188.0話 悪夢:前編
「……まだ、その悪夢を見続けておられる、と……?」
島井先生は沈痛な面持ちで、問い掛けてこられた。
週に1度に戻った定期検診後。私は、遥さんに言われた通り、島井先生に相談してみた。ちょうど、渡辺先生もおられて……。今はソファーで先生2人と向かい合ってる。あまり座られない島井先生も、私の為に腰を落ち着けて下さった。
定期検診が週一に戻った理由は対外的なアピール。きちんと、現在の憂の観察も研究も行なっておりますよ! ……ってね。
近い内に製薬会社の研究所にも連れて行かなきゃなんない。
遠出になるから、時期とか見極めながら……なんだけどね。憂が納得してくれるといいんだけど……。
因みに憂と千穂ちゃんは2人で仲良くお昼寝中。めちゃくちゃ微笑ましい。2人とも散々癒やしてくれるんだから。
「……はい。そうなんです。毎日、毎日、同じ夢……。いい加減、全部憶えちゃったくらいです……」
本当。毎日毎日同じ夢。飛び起きるような夢じゃないんだけどね。でも……、どうしても気になる夢。間違いなく悪夢の類い。
「それは堪らないよねぇ……。始まったのは、憂ちゃんと離れて眠るようになってから……だよね?」
「はい。私が居ない時のシーンまではっきりと……。本当に変で……苦しい夢なんです……」
……どうしたらいいんでしょうか?
「全部、話しちゃおっか? 僕は専門家じゃないけどね。話したらすっきりするかも知れないよ」
そうかも……なんですけど……。
「長くなりますよ……?」
「「かま」」
ふふっ……。息がぴったりですね。お二方とも、バツが悪そう。仲がいいのか悪いのか判りにくい先生方。
「……構いません。愛さんのその夢、私も興味があります」
あらためて話されたのは島井先生。聞きたい風に聞こうとしてくれてる。やっぱり優しい先生……。
「最初のシーンから教えて? 時系列なのかな?」
「はい……。時系列です。それではお話します。聞いて下さい……」
……本当に長くなりますけどね。
――――――――――――――。
それはシーンごとに憂と、私たち憂を守りたい人を客観的に見る夢。
備え付けられたカメラで撮ったようなドラマ仕立て。私の姿さえ、捉える夢。
最初のシーンは、千穂ちゃんが『大人たち』に背中を向けようとしたシーンから始まる。
「いい加減にして下さい!!」
「みんな、自分の為に動いて、その結果が今の憂なんですか!? 憂の事、おもちゃにして、今は責任を擦り付け合って! もう病院も総帥さんも信じられません!!」
「愛さん! 憂のお父さんもお母さんも! お兄さんも憂も! ……みんな行きましょう……? ……皆さん、憂の命を救って下さってありがとうございました」
千穂ちゃんは、あの時と同じように、『大人たち』の醜い諍いにキレた。ここまでは何も変わっていない。
「千穂くん!!」
少し違うのはここ。千穂ちゃんはほんの少しも怯むことなく、蓼園さんを睨み返した。
どうして、こう変わったのかは分からない。
「千穂ちゃんは……。千穂は、信じられなくなっちゃった? ……無理も無いかな……」
続いた私の言葉も何1つ変わりなかった。変わったのは次の言葉から。そこからだよ。全く違う事になっちゃったのは。
「あの時、憂に言ってくれたんだよね?
『大丈夫だよ。私が守ってあげるから……って……その……。キスしちゃいました……。私……やっぱり憂の事……愛していますから……』って……。
千穂ちゃんは守れる? 大人たちから力を借りなくても……」
なんで、こんな台詞に変わったのか不明。人前で話す事柄じゃないよね。夢だからって言えば、それまでだけど……。
「守ってみせます。何があっても」
本当に……。本当にこの時の千穂ちゃんの瞳は真っ直ぐで、何でも出来ちゃいそうで……。
私は……。
「行こう」と憂と千穂ちゃんの手を引き、VIPルームを後にするべく、歩き始めた。
「愛!?」「愛ちゃん!?」「姉貴! マジか!?」
そう言いながらも家族全員、私の後を追い掛けてきた。
「愛くん!? 無理だ!! 待ちたまえ!!」と蓼園さんの声。
「待ってくれ! 守りきれる訳がない!!」と島井先生。誠人さんもたっくんも何か言いたそうだったけど、黙ったまま、付いてきてくれた。
「仕方ないのかな……。だから最初から一枚岩にって言ってたんだ……」と渡辺先生。
専属の……、憂の為に一生懸命だった看護師さんたちが、悲しそうに私たちを見送る中、「私たちは再構築後、憂さんの為を思い、本気を以て動いてきた事、お忘れなきよう」と、柔らかな微笑みで見送って下さった遥さんの言葉は夢の中にもかかわらず、胸に突き刺さった。
次のシーンは懐かしい立花の一軒家に到着したシーン。千穂ちゃんとたっくんは、あのアプリを使って、学園内の仲間たちに協力を依頼した。
【俺たちで憂を守るぞ】
【私たちで憂を守ろう】
これに、全員が賛同してくれた。消極的だった子も居るかもしれなかったけど、それでも全員が憂の為に……って。嬉しかったな……。
あのアプリを使ったのは、たっくん……。拓真くんの提案。総帥さんからの贈り物なんだけど、なりふり構っていられなかったからだよね。
梢枝さんも康平くんも、少し経ってから合流した。
「2人とも契約を解除しました。ウチらは自由に憂さんも皆さんも守らせて頂きますえ?」
そう言って梢枝さんは微笑んだ。
……でも、その目には悲壮感が漂っていたように見えた……。
きっと、それは……。
彼女には、来るべき未来が見えていたから……。
その翌日……だと思う。日付の表示なんかある訳ないからね。
我が家と本居さん。漆原さん。3人のお父さんは、車を走らせ、仲間たちを集めてくれた。
梢枝さんは、動画の投稿を行なった。現実世界とは違って、全部音声付き。モザイクも何1つ入れてなかった。
周囲の人たちに何の配慮もされてなかった。
たぶん、夢の中の梢枝さんには、そんな余裕が無かったんだと思う。
そこで、話し合い……には、ならなかった。
千穂ちゃんは「これから何が起きても絶対に憂から離れない!」と力強く宣言すると「もちろんあたしもだ!」「……わたしも離れたくない。徹底抗戦するよ」と、佳穂ちゃんも千晶ちゃんも宣言した。
そこに在ったのは、決起集会。
「あぁ、俺も覚悟は決まってる」と拓真くん。
「総帥さんのバック無し……。きついよな……。だからこそオレもやらなきゃなんねー」と勇太くん。
「何が出来るのか。それが大事だね」と京之介くん。
「憂に近づくヤツらは俺が蹴散らす!」と圭佑くん。でも、停学処分受けちゃったって。そこを京之介くんにツッコまれて、少しだけ空気が緩んだんだ。
でも、次の凌平くんの言葉でまた空気は引き締まった。
「とにかく、先ずは隠蔽の謝罪から開始するべきだ。敵に回りそうな味方を繋ぎ止める必要がある」
その言葉を最後に同級生の『秘密を知り得ていた者たち』は、現実とは違って一枚岩になった。
……私が居ないはずの学園集会の様子も、生徒総会の様子も見る事が出来た。それはきっと夢の世界だから。
おそらく月曜日。憂がその中に居る事を知りつつ、学園長先生は同じように憂の支持と待機期間を要さない転室の許可を宣言。何よりもイジメの類には、断固とした措置を……。これが憂たちへの悪意の大半を抑え込んだ。ここは現実と同じだね。学園長先生は、総帥と仲違いをした私たちの味方だった。
憂たちはその月曜から毎日……、毎日、隠していた事を謝り続けた。
その中で、思い出していた人物、思い出せなかった級友。はっきりと、伝えていった。そんな真摯な姿勢は、味方をどんどんと増やしていった。転室で5組から抜ける人数もごく少数だった。
そして、親衛隊は早々に復活した。
でも……。それでも悪意は容赦なく、牙を向いた。
…………学園の態度だけでは足りなかった。
『総帥の庇護』
この存在の大きさを物語っていた。
グループメンバーの何人もが、上履きを捨てられ、教科書を破り捨てられた。移動教室中には女子全員の体操服を盗まれ、ネットオークションに上げられた。それは通報すると、すぐに取り下げられた。
これ以上のエスカレートは許すまじと、梢枝さんが証拠を示し、一連のイジメで初の退学者を出すと、今度はバレないように……。慎重に……。より陰湿なものとなっていった。
そして、メンバーの結束は次第に綻びを見せ始めた。
最初の離脱者は勇太くんだった。下駄箱に入れられた手紙が原因……。
【お前、うざいよ? 騎士でも気取っちゃってんの? いい加減、離れないと可愛い兄弟たちがどうなっても知らないよ?】
この手紙を苦に、勇太くんは転室し、グループから離れていった。
グループから1人、脱落した。
この事実はクラスメイトたちに大きな衝撃を与えた。
あるクラスメイトは、憂に近づき、あるクラスメイトは離れていった。
次に京之介くんがグループから離脱した。憂への脅威と成り得る、バスケ部で憂の仲間だった人たちを説得する為に。それから何があったかは知らない。そのまま彼は最後までどのシーンにも登場しなかった。
その間、私たち家族も戦っていた。鳴り続ける電話。繰り返される家への投石。追い回してくる記者。
電話の内容は様々。一度は聞いたことのある海外の大企業のお偉いさん、どこぞの石油王、色んな病院やら研究機関に宗教団体。障害者団体。正式にも思えた取材依頼。それと、もちろんいたずら電話や誹謗中傷の電話……。
いたずらは置いておくとして、色んな方面からの干渉。どれが好意的かどれが打算的か、判断は付かず、全てをお断りし続けた。現実世界では全てに同じ回答をしていた。基本的には『蓼園商会にお問い合わせ下さい』って電話を切っていた。今ではほとんど電話は鳴らない。遥さんの指示に私たちは従い、上手くいってるんだと思う。
家への投石には、警察が動いた。玄関先に絶えず、パトカーを常駐させてくれるようになった。
……康平くんも延々と見廻りを続けてくれた。その頃がいつ頃かは分からない。やがて、康平くんと梢枝さんは立花家に住まうようになった。それより前から漆原家も一緒に暮らしてた。この辺りのシーンは夢になかったから、詳細はわからない。漆原家の場合は……千穂ちゃんが1人になる時間に危険性を感じたからだって推測できる。
追い回してくる記者には……、基本的に答えていたんだと思う。
週刊誌とかって分かりやすいものだね……って、思った。
どこの週刊誌が言ったことと違うことを書くのか、どこの記者さんが、真実を書いてくれるのか……。
でも、その必要は無くなった。看護部長の自殺未遂から端を発した、例の編集社の炎上と失墜。
その時、内部告発をしてくれた女性記者さんで現社長の……。太藺 彩さん。
彩さんが立花家の出す薄給で、立花家の広報を引き受けてくれたから。
彼女は立花家の秘書さんみたいな存在になっていった。
学園への通学は私の車で。
私は、また仕事を……、コンビニを辞めていた。憂の送迎の為……、だと思う。何かあったのかもしれないけど、それは分からない。
夢じゃない世界では、ぶっちゃけ辞めたくなった。山田さんが居なかったら絶対に辞めてた。生徒たちにはあからさまに避ける子も居たし、それどころか面と向かって、憂の姉だから気持ち悪いって言ってくる子も居たし……。
現実の話はいいや。それより夢の話の続き。
梢枝さんの分析によると、憂への支持、不支持の割合は3:7ほど。学園の支持により、悪意の直接的な発露は、これでも抑えられている状態だって……。抑えられているって判断のポイントは、身体的な危害を加えられる事がないからだって……。
でも、不支持派が大勢を占めている理由は、学園が支持した事による反発からだって……。
それでも、梢枝さんは均衡が取れている現状は好ましいと話していた。学園長の配慮に感謝とも……。
その均衡はある日、崩れた。
康平くんが過労で倒れた。生真面目すぎる性格が仇になった。学園と自宅、その周辺。彼は誰が止めても「それでもワイが目立たにゃならんのや」と、矢面に立ち続けた。
康平くんが回復するまで、休むべきだ。この意見が大半だった。でもそんな中、当事者であり、中心の憂は言った。
『ボクの事を嫌わないでくれている人たちを裏切る行為だ』……と。
護衛である康平くんの不在。その影響で憂が休んだ場合、それは憂を支持してくれている全ての人を蔑ろにする行為になる。これを憂は嫌がった。
そして、康平くん不在での学園生活。そこで大きな事件が起きた。これが均衡が崩れた要因。
憂は他の人たち全てに配慮する形で、多目的トイレを使っていたみたい。そこを襲撃された……。
覆面……。多数の覆面の男女がいきなり牙を剥いた。剥き出しにした。
拓真くんも圭佑くんも憂を守ろうと必死に立ち向かったけど、多勢に無勢……。リンチを受けた。女の子たちも容赦なく、トイレの床に押さえつけられた。
目的はただ1つだった。本当に完全な女の子になっているのか確認する為……。そんな事の為だけに、グループメンバーは暴力に晒され、憂は……。
憂は……、スカートとショーツを剥ぎ取られた。
現実でも起こり得る話。どうにか憂が本当に女の子なんだって、教えないといけない。
決定的な切っ掛けとなった事件。
不支持派は襲撃犯と思われる可能性に怯え、大人しくなり、逆に支持派は声を大にした。
学園内の均衡は崩れた。表に出る声は支持派が主流となった。そして、比率自体が変わっていった。
この事件で、停学者も退学者も出なかった。それが学園長先生と梢枝さんが話し合った結果なのかは分からない。裏側では、きっと何かの動きがあったんだと思う。学園長も梢枝さんも本当に凄いな……。なんて夢の中でも思ったほど。
でも、憂の怯え……。人間不信は頂点に達した。それはメンバーも一緒。はっきりと境界線を引いてしまった。
新たな『仲間』になろうと近づく者を遠ざけた。遠ざけられた人は怯える憂の姿に、離れた位置から協力してくれるようになった。
やがて、不支持派は完全に声を上げられなくなっていった。そして、憂の学園でのポジションは発覚前と同じように戻っていった。
心に受けた深い傷も季節が変わると、癒やされていたように見えた。
結果的に……。
憂は、平穏を取り戻した。
……でも、それは学園内だけの話だった。
「ここまでが前半……って、言えるかもしれません」
眉間に皺を入れられた島井先生が「いや、うーむ……。何とも難しい夢ですね……」と呟かれると「え? そうですか?」と渡辺先生。
その渡辺先生は腕時計をチラリと確認された。
「お時間……、大丈夫ですか?」
私がそう問い掛けると「あはは! 違うよぉ! 今日は暇! 時間を測ってたんだ」と笑い飛ばされた。それから続けて「そうだなぁ……。今まで、夢をダイジェストで話してくれたよね? ここからは全部、話してくれないかな?」と仰って下さった。