191.0話 親衛隊総会
「憂せんぱぁーい! 千穂せんぱぁーい! こっちですよー!!」
ホームルーム抜けさせちゃってごめんなさい! 憂先輩も千穂先輩も佳穂先輩も千晶先輩も梢枝先輩も康平先輩もご足労さまですっ!
「七海? テンション下げないとダメだよ?」
「わかってるって!」
いちいちうるさいなぁ……。美優は。
でも、借りられるとは思わなかったなー。体育館。
部活も体育館での部活はぜーんぶ全休! 中等部長さんの英断に大感謝ですっ!!
千穂先輩に手を引かれてる憂先輩。お2人ともキレイだなぁ……。なんだか、あの空間だけぽっかりと違う世界なんだ! 光り輝いててスポットライトが当たってるんだ!!
「……ぜったい、わかってない……」
……。
美優、聞こえてる。悪口はもっと小声で。
段々と近付いてくる先輩方……! ドキドキしてきた!! やばし!!
「美優ちゃん、七海ちゃん、遅くなっちゃった。ごめんね?」
「いえ!! とんでもないですっ!! わざわざご足労ありがろうございますっ!!」
「噛んだ」
「うん、噛んだね」
「佳穂先輩、千晶先輩、ツッコんであげないで下さい……」
なんで!?
「せっかくの先輩方のツッコミ!! ありがとうございますっ!!」
「……ごめんなさい。またこの子、舞い上がっちゃって……」
その通りである。思考が停止し始めてしまった。しばらくすれば、思考回路は活動再開するだろう……が、彼女の脳内は何も描写しなければ、説明もしてくれない。
この七海。普段は意外と考え、行動している。だが、憂を前にした瞬間、絶望的なほどの混乱状態に陥ってしまうのである。冷静さを取り戻すには時間が必要だ。冷静になれば、何度も言うが、意外と考え行動するドジっ娘である。成績は普通だ。
七海と美優、更に4名の親衛隊大本営の幹部は、中等部体育館の外で憂たち一行を出迎えた。大本営……と、大仰な名称が付けられているが、支部は初等部のみである。何事も形から入りたいタイプなのだろう。
「ななみ――美優ちゃん――げんき?」
憂の言葉に対比のような顔が出来上がった。
七海の顔はパァと輝き、美優はどこか寂しそうだ。この前、伝えたはずの希望が叶えられなかったからだろう。美優は妹のような、ちゃん付けではなく、1人の女性として呼び捨てを望んでいる。憂の呼び捨ては、多くの者の知るところだ。
「元気です!!」
「はい。憂先輩も……元気そうで……」
それでも美優は笑顔を見せた。今の美優には憂と逢える事自体が嬉しい。
―――美優は想いを募らせる。
その最大の原因は立花家の引っ越しだ。この引っ越しにより、漆原家と立花家は距離を詰め、反比例するかのように本居家とは距離が開いた。
立花家の家族ぐるみの交流は、漆原家へとシフトされた形となった。
千穂は毎日のように憂の部屋で過ごし、誠人も食卓を共にしている。
漆原家にとっての今現在の親交が好ましいものであるかはともかく、憂への想いを抱えていた美優にとっては悲しい現実だ。
以前は一緒に登校した。キャンプにも出掛けた。しかし、これらは『大切な思い出』となってしまった気がしているのだ。
何せ、憂との交流は発覚後、バスケ会こそ再開されたものの、それこそ親衛隊と変わりのないレベルへと減少してしまったのである。
右手はあの頃、引いて歩いた憂の左手の温もりを求めている。
だからこそ、1度封印した気持ちを昂ぶらせている。兄の制止を振り切り、告白の機会を伺っている―――
「よろしく――ね?」
美優のそんな気持ちを知ってか知らずか、憂は親衛隊幹部……。もちろん、憂を囲む親衛隊の中に混じっていたのだろうが、憂にとっては初顔合わせとも言える4名の男女に柔らかな笑顔を見せ、左手を差し出した。
この女子3名、男子1名は一時期激減した親衛隊の中、存続を訴える七海にいち早く応えた他クラスの生徒たちだ。親衛隊の勢力盛り返しに於いて、重大な役割を果たし、幹部連に名を連ねたのである。
憂は元男子である。周知となった事実だが、姿形はそれを感じさせない。
その憂は元男子の性か、先ずは1人だけの男子生徒に握手を求めた。
「あっ! はい! よろっ……」
咄嗟に左手で小さく白い手を受けようとし、停止した。再構築の過程から出た気持ち悪いでは無い。断じて違う。その沸騰したような顔色がそれを示している。嫌悪感を抱いていれば、違う顔色になっている筈だ。
「ひだりで――ごめん――ね?」
憂としては、麻痺の残る右手よりも正常な左手で……との判断だろう。途中で停止してしまった男子生徒に左手を伸ばす……と、「待って!」と美優が止めに入った。
美優の独占欲。
千穂が右手を。美優が左手を。優しい先輩と共に引いて歩いた大切な大切な左手。誰にも触れさせたくない。その左手を繋ぐのは自分でありたい……と。
「……美優?」
美優より小さな七海が、うつむき加減の友の顔を覗き込むように首を傾げ、トレードマークの左上部で結わえられた黒髪がピコンと揺れた。
「あ……いえ……その……」
いっぱいいっぱいだ。冷静さを取り戻した七海の後を継ぐように、今度は美優だ。困ったものである。
「……そうですねぇ」
ここで一歩前に出たのは和風美女。最近、後輩たちを見る目が優しいと評判の梢枝である。
「左手握手は……別れや……悪意を……示しますえ?」
美優へのフォローである。因みに言っている事は本当だ。嘘ばかりな印象を何故だか感じてしまう梢枝だが、何気にほとんどが事実を告げている。強烈過ぎるタイミングで嘘を付くからだろう。
「こっちのほうが……いいって……」
梢枝の言葉のどこが引っかかったか不明だが、小首を傾げて固まってしまった憂に、千穂の囁きが入る。左手を下げさせ、右手を手に取り、差し出させた。
すると、美優の表情が安堵に包まれ、続いて、梢枝の表情が一瞬だが翳った。
憂の差し出された右手は、それでも受けられない。受けられないからこそ、自ら後輩の手を取った。今の憂ならば、少年が何故、自身の手を取ってくれなかったか、理解できているだろう。たぶん。
それ以上に、自分の為に動いてくれた少年に感謝の気持ちを伝えたかったのだろう。たぶん、そんな握手だ。現に憂は少年の右手を取ると、左手を添えた。
少年の目に映る光景は、小さく柔らかな両手で自身の右手に温もりを与えてくれる、様子を窺うかのように上目遣いで儚く微笑む美少女……。
いや、憂の手はひんやりとしている(千穂談)らしいのだが、ここは雰囲気を重視させて頂く。
「僕……。あの……頑張って下さい! 応援してます!」
その言葉に千穂と梢枝、佳穂と千晶はそれぞれ顔を見合わせ、困ったように小さく笑い合った。
「何をだー?」
佳穂の言う通りだ。憂は発覚以降、特に何もしていない。頑張ったと言えば、少しの間、休憩したものの、頑張って学園に通っているだけだ。記者会見は病院の主導である。
「あのっ! 色々と……ですっ!」
この少年も間違いなく舞い上がっている。何も考えず発言してしまったのだろう。
「色々ってなん痛っ!!」
「いじめないの」
千晶のツッコミは相変わらず良い音を立てる。パシッと乾いた音が佳穂の軽そうな頭から響いた。だが、半分ほどになっている憂の脳よりも間違いなく重い。人体の不思議である。
「もー! 痛いじゃないか!?」
「『もう』じゃない」
「めー?」
「「「………………」」」
いつものヤツはその場の雰囲気も何も考慮されず、突如として始まる。
いや、きっと空気を読んでいるのだろう。佳穂は後輩の……まだ中学生である彼のフォローをするべく、空気を読んだ……はずだ。
「『めえ』じゃない」
「ぱおーん?」
「しつこい! わたしが言ってるのはそこじゃない!」
「佳穂先輩! めんどくさいですっ!」
「七海ちゃんに褒められたっ!」
「……誰も褒めてないって……」
こうして、無事に(?)、初対面のような……そうでないような挨拶は進行していった。
幹部の女子中学生たちも、何故だか憂との握手に頬を染めていた……と、追記しておこう。
そんな様子に……。千穂は穏やかな表情を湛えていた事も忘れてはならない。おそらく、相手が中学生だからに相違ない。
しかし、この時、彼女は忘れていた。自身が初告白した時は、この中学3年生たちよりも下の学年だったと云う事実を。
「憂先輩、ちょーかわいいー!!」
「佳穂先輩、ボケてー!」
「憂先輩だー! 親衛隊入って良かったー!」
「あたしも千穂先輩に手を引かれたいー!!」
「梢枝さん、かっこいい!」
「憂せんぱぁーい! 何があっても味方ですー!!」
「千晶さま! 俺をひっぱたいて下さい!!」
「千穂さんの苦笑いさいこー!」
中等部体育館に入場した女子隊+康平に向けられた盛大な拍手と共に、多数の野次のような、合いの手のような声援が飛ばされる。紆余曲折はあったものの、それでも憂の傍に居る彼女たちは、この中学生たちにとって、紛れもないヒーロー……なのだろう。この会場内の親衛隊員の人数は中等部200超名。グラウンドの運動部など、来られていない面々を考慮すれば、300名を超える人数となっている。
更には、初等部の子たちの姿もある。こちらは100名を間違いなく切っている人数だ。中等部に比べ、規模は小さいが、中には低学年の小さな姿もあり、何とも可愛らしい。
教師の姿も多数、見掛けられる……が、こちらは引率的な人たちだろう。たぶん。
拓真はこんな状況を予見していた。だからこそ、この会場に姿を見せていない。圭祐もその意見に従った。凌平は『康平くんは行くのだろう? だとすれば、護衛体勢に問題は無い』と、何気に康平の退路を断った。その康平は、少しいつもより小さく見える。有り過ぎる存在感を滅しようと必死なのだろう。
それはともかく。
憂たちはステージへと上げられた。
その前に親衛隊長及び大本営幹部連が並ぶ。
「親衛隊のみんなー!! ついに! ついに立花 憂、親衛隊総会に!! 憂先輩が!! 来てくれましたよー!!」
まさかのノーマイク。いきなり親衛隊長殿は喚いた。
……美優は、親衛隊に入隊していない。七海にも幾度となく勧誘されているが、彼女は多数の中に埋もれる事を良しとしてない。体育館に入った辺りで佇んでいる。
この美優。何気に親衛隊員から憂に近しき者として、羨望の眼差しを向けられている。美優は明言こそ避けているものの、憂の秘密を共有し、共に戦ってきた仲間だと目されている。これが大きな要因だろう。
黄色い声と惜しみない拍手が収まると、七海はもう1度煽る。
「憂先輩は! 置かれた状況を顧みず!! それでも! あたしたちの為に! いらっしゃってくれましたぁぁ!!」
『おぉーー!!』だとか『きゃああ!!』だとか、大歓声が中等部体育館に木霊する。
……七海は演説など、かなり向いている人物らしい。意外すぎる。
先生方の中にもうんうんと頷いている人が散見される。何を隠そう、実は優を事故時のニュースから……では無く、直接的に接してきた、当時を知っていた教師は高等部よりも中等部のほうが多い。この教師たちの中にも、優の担当だった者も居るのだろう。
―――生きていて良かった。本当に良かった。
そんな想いを抱えている教師は、学園長や利子以外にも存在しているのである。中等部のバスケットボール部顧問など、反応顕著だ。分かりやすい例と言える。今、体育館の隅で優しい眼差しを憂に向けている。いや、優として見ているのかもしれない。
「憂先輩から直接、お言葉を頂く前に、憂先輩のお友達の皆さんから、親衛隊にお言葉を頂きたいと思います!」
いつの間にかマイク片手だ。それでも声は大きい。マイクを通した大声が相当に喧しい。
……そこはどうでもいい。問題は女子隊+康平の諸君だ。
(((……聞いてないよ!?)))
千穂も佳穂も千晶も表情が変わってしまっている。親衛隊長殿からそんな話は一切、聞かされていない。
……だからだろう。親衛隊長殿の隣に梢枝が進み出た。七海からマイクを預かると歓声が上がった。何故だが、女子主体だ。この親衛隊、女子主体であった発覚前とは異なり、今は半々であるにも関わらず、だ。梢枝は女の子によくモテる。
「梢枝せんぱーい!!」
「キレイ!!」
「梢枝先輩! 私、大好きです!!」
「「「きゃあああ!!」」」
「親衛隊の皆さん……」
スルーした。女生徒からの告白も何もかも。
「活動、助かっておりますえ?」
わーわー、きゃーきゃー。この後も誰かがひと言発する度に続くのだが、割愛させて頂く。いや、一旦、静かになった。梢枝の続く言葉で。
「けれど、行き過ぎは困りますえ? 憂さんのプライバシーを大切にして下さい? 親衛隊長さんはそれが……ある程度出来る方です。彼女の指示に従い、秩序を保って下さい……」
静かになった。黙った。沈黙した。静寂が訪れた。水を打ったような静けさ。
言い方は多数あるが、どれも同じだ。梢枝は折角、七海が盛り上げた雰囲気をぶち壊した。
「もう1点。もしも、この中に憂さんを支持しない方……。悪意を持ち、近付く為に入隊する方がおられたとしたら……。情け容赦の無い裁きをウチが下しますえ?」
七海の顔が引きつった。さもありなん。しかし、必要なことだろう。必要以上の拡大を続ける親衛隊には、誰かが釘を刺さねばならない。
「厳しいことを言いましたねぇ……。すみません。高いところからですが、この通り……ご容赦願います」
一転、梢枝は微笑み、頭を下げた。敢えて、微笑んで見せたのかもしれない。
「高等部C棟外に於ける憂さんと……その周囲に於ける安全確保。実は……あなた方を頼りにさせて頂いているんですえ? それが出来るのならば、また憂さんはここを訪れてくれますわぁ……」
下げて上げる。突き落とされて、持ち上げられた親衛隊の反応は取り上げるまでもないだろう。
一度、ひんやりとしてしまった空気は梢枝が自身で戻した。戻してくれたことに安心感を得たのか、千穂、千晶、佳穂の順でコメントしていった。いずれも「いつもありがとねー」と言った感じの簡素なものだった。もちろん、口調はそれぞれのものだ。こんな簡潔な挨拶は……当たり前だ。急に振った親衛隊長が悪い。そもそも、千穂、佳穂、千晶は親衛隊と関係がない。今回だって、憂の傍に……と、付いてきただけの話である。
その中でも「あたしにも親衛隊作れー?」と笑いを誘っていた佳穂には感心する。おそらく、彼女にとってそんな物は不要のはずだ。
終わった感が満載の中、「続いて、康平先輩! お願いします!」と振られた康平は心底、嫌そうにマイクを受け取り、「ワイも親衛隊にお願い事項やわ。必要以上に踏み込んだらあきまへんで? 何が起きるか分からへん」と梢枝の言葉に追加した形で話を締めたのであった。
そして、メインイベント。憂からのお言葉……だ。
「じゃあ! 最後に! 憂先輩! お願いします!!」
さて……。問題の憂……だが、予想通りだ。何の驚きもない。小首を傾げてしまった。ここまで、ぼんやりは無し。しっかりと聞いていたにも関わらず……だ。
親衛隊の面々を前にして、マイクを向けられ、する事と言ったら1つだけだ。ボケボケである……が、これは後遺症の影響に依るもの……なのか?
最近はどうにも怪しい。憂となり、大概のことは周囲の人間がしてくれる。横着癖が付いてきたのかもしれない。そうでない事を切に祈る。
「――なに――を?」
……差し向けられたマイクが拾ってしまった。たっぷり30秒ほど間を空け、放たれた大ボケなひと言を。
和む。康平の言葉のせいで再び、緊張感が生じていた総会の空気が緩んだ。これこそ癒し系の仕事だ。
『何を?』と問われた七海は、千穂に視線を送った。助け舟を求める可愛い後輩感を存分に表に出して……。策士であり、演者……だが、訂正させて頂こう。
あの七海の事だ。単に本当に困っただけかもしれない。もしもこれが千穂の囁きを引き出すための道化だとすれば、総帥のような切れ者……と、言う事になってしまう。七海に限って、そこまで考慮しているとは思えない。
斯くして、千穂は責めるような目線を七海に送った後、憂の耳元に要点を伝えていったのである。この時、その光景を拝むように見詰める親衛隊員が多数発生した。
千穂には解っていた。後輩たちは、何故だか自分が憂に囁けば囁くほど、ざわめいていく事を。だから、ジト目を七海に宛がった。
さて、千穂の助けにより、何をする必要があるのか理解した憂はマイクを受け取った。
梢枝、康平の時の静けさとは違う静寂が訪れた。まるで、教祖の有り難い言葉に耳を欹てる信者のように。
憂は憂で、人前でのスピーチが苦手だ。内心、いっぱいいっぱいなのだが、何かの補正で中等部、初等部の子たちには、凛とした姿に見えている事だろう。
「いつも――ありがと――」
「ボク――きらわれても――おかしく――ないのに――」
「だから――ほんとに――うれしい――」
いつものように、自分を下げる謙虚な言葉だった。精一杯、言葉を探した上で、導いた言葉だった。
彼女の言葉は重い。
親衛隊メンバーの心の奥底にまで響いた事だろう。
それから1時間と20分ほど後、女子隊&康平は笑顔でC棟1年5組に帰還した。
親衛隊は拙い歓待を以て、憂たちへ歌やらダンスやらでもてなした。
会場を後にする際には、ハイタッチしつつ退場した。梢枝の提案だった。
親衛隊の大半が笑顔だった。残りは照れていた。悪意が皆無と言っても差支えない空間で、彼女たちの心も癒された事だろう。
5組の教室に残っていたのは、有希&優子の2名だけだった。
「拓真くんたち、茶髪の雰囲気悪い先輩が来て……、一緒にどこかに行っちゃった……」
これが出迎えた際の委員長の言葉だった。
「拓真くん、連絡する必要ないって言ってた……けど、康平くんと梢枝さんが戻ってくるの待ってた……!」




