177.0話 『憂』
「お姉ちゃん――おかわり――!」
あ。珍しい。初めて聞くかも……。
「……めずらし。大丈夫?」
「珍しいどころか、初めてだろ?」
やっぱり初めてなんだ。お兄さん、情報ナイスです。
「これ――おいしい――」
「あらあら? 敵わないわねぇ……」
……すっごく嬉しいかも。昨日の久しぶりにお買い物した焼きそばは、太藺さんが買い足してくれた上で、お昼ごはんに消えちゃったから……。
バスケ会の後のお買い物で、お豆腐とネギが安かったから夕飯にって……。
「それ……千穂ちゃんが……作ったのよ?」
お母さん。バラされると恥ずかしいです。すき焼き風煮込み。糸コンじゃなくて、葛きり入れた自信作……だけど……。
「――ホントに!?」
満面の笑顔。可愛すぎ。お母さんは……悔しそうですね。ほんわか笑顔なんだけど、なんとなく見分けつくようになってきちゃった。
「母さん? んな顔すんなって」
「そうだよ? 喜んであげないとね」
「ふふ。お父さんも剛ちゃんも……、何のことかしら?」
「何でもない。なんでもないよ?」
「ごちそさんっ! 千穂ちゃん、マジ美味かったよ!」
「ありがとうございますっ!」
「剛……。逃げたな……」
「うん。我が弟ながら卑怯な」
「僕もごちそうさま。久々の千穂の得意料理、やっぱり美味しかったよ」
「お粗末さまでした」
やっぱり褒められると嬉しいよね。しかも料理すっごく上手なお母さんを差し置いて……だもんね。
「うぅ――おかわり――」
…………。
忘れられてたのかな? 半ベソだよ。
「憂? 起立!」
……お姉さん? 立ったし。
「気を付け!」
素直だよね……。
「礼! ……は、要らない!」
ぷっ! あはは! 不満そう! お姉さんを見据えて、口をむぅ……って、いち文字。変わったリアクションだ……。
「ちょっち……失礼……」
お腹をよしよし。ちょっと膨らんでるね。ぽっこりお腹。でも、位置が高い。だらしないおなかじゃなくて、胃が膨らんでる。ご飯の量、少ないんだけどね。
「お母さん、ちょっとだけ」
「はいはい。いいわよー。千穂ちゃんに初おかわり負けちゃったわね。もっとお料理勉強しないとー。負けないわよー?」
ほんわか笑顔。内心、複雑なんろうけど……。柔らかいお母さん。暖かいね。
「まったく……。大人げない。千穂ちゃん、気にせず蹴散らしちゃってね。私は朝以外、キッチンに立たなくなっちゃったし」
あ……。
「それは「楽が出来てて助かるけどね」
……被せられた。謝ろうと思ったのに。相変わらず優しいお姉ちゃん。
「はい。これだけ……ね?」
「うん――! ありがと!」
あはは。可愛いなぁ……。
私のお父さんも憂のお父さんも、目に入れても痛くないって顔してる。理想の家族みたい。
憂は私が調理したお豆腐と牛肉をご飯に乗せて、ひと口。むぐむぐ。もぐもぐ。
嬉しいな……。何も言わなくても顔を見れば分かるよ?
……梢枝さんも康平くんも遠慮しちゃったからなぁ……。お裾分けはしたけど……。団らんの邪魔は出来ないって事なのかな? 気にしなければいいのに……。
明日も買い物行っていいのかな? 憂は車でお留守番だったんだけど……。
……いつまでダメなのかな? そろそろいいんじゃない……?
車に戻った瞬間、すっごくいい笑顔だったから……。裏を返せば、寂しかったんだろうな……って。もちろん、拓真くんと美優ちゃん、剛さんも車に居残りしてくれたんだけどね。
何を話したのかな? 美優ちゃんも……、告白するのかな?
私……。どうしたらいいんだろう?
「……千穂ちゃん?」
「はい?」
憂のお父さんに話し掛けられるのって、ほとんどないかも……。話し掛けづらいのかな……?
「憂の名前の事は……」
…………。
「まだ聞けてないです……。なんだか、タイミングが見付からなくて……」
「そうだね。そろそろ決めちゃわないと。問題なんだよ」
愛さん……。
「そうですよね……。ご飯食べ終わったら2人の時間を下さい……」
「うん……。ごめんね。お願いします」
「――ごちそうさま――でした――」
両手をぴったり合わせてのひと言。ほわほわする……。優の頃からしっかりと頂きますもご馳走様もしてたのに……。これって、外見の違いなんだよね。
……私も外見で判断してるって部分があるって事の証明……なのかな……?
「憂? 千穂ちゃん……話、あるって……」
……だめだめ。またマイナス思考に陥っちゃってる。
「うん。憂のお部屋……行こ?」
「千穂ちゃん、しっかりね」
「はい。長くなったらごめんなさい」
……どのくらい掛かるか全然、わからないよね。
「――うん」
私が部屋に行くの、憂ってば全く抵抗ない……。まぁ、いいんだけど……。
憂はゆっくりと立ち上がる。
……お腹、ぽっこりしてるし……。
「お邪魔しまーす」
窓の無い、憂の部屋。
……もう、男の子の部屋って感じじゃなくなっちゃった。なんでだろう? 家具も変わってないのに……。ハンガーに掛けられたセーラー服とか、甘い香りだとか、そんなのが女の子の部屋って主張してる感じ?
「べんきょう――する――?」
……勉強いいやって、なんだったんだろう? 確かにゲームの時間も増えちゃったけど……。でも、それはチャットの時間が減った分の話で……。
こうやって勉強する気もあるんだよね。
よし。まずはこっち聞いておきますか。
「勉強……もういいやって……?」
小首を傾げてみる。疑問なんだよ? 不思議なんだよ? ……って、首をかしげる事で伝えてあげる。
憂もやっぱり傾げた。鏡合わせの状態でにらめっこ。視線は通り過ぎない。表情も固まってない。
……。
…………。
あ。首の位置、戻ったね。私も戻しとこ。
「べんきょう――ついていけない――」
寂しそうな顔。優の時も出来るほうじゃなかったけど……、0点とか有り得ない感じで……。それはバスケ優先だったからで……。
「――でも」
でも。それでもやろうとするのは何で? どうして付いていけない勉強を頑張ることが出来るの……?
私には……それが不思議。無理だったら……、出来る事を頑張ればいいんじゃないかな……って。
「――することに――いみがある――って――」
勉強……する事に意味が……?
……そう言えば、中2の頃だったかな? 数学の授業中、こんな勉強しても将来、使わないんだろ? ……って、クラスの男子が言ってた。
その時の先生の回答は……する事に意義があるんだ。意味がないと今、放棄するなら将来、同じ言い訳をして、職務を放棄する人間になる……みたいなこと言っておられた。
「だから――するんだ――よ?」
……。
憂はやっぱり優なんだよね。諦めない。いつも前を見てるんだ……。
「きゅうけい――ほしかったから――ごめん――」
話し方……やっぱりスムーズになってきてる。
休憩。ちょっとひと休み。ひと休みして、また進み出した……。それって、すごい事だと思う……。
「しんぱい――しちゃった――?」
「……うん。心配……しちゃった……」
「もう――だいじょうぶ――だよ?」
……なんで?
なんでそんなに前を向いていられるんだろう……?
事故って……。
目が醒めて……。
体が全然、違って……。
後遺症まで残ってて……。
夢が壊れて……。
今まで出来てたことのたくさん、出来なくなっちゃってて……。
それなのに憂は前を向いてる。
「――よしよし」
あ……。
私、そんな顔してるんだ……。憂に同情しちゃって……伝わっちゃった……。憂を守るどころか守られてるのかな……?
憂……。憂はホントに……。
「凄いね……」
憂が凄いから凄い人が大勢集まっちゃったんだろうね……。
「すごく――ないよ――?」
私を見上げる憂の瞳は真っすぐで……、本心でそう言ってるって伝わった。
……響くなぁ。憂の言葉って……。
「ボク――ささえられてる――から――」
支えたくなっちゃうんだよ? 憂が私たちに支えさせてるんだ……。
「ひとりじゃ――なにも――できない――から――」
そうじゃない。憂がそれでも頑張るから周りに人が集まるんだよ……?
「千穂に――だけ――。お姉ちゃんにも――ないしょ――だよ?」
2人の秘密……? 2人だけの……?
「……梢枝さん……にも?」
……確認しちゃった。考えてるとすぐ梢枝さんにたどり着いちゃう。変なコンプレックス抱えちゃったな……。
「――うん。梢枝にも――」
器用なほうの左手の人差し指を、ふっくらとした唇の前に立てて……、その左手が降りてきた。小指を立てて……。
その小指に私も左手の小指を絡める。指切りげんまん。嘘付いたらげんこついちまんとか、そんなのだったよね?
「――――――」
「………………」
ひんやりとした憂の手。憂って、これから大変そう。絶対に冷え性だよ。冬とかつめたーくなっちゃうんだと思う。優の頃はどうだったかな?
「――――――――――――――」
「……………………………………」
…………どうしたのかな? 何で何も言わないの?
あ。首、傾げた。ホントにもう……。
「内緒の……話……」
「んぅ――?」
もっと前だね。えっと……。
「支え……られてる……から……?」
この辺かな? 合ってると思う……けど……。
「――――――?」
まだ思い出せないね。忘れちゃうのだけはホント、なんとかして欲しいかな?
「ほら……。ひとりじゃ「あ――!」
…………思い出してくれたみたいですね。ほっとしたよ?
「――じ――」
………………はい?
「…………じ?」
……ですか? ちょっと言葉足りなさすぎ。
「うん――。じ――」
あれれ? そのまま進んじゃったよ。
「ゆう――じゃなくて――ゆう――」
あ! すっきりした!! 優じゃなくて憂……だね。それじゃ『字』だ。名前の文字。聞かないといけなかったことだよ。ちょうどいいね。
あれから調べた。憂って文字にはプラスの意味って、ほとんどなくて……。
憂う、物思いに沈む。心配する。つらい。
……喪に服す。こんな意味もあって……。もしかしたら、憂の中で優は死んじゃってて、だから『憂がいい』……とか、想像させられて……。
でも……。
「ひとり――だと――ゆうだから――」
文字1つだけだとマイナスな意味がほとんどの『憂』だけど……。
しとやか、思いやる……なんて意味もあって……。
自分のことより、人の想いを優先しちゃう憂にはぴったりで……。
何よりも……。
「ひとが――となりにいて――ゆうに――」
憂……。人偏。人偏が……人が傍に寄り添ったら優に……。優しい優に……。
「――もどれる――から――」
いっぱいいっぱい考えたんだ。いっぱい考えて、それで『憂』を選んだんだね。本当に憂らしい理由で……。
「わかった……。あらためて……よろしくね……」
穏やかな憂の顔。優とは違う憂の……優しい表情……。
優って名前を投げ出して、進むんだね。
「『憂』」
「うん――。よろしく――千穂――」
優しい笑顔。考えてるマイナスな思考をぜーんぶ、どうでもよくさせてくれる……。そんな笑顔。
「……お。ただいま。手、繋いでるんだね。ちょっと安心したよ? 喧嘩しちゃったらどうしよって思ってた」
憂とはケンカにならないんですよ? いつも憂が折れちゃうから……。なんか、尻に敷いてるみたいで複雑なんですけど……。
「結論は出たかな?」
「……はい!」
憂のお父さんの優しくて穏やかな表情。対して、私のお父さんには緊張感。しっかりしてよ……。
「お! いい顔してるね! これは千穂ちゃんの思い通りかな?」
「愛ちゃん? その言葉は感心しませんよ?」
「あー。ごめん。それで……どっちかな?」
……大発表かも。私、よくよく考えたらご家族や本人の意思に反対してたんだ……。なんて自分勝手なことを……。
でも、立花家の皆さん、それだけ私のことを思ってくれてる証明で……。
「あはは――!」
……なんで笑うのかな?
「なんで百面相してんのさっ!」
ペチンって、おでこにツッコミ。痛たた……。ちょっと前髪が目に入った……。
……そうじゃない。
憂鬱の憂なんかじゃない。
「杞憂の『憂』です」
無意味な心配で終わって良かった。杞憂。いい意味とも捉えられるよね?
「そっか。やっぱり憂の意見が通ったんだね。憂が主張すると強いんだよねー。私も何度、負けたことか」
「……千穂ちゃんが納得した理由、聞かせてくれるかい?」
「それは……内緒……です……」
「あ! 2人で隠し事! 悔しい! 私も混ぜて!」
「ないしょ――」
憂を見ると、愛さんに噛みつきそうな表情。綺麗な歯を見せてるのは、噛み付いちゃうぞアピールなのかな?
「――ね?」
あ……。上目遣い。可愛い。
……はぁ。
いつからだろうね。憂が可愛い表情見せても仕草を見せても、いらいらとかしなくなったのって……。
比べられるのは今でも嫌ですけどねっ!!