ。
それ以外となると、残念ながら子ども服となる。高校1年。背伸びしたい年頃の憂には内緒にされているが、実は大半が子ども服だ。
最近の子ども服……いや、女児のファッションには大人っぽいデザインが多く、こちらを探せば、特に問題なく見付かるのである。なかなか見付からない3Sよりも、デザイン豊富なこちらで探してしまうのは仕方の無い事なのである。
「でも――!」
出てきた。唇が。
憂が姉に案内されたコーナーには『10歳前後』と掲げられている。
身長137センチメートル。平均身長別では小学4,5年生。確かに10歳ほどだ。
憂は知らなかった。自分の身長に合わせた衣服を探すと、こう云う事態に陥ってしまうと云う事実を。
風船を持っているだけに、もっと幼く見えてしまう……が、そこは別問題だ。
3件目のお店はすぐに出て行った。店員さんが実に淋しそうに4人を見送っていたのが、印象的だった。やはり、憂の宣伝効果を当てにしたに違いない。
モールの人口は段々と増していっている。昼が近付くに連れ、次第にその密度は高まっていく。もちろん、愛も護衛も蓼園綜合警備も、当然ながら総帥もその秘書も、重々承知している。その中で、憂の安全を確保しなければならない。これから先を見据えた試験でもある。憂は近いうちに、出来るだけ早く他県に赴かねばならない。
買収した製薬会社の研究所へと足を運ぶ為に。
ここからは私服組の出番は減る。わざわざ黒服を着用し、憂の警護に当たっている者たちの出番だ。人の増加に合わせ、憂との距離を詰めていっている。その彼らはよく目立つ。
当然、話題になっているだろう。SNSでも憂の外出はネタにされているはずだ。記者も紛れ込み始めたかも知れない。だが、中止する訳には行かない。中止にする気など、一切ない。
憂がかつて望んだモノ。それは平穏で普通の生活なのだ。
「付いたよー。憂ぅー? おいで?」
「……マジっすか?」
「うぅ――ここ――いる――」
「憂? 入ろ? ここだと……ね?」
迷惑である。憂が立ち止まれば、数多い黒服たちも足を止めねばならない。よって、足が止まりかけた憂の右手は千穂に、少し強く引かれたのである。
憂の引っ張り込まれたショップは、壁紙も照明も何もかも女子的な空間。
いつか、千穂が愛に連れてこられたランジェリーショップである。何でも愛の行き付けのショップらしい。
憂の顔は真っ赤である。この空間がいつまで経ってもダメだ。男の子だった過去が知れ渡った事は憂も理解している。それだけに余計、恥ずかしいのだろう。
「憂ちゃん……!」
赤い憂に店員さんが駆け寄り、その空いている左手を取った。
もっと赤くなる……事は無かった。もう、とっくに振り切れている。
「良かった! もう来てくれないのかと……!」
何度か来店しては赤く頬を染める憂を可愛く思っていた店員さんなのだろう。以前、サイズの合わない下着を着用していた千穂を叱った店員さんだ。彼女も心配していた1人に違いない。私服SPの女性が慌てて駆け寄るひと幕だった。
興奮した店員さんが冷静さを取り戻すまで、少々、時間を要した。
現在は、千穂が商品を物色中。憂は、仕方なく付いている。しかし、商品からは可能な限り目を背け、千穂を見るようにしているらしい。
「実は当店、蓼園グループ企業なんですよ?」
「え? そうなんですか?」
愛と店員さんは雑談中である。千穂が憂を見て苦笑いする姿を2人して微笑ましく鑑賞中だ。拓真は店の付近の柱に背を預けている事だろう。憂に『じゃま――』と、手渡された風船を片手に……。
「はい。余り公にしないほうがって方針なので伏せられてるんですけど、そうなんですよ?」
「……なんで伏せているんです?」
「えっと……。その……。蓼園って、会長のイメージが強くて、ウチにはマイナスイメージになっちゃうので……」
言いたい事は解る。ランジェリーショップの上を辿っていき、最終的にぶち当たるのが、総帥。なんだか得も知れず嫌だ。
「あ……、あー……」
もちろん、愛も蓼園グループに籍を置く。私立蓼園学園の中に在る、独立採算の蓼園グループの1つ、通称『コンビニ』の社員である。何かとややこしく、申し訳ない。
そんな蓼園関連の愛。当然、歯切れが悪い。
何となく、一時的な両者無言状態となってしまったが、再び先に口を開いたのは、店員さんだった。
「……そうそう。ウチのお店って、AAカップとか小さいサイズ多いって思いませんでしたか?」
「あ。思ってました。前はそうでもなかった気がしてたのに」
「そうなんです! 実は、このお店、本社の命令でAAカップの商品ラインナップが充実しているんですよ! お陰で、お客様の総数も利益も減っちゃったんですけど、何故だか、問題視されなかったんです。今、思えば、きっとお姉さんの行き付けのショップだったから、憂ちゃんサイズの品揃えを充実するように指示があったんですよ!」
「すっごい……」
総帥ならば、やりかねない。いや、間違いなくやるだろう。蓼園関連企業のショップの品揃えを憂に合わせる。彼には造作もない事なのである。
そこまで教えてくれた店員さんに聞いてみた。目下の大問題を。
「あの……、実は憂に男の娘疑惑が生まれているんですけど……何とかなるものですかね?」
「……え? それって、むすめって書く男の娘……ですか?」
「……はい。下着屋さんの観点から何か御座いませんでしょうか?」
「……えっと……。それは……」
悩んでしまった。この店員さんはお客さんの事情に本気になって向き合ってくれる。千穂の時、そう感じたからこそ聞いてみた。そして、この相談相手は正に適任だった。
難しい顔をして、しばらくの間、うんうん唸ると……はっきりと告げた。
「下着や水着姿で人前に出ても……無理、です……」
「え……?」
「例えば、大事なところだけ隠したようなスケスケの下着でも、Tバックの下着でも、不可能です。足を開いて、マジマジと見せてもダメなんです……」
「……足を開いても……? どうしてですか?」
女性が水着や下着姿……。それも、とりわけ際どい物で足を開いても無理。愛にはその知識が無かったのだろう。
「以前、男性のお客様がよく当店をご利用されていました。その方に聞いた……って、言うか勝手に教えてくれたんですけど、衝撃すぎて印象に残ってます……」
どうやら、この店に不釣り合いな男性客は、自分がそれを行なっていたらしい。
「男性には……その……。アレを体内に収納する方法があるらしいんです。『タック』と仰ってました。もしも、男性のシンボルを男性が収納出来るのだとしたら、その……。下着姿では女性と同じで……。裸にならない限り、女性だとは証明出来ません……。もちろん、体付きは男性のままなんですけど……。憂ちゃんは明らかに女の子の体付きで……それでもそんな疑惑があるんだとしたら……。裸になって、足を開かない限り……」
むしろ衝撃を受けたのは愛のほうだろう。いや、この女性店員が衝撃を受けたのは、過去の話か。
「……そうなんですか……。『タック』ですね……。ググってみます……」
「はい……。なんか……ごめんなさい……」
「いえ……。教えて頂き、ありがとうございます……。それを知っていると知らないのでは、随分と変わってきますので……」
話を終えた愛の表情は、随分と暗いものだった。それもその筈、梢枝は、その『タック』と云う謎技術の存在を知らなかったのだろう。だからこそ、ミスコンの開催に動いている。しかし、こんな方法があったのでは、水着審査に憂を出し、男の娘疑惑を晴らそうと言う目論見は根幹から崩れ去ってしまうのである。
―――ミスコンの話が出た為、文化祭おかわりの進行状況をお知らせしよう。
11月7日の火曜日に、憂の承諾(?)を得た文乃は、この日の内にミスコンの開催を生徒会に提案した。
何とか開催に漕ぎ着けたい生徒会は、生徒会長が提出した梢枝案を呑んだ。賛成多数で可決されたのである。
選挙とミスコンの関係性については、以前に語った通りだが、それでも今回以上に注目を集めるだけの代案を誰1人、出せなかったのである。
生徒会の審議を通過した憂が出場するミスコン案は、現在、教職員たちの承諾を待っている段階である。
梢枝にもたらされた利子からの情報によれば、『立花さんを晒し者にする今回の生徒会案! 絶対に承認出来ません!』と断固拒否の姿勢を見せる教員が多く見られているらしい。
利子は『その憂さんは参加の意思を示しています! 何か考えがあるんです!』と反論したが、『立花さんの置かれた状況を考えて見て下さい! どんな目で見られるとお思いですか!』とあくまで突っぱねているらしい。
教師として、その思いは十分に理解出来、決を採れば、否決に回るだろう先生方の姿も多く、学園長は保留としたらしい。
1度は棚上げしたものの、出来るだけ急がなければならない案件であり、明日、月曜の朝、会議が行われるらしい。いや、当然ながら大騒動により、6時間目の授業中止となった土曜日にも緊急会議は行われている。
文化祭おかわりの件についても何か動きがあったのかもしれない……が、利子からも学園長からもその後の情報は受け取っていない―――
「お姉ちゃん――千穂が――いじめる――」
憂の言葉にその姿を見れば、赤いままの涙目である。大して変わっていない。
「いじめてないですよ? 何かお揃いの……欲しいなって……」
そして、一緒に選ぼう……と提案したところ、いじめられた……と思ったらしい。
愛しく想う千穂とお揃いの女性下着……。確かに少しいじめているような気がする……が、これは憂の立場から見た場合か。千穂から見れば、至極真っ当な提案……な気もする。
元男子の想い人を持つ女子……。前例が無い為、何とも言えない。
結局、元々は顔見せするだけの予定だった姉だったが、愛が見繕ったブラセットを1セットずつ購入したのだった。千穂の提案通り、お揃いのものだった。憂としては、さぞ複雑な気分な事だろう。
「――おそろい――」
「お揃い……だね」
千穂は嬉しそうだ。憂も次第に嬉しそうな顔をし始めた。お揃いの下着が……では、無いはずだ。もっと単純に……。千穂の喜ぶ顔が嬉しいのだろう。
「それでいいんか……?」
何とも複雑な胸中を言葉で表現してみせたのは、拓真だった。
そのお店を最後に、ショップ巡りは終了した。
何か食べて帰ろう……と、飲食店街に移動中の事だった。
―――事件が発生した。
パン!! ……と、乾いた大きな音が発せられたのである。現場は大混乱状態に陥る。床に身を伏せた若い男性の姿さえあった。即座にSPが憂たちを背に張り付く。
「なに!?」と、千穂は憂を壁に押し付け、自分の体で憂を護っている。姉も千穂に引っ付き、周囲を見回す。
身を伏せた男性は、憂の実況をしていた者だった。憂の事は調べまくっている。憂を中心に何かの動きがある事も把握している。身を狙う者がごくごく少数だが、存在している事も知っている筈だ……から、銃声にでも聞こえてしまったのだろう。憂が狙われている。これは生存が条件だ。無傷であればあるほど良い。命を摘んでは金にならない。
「……風船っす!」
拓真が声を上げた。ついさっきまで漂っていた空間を指差して。
壁際を歩いていた憂は、擦ってしまったのだろう。その風船を壁に……。
「あ……」
「なーんだ……。めっちゃ焦った……」
愛と千穂が冷静さを取り戻すと、呼応するかのようにSPたちはまた少しの距離を取ったのだった。彼らの目線は厳しいものとなっている。
憂は、と言えば……。目がまんまる。風船の割れる音に驚いたらしい。
―――そんなタイミングだった。
「あー! 見付けたー!! 奇跡!!」
こう言って、憂に向けて駆け出した少女……とは呼びづらい年齢の女性が黒服に捕まった。
「え? ちょっと!? 何!?」
前日の夕方、立花家への道を捜索していたその女性は、リストに入ったばかりであり、SPたちはしっかりと記憶していたのである。
突如、黒服に取り押さえられた女性……。
非日常な光景に、周囲が騒然とする中、愛はその女性に近付くと……「え!? どうして!?」と驚きに満ちた表情を浮かべたのであった。




