185.0話 バスケ部の本気
千穂も千晶も足を使う。そう憂に言われ続け、京之介の特訓時間であるバスケ会で鍛え上げられてきた。彼女らに助っ人として、ちゃこを加えたディフェンスは堅く、2年生主体の新チームはなかなかゴールを挙げられないでいる。
「佳穂ちゃん、ナイスパスー!」
タイミング良く、ちゃこの手に収まったボールは、そのまま持ち込まれ、何1つの問題なくゴールリングの中央を通過した。綺麗なフォームのレイアップシュートだった。ちゃこと云えども、流石にリングには手が届かない。ダンクシュートとは、ひと握りの男子のみが成せる業なのである。
「佳穂ちゃん、いいね!! すっごく巧くなってるー! 2年生が振り回されてるよー!」
千穂、佳穂、千晶、梢枝は女バスに強く誘われ、男バスとは別のコートで躍動している。その中に於いても佳穂の働きは特筆に値する。全国制覇を狙う新チーム相手にも関わらず……だ。
もう1人。レベルが抜けている梢枝は、ゲームに全く集中出来ないでいる。どうしても、憂の様子が気になってしまうのである。
隣のコートでは数分前より、本気と化した男バスと憂、拓真、康平、凌平に助っ人として加わった圭祐がフルコートのゲームを行なっている。
梢枝の目線の先、ボールは緩やかに下降し、そのボールを拓真、圭祐、康平、凌平。憂のチームメイト4名が祈るように見上げた。
祈りは届かない。
2年生。現レギュラーであるPGの梅田先輩が放った3Pシュートに憂の手は届かず、ゴールを挙げた。
梅田先輩の身長、170cm弱。腕の長さ、ジャンプ力を考慮すると、フリーでのシュートと同様だ。ゾーンで守った時、憂のディフェンスは機能しない。
対戦相手となった冬季の大会のレギュラー候補を並べた本気の男バスを前に、ゲストチームの弱点となる憂は徹底し、狙われ始めてしまった。
―――手心を加える男バスに対し、序盤、拓真と圭祐の活躍により、憂たちゲストチームはリードを広げていった。
憂のパスは威力こそないものの、その出所の読みにくいパスに翻弄されるシーンも何度も見られた。
それだけでは無い。憂の突破は厄介だ。姿勢が異常なまでに低く、抑えにくい事、この上ない。
例えば、最初のゴールとなった場面。
憂はポジションの被る梅田先輩の脇をすり抜けると、ひょいと左手から拓真の頭上に大きく見えるバスケボールを放り投げた。拓真のジャンプの最高到達点でパスが通ると、そのままショット。開幕ゴールを挙げ、男バスのほぼ全員と女バスの観戦者を驚かせた。
点差は徐々に広がっていった。
『本気でやらないとマジで喰っちまいますよ』
この圭祐の挑発が発端だった。
男バスの顧問は、黄のビブスの攻撃力を侮り難しと、1年生ツインタワーを投入した。
更に1つの指示を出した。ゾーンで守る黄色の先端真正面。憂のポジションを崩せ……と。
顧問の作戦は嵌まった。いや、それまで男バスが遠慮していた憂への崩しを解禁したのだ―――
「はーふこーとまんつーまん――!」
憂の黒目の大きく愛くるしい瞳が本気を宿す。ゾーンディフェンスでは、かつて梅ちゃん先輩と呼んでいた、梅田先輩の3Pシュートを防げないと判断した憂は、高い声を体育館内に響かせた。
ハーフコートマンツーマン。コートの半分を使い、ディフェンス各々、1対1でディフェンスするスタイルである。ゾーンの頂点からは通常、3Pは早々打たれない。しかし、その通常では数少ないシーンが、自身の低身長と身体的ハンデから連発している。
ハーフコートマンツーマンの方が、ディフェンスのフォローは受けにくいのだが、憂としては苦渋の決断だろう。
青の男バスもゾーンディフェンスを敷いている。
勇太とその現相棒のツインタワーを活かす戦略に他ならない。
梅田先輩の3P後のスローインが憂の両手に収まった時には、既にゾーンは完成していた。
憂はボールをゆっくりと突き、再び梅ちゃん先輩と対峙する……と、梅田先輩は半歩ほど自陣に引いた。カットインを警戒しての動きだ。手心のあった序盤戦では、この梅ちゃん先輩は何度も姿勢の低い憂のドリブルに躱されていた。ところが、現在は接触を辞さない通常のディフェンススタイルとなった。1度、体を使い止められたその瞬間、憂のドリブルは武器では無くなった。
じっくりと本気でディフェンスされると、現在の憂では、打開出来ない。梅田先輩以外のメンバーは、少女の手からパスが放たれる瞬間を狙っている。パスをカットしようと手薬煉を引いている。
……そのまま10秒ほど、経過した。男バスはものの見事に憂のウィークポイントを攻め続ける。
「憂さん! 後ろや!!」
膠着状態を打破するべく康平が足を使った。その康平へのバックパスから局面が動いた。
―――困った時は渓やん。
康平を経由し、圭祐にパスが入ると切り込むように思わせ、反対のサイド、3Pライン付近の凌平へとパスを通した。直ぐさま、シュート体勢を構築すると、ゴーグル眼鏡の部長さんがフェイクに引っかかった。
凌平は、ボールを1度、地に突き、一歩後退すると3Pエリアからシュートを放った。成長著しい凌平だが、ガンっとリングを直撃し、ボールは高々と宙を舞った。そのボールに青の勇太が跳ねた。相手に居る拓真を警戒し、全力で飛んだ勇太は長い手を伸ばし、高い位置でボールを収める。
そして、着地した瞬間だった。
「甘ぇーよ」
リバウンド争いに飛ぶことさえ、怠った拓真が嗤い、勇太の着地際を狙い澄まし、ボールを下から、バシッと弾いた。
「あ……! くそっ!」
弾かれたボールは拓真が確保。奪取に成功した。
「憂!」
拓真は一旦、ボールを戻す。フリースローサークル後方5m。そこに戻っているはずの憂へと。確認した素振りはなかった。憂への……、いや優への信頼の現れだろう。
拓真からの勢いのあるパスを憂は受け損ねた。拓真からのパスを信じていたのか、パスを受ける体勢を整えていた。だが、不器用な右手がそれを阻んだ。
「うぅ――」
転々と転がるボールに向け、動き出そうとした時には、他者の手に渡っていた。
「――康平!」
拓真からのパスを弾いてしまったが、即座に康平がフォローし、手渡しされる。再び、憂の小さな可愛らしい両手に収まった。
即座に今度は左サイドに張っていた圭佑に、利き手では無い、左手からのノールックのパスが入る。決して鋭い弾道では無かったが、想定外のパスに憂と相対している梅ちゃんも、圭佑をマークしている高身長の同じく2年の特待生も反応出来なかった。
「「「おぉ……」」」
男バス、女バスの両監督を含めた観戦中の者たちから、感嘆とも受け取れるどよめきが沸き起こった。女バスの監督の顔は女子のコートと男子のコートを行ったり来たりし、忙しい。
ボールを受け取った圭佑はカットインを仕掛けるが、そうはさせじと特待生がその進路を断った。
手強い。
それもその筈、相手は現在のレギュラーとも謂えるメンバーたちだ。
だが、5組も休まない。圭佑の足が止まったかに見えた瞬間、圭佑の右手から特待生の足元を抜くバウンドパスで前方の拓真の手中にボールが渡った。
―――素早い反転からのシュート。
このシュートは対戦相手、勇太の指先を掠めた。
「リバウンドッ!」
勇太の張り上げた声に対応して見せたのは、目下、ツインタワーの1人、勇太と共にレギュラーの座を得た藤校出身のでかい奴だった。
「速攻!!」
彼の手に収まる前から、コートの逆に走り出している者が2人居た。
でかい奴が投げたボールは一直線に憂と相対していたPG、梅田先輩を目掛け、飛翔する。
そのボールを奪取するべく、少女の姿と成ったかつて天才と謳われた少年が飛んだ。
左足で踏み切った憂の左の掌がボールを弾く。お尻はボールが飛んできた方向を向いているにも関わらず、体を捻り、通れば確実に2点を刻むであろうパスを弾いた。体の柔軟さがそれを可能とした。
左足で踏み切り、左に体を捻り、左手でボールを弾いた憂は、弱い右足で着地する事となった。自然の摂理だ。左足から接地出来ようはずがない。
……右足は着地の衝撃を受け止めきれず、右膝、右臀部、右半身と堅い床に打ち付け、そのまま、ゴロリと2回転ほど転がり、うつ伏せで止まった。
「憂!!」
「憂さん!!」
拓真と康平の怒声に近い叫びに、男バスも女バスのコートの10名も動きを止めた。
転倒した憂に真っ先に寄ったのは、康平でも凌平でも無く、梅ちゃん先輩だった。初等部時代、優の指導に付いた、1つ上の先輩。優の限りない可能性を喜び、恐れた最初の先輩。初めての1対1の指導をしてくれたその梅田先輩が憂を目前にしゃがもうとした時だった。
うつ伏せで倒れた憂は、肘を突き、腕の力で上体を起こすと顔を上げた。
「――ボール!」
すぐに憂にとっては大きいボールを見付け、グッと両足に力を込め、立ち上がろうとした。
……が、カクリとその両膝が折れた。前傾姿勢だった為、またもうつ伏せに倒れかける体を梅ちゃん先輩が咄嗟に受け止めた。
ボールは凌平が拾った。ボールを拾うと、速いドリブルを見せ、今しがたボールの飛んできたゴールに向けて駆けていった。憂が心配でない訳はない。それよりも憂の想いに従ったのだろう。
「りょうへい――いけ――」
凌平本人には到底、聞こえていない。聞こえた相手は梅田先輩やら、思わずコート内に突入してしまった京之介やら、男バスや女バスの控えメンバーやら、男バスの監督やら……そんな大勢であった。
以降、女バスと女子隊+1名のゲームは中止となった。
憂+男子隊のゲームは、憂と京之介をメンバーチェンジし、再開された。
憂は「だいじょうぶ……?」と問う千穂の声に、「だいじょうぶ――」と言ったきり、ステージを背もたれに体育座りで座り込んでしまっている。
京之介の鋭いパスに反応した拓真が、フリーでゴールを挙げても何のアクションも示さない。ただただ、下唇を噛み、俯いている。
以前のように出血するほどは噛んではいない。痛みがそれを予防してくれている。
ゲームに参加していない男バスの部員も、女バスの部員も、遠巻きにその様子を盗み見ている。
「憂さん……。病院に……」
梢枝が恐る恐ると言った風情で、そっと声を掛けた。
「だいじょうぶ――」
聞いてはいるらしい。自分の世界には籠もっていない。
「でも……」
梢枝の前であれほど、激しく転倒した事は無い。両膝が落ちた瞬間、間違いなく脳震盪を起こしていた。現に誰もディフェンスに動かなかった凌平のゴールを見届けると、自らメンバーチェンジを申し出た。自分の足では歩けなかった。拓真と康平の手を借り、コート外の現在の位置に座り込んだ。
……梢枝は憂の容態が心配で堪らない。
「梢枝さん? 憂、大丈夫だって言ってるから……」
憂が大丈夫と言うならば、大丈夫に違いない。
千穂は本気でそう思っている。千穂の憂への信頼は揺るぎない。
「……そう、ですか……」
梢枝はこの千穂の信頼が羨ましい。1人で眠ろうとする夜。
憂と千穂について想い、思考にのめり込み、なかなか眠れない日が多くなっている。
付き合ってきた時間の長さ。こればっかりはどうしても、どう足掻こうとも近付けない。優とは話をするどころか、実物を目にした事すらない。それはもう叶わない。
……夢に見る。
写真や映像で見てきただけの優と仲良く話す自身の姿を。
梢枝は、夢に見、確信した。
ウチは優さんに惚れてしもうた……と。
あのパジャマパーティーの時、千穂は物の見事に梢枝の、梢枝さえ気付いていない感情を言い当ててしまった。
ほんわかしているように見え、千穂は人をよく観察している。だからこそ、これほどまでに憂を理解しているのだろう。
お似合いの2人。梢枝はこのお似合いの2人の間に割って入る気はさらさらない。毛の先ほどにも思わない。だからこそ、自身の感情を後回しにしている。
……その千穂は、低い自己評価を付けてしまう傾向にある。この頃は、自分は憂に相応しくないのでは……と、葛藤を見せ始めている。
だが、これは千穂の心に1つの決意が宿っている事を示している……が、どうにも上手くいかないモノである。
「ああぅ――みぎあし――ばか――!」
いきなりの発言だった。梢枝の意識は引き戻された。
座り込んだまま、右で握り拳を作り、憂は自分の右足に振り下ろした。
「憂ちゃん……!!」
駆け寄ろうとした佳穂の腕を千晶が掴み、静止させた。そして「千穂に……」と、耳元で呟く。
任せるべきだ……と、続く言葉は発せられない。皆まで言わずとも、だろう。
ポカポカと右足に振り下ろされる右の拳を押し留める事も無く、千穂はふわりとした微笑みを湛え、憂の行動を見守っている。
「千晶?」
「いいの」
「あー! もう!」
「我慢」
「でも……!」
「待ってるって」
「……はい」
省略しつつ、話す親友2人に千穂は数秒、視線を送った。
「「千穂……」」
幼馴染2人は呼吸ぴったりに名前を呼び合わせたのだった。
「ぅ――ぐぅ――」
憂は未だ不自由な右足を自身の手で虐め続ける。
佳穂も千晶も梢枝も……。拓真も……。千穂でさえ見たことの無い、感情表現だ。
「……悔しい?」
千穂にそう言われた瞬間、憂の右手がピタリと止まった。
……図星だ。千穂以外の誰でも分かる分かり易い感情表現だった。慰めて欲しかったのかもしれない。
「本気で……勝ちに……いってみる……?」
そっと耳元で囁いた。その言葉は男子バスケットボール部員には、聞かせにくい。
「むり――だよ――」
弱気な言葉が口を突いて出た。憂……。いや、優の弱気の言葉は珍しい。思わず、千穂の口許に苦笑いが張り付いた。
「……勇太くんが……味方に……居ても……?」
「勇太――?」
「……うん。味方に……戻って貰う……とか?」
「でも――」
その次の言葉は千穂の人差し指に封じ込められてしまった。
人差し指を、憂のふっくらとした唇に沿えたのである。
「任せて」
自信のあり気な、柔らかく……、それでいて、強さを感じさせる瞳。
「佳穂、千晶……。ちょっと……」
千穂は早速、親友2人を手招きしたのだった。
その頃、男女それぞれの顧問……。監督が並んでいた。
憂の弱点を突く遣り方について、話し合い……。否、女バス監督が男バス監督を責め立てていた。
「何を考えてるの? あんな攻め方、守り方したんじゃ可哀想でしょ……」
女バス監督の女性の方が明らかに年長であり、そのままの力関係を生んでしまっているかのようだ。
「優くんなら……打開策を講じてくれるかもって、期待してしまいまして……」
彼の優への期待度は高かった。過度の期待と言っても良いほどだった。それを憂に重ねてしまった……。これが真相のようだ。
そして、彼の思惑通り、憂をムキにさせた。
そこからは彼の考えとは違う方向に、憂は流されていった。憂は何もさせて貰えなくなり……、結果、自らの現状の能力以上の事をしようとした。転倒は自分の能力以上を出そうとしたからこそ起きてしまった。
女バス監督は憂の様子を盗み見る。
思ったように動いてくれない右足に八つ当たりするかのように、拳を打ち付けている。威力は明らかに低く、新たな怪我の心配など無さそうだ。
しかし、彼女の顔一面に悲しみが広がった。
文字通り、蓼学高等部男子バスケットボール部の将来を担っていた立花 優。
彼は、見目麗しい眩い美少女となった代償とばかりに、本気のバスケを失った。
……美少女になどなりたくなかった憂としては、代償と謂うにも語弊がある。
憂の気持ちを思えば、涙さえ見せてしまいそうになる。
隣に座っていた、千穂と呼ばれる少女が憂に話し掛けると、憂の行為は鳴りを潜めた。
それからしばらく……。千穂と一緒にゲームに参加していた2人の少女を伴い、監督2名の下を訪れた。
「近い内に再戦させて下さい! その試合では勇太くんと、京之介くんもお借り出来ますか!?」
3名の中で、高身長の佳穂と呼ばれている少女が勢いに任せ、頭を下げた。両サイドの2名もしっかりと頭を下げる。
「いいわよ! 決定! いいわね?」
再戦を求められたのは男バスだが、即座に了承したのは女バスの監督……。
予想外の相手から得た色良い返事に、憂の為にと行動する3名の女生徒は、不思議そうに2人の先生を見比べた。
両監督の一方はしてやったりと悪い笑みを浮かべ、もう一方はホッとしたような、達観したような捉え難い表情を浮かべていたのだった。
突然の作者メモ:意味なく見えるバスケ回は拓真たち男子編。




