181.0話 脅迫紛い
―――11月7日(火)
この日も親衛隊の身辺警護により、無事にC棟玄関に到着した。
憂、千穂、梢枝、康平の4名の周囲には、中学生が大勢である。初等部の子たちの数も日増しに増加しているようだ。七海の勢い、留まることを知らず。常に隊員募集の窓口は開かれており、発露以前の規模まで親衛隊の人数は戻ってきている。来週には、以前の規模を超えていくのだろう。
梢枝の親衛隊を見る目付きは優しいものだ。もしも、この親衛隊が高等部の生徒も入会可能であれば、このやや吊り上がった勝ち気な瞳は、鋭さを増しているはずだ。高等部内には憂への悪意を持つ者が一定数、存在しており、親衛隊の内部に潜り込まれる事になれば、憂の身体の警護には大問題となる。
紛れ込まれ、悪事を働かれるとすれば、警護は非常に困難なものとなる。
だが、中等部、初等部の子たちには、その悪意を持つ者は数少ないと予測している。まだまだ恋愛に疎い者が多く、性的に幼い。憂と千穂……、更に自身や康平へ抱く感情は憧れが大半だ。この感情は妬みに繋がりにくい。
「はーい! みんなー! 今日はここまでだよー! 続きは放課後! 来れる人だけで大丈夫だからね!!」
七海は状況に合わせ、柔軟にその活動範囲を狭めていっている。C棟内の雰囲気は1年生はもちろん、最高学年である3年生も一気に良化した。
このC棟の3年生には、生徒会長を筆頭に3-7組の引退したバスケ部メンバーなど、憂の今後を憂う者が多数、存在しているのだ。
親衛隊の面々から不満の言葉は聞かれない。今週の金曜日、2時間連結のLHRの最中、中等部の放課後を待ち、その時刻に合わせる形で憂の中等部訪問が決定したからである。親衛隊の集会へ参加し、交流すると共に日頃のお礼を述べる予定となっている。
「それじゃあ、憂先輩! 皆さん! 失礼します!」
いつものような勢いのある喋りでは無かった。元気な声だが、確かにゆっくりと、途切れさせた上での七海の挨拶だった。
「――七海――ありがと――!」
思い切り下げた頭を戻している途上だった。七海の動きはピタリと止まった。ピョンと飛び出た一部分、結ばれた髪の毛を憂に向けたまま、クルリと振り返り、「……行くよ?」と美優に声を掛けた後、「どうしたしまして!!」と背を向けたまま元気に駆け出していったのだった。
「あ! 七海! またあの子いきなり走って!! 先輩方、七海の失礼な態度、ごめんなさい。憂先輩に初めて名前呼ばれて嬉しかったんだと思います。憂先輩? あたしも……呼び捨て……して欲しいです……」
「え――?」
「それじゃ、またです! あー! 七海、置いていったぁー!」
……毎日が騒がしい朝なのである。
そして、憂たち4名は教室へと移動していった。梢枝は下駄箱に入っていた可愛らしい猫のイラスト入り封筒を興味なさげに眺めながら……。
「梢枝? 気ぃ付けや? カミソリの刃とか入ってるかもしれへんで?」
カカカと笑いながら言った康平に対し、汚物を見るような、見下した視線を相棒はぶつけた。それはこの2人にとって、仲直り出来た証明……なのだろう。どこかぎこちなかった頃には、決して見られなかった光景なのだ。
「……梢枝さんも私たちの正面に立ってくれてるから……。その……ごめんなさい……」
謝るところが千穂らしい……が、悪意を集め、度の過ぎたものは叩く。これが梢枝の目的であり、望むところだったりする。そもそも今回の手紙が悪い物とは限らない。ぱっと見で女の子からの物だと推測出来る。梢枝は何故だか女子からモテる。毅然とした様がそうさせる……のか……?
「千穂ちゃん、それは違うぞ? 梢枝は元々だ。護衛しとらんでも変な手紙貰うタイプよ」
「気にされる事はありませんえ? その分のお給料は頂いてますよって……。ですが、康平さんには後でお話がありますよ……?」
「梢枝さん。敬語……」
「それは千穂さんもです」
「…………」
「…………」
実はこの敬語について、面白い現象が発生している。梢枝は愛と千穂の敬語を取り払いたい。千穂は梢枝の敬語が気になって仕方が無い。愛は千穂の敬語を切り崩そうとしている。恋成らぬ敬語の三角関係が出来上がってしまっているのである。
梢枝は千穂にお返しすると、無言で封筒の封を慎重に切った。一応、警戒はしているらしい。封を切ると、いきなり逆さまにし、振った。良からぬ物が入っていれば、この時点で落ちてしまうだろう。流石に薬物までは警戒していない。相手は、教師やら学園関係者を除けば、留年の無い蓼学では最年長でも18歳。この梢枝と康平が異端なのだ。
何も出て来なかったが、表情は変わらない。ゆっくりと便箋を引き出すと、そっと開いた。テープ止めされたカミソリなども入っていなかった……が、梢枝の顔付きがガラリと変わった。
「……どうした?」
康平の似非関西弁が崩れた。珍獣でも見るような顔をしている。憂以外の絡みで動揺する幼馴染みは極めてレアだ。
梢枝は、その文面をいかつい相棒に示した。
「……いたずらですわぁ。嫌になりますねぇ……」
梢枝は即座に表情を取り繕ったが、千穂の目に焼き付いてしまったらしい。
「……そうなんだ。変なのよりマシ……かな?」
千穂の疑惑の目は当然だろう。千穂は微天然だが、鈍感では無い。だが、その手紙は梢枝への手紙だ。追求する事も出来ないのである。
「くだらんわ。なんやコレ? ワイに渡してどないするんや? 破り捨てるか?」
「いえ……。調べますえ? ウチへのいたずら……。本命は違うかも知れませんわぁ……」
「あー……。面倒やな……」
「えぇ……。本当に……」
如何にもめんどくさそうな護衛2人の顔に千穂は、どこか安心感を得た……時だった。
「梢枝――らぶれたー?」
あの子が動いた。
「どうして……そうなるの……?」
千穂の疑問は当然だ。ラブレターならば、通常は嫌な顔を見せないだろう。
「――いやそう――だから――」
「「「………………」」」
……3人の言いたい事が手に取るように解る。
ラブレターが届く度に嫌な気持ち、面倒な気持ちになる。
憂はこう言ったも同然だ。憂はそれだけのラブレターを今まで貰っている。しかも、そのラブレターの全ては無意味な物と化した。
「……憂にちょっとイラッとした」
「……ウチもラブレターなど不要ですが憂さんのコレは流石に……」
「俺、野郎からしか貰った事ないわ……」
ヒソヒソと小声早口で、憂のリアル充実ぶりに軽く文句を並べた3名なのであった。
男は自作PCのキーボードをタカタカと扱っている。
梢枝と康平にマークされている無職引き籠もりニート男である。その入力速度は相当に速い。それだけで仕事に就けるレベルだろう。だが、この男に働く意思は一切無い。
【109:何が天使だ! こいつには騙されていた! 天使の顔をして人を誑かす悪魔だ!!】
男は憂に惚れ込み、様々なアイテムを通販し続けていた。全て、憂を攫い自身の手で愛玩する為に。
【110:お前……。ここはTSに理解のあるヤツが集うスレだ。消えろ】
【111:んだな。憂ちゃんは俺らにとって天使なんだよ】
蓼園市には裕福層が多い。この男の引き籠もり歴は長い。蓼学出身だ。高等部から蓼学に入学させて貰った。マンションの一室は親に買い与えられた。独り暮らしだ。親からの多額すぎる仕送りを受け、家事手伝いを雇い、食事の支度も清掃も何もかも人に任せきりだ。
【112:許さん。何が現世に降り立った真のTSっ娘だ! ひと皮剥がせば男だ! 女の子みたいな可愛い容姿に紛れ、裏では全ての人間を見下してやがる!】
親は学歴を付けさせた。仕送りもしている。離れた土地で満足しているのだろう。そう考えれば、悲しい男と言える部分もあり、同情にすら値する。
【113:消えろっつてんだろ! お前は何なんだよ!!】
たまたま自室の窓から通学している憂を目撃しただけだった。ひと目惚れだ。男は通り掛かった憂に歪な感情を持ってしまっていた。
【114:なんちゃって! 憂ちゃん可愛いよなぁ!】
憂が元男子だと知ると、男の感情はドス黒いものへと変化した。
キーボードを叩く手を止め、手元の通販したサバイバルナイフを弄び始めた。その隣では、ようやく手に入れたボウガンが不気味な存在感を放っている。
【115:こいつ……。マジキモいわ……】
【116:通報しとくか……?】
スレッドの元々の住人の発したコメントに歯を剥き出しにした。目が血走っている。
ドンッと物音が響いた。
壁に貼られた自らが盗撮した憂の笑顔の写真に、凶悪な刃を突き立てたのである。
壁一面……。いや、壁だけでは無い。天井にも机にも憂の写真が貼りまくられている。元の壁紙の色も分からない状態だ。
男は立ち上がると、更衣を始めた。憂の通学は毎回のように車が違う。だが、帰宅の際には、親衛隊の見送りがある。その時を狙い、自転車で追い掛けるのだ。彼女の引越し先を特定する為に……。
転居先の噂は仕入れている。男が憂の住所を特定する瞬間は間近に迫っているのかも知れない。
この日の昼休み、「ごちそうさま――」と、きちんと手を合わせた後、憂は梢枝にC棟から連れ出された。
場所は建設中のD棟の付近……。人気の無い場所だった。もちろん千穂に康平……と、拓真、圭佑、凌平も一緒だ。佳穂、千晶と云った面々には遠慮して貰った。憂の守りを固める為には、男子隊の力があれば、ほとんどの場合、事足りる。総帥の後光は今も憂の背後に燦然と輝いているのである。
「……本来ならば、こちらが伺わねばならない処……。このような場所にお呼び立てし、申し訳ありません」
その言葉は千穂の囁きにより、噛み砕かれる。今回の密談の相手、生徒会長・柴森 文乃の言葉を。
――――。
「かいちょうさん――なに――?」
男子隊は何が何やら解っていない。生徒会長は今現在、憂への肩入れを善しとしていない。それは生徒会への不信を抱かせる事に繋がる。しかし、憂への嫌悪感も微塵たりとも見せていない。文乃の居る3年1組は、憂支持派がほとんどだ。
「梢枝さんから提案を頂きました。妙計……です……。現状、文化祭の追加日程を学園に認めさせるには、今回以上の案は見付かりません。その為、憂さんに力をお貸し頂きたいのです……」
自信漲る生徒会長には珍しく、歯切れが悪い。文乃も元が男子である憂にミスコンへの参加を打診する今回は心苦しいのだろう。
「ほら……憂……? 昨日の……」
「んぅ――?」
ピンと来ないようだ。姉の悪趣により、散々酷い目に遭ったにも関わらず……だが、後遺症に依るものだ。これは仕方の無い事なのである。
「ほら……水着審査……」
その囁きを耳にした男衆の顔が怪訝なものに変化した。もちろん、康平は除く。
「何の話だ?」と康平の変わらない表情に気付き、問うたのは拓真だ。
「あー……。ちょっと憂さんにとっては可哀想な状況になっててなぁ……」
「みずぎ――?」
「憂さんには……あれや。女装疑惑があるやろ?」
話が混信状態である。説明下手の康平サイドはカットさせて頂く事とする。
「まだ思い出してくれない……。インパクト強かったはずなのに……。ほら……。コンテスト……」
「憂さん? ミスコンですえ?」
梢枝が横槍を入れると憂の顔が強張った。思い出したらしい。そして、憂の黒目がちな瞳が細まった。少し、怒った表情だ。その憂の可愛らしい睨みに「憂さん……。必要な事なんですわぁ……」と、梢枝は怯んでしまう。今や憂は、数々の修羅場をくぐり抜けた梢枝が萎縮してしまう唯一無二の存在だ。総帥相手でも、もはやこうはならないだろう。
「いや――って――言った――!」
「憂さん……。お願いします……」
8000超名の生徒たちの頂点に君臨する文乃が頭を下げた。
「うぅ――」
ずるい! ……ちっちゃいのは、こう思っている事だろう……が、彼女がお願いされると滅法弱い事は文乃のデータベースには入っていないはずだ。たまたまである。
「憂……。私からも……お願い……」
「憂さん……。頼み……ますわぁ……」
文乃に続いてお願いした千穂と梢枝はもちろん知っている。知っている上でお願いしている。本当にずるいのは、この2人……。だが、千穂にだけは『ずるい』と思っていない事だろう。
「でも――ひとまえ――」
憂にとって、授業で水着姿になることすら恥ずかしい。最近は誰も聞いていないが、セーラー服さえ、未だに恥ずかしいのかも知れない。
……ぶっちゃけ可哀想である。
しかし、この男の娘疑惑が根が深い。最悪、真偽を確かめるため暴挙に及ぶ生徒が、いつ出現するかも分からない。確認されただけならまだいい。興奮し、襲われかねない。もちろん、ここにいる護衛も誰も彼も、佳穂も千晶も親衛隊やクラスメイトたちもそうはさせるつもりは無い……が、何が起きるか分からない。退学や逮捕を覚悟で真相に迫りたい輩も居るのかもしれないのである。
「憂? よく……聞け?」
康平の説明により大体の状況を理解した拓真が起動した。
「――なに!?」
半ベソの憂は弾かれたように拓真へと首を巡らせた。救いの神が降りた瞬間だったのだろう。
「わがまま……酷ぇと……」
憂は小首を傾げる。最近の理解は多少、早くなったように感じる。
「――え?」
憂の顔が驚きに変わった。憂からしてみれば、同じ男子として気持ちを察してくれ、それ故に助けてくれると思ったのだろう。
「俺が……スカート……まくって……歩くぞ?」
これはしっかりと時間を要した。理解したくなかった部分もあるはずだ。
「拓真――!! へんたい――!!」
スカートの前面を抑え、後ずさりを始める憂に女子3名は改めて『お願い』し、憂は拓真の表情に本気を見たのか、為す術もなく受け入れてしまったのである。
……余談だが……。
憂の『変態口撃』を正面切って受けてしまった拓真だが、一切の動揺を感じさせなかった。拓真にとっての憂は、やはり優のままなのかも知れない。
……圭祐と凌平は、可哀想な子を見る目で、ついに泣き出してしまった憂の姿を追っていたのだった。




