190.0話 拓真vs京之介
「それじゃあ、私はウチに帰りますね」
2人して憂のベッドにうつ伏せ……。可愛いお尻を並べ、チャットに興じていた癒し系コンビの片割れである千穂が、小柄な体を起こし、何故だかこの日に限り、憂の部屋で過ごしていた愛に帰宅を告げた。
千穂の体はお世辞にもプロポーションが良いとは言えないが、憂と並び、横になっているとしっかりと女性の体付きに見える不思議だ。しかし、残念ながらこれは錯覚だ。彼女はまだまだ幼い。
憂は千穂の前では傷を隠すことが無くなった。千穂も時々、目を向けてしまうものの、特に気にする様子は見られていない。表情に出していないだけなのかもしれない。
「お昼寝しちゃって……寝れるかなぁ……?」
おとがいに人差し指を当て、考えるような素振りを見せた千穂に「寝られる」と訂正が入った。
ら抜き言葉。千穂は未だに油断すると抜いてしまうのである。ついでに言えば、その仕草は憂の母の癖だ。千穂は伝染りやすい。
昼寝はVIPルームでの事だ。千穂の体調も心配な恵に促され、憂と一緒に横になると、いつの間にか眠ってしまったのである。
「……寝られるかなぁ……?」
きちんと訂正出来た千穂は良い子である。ちょっとだけ見せた不満顔がマイナス点だが、愛の許容範囲だったようだ。
「――かえる――の――?」
眉尻を下げ、何とも淋しそうな表情を浮かべた。
だが、もしも千穂が泊まると言った場合、困り顔で半泣きとなるか、真っ赤になり、固まってしまうかどちらかだろう。今まで、何度もこのような場面に遭遇したが、いずれの場合も戸惑う様子を見せている。
「うん。また、明日ね」
「……観察させて貰った」
姉から飛び出た、いきなりの不穏なワードだったが、千穂は頭上にクエスチョンマークと飛ばしたのみだ。姉もポチポチとスマホを触りつつ、時折、千穂と憂に目を向けていた。だが、それは同じ空間を共有する以上、おかしな挙動ではない。そんな観察するような視線を千穂は感じていなかった。
「――うん。また――あした――」
「今日の憂の格好でもダメかぁ……。襲っちゃいたくなったりとか、まるでないんだよね……」
千穂はベッドに座った状態……。端座位のまま、うつ伏せのままの憂に振り返る。憂は、振り向いた千穂と目が合うと可愛らしく、小首を傾げた。
……訂正しよう。
頭部の重量のバランスを取ろうと小首を傾げた。
その憂の今晩の格好は、裾が短めのTシャツに膝上のスパッツのみ……と云った姿である。ショーツの線までくっきりはっきり浮き出てしまっている。
「やっぱりそんな事してたんですかっ! 最近、変だなぁ……とか思ってたんですよ!」
「憂はヘタレだし……。進展しないよねぇ……。やっぱり妹って認識しちゃったの?」
姉は、はっきりと目撃している。
今から10分ほど前、憂は姉により、おやすみ前のお手洗いへと連れ出された。そのトイレから戻ってきた時、うつ伏せの千穂の可愛いお尻に憂の目は吸い寄せられた。
つまり、憂は千穂への興味が間違いなく存在する……と、姉は解釈しているのだ。チャンスだらけなのに手出ししない理由は色々と想像出来過ぎて困っている。
・千穂の名前の由来からの配慮
・襲っても負けそうだから
・自分も女の子になっているから
・嫌われたら生きていけないから
……などなど、考えれば考えるほど理由が挙がってしまうのだ。もちろん、どれか1つの理由とかではなく、複合している可能性も大いにある。
「……憂は……やっぱり 優です、よ?」
ぽそっ……と呟いた千穂に「……え? ちょっと、漢字詳しく」と、愛が噛み付いた。千穂の憂への想いは長い期間、絶えず揺れている印象だった。発覚の少し前には、遂に定まったように感じていたが、どっちに転んだかいまいち判断がついていない。
「内緒です! 私を誘惑して襲わせようとしてた愛さんには言いませんっ!」
「ごめん!」
「――どした――の?」
大きな瞳を丸くしたのは憂だ。
彼女にとっては降って湧いたかのような、険悪ムードなのだろう。実際には、そこまで険悪ではない。
「なんでも……ないよ?」
「憂? だいじょうぶ……だよ? 愛さん……。私、ちょっと思う事があって……。もうちょっと……。もうちょっとだけ……結論待って下さい……」
千穂は姉の言動を重く捉えてしまったらしい。
愛にしてみれば、襲ってくれたらラッキーくらいの感覚だったはずだ。
だから「待つよー? 高等部だけで、あと2年半もあるからね」と、悩み始めていた千穂がきょとんとしてしまうほど、あっけらかんと言い放った。
「もう……。愛さんは……」
千穂は苦笑いである。姉の内心を読み取ってしまったのだろう。冷静になれば、それを出来る子だ。周囲の者の気持ちを汲み上げ、対応するのは得意なほうだ。
「今日、憂と一緒に寝るんですよね? ゆっくり眠れるといいですね……」
優しい眼差しで愛を見やると、もう1度、憂に振り返り、「おやすみ」と微笑みかけ、千穂は立花家を辞したのだった。
「千穂ちゃん……。大したもんだわ……。高1であの気遣い能力……。やっぱり胃に穴開けるか、禿げるかどっちかだわ」
千穂の居なくなった部屋で、愛が愚痴った。もちろん、憂の部屋だ。主は不思議そうに愛を見ている。うつ伏せのままで。
憂はうつ伏せだと、寝落ちしてしまう率が下がるらしい。
千穂は共に過ごすようになり、気付いたそうだ。
愚痴った理由は単純なものだ。
愛は千穂に今日からまた憂と一緒に寝る……などと告げていない。それを伝えるのは流石に気恥ずかしかった。
つまり、言っていないにも関わらず、千穂はものの見事に言い当ててしまった。千穂の気遣い能力は半端ない。
「お姉ちゃん――そろそろ――ねる――よ?」
「そだね。寝よっか」
憂は仰向けになった。おそらく、姉はいつもの通り、消灯した上で自室に……と、思っていた事だろう。
ところが、姉の行動は憂の予想を裏切った。ベッドの頭上、ヘッドボードの台に置いてあるリモコンを手に取ると、ピ、ピーと消灯し、憂のベッドに入り込んだ。
「――お姉ちゃん――!?」
慌てる憂に対し、姉は至って平静……。何を今更とばかりに言い放った。
「また、憂の……隣で……寝るわ……」
「――なんで!?」
怒っている。怒った顔をし、両手で姉を退けようと押す……が、動かない。彼女は非力であり、弱者だ。バスケボールがリングの高さを超えられる秘訣は、手首を上手に使っているからである。現にそれが上手く出来ない右腕では、ゴールの可能性がない。
「眠れない……。マジで」
寝ても恐ろしい夢を見る。これは本当の事らしい。渡辺が言うには自分で創り上げた妄想らしいが、それでも夢で見てしまう。
「……ダメ?」
愛は悲しげに目を伏せた。
「――うぅ――いい――よ――」
憂の扱いが相変わらず上手だ。憂取扱技能試験があれば、間違いなく合格するだろう。
可愛い妹の了承を得た姉は、「ありがと! ぎゅー!」っと、小さな小さな体を抱き締めた。
……小さな体の主は、抵抗する気力も失せてしまったのか、抱かれたまま抵抗しなかった……が、何とも『やられた感』を醸し出し、姉に隠れて唇を突き出したのであった。
憂が寝付いて数分後、愛は物思いに耽っていた。何気に憂いのある表情をすると、この姉もまた美しい。
(渡辺先生は『まぁ、有り得ない話ってワケじゃないよね』って……。あんな事になる可能性が……)
愛は薄闇の中、憂の寝顔を凝視する。他の何にも代え難い、安らかな眠りだ。安心しきったように安定した小さな呼吸音を奏でている。
(島井先生は『……そうですか? 総帥とあの秘書さんが、そんな状況を作ってしまうとは考えられないのですが……』って曖昧な笑顔……)
余りの穏やかな表情に不安が過ぎったのか、そのほっぺたを突っついてみた。柔らかく、すべすべだ。赤ん坊のようにきめ細かい肌をしている。
「んぅ――」
その指から顔を背け、逃れてしまった……が、憂の反応に安心したのか、軽く微笑んだ。何しろ、あの夢の中で憂はほとんどの反応を示さなかったのだ。
(1つ1つ、危険因子を取り除いていきましょう。病院も出来るだけのことはさせて貰います)
島井の締めの言葉だ。この言葉の前には、愛の情報処理能力を褒める渡辺の意見があった。
『ほとんど違和感の無いストーリーだったよぉ? ところどころで疑問符は浮かんだけど、それでも良く出来た物語だった。思わずうるっときちゃうほどだったねぇ。僕ら、これから愛ちゃんから聞いた話をまとめて考察してみるよー。何か思い出したら教えてね?』
……いつも通り、渡辺の舌はよく回っていた。
―――11月10日(金)
昼休憩、多目的トイレから戻る際、憂たち一行は襲撃を受けた。
A棟1-7に転室した京之介の来襲だ……が、多目的トイレと言えば、盗撮されかけた件について、語っておかねばならない。
―――あのカメラの回収後、もちろん多目的トイレは監視された。犯人のカメラ回収の瞬間を現行犯で取り押さえられる可能性があったからだ。
この少人数でも可能な仕事は、『学園内の騒動を未然に防止する部』と蓼学警備隊に委ねられた。だが、設置したはずの犯人は3日間、姿を見せず、梢枝はそこで監視体勢を打ち切った。
そして、この時点で犯人を絞り込んでいる。
一、蓼園グループに籍を置く企業の重役を親に持つ可能性が高い。
ニ、C棟内の生徒。
三、同級生の可能性は低く、上級生の犯行の線が強い。
四、盗撮用カメラが設置された11月6日に出席している者。
五、男子生徒の犯行と決めつけず、女子生徒も対象。
この条件を基に、今度は学園長に調査依頼済みである。
C棟の2、3年生に絞り込んだ根拠は、多目的トイレが2階にある点だ。
カメラの回収に現れなかった犯人は十中八九、憂のグループメンバーたちで捜索し、回収する場面を見ていたのだろう……と、梢枝は推理している。
カメラ回収の現場を見られる者は、同じ階か上の階の者である……と。
1年生でも可能ではあるが、自分の学年の階と違うフロアに居れば、何かと目立つ行為となるのだ―――
一刻も早い事件の解決が待たれる。
さて、京之介のC棟訪問の話に戻そう。
京之介は、驚くメンバーに笑いかけると、拓真1人を中庭へと連れ出した。中庭に設置されたベンチの中、中央付近に備え付けられたものを選び、腰を下ろした。
そこまで重大な……、それこそ、憂が優であった秘密のような、聞かれてはまずい話ではないのだろう。
「……俺に用って?」
5組の廊下を盗み見る……と、廊下の窓を開け放ち、自分と京之介の様子を遠目に伺う憂と目が合った。不満げに少しだけ唇が出ており、拓真は「はぁ……」とため息を吐いた。憂の気持ちがわかるのだ。
わざわざ、A棟から出張してきた京之介は、憂とは挨拶を交わした程度で、拓真と内緒話。ぶーたれてしまうのも必然だと思う。
「女の子の話」
「あ!?」
……ここは中庭である。この中庭には、余り生徒は踏み入れない。C棟中の廊下で過ごす生徒から見えてしまう事が原因だ。
だが、見られようとも、そうは聞かれはしない。聞かれない声量に落とせばいいだけなのである。
「拓は憂と付き合わないの?」
「あ!?」
勇太の嫌いな拓真の『あ!?』が連発で飛び出したが、京之介は意に返さない。圭祐にも時折見せる顔だ。この優男には、案外、飄々としている節がある。
対する拓真はいらついた様子を見せた。顔付きも物言いも変化した。この男にしては珍しい。彼は表情に出さなかったり、口調が付いてこなかったり……と、何かと捉えづらい。
それが今回は顔にも声にも発現した。余程の言葉だったのだろう。
「付き合っちゃえばいいんじゃないかな? 憂のこと、嫌いじゃないでしょ?」
「……何言ってんのかわかんねぇ……」
こめかみに青筋が浮いている。これ以上の刺激は危険な香りがするが、京之介は気にしない。
「拓が気になるのは千穂ちゃんと憂の関係? 前に言ってたよね? 応援してやりてーってさ。それは今も変わらない?」
「あぁ……。そこは今も変わってねぇ……」
「要するに、憂と別れた後の千穂ちゃんが心配……って?」
「あ?」
憂の隣りで佇む千穂へと視線を巡らせた。千穂とは目が合わなかった。彼女はしきりに斜め上方やら、真正面やら見回している。
……人が増えてきているのだ。少しやさぐれたような表情で、拓真と京之介の2人を見据える憂の姿を拝もう……と。
千穂の視線でその事に気付いた拓真は、ベンチから大きな体を揺らし、立ちあがった。これ以上の話は必要ない……と、宣言したのかもしれない。
ゆったりと校舎内に戻るべく、歩みを始めた拓真の背中を京之介の声が追いかけた。
「僕が千穂ちゃんと付き合うよ。近い内に告白する」
大きな男の鋭い目が鋭さを増すと共に、歩みをピタリとやめてしまった。振り返ってはいない。背を向けたままだ。
「……憂も千穂ちゃんも……。僕は『知らなかった』連中には奪われたくない。圭祐には可能性が無さそうだから、可能性のある組み合わせ。これが憂と拓真、僕と千穂ちゃん……だと、思ってるんだ」
「……やめとけ。あの子は……」
拓真は開きかけた口を閉ざし、C棟の校舎内へと消えていったのだった。
置いて行かれた京之介は……と言うと、憂と目を合わせ、にっこりと笑うとしっかりと手を振り、今しがた拓真の通った道をゆっくりと進み始めた。
そんな京之介に、憂は少し戸惑った様子を見せながらも小さく手を振った。その姿に魅了される者が続出したのは過去と照らし合わせ、当然の事と云えるのだろう。
5、6時間目のHRでは、第一回の進路希望調査が行なわれた。
この調査を基に、三者面談の運び……となるのだが、まだ1年生の時分であり、生徒たちの真剣味は薄い。空欄の者も何割か存在している。
憂もまた、空欄での提出となってしまった。
憂の場合は、何も考えていないから……では無い。進学したとしても付いていけない。職を探そうにも能力的に厳しい。
選ばなければ、全く無い訳では無いだろうが、少しは興味を引くものを探したい気持ちがあるのである。
「憂ちゃんと……おなじ……とこで……はたらく!」
憂への付き合いなのか、佳穂も空欄提出だった。
「わたしも……憂ちゃんの……ちからになりたい……」
千晶も同様だ。彼女たちの憂への想いは強い。自分の人生、そっちのけだ。
この両名、実は悩み始めている。憂を守る中に自分たちの場所を見付けたい。見出したい……のだが、梢枝と康平、千穂と拓真、更には圭祐に凌平……。ついで……ではなく、親衛隊。
知力でも体力でも、自分たちの居場所が見付からないのである。
活動報告してます。
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