1.0話 転入前夜
―――5月7日(日)
美女と美少女が相対し、睨み合っている。
美女は何故かカップの小さな、ごく薄いピンク色のブラを構えている。よく見ると同色のピンクのショーツを握り込んでいるようだ。
美女は年の頃、20代半ばだろうか。髪は濡れている。ダークブラウンに染められた肩甲骨の下、背中の中央辺りまで届くストレートヘア。意思の強そうなやや目尻の上がった瞳。鼻はツンと尖っている。口元はこれといって特徴がない……が、バランスの良い口元とも言える。
その薄い紅色の唇が怒りで引き締められている。
美女はすっぴんだ。眉が麻呂のように小さい。眉毛本体はどこかに置き忘れてきたかのようである。
彼女は柔らかそうな生地、綿と思われる水色のシンプルなパジャマを身に纏っている。
向かい合う美少女は、年の頃12,3歳に見える。濡れても尚、柔らかさを感じさせる、細く淡い栗色の髪。その毛先は更に細くなり、肩の辺りで途切れている。まるで鋏を入れた事の無い幼子の毛髪のようだ。
ふっくらとした薄い桃色の唇、小ぶりの整った鼻、ぱっちりした黒目がちな瞳と、その上に柔らかく弧を描く眉。その1つ1つが洗練されており、名立たる画家も舌を巻くであろうレベルで、バランス良く小さな顔に納まっている。
驚嘆に値する美少女ぶりだ。将来が楽しみで仕方がない。
絶世とも謂える美少女は、正面の美女と違い、パジャマを着ていない。代わりのTシャツなんかも着ていない。
それどころか下着も付けて無ければ履いてもいない。
全裸だ。すっぽんぽんだ。どうしたものか。
…………。
それはさておき。
美少女の躰は、やや痩せた躰と言えた。白く長いほっそりした足には、女性らしく脂肪が付いてきている。胸も微かに膨らんではいるが、あくまで発展途上といえるだろう。二次成長期途上と思しき肢体は、産毛1本生えていないかのように滑らかな薄い肌をしている。
その薄い肌は、ほんのりと紅潮している。よくよく見れば湯気を発しているようだ。足元には白いバスタオルが一枚。情報を統合すると、どうやら風呂上がりらしい。
2人が対峙しているのはリビングと思しき一室である。その部屋では、白いソファーに座っている男性2人が目を泳がせている。
先ほどから全裸の少女を視界から外そうと四苦八苦しているのだ。
―――どうしてこうなった?
男性2人は、リビングでお笑い芸人が叫ぶばかりの面白くもないTVを眺め、ゆったりと寛いでいた。それぞれ白いL字のソファーの端に座っている。そこは彼ら2人の定位置である。
その彼らの眺めるTVは、L字のソファーの折れ目の対角線上に設置されている。
のんびりとした時間を過ごしていると、視界の端に映るリビングドアの向こうから、何やら喧しい声が聴こえてきた。
男性2人の顔が、そのドアの方向にほぼ同時に向いた。男性の1人は中年……いや、壮年に近いかも知れない。もう1人はおそらく大学生といったところか。
リビングドアには、2枚の縦長のガラスが嵌め込まれている。そのガラスから先にある玄関を覗き込むように頭を動かしている年長の男性が、視線をそのままに若い男性に指示を出した。
「剛。ちょっと見てこい」
「え? やだよ。騒いでんの、姉貴だろ? 親父が行けよ」
剛と呼ばれた男性は、整った顔立ちを歪め、あからさまに嫌と云った表情を見せた。
それもそうだろう。
―――全ては現在、キッチンで調理中の母のひと言から始まった。
「憂? 退院したばっかりだけど、明日から学園でしょ? 今の内に1度、制服着てみておいたほうが良くない?」
このひと言を切っ掛けに、姉妹の喧嘩が始まった。
妹が制服を着る事自体を嫌がり、それを姉は窘めた。姉だけでなく家族全員から諭され、妹は渋々、自室に戻ろうした。自室には新品のセーラー服がハンガーに吊られているからだ。
ところが妹が立ち上がると、すぐに姉は呼び止めた。
「折角、着てみるんだから先にお風呂ね」
面倒だとばかりに、またもや渋る妹。姉に同意する母。
そこまでは……まぁ、まだ良かった。
妹は独りで入ると意思を示した……が、姉は家族全員に宣言するように言った。
「まだ1人でお風呂は危ないよ。だから私が一緒に入るね」
妹は最初、姉が何を言っているのか理解できない様子だった。母がゆっくり説明する内に理解したらしく、首を何度も何度も横に振る妹。姉は有無を言わせず、拒絶の意思を示す妹を小脇に抱え、風呂場に連行した。「ぃやだぁ――」と叫び、涙を流しながら両手を伸ばし、助けを求める妹の姿を、父と兄が呆然と見送ったのは40分ほど前の出来事だった―――
リビングから出て行って40分。そろそろ風呂から上がってきてもいい頃だと剛は思う。騒いでいるという事は姉が妹の事を考え行動し、妹がそれを嫌がると云ういつもの構図だろう。
いつものと言ってみたものの、憂の長い入院生活が終わりを告げたのは今日の話だ。つまり本日、たった半日ほどで幾度となく、この形の遣り取りを繰り返している。
細長いガラスの向こう側を覗き見る父親が硬直した。
その直後、ガチャっとレバーハンドルタイプのドアノブが下がると、全裸の美少女が右足を軽く引き摺りながらリビングに飛び込んできた。
見えた。全部、見えた。薄く膨らんだ胸もその先に色付くモノも、真っ白なお腹も、その下の毛の生えてない綺麗な……、綺麗な……、何かも見えた。
この妹は、幼く見えても紛うことなき15歳。2人の男は狼狽し、慌ててTVに顔を向けた。しかし、視界の隅に妹の姿が残り、慌てて明後日の方角を見据えた。
「待ちなさい!」
美女の声に反応し、美少女が体の向きを変える。その弾みで頭に巻いていた白いバスタオルがひらりと落ちた。
男性陣が声の方向を思わず確認すると、今度は小振りの……。いや、小振りだが丸みのある白いお尻が見えてしまった。その白く丸く可愛いモノから顔を背け、またどこか適当に辺りを見回す。兄は玄関へのドアの対極に位置する母が夕飯支度中のダイニング。父は兄をターゲットに視界を固定した。
そんな中、姉がリビングに突入した。妹は何やら無意味に珍妙な構えを取っている。
こうして冒頭の遣り取りへと繋がった訳だ。
―――ややこしいのでそろそろ、ごく簡単に紹介しておこう。
父は、立花 迅、52歳。白髪かかった短髪だ。昨年、異例の大出世を遂げた。
リビングに居ない母は幸、48歳。若い頃は、さぞかしモテたであろう雰囲気を醸し出す、おっとり美人の専業主婦である。
姉は愛、25歳。家族で1番の強者かも知れない。社会人3年生である。
兄は剛、21歳。大学4年生。就活の為に髪を黒く染め直された短髪だ。その短髪をツンツンと尖らせている。
そして、妹の憂。長い入院生活から本日、退院したばかりだ。現在、高校1年生の15歳。GWの明ける明日から学園へ転入となる。
ちなみに今年は6日が土曜日、本日が日曜日と言う大型のGWだった。
……憂には、後遺症が残っている。軽度だが麻痺があり、右の手足の力が弱い。更には思考力の低下に記憶障害。言語障害と思しき症状も見受けられる。必死のリハビリにより改善してきており、後は日常生活を送る事がリハビリと主治医は退院を許可した。
そんな少女の右手首と首には、痛々しい傷痕が残っている。
迅と幸の夫婦には元々、女子、男子、男子と3人の子供がいた。
末の男の子は今から1年前、GWが明けたばかりの5月6日に事故に遭い、意識不明の重体となった。
そして、今年に入ると15年の短い生涯を閉じた。名前は優。小柄ながらもバスケ部に所属する活発な少年だった。
優が長く眠っていた個室。優の次にその病室に偶然、入院したのが篠本 憂だった。年は15歳。身寄りは無かった。その娘の存在を夫婦は偶然、知った。
同じ『ユウ』。同じ15歳。同じ誕生日……。その偶然に運命を感じた夫婦は、心の隙間を埋めるよう、少女に接触し、養子に迎えた。
つまり、憂は4人の家族と血を分けていないと言う事になる。
……と、表向きには、そうなっている―――
愛が妹に向かい、にじり寄ると、憂はじりじりと後退した。
「憂……。やるわね……。まさか、パンツ……投げて……時間……稼ぐ内に……逃げる……なんてね」
愛さん、わざわざ詳しい説明ありがとう。
どうやら憂は用意された下着が嫌だったようだ。愛が憂のブラを手にした途端、パンツを投げ捨て、愛が拾う間に逃げてきたらしい。
愛は話しかけながらも、じりじりと前進する。それに合わせ、憂が後退していく。
ソファーの端に座る迅との距離は、1m未満となった。
「父さん。剛。この子、抑えてくれない?」
それを聞くや否や、迅は立ち上がり、そそくさとダイニングに逃げていった。
(親父きたねぇ!)
剛は、卑怯にも逃げ出した父に、心の中で文句を言いつつ立ち上がり、全裸の憂に近寄った。
憂は退院したばかりだ。姉の行動は解らなくもないが、追い込み過ぎて怪我をさせる訳にも行かない。可能な限り、小さくも可愛らしいお尻から目を背けつつ、咄嗟にフォローできる位置に控えた。
「ブラ……しないと……痛く……なるよ」
愛の言葉に憂は小首を傾げ、しばらく間を空けた後、嫌々と首を横に振った。
折角、優しく言ってあげてるのに! ……と、愛が憤慨した様子で、更に距離を詰めると、後退る憂の足がソファーにぶつかった。
「わぁ――」
思い切りバランスを崩し、ソファーに倒れ込む憂の背中を剛は「おっと」と受け止め、そのまま優しくソファーに寝かせた。少女は両手を挙げ、万歳の姿勢だ。
ふいに憂と目が合う。
位置的に憂は上目遣いである。ソファーに寝そべり、上目遣いで見詰める裸の美少女に、剛の体が硬直してしまった。
それからしばらくの沈黙の時が続いた。TVの音声のみの空間で、憂は小さく小首を傾げる。この小首を傾げる方向は、いつも左である。
「……剛? あんたは妹の裸に欲情する変態? 違うんならさっさと抑える」
愛の声で我に返ると、憂の両手をソファーに押し付けるように抑え込んだ。姉に軽蔑されたくない一心だったが……、これは余計に……。
……………。
……憂は、紛う事無き美少女だ。まもなく16歳となるが外見は幼く、全体的にコンパクトなものの、若干、大人びた顔付きをしている為、12,3歳に見える。そんな妹の白く細い手首を掴み、横たわる肢体をソファーに繋ぎ止めているのだ。しかも憂は全裸である。
はい。どう見ても変態です。有難う御座います。ご馳走様です?
このままでは、お兄ちゃんが余りにも不憫なのでフォローしておきたい。
妹と言えども、剛は……。いや、家族全員、今まで1日たりとも、この姿のユウと長く過ごした日は無い。憂の現在の美少女ぶりへの免疫が無いのである。家族の中で若い男子は剛1人だけだ。見惚れてしまうのも無理は無い……のかも知れない。
……おや?
裸の少女の両手を拘束している。その事実へのフォローが出来ていない気がするが、そこは善しとして頂こう。
「よし。よくやったね。剛」
愛はブラを肩に引っ掛けると、薄ピンクの小さなショーツの足ぐりに右腕に通し、ショーツが手首にぶら下がった右手で憂の左足を掴む。
「うきゃぁぁぁぁ――!!!」
憂は叫んだ。顔を真っ赤に染め、絶叫しながら両足をバタバタと暴れさせる。ほっそりとした両足の付け根が丸見えになる事すら、お構いなしだ。
叫び声を聴き、母・幸がキッチンから何事かと顔を覗かせた。幸に釣られたのか迅もリビングに顔を向け、見てはいけない物を見たとばかりに、すぐに背けた。
「なんで! 暴れるの!? いつも! パンツは! 履いてるでしょ!」
「やぁあああああ――!」
憂は抵抗を止めない。見れば、必死の形相の中に涙が浮かんでいる。
愛は大声ながらもきっちりと、途切れ途切れに言葉をぶつけているのは姉としての優しさなのだろう。
幸も騒動の原因が下着の事と察し、静観する構えを見せている。
「今日だって! さっきまで! 履いてたでしょ!」
愛の言った通りだった。脱衣所に強制連行した時、シンプルな白い綿のショーツを憂は履いていたのである。その時も嫌がる憂から、強引にシンプルで小さな布切れを剥ぎ取ったのだった。
(履かされるのが嫌なんじゃ……)
剛はそう思ったが口にはしない。愛は癇癪持ちであり怒らせると家族内で1番、怖いかも知れない。それは長い間、一緒に生活する弟として嫌と言うほど理解している。
「いい加減に! ぐふぅ……」
しなさい! と続ける為に息を吸い込んでいるタイミングだった。ジタバタと暴れていた憂の踵が愛の鳩尾を的確に捉えた。愛は蹴られた鳩尾を抱き、蹲る。
「――あ」
憂の動きがピタリと制止した。その美貌を恐怖に歪める。
「あらー。大丈夫? 穏便にね」と、軽い調子で幸は愛を諭す。その言葉に真剣さは一欠片も感じられなかった。呑気な母なのである。
口元に笑みを浮かべ、愛はゆらりと立ち上がる。一瞬、幸を見ると目で何やら訴えた。蹴られた事、憂の世話の事。色んな意味が籠っているのだろう。どうやら微かに冷静さは残しているようである。
剛は、愛が蹲っている間に憂の手首から手を離し、ソファーの自身の定位置の前まで避難していた。巻き添えはごめんだと云わんばかりの行動だ。
「……憂?」
貼り付いた笑みのまま、憂にゆったりと近づいていく。
その瞳は、ほんの少しも笑っていない。
「――ひっ」
息を呑み、小さな体を更に小さく縮めた。憂もまた、普段は優しい愛の恐怖の一面を知っている。深く脳裏に刻み込まれているのだろう。その矛先を真っ直ぐに向けられ、可哀想に思えるほど委縮してしまっている。
「いい加減に……しないと……」
ゆっくりと言い聞かせるように囁きながら、妹にゆっくりと右手を伸ばす。
憂は咄嗟に両手で顔を覆った。
右手の着地点は憂の予想を裏切ったようだ。可愛らしい縦穴の臍の下にそっと手を置く。触れられた瞬間、驚きの余りビクンと小柄な躰が跳ねた。
愛は、そんな憂にゆっくりと優しく、幼子に言い聞かせるように口を開いた。
「……襲うよ?」
その言葉は意外なものだったようだ。顔を覆っていた小さな手を除けキョトンとしている。
愛は臍の下から上にゆっくりと手を這わせていく。その手の動きに、憂の愛らしくも美しい面持ちがまた恐怖に塗り替えられていった。
その手が薄い胸で止まった。薄いながらも愛の指は僅かに沈んでいる。
「ブラも……しないと……ね?」
憂は少し間を空け、コクコクと何度も首を縦に振る。
「きちんと……女の子……しないと……ね?」
……口調はあくまで優しい。
「あんまり……無防備で……いるなら……」
にっこりと笑った。
「変な男にヤられる前に……」
その部分をあえて早口で捲し立て……、またゆっくりと最後となった台詞を放った。
憂は恐怖の為、ポロポロと涙を零し始めている。
「私が……犯すからね?」
「――ごめんなさい」
憂がそう謝罪のひと言を発したのは、それから3分は経過した後だっただろうか。
謝った後、憂は大人しくショーツを履かされ、産まれて初めてのブラジャーを装着された。そして、制服の試着の為、憂の部屋に連行されていった。
……この件以降、服装に関して、憂が愛に逆らう事は皆無と言えるほど、無くなったのだった。