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171.0話 不機嫌少女

 


 ―――11月3日(金)



「愛さんっ! 何かする事ないですかっ!?」


「え? 急に言われても……」


 お隣さんとなった千穂は、よく立花家を訪れている。そして、この日は来た早々、こんなことを言ってきたのだ。彼女の家事をしたい欲求は収まる気配を見せていないどころか、ますます激しさを増しているらしい。


「特に無いよねぇ……」


 立花家には千穂の高い家事スキルを遥かに凌駕するお方がいらっしゃる。つまり、愛もすることが無い状態なのである。


「……そうですか……。残念です……」


 ガックリと肩を落とした。


 そうは言っても、立花家も売れ残っていたとは言え、新築のマンションであり、頑固な汚れなど、残念ながら存在していないのである。


「千穂――?」


 リビングのソファーの指定席でチクチクと刺繍をしていた憂が、ようやく千穂が来ていることに気付いた。憂は一生懸命になると、時折、こうして周りが見えなくなることがある。千穂がゲームに熱中した時と一緒だ。似た者同士とも言える……が、人を掘り下げていけば、似た部分の1つや2つは出てくるだろう。


「あ。憂……。そうだ! それじゃ、お出掛けしませんか!? ちょっとスーパーに行くくらいだいじょうぶですよね?」


 もちろん、梢枝からの外出許可は降りていない。それでも愛が許可すれば……、そんな腹積もりもあったかも知れない。


 ……が、そんなどこかピュアではない希望も愛に瞬殺される。


「んー。ごめんね。今日は父方、母方、どっちもここに来るんだよー。『知られて』からの初顔合わせ。千穂ちゃんなら一緒してもだいじょうぶだけど……、どうする? ……って言うか、ちゃんと今日の事、話してたよね?」


「あ……。忘れてました。ごめんなさい……。憂? またね……」


 憂の手前か、平静を装い、玄関に向けて行った千穂なのであった。

 当たり前だが、4名の祖父母と顔は合わせにくい。立花家と深い付き合いとなった千穂だが、さすがにその親戚との邂逅には抵抗感を拭えないようだ。


「おはよ――。またね――?」


「遅い上になんで疑問形やねん」


 姉のツッコミが聞こえたかには疑問が残る。しばらく小首を傾げ、ぼんやりと千穂が消えていった玄関への廊下を眺めていたが、またチクチクとし始めたのだった。


「重症ねぇ……」


 誰に言うでもなく呟いたのは、将来の千穂を連想させるほんわか美人・母の幸である。


「いくらか残してあげればいいじゃないの?」


 現在の時間、9時半。この時間には幸は洗濯以外の全ての家事を済ませてしまっている。これも掃除の軽減があるせいだが、それでも早い。因みに、洗濯物は乾燥機付きである。彼女は効率主義者な部分を持ち合わせているのだ。


 どうでも良い話だが、愛は憂の洗濯物と一緒に、夜の内にちゃちゃっと済ませてしまう。


「そうは言われてもね。娘のお友だちにお掃除はさせにくいでしょ? お嫁さんに来てくれるのならお願いしちゃうんだけどねぇ」


 心底、困った口調の割には、微笑みを絶やさない母上殿だった。


「まぁ……そうだよね。ところでさ。お母さんは買い出しどうしてるのよ?」


「どう? ……って、普通にスーパー行ってるわよー?」


 姉の顔に心配の二文字が浮かんだ。それはそうかも知れない。旧立花邸は投石に晒された。隠していたと叩かれていたのは、憂と友人だけでは無い。もちろん、家族も……なのである。それも時間の経過と共に収まりを見せているが、まだまだ不安定だ。


「そんな顔しなくても大丈夫よ? 表に出ると、総帥さんか、康平くんの会社の人とか……、付いてきてくれてるんだから」


 愛の眉が上がった。今度は驚きだ。


「あら? 知らなかったの? 愛ちゃんにも剛ちゃんにも付いてるのよ? お父さんは知らないけど」


 コロコロと笑い始めた。本当に曲者な幸さんなのだ。














【1946年11月3日の日本国憲法公布の日を記念して「文化の日」と定めた。 11月3日は世界で初めて戦争放棄を憲法で宣言した重大な日であり,「自由と平和を愛し,文化をすすめる日」とした。この趣旨のもとに,芸術祭や,文化勲章の授与,文化功労者の表彰などが行われている。

 戦前は,明治天皇の誕生日であることから,『明治節』という別の名の祝日だった。】


 立花家から自宅に帰還した千穂は、手持ち無沙汰を誤魔化すように祝日となっている本日、『文化の日』について調べてみた。良い習慣……なのだが、普段はこんな事はしない。単に暇なだけである。


 自宅の家事は、ほとんど終わってしまっている。後は、絶賛回転中の洗濯物を干すだけで完了だ。量も多くない。たった2人だけの家族なのである。


 父はイライラする娘から逃げるように部屋に引き篭もってしまった。現在、2度目の睡眠の最中かも知れない。


(お父さん、部屋のお掃除させてくれないし……)


 この歳まで、1度たりとも父は自身の部屋を娘に掃除させたことが無い。


『勝手に掃除したらさすがに僕でも怒っちゃうからね』


 中等部に入りたての頃に言われた言葉が脳裏を過ぎる。


(なんでかな!? 何かやましい事あるのかな!?)


 思い出したらイライラが擡げてきてしまったらしい。父・誠人の引き篭もりは正解なのだろう。2人家族なだけによく娘を理解している……のだと思いたい。


(もうダメ……。泣きたい……)


 実は1度、こっそりと出掛けようとした事がある。一昨日の事だ。その時、1階、エントランスで梢枝が待ち構えていた。どうやったかは千穂には判らない。


『千穂さん? ウチを出し抜こうなんて、まだまだ早いですえ?』と、満面のいい笑顔で諭された。


(梢枝さんが心配してくれるのは嬉しいんだけど! これは……辛いよ……)


 ソファーの上、膝を抱えてしまった。本当に重症である。


(あ! そうだ!!)


 何やら思い付いたらしい。薄く笑った悪い顔をしている。小悪魔フェイスだ。憂や樹など、いちころにしそうな表情である。


 そんな顔のまま、自分の部屋に戻っていった。




 その数分後、部屋から出てきた。

 長袖の柄物Tシャツにハーフパンツ。11月に入った割には涼しげな服装に、ふんわりセミロングヘアーを後ろで1つに束ねた、動きやすそうな格好だった。


(よし……! 出撃……!)


 悪い顔は凛々しい顔に変化していた。何やら覚悟を決めたらしい。


(千穂……行きます!)


 玄関まで移動すると、靴下を履いているにも関わらず、ミュール……、いや、ツッカケを履き、廊下に躍り出た。その手に得物を握り締め……。








 それから3分後。康平の部屋が何者かに襲撃された。






 ―――その襲撃した人物とは……






          ……話の流れ上、当然ながら、千穂である―――






「康平くん! お邪魔します!」


 鍵を掛ける文化を康平が持ち合わせていない事は既に把握していた。インターフォンを鳴らし、部屋に突入したのである。


「千穂ちゃん!? どうした!?」


「お願い! お願いします!! お掃除させて下さい!!」


「なんや!? まだ言ってんのか!?」


「お願いします!」


 目が少し血走っている。そんな状態で深く頭を下げられ、康平は困った。外出禁止令を出しているのは、相棒の梢枝だ。


「……台所と居間だけ……なら……」


「ホント!? 嬉しいぃー! ありがとっ!!」


 そんな罪悪感もあり、了承してしまった康平の手を取り、満面の笑顔で上下にぶんぶん振り回す千穂と、何ともしょっぱい顔の彼なのだった。


 その頃、康平の部屋の前では、どこで千穂の移動を嗅ぎ付けたのか、梢枝が何やら悟った風で佇んでいた事を千穂は知る由もない。


(康平さん……。すいません。生贄になって下さい……)










 それから1時間後。


「康平くんって、最近、料理始めたんだね。食器も揃ってるし……。前からしてた風なのに、お菓子の手際が悪かったし、不思議だったんだー」


 現在、ビルトインコンロを磨いている最中である。わざわざ自宅に1度戻り、愛用の洗剤やら何やら持参済。実に活き活きとしている。当初は綺麗に見えた康平宅のキッチンだったが、千穂には色々と見えるのだろう。


「キャンプの後くらいから始めたんだよ。ひと通り出来ないといざと言う時困ると思って。梢枝は全く出来んし」


 押しかけ女房のような千穂に、それでも優しい康平は本当に良い奴だ。だが、千穂から目は、なるべく離していない。触られて困る部分があるのは、独り暮らしの男性として已むを得ないだろう。察してあげて欲しい。


「へー。やっぱり康平くんは偉いなー」


 綺麗だったはずのコンロが見る見るうちにピカピカへと変貌を遂げていく。何やらコツでもあるのかも知れない。


「そうでもないよ。今だって、千穂ちゃんを買い物に連れていってあげられてないし……」


 千穂は手を止めない。少女は汗を掻き始めたらしく、いかつい男は思わず背を向け、ベランダ方向を眺め始めた。

 軽装したのは、人様の部屋の掃除の為だった。握っていた得物とは、雑巾と霧吹きに入った洗剤のことである。


「……仕方ないんだよね? でも、ホントにそんなに危険なのかな……?」


「梢枝は心配なんよ。俺は今はまだそこまで危険じゃないって思ってる。でも、梢枝にとっては見過ごせないレベルなんだろ。あいつ、マジで憂さんと千穂ちゃんに入れ込んでるから」


 それを聞き、千穂は手を止め体を起こすとTシャツの袖で、額の汗を拭った。


「過保護が私にまで……。憂の気持ちが結構、解っちゃったかも。憂も……ね。自由になりたいんだよ」


 康平は千穂の視線に気付いていない。背中を向けたままである。


「何でも危険だからって、制限しちゃダメなのかも」


 ゴシゴシと擦る音がしなくなった為か、康平が振り向き、しっかりと眼と眼が交わった。


「いつか、憂も1人で出歩けるようになるといいね」


 その言葉に康平が優しく微笑む……と、今度は千穂が顔を背けてしまった。


「その時には、俺の護衛は必要無くなって、憂さんとも千穂ちゃんとも離れにゃならんのだけどね」


「あ……。そっか……。そうだよね。ごめん……」


 コンロの掃除は終わったらしい。続いてシンクに取り掛かる。こちらも見た目綺麗なのだが、掃除の余地はあるらしい。


「……それは……嫌だな……」


 少し、ドキリとする発言だったようだ。康平は汗に輝く千穂の横顔を呆然と眺めている。


 しばらくすると戻った。


 ポソリと呟いた千穂の言葉の真意が掴めず、そのまま真顔から変な顔に移行してしまった康平さんなのであった。







 その頃、立花家では……。


 いつものL字ソファーは祖父母軍団に占拠されていた。L字の角、憂の指定席にはもちろん憂だが、その両斜め横に祖母2名が、外側には祖父2名が……。そんな形である。


 父母姉兄は、ダイニングキッチンの椅子に少し呆れた様子で座っている。


「可愛くなっちゃって……」


「えぇ、本当に……」


 祖母2人は、延々と憂の頭を撫で付けている。到着以降、ずっと、だ。祖父2名は複雑な物があるらしい。なかなか憂に話し掛けられないでいる。身内の性別が男から女に変わった時、男性陣は受け入れにくく、女性陣は受け入れやすい……のか? たまたまかも知れない。完全に性別が変わったとすれば、前例はここだけだ。サンプルが無さ過ぎる。


「うぅ――! たぁ――!!」


 両手を上に挙げた。所謂、万歳のように。頭を撫で続けられ、鬱陶しいのだろう。


 撫でる手を払い除けられた祖父母たちだが、そんな事でめげていたら、頭を撫でられる行為が嫌いな憂でも、おばあちゃんたちの気持ちを鑑み、払い除けたりしないだろう。


 案の定、憂が両手を降ろした途端、手が頭へと伸びた。


 ……そして、再び……だ。


 憂も再び、じっと耐え忍ぶ。この祖父母たちも欺いていた。その罪滅ぼしの意味も籠められているのかも知れないが、真相は憂のみぞ知る。


 欺いてたと言えば、父方も母方も、エントランスで合流、エレベータに乗り込んだ瞬間、祖父は苦言を呈した。


『儂らにくらい話して良かったはずだ』と。


 しかし、すぐに理解を示した。立花家の新居に到着するなり、憂が謝るとイチコロだった。中年キラーどころか、年配キラーでもあったらしい。


「じいちゃんたちは大丈夫か? 記者とか来たんじゃねーの?」


「来てたぞ。全部、追い払ってやったがな!」と父方の……、迅の父が笑い飛ばすと、「ウチもですよ」とハハッと幸の父も笑ってみせた。

 因みに母方の祖父はやんわりと取材をお断りしている。父方のように、塩を撒いたりしていない。


 この祖父母たちは、年齢が十ほどずつ離れている。齢八十間近の父方に対し、母方は七十ほどと若いのである。


「なんか……、ごめんね?」


 そして愛が謝った。こんな遣り取りが繰り返されている。こちらも祖母たちと同様、飽きもせず……と、謂ったところだ。


「何を謝る! 優が生きていた! こんなに嬉しいことはないぞ!?」


「そうだぞ? こんなに可愛くなったお陰で物怖じしてしまうが……」


「わかります! 解りますよ!!」


「この歳になって、恥ずかしいですね」


「解る! 解りすぎますよ!!」


「ううう――だぁぁ――!!」


「まぁ……」


「憂ちゃん……」


 どうやら、祖父母両家の距離感の縮小にも一役買ってくれているようである。











 康平宅の襲撃に成功した千穂は康平と共に、次の行動を開始した。





 ―――梢枝宅の襲撃である。




 だが、梢枝の部屋を訪ねると、目下、清掃中であった。


「もうすぐ終わりますえ?」


「梢枝……。お前、ずるいぞ……」


 ジト目を向ける1つ年上の幼馴染は放置し、残念がる千穂に優しく声を掛けた。


「明日……、お買い物、行きましょうね?」



 そんな憂と千穂の(・・・)身辺警護に、眩いほどの笑顔を向けたのであった。






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