169.0話 怪しい薬と問われた覚悟
憂は一生懸命。タブレットで先生の言葉を拾って、必死に食らい付くいつもの憂。
圭祐くんから『もう勉強いいや』って言ってたって聞いたんだけど、何だったのかな?
……また、勉強会もいいかもね。お隣さんになったし、梢枝さんも声を掛けたら間違いなく駆け付けてくれるし……。
化学のセンセは憂の事をちらりちらり。時々、私に視線を送ってくる。
『憂ちゃんの様子はどう? 頑張ってる?』
こんな感じ。戸惑ったままの先生もいらっしゃるけど、ほとんどの先生が憂に優しい。
……今までの憂の頑張りを先生方は知っておられるから。
私は憂の姿を確認すると、1つ頷いた。センセは嬉しそうに微笑むとホワイトボードに向き直った。
ぴんぽんぱんぽーん。
お知らせだ……。2時間目が始まったばっかりなのに……、何かな?
『お知らせ致します。C棟1年5組、大守 佳穂さん、榊 梢枝さん、漆原 千穂さん、立花 憂さん、山城 千晶さん、蓼園商会会長秘書、一ノ瀬 遥さんがお越しです。C棟応接室までお越し下さい。繰り返しお知らせ致します。C棟1年5組、大守 佳穂さん、榊 梢枝さん、漆原 千穂さん、立花 憂さん、山城 千晶さん、蓼園商会会長秘書、一ノ瀬 遥さんがお越しです。C棟応接室までお越し下さい』
「ぎゃー! 呼び出しだー! あたし、何かしたかー!?」
「五十音順だったね」
佳穂も千晶も問題、そこじゃない。一大事だよ? 大ごとだよ?
「なんとまぁ、大物の来訪だねぇ。それにしてもまた僕の授業の時だよ。狙っているのかな?」
あ。そう言えば、憂の転入……? 復学初日の早退もこの化学の授業中だったよね。
「呼ばれたみんな。授業に遅れて困ったら職員室を訪ねてきてね。特別授業してあげるよー」
「うわ! なんかやらしい!」
「せんせー、ちょい変態っぽいよー!」
「女子ばっかり呼ばれたからそんな事言ってんじゃね?」
「ちょっと! ……勘弁してよー」
「「「わははははは」」」
人数少なくても明るいよね。5組大好き。切っ掛けになった『やらしい』ってひと言は、結衣ちゃん。本当に目立つようになったよね……。どんな心境の変化なんだろ?
「皆さん……、行きますえ……?」
…………。
梢枝さんの心底呆れたって声と顔で、ようやく立ち上がった3名なのでした。
「憂ちゃん……行くよ?」
「んぅ――?」
……状況についてこれてなかったんだね。
「助かりますねぇ。わざわざ、全棟に放送で呼んでくれはったわぁ。ウチらには総帥が付いている事を印象づけはったんですえ?」
「うん。わざわざC棟って付いてたよね」
「そーだったのかー?」
佳穂に同じく……。気付きませんでした。
「千穂もか?」
「……うん」
「千穂さんはそれでええんです。きな臭い話は千穂さんに向いておりませんえ? ウチらに任せておくれやす……」
……そんな優しい目で見られるとちょっと……。ううん、かなり傷付くかもです。
「千穂――?」
あれ? ちょっと早足なのに憂から? 少し回復してるかも? ちっちゃいちょっとひんやりしたいつも私の左手にある手。私、この手を離せるのかな? もう無理かも?
「どこ――行くの――?」
「…………」
「…………」
「…………」
「すぐに……分かりますえ?」
うん。説明するより、早いよね……。なんかごめん。
廊下の角を曲がると見えてくる応接室。通い慣れちゃったよ……。
「そこ……だよ……?」
「おうせつしつ」
「うん。そうだよ」
やっぱり違和感。どこか回復したんだろうね。この脳の回復は最後に残った秘密。病院はここまではバラしても良かったって……。『再構築』は過程を知られるとまずいって……。そうだよね。性転換と脳の回復ならここまでおかしな事になってないんだよ。
セットでバレるとすっごくまずいって……。憂が狙われる事になるって……。セットじゃなくても、それは今はもう始まってるんだって。誘拐……しようと考えてる人はかなりの数に上るんだ。
側に居る私たちは、もうすでに命懸けになってるんだって……。
こんこん。梢枝さんがノックするとすぐに、がちゃってドアノブが回った。
「待っていましたよ。さぁ、中へ」
学園長先生。優しくて強い絶対の味方。私があの時、総帥さんや島井先生に逆らってたらどうなったんだろう? 学園長先生は、それでも味方で居てくれたのかな?
「お久しぶりです」
遥さんは両手をおへその前で合わせて、綺麗な挨拶。
遥さん。まだ若いはずなのに蓼園商会の方針を定める凄い人。凄い人がいっぱい。
「お久しぶりです!」
「お久しぶりです」
……あれ? そこまで背……、高くないね。もっとスレンダーな印象もあったし……。
「VIPルームのあの時以来ですねぇ。お久しぶりです」
「あ! お久しぶりです!!」
挨拶お返し忘れかけた……。危ないあぶない……。
「遥さん――こんにちは――」
「っ! 憂さん、こんにちは」
…………動揺? なんだろう?
「名前……初めて、お呼び頂けました……」
あ……、そうなんだ。優しい目……あ。変わった。いつもの遥さんの顔。
「さぁ、彼女たちには授業があります。早く始めましょう?」
「えぇ……。はい。そうですね」
学園長先生も遥さんも大物なんだよね。憂を取り巻く環境って凄い。
「先ず始めに肇は……」
……なんか、ダジャレみたい。遥さんが途中でやめちゃったのって……。あ、恥ずかしそう。
「秘書さん、可愛いー!」
「佳穂っ!」
あ。佳穂が変な事言ったから赤くなった。ホントに可愛いかも。
「先ず、最初に肇は、会長「言い直したー! 痛いっ!!」
バシッといい音。千晶、ナイスだよ? 元の関係に戻ってきてるよね!
「……彼女は……、佳穂さんはいつもこうなんですか?」
「えぇ。はい。そうだと聞き及んでおります」
小声だけど、静かだから聞こえる学園長と遥さんの内緒話。なんか……、すみません。うちの佳穂が……。
「秘書さんがひしょひしょ話」
「「「ぶふっ」」」
笑っちゃダメ……。笑っちゃダメ!!
「ははははっ!!「「「あはははは!!」」」
はぁ……。もう。佳穂の馬鹿。学園長先生も思いきり笑うから釣られちゃったよ……。梢枝さんまで大笑いするとは思わなかった。
憂も理解出来てないはずなのに、きゃっきゃ喜んで笑ってたし。
それで、ソファーに座りました。正面に学園長先生と遥さん。何故だか真ん中に憂。
私の右に佳穂、その右に千晶。隅に置いてあった椅子を引っ張り出して、私の左隣に梢枝さん。梢枝さん、この応接室でドアにもたれ掛かってないの、初めてかも? 外に康平くんが居るんだよね。たぶんだけど。
「それでは改めてお話させて頂きます……が、宜しいですか?」
……佳穂への確認の視線。ホンット、ごめんなさい!!
「佳穂さん? お口チャックですえ?」
「佳穂? 静かに聞くこと。いいね?」
「…………」
返事しない。なんで私を見るの!?
振りですか。
……はい、空気読みますね。
「佳穂、しー……だよ?」
あ。憂まで私の真似して人差し指を口の前……。
「はーい!」
……すっごく満足そうですね。
「先ず、肇は現在、海外を飛び回っております。私が国内に残留している理由は、憂さまを守る為に他なりません」
「事態はなかなか危険水域なんですえ? 憂さんを狙う輩は手薬煉引いて、チャンスを窺っております。この学園内と自宅、病院は安全圏と呼べますが、それ以外は危険です」
「はい。その通りです。肇が海外に飛んだ理由は、味方を増やすために他なりません。蓼園商会には、憂さまの変貌の過程が表立って以降、多くの大企業や要人から接触を受けております」
「味方と成り得る人物の選定……ですかえ?」
「利害関係の構築……と、言い換える事も可能です。私どもは当初、日本政府の接触を待っておりました……が、残念ながら近付いてきた者は個々の単位です。その為、次善の策の決行に動き始めました。これから当面は、一切の政府の干渉を撥ね除け、経済により憂さまの周囲を固めるべく交渉を重ねております。そして、早ければ来週にも、海外の企業との経済連携を表明し、その支援により、国内大手製薬会社の買収を断行する予定です。既に製薬会社側の了承は得ておりますので、迅速な行動を起こせる事でしょう」
「……………………」
梢枝さんは難しい顔をして、静かに……。
なんだろうね? この場違い感……。なんでこんなに大きな話になってるのかな? 世界的な何か……だよね? 本当に? それが小首を傾げて、遥さんと梢枝さんを行ったり来たり見詰めてる、この憂を中心に起きちゃってるの?
「……なるほど。理解致しましたえ? 続きをお願いします」
梢枝さんの言葉の直後に「え?」って千晶の声。私も『え?』なんだけどね。
「……それだけの価値が憂さまにはあると云う事です……」
「そうじゃなくて……。なんでそんなとんでもない話をわたしたちに?」
あ。そうだね。場違い感はそのせい……。
「……大変、言いづらい事なのですが……」
「あ……。解りました」
……千晶、付いていってる。この難しい話に……。佳穂を見てひと安心。解ってないの、1人じゃないって思えたから。佳穂は神妙な顔をしてるだけ。理解……してないよね?
「つまり、わたしたちにも危険が及ぶ可能性があるんですね」
「はい。憂さまに近ければ近いほど危険度は高まります。そこで、私どもは貴女方に覚悟のほどを伺っておく必要があります。これから先は危険です。引き返すのなら今をおいてありません」
………………。
………………。
また静かになっちゃった。さっきまでの佳穂が作ったほんわか空気はどこかに消えちゃった。
これから先、憂の傍にいる人として、私たちが狙われる事になるかも知れない。そんな大きな話「問題ないです!」
…………佳穂?
「あたしにも憂ちゃんを守らないといけない理由があるんです! 何が来たって怖くないです!」
「そうですね。佳穂の言う通りです。わたしは憂ちゃんの傍で憂ちゃんを守ります」
………………。
視線集中……。梢枝さんの意見は聞かないの? 梢枝さんにとっては、当たり前の事なのかな? それは佳穂と千晶にとっても?
……まぁいいや。なんてね。
私も「私もですけど」って、態度を示した。今更、怖いから引き返します……とか、出来ないし、思えない。
……梢枝さんが当たり前なら、これで満場一致だね。私が憂にふさわしいか……。学園内が落ち着いてきてそんな事ばっかり思ってるけど、憂を守りたいのは私も一緒だよ?
「覚悟のほど、確かに承りました」
言いながら遥さんはハンドバッグを開いた。刺繍の入ったテーブルクロスの上に、遥さんが置いた物は……クスリ? 薬のカプセル?
「こちらを絶えずお持ち下さい」
透明のビニール……? に包まれた真っ白のカプセルが4つ。どう見てもまともじゃない薬……だよね?
「もしも……。その『もしも』を未然に防ぐ為、全力で動いておりますが、それでも貴女方が攫われ、交換条件に憂さまの身柄を……、等と云った事態も予想されます。もしもそのような状況に陥った場合、こちらを内服頂くと、憂さまを守る上で非常に有用です」
「毒か何かですかー?」
…………佳穂って凄い。言いながらそのカプセルに手を伸ばした。
「睡眠薬です。2度と目覚めないほどの……ですが」
「あいあいさー! 確かに受け取りましたー!」
「そうですねぇ。ウチも頂いておきます」
あ。なるほど。梢枝さん、今ので拒否権あるよって教えてくれたんだ。
……想像してみようね。
もしも私が変な人たちに攫われて、私の身柄を引き換えに憂が……。周りの人は憂に隠すんだろうね。そんな事があっても。
でも、憂はきっと察する。居るはずの人が居なくなって、気付かないほど鈍くない。
そんな時……。憂と私を交換してもしなくても……。私は憂と永遠に会えなくなっちゃうんだ。だったら……!?
……あはは。
千晶と私がカプセルに手を伸ばしたタイミングは同じだった。思わず笑い合う。みーんな一緒だね。
「ふふっ……」って千晶が声を漏らした。「皆さん、ここから先はウチらも命懸けですえ?」って、最後の警告。「憂ちゃんの為なら構わないよー」って佳穂が言ったから「そうだね!」ってお返ししておいた。
……憂は、ちょっと顔が怒ってた。解っちゃったんだね。
「ボクも――それ――いる」なんて言うから、全員で説得。さすがにあなたには危険です。何かと間違えて飲んじゃったら死んじゃうんだよ?
自分が貰えないって解ったら、今度は私たちの薬を没収しようって、実力行使。わざわざ、学園長先生によけて貰って回り込んで……。
「うぅ――! 佳穂! ずるい!」
普通の上靴だと、ほとんど出来ないジャンプをぴょこぴょこしたけど、やっぱり届かなくて……。
佳穂が立ち上がって、手を伸ばしただけで届かないからね……。私たちは、その間に無い無いしておきました。
それからも遥さんと梢枝さんを中心に話し合い。学園長の前で話したのは、学園長先生への遥さんが見せる心意気……みたいなものかな?
これから、政府の接触があっても暴露からの初動が遅くて当てにならない……って、酷い言われよう。政府ですよ? 行政の頂点なんですけど。
海外や国内の干渉は、海外企業を取り込んだり、巻き込んだりして、蓼園グループの力を高めて、干渉できないほどの力と防壁を構築するって。その交渉には、憂そのものを使うんだって。もちろん、憂本人じゃなくって、研究結果ね。ここがややこしい。
何でも憂の価値を見て、憂自身に興味のある人たちはダメなんだって。憂の研究結果が欲しい人が味方になってくれる人たちなんだって。理由は聞ける雰囲気じゃなかったから、後で梢枝さんに砕いて話して貰う予定。
梢枝さんと康平くん。学園内に護衛2人体制は今度も継続。今、憂は髪の毛1本で億単位の取引が出来るかも、だってさ……。もちろんネットなんかで売り捌けないけど、これから、裏で取り引きされてしまうって……。
だから、絶対の信用を置ける梢枝さんと康平くんの体制が継続。安易に増員出来ないって。
それと、今回は私たち女性ばっかりだったけど、男子たちにも近いうちに同じ話をするってさ……。ただ、男子の場合、勇太くんと京之介くんがA棟1-7だったり、で定まってないから後回しみたい。早く戻って欲しいよね……。
とにかく、とんでもない話を聞かされて驚くばかりの2時間目、化学の授業の裏側でした。
……命懸けかぁ。こんな事になるなんて全く想像もしていなかったよ。
もしかして、私の危機感って足りてないのかな? いまいち、ピンと来ないんだよね。