168.0話 バースデイ:千晶
―――11月1日(水) 未明
……また、嫌な夢を見た。汗、ぐっしょりじゃない……。
物凄くリアルで、何1つ救いの無い夢……。
あの時、千穂ちゃんが『大人たち』に完全に背を向けちゃってたら……。
あーなっちゃっていたのかも……。
それとも、これから先、あーなっていく暗示?
………………。
絶対にお断り!!
私は命を賭けてあの子たちを守っていくんだ!!
…………。
あー。気持ち悪い。シャワー浴びてこよ。
私は憂の居ないベッドから足を下ろして、立ち上がる。
……寂しいなぁ。憂が隣で寝てないから、変な夢、見ちゃったんだよ。
憂をなかなか1人に出来ない私に、千穂ちゃんは言った。
『もう、憂は変な気なんて起こさないはずですよ?』
変な気。
…………自殺願望。
あの変貌の過程を憂は、驚くほどすんなりと受け入れた。むしろ、私が戸惑ってたから千穂ちゃんは教えてくれた。
―――憂は自分の体じゃない可能性を怖がってたんです。
きっと、手首の時は、そんな事に頭が回らない状態だったんですよ。
それから冷静に考える事が出来るようになって……、自分の体じゃないかも知れないからって、それがストッパーになってて……。でも、今は私たちが憂の事を想う気持ちが嬉しくて……。
もちろん、そうじゃない人も居るんですけど……。それ以上に優しくしてくれる人を大事にしたいって……。生きたい……じゃなくて、生きないと……なんですけどね。そこは悲しいけど、憂は優しいから……。
自分の為じゃなくって、人の為に生きるつもりなんです。だからもう、憂は絶対に自殺なんかしません―――
千穂ちゃんは凄いな……。憂の事、全力で信じちゃってるんだからね……。
私には出来ない。今でも左手にナイフを握り締めて……、真っ赤に染まって……、狂ったように笑っていた姿が……、やっぱり忘れられない。
歩道橋に連れて行った時だってさ。私、信じてるから連れていけたと思ってた。
……そんなの、まやかし……。
最近になって気が付いた。本当に信じてたら千穂ちゃんと一緒なら大丈夫、なんて思わなかったはず……。
私は憂を疑い続けてる。千穂ちゃんは憂をあんなに信頼してるのに……。
あー! 自己嫌悪!!
…………。
……さむっ……。
さてさて、シャワーを……。
替えのパジャマと下着を用意して、部屋を出る。
……向かい合う憂の部屋を覗く。こっそりと……。
ドアは音を発しなかった。
「――うぅ――」
……え? 起きてる?
…………憂。
どうしよ……。見ちゃならん姿を見てしまった。
豆電球の薄明かりの中、憂は自分の体をまさぐってた。
あー。あったかい……。
どうしよ? 湯、張っちゃう? 張っちゃえ!
シャワーを浴びるだけにしようと思ってたけど、洗った。なんとなく。そんな気分で。
浴槽の中、水位はまだお尻が隠れた程度。
蛇口から勢い良く流れ出るお湯と湯気を眺める。
……さっきのは何だ?
悪い夢の続きでも見てんのかな?
思わず、ドアをそっと閉めちゃったけどさ。
止めたほうが良かった?
千穂ちゃんならどう捉える?
………………。
………………?
えっと……。
女の子の体を受け入れ始めた? これが可能性その1。
…………?
んん? 他に何がある?
あ! 閃いた!!
女の子の体への興味!
千穂ちゃん、言ってたじゃないか! 自分の体じゃないかもって思ってたって。
だから、今まで興味あっても触れなかった。これなら納得!
触れなかったって言うより、他人の体かもしれないから、触る事が出来なかった……?
自分の体なんだって解った上で、私が隣で寝てないから……。今まで我慢してた感情が顔を出したって訳か。
……んー。
それって、結局、男の子の思考なんじゃない?
……はて? なんで女の子してないといけないんだったか?
うん。解ってるよ! 今まで隠さなきゃいけなかったからだ!
バレた今となっては、隠す必要が無くなって……、男の子してもいいのかー。
…………。
どうするべきよ? 誰か教えてくんないかな?
今回の行為……。さすがに内緒にしてあげないといけないよね。
ううむ……。困った。
脱衣所を出たらリビングに明かりが見えた。ダイニングからの電気。お風呂前には点いてなかったのに。お母さん、起きたんだ。相談しちゃう?
……その前に。また憂の部屋をそっと押し開く。お邪魔しまーす……。
さっきと同じ薄明かり。見えた憂は可愛い顔して眠ってた。
忍び足でそーっと半開きのドアを「こら」
!?!?
……めっちゃビビった。母上、やめておくんなさいまし……。
「こっち、来なさい」
いつもの声。
…………怒ってないね。
お母さんはホットミルクを入れてくれた。いつものハチミツ入り。ひと口含むと、甘い香りが鼻を通った。
「ん。美味しい。ありがと」
お母さんはいつもの穏やかな顔。我が母ながら、ほんわか美人。
「で、見たの?」
………………は?
「憂の……、見たんでしょ? 覗きはダメよ? あの子にもプライバシーはあるんだから」
…………バレてら。
「心配になるのは解るんだけど、あの子も中身は16歳の男の子。興味持ったほうがいいんだから」
……ちょっと待て?
「お隣の千穂ちゃんだって、たっくんとこの美優ちゃんだって、自分の体がどうなってるか気になるはずだわ。だから成長の証って捉えてあげましょ?」
そうじゃない。
「母上さま?」
「なに?」
このっ……! のほほんとしながら私を叱ってる癖に……。
「母上も覗いてるんじゃありませんこと?」
「あら? バレちゃったわね。忘れなさい?」
勝手な人ですこと……。あれ? 赤くなった。思い出したのかね? 憂の……自慰……。
「昨日は胸だけだったのに……」
「覗きの常連じゃないかっ!!」
「あらあら? そんなに声を荒げるとみんな起きてくるわよ?」
ぐっ……! なんて厄介な人物……!
「でも可哀想ねぇ……。利き手が不自由だから……、あれだと……」
…………ちょっと、お母さま? 何の話よ? 照れますよ?
「あっ! そうだわ! 愛ちゃん、まだアレ持ってる!?」
「……あれ?」
「そう! アレよ! 何ヶ月か前に通販してたでしょ!?」
あー。アレね。ありますよ。どうやって捨てればいいのか分かりませんので。
「あげちゃいなさい!!」
そんな、名案みたいに……。母親としてどうなのさ?
「ダメよ。あの子、まだ高校生。しかも1年生」
アレはR指定です。
「どうして? そんなの関係ないでしょ? あの子は今、成長中なのよ? 心に余裕が生まれたのよ? じゃないとそんな気分にならないでしょ? 自分で出来ないんだから、喜んで手助けしてあげるべきじゃないの? このままだと興味を失っちゃうわよ?」
……かなーり、畳み掛けられた。マジか。この親。しかも母親。
………………。
でも……、異常に説得力あるし。
…………。
「やっぱりダメ! 無理!」
憂には純粋なままで居て欲しい!!
「じゃあ、手伝ってあげなさいよ」
お。不満顔。頬を膨らませた。年齢を考えて……って、似合ってるのが憎たらしいわ。第一、手伝うって何をさ。何考えてんのさ?
「……なんなら千穂ちゃん「絶対ダメだからね!」
食い気味にもなりますよ?
「そうだわ! 愛ちゃんの居ない時に千穂ちゃんにプレゼント「ダメですっ!!!」
「……………………」
「……………………」
……なんですか。その優しい目付きは。
「バカらしくなってきた?」
……はい?
「愛ちゃんは何でも難しく考えすぎるのよ。長い目で見てあげなさい?」
つまり……、私が変に思い込んでるから冗談言った?
「あっきれたー。ぜーんぶ演技だったのかー。ご乱心かと思ったよ」
「……全部?」
……え? 全部、だよね?
「千晶ちゃーん! 誕生日おめでとー!」
「……ありがと」
……どなたでしょう? あの方は……。
「千晶? 声、小さいって……」
……そうは言われましても、ここ、東門ですよ? 恥ずかしいこと、この上ないです。
「佳穂ちゃん、千晶ちゃん、おはよっ!」
「あ! いいんちょ、おはよ!」
「おはようございます……」
声を掛けてくれたのは、有希さん。わたしと同じく、1度は5組を飛び出しちゃった人。優くんが好きだったんだってさ……。優子ちゃんが言っちゃったみたい。ちょっとしたケンカになってた。
……あはは。わたしと佳穂と一緒だ。
「「ねぇ?」」
……。
いいんちょさんと、まともにかぶってしまいました。
「お先にどうぞ」
「いえいえ、千晶ちゃんどうぞ」
「じゃあ、あたしがっ!!」
「あんたはかぶってないでしょ!」
「混ぜろよー」
「無茶言わないで」
「いいんちょ、置いてかれてるぞ?」
「誰のせいですか」
「…………」
「…………」
「……相変わらず凄いね。仲直りできたみたいで良かった」
突然の無言で終わったと判断した有希さんは、ようやく口を開いてくれました。まだまだしこりは残ってるんですけどね。学園内では出来るだけ表には出しません。憂ちゃんがわたしたちの大ゲンカに気付いたら絶対に悲しみます。そして、憂ちゃんの事だから、自分のせいで……って、気に病みますので。
ところで……。
「要件違う? 話したい事、違わない?」
佳穂。言おうとしたこと、言わないで。
「あ! そうだった! 2人のペースに飲まれるとやばいね!」
そう言って、あはは……って、笑っておられる。
「だから……、その……、ご用件は?」
有希さんも自分のペースを保つお方なんですよね。意外と健太くんと合ってるんでしょう。
「……忘れた。あははは!!」
C棟玄関に到着。立ち話なんかしませんよ? 5組を出ると敵が多いので。だからこそ、佳穂との通学再開です。例によって歩きです。正直、電車内とか怖いんです。
「ところで千晶ちゃんの質問は?」
ローファーを脱ぎながら「健太くんと一緒に通学しないんだね」って。有希さんと健太くんの関係は、もうみんなが知るところになってしまいました。転室先に転室して、そこで説得し続けた健太くん。そりゃ、みんな気付きますよね。有希さんは「健太は朝練だよ」って、普通に返答を……。これは吹っ切れたんですね。堂々とした交際に切り替わったワケです。以前の優くんと千穂みたいに……梢枝さん? なんでここに……? 憂ちゃんは? 千穂は?
「梢枝さん、おはよー!」
「梢枝ちゃん、おはよっ!」
「……おはようございま……す?」
梢枝さんは下駄箱の列を抜けた廊下の先、5組の下駄箱が見える位置で腕を組んだまま、真剣な顔で、あ、崩した。腕も表情も。そして、「おはようございます」と微笑みました。
なんだろう……? とか違和感を感じながら下駄箱を開けると、そこには、お手紙やらラッピングされた箱やら、詰まっていました。驚きです。
この頃、上靴にいたずらされないか警戒していたんですけど、本当に予想外です。これも憂ちゃんの影響でしょうね。わたしみたいな平凡な女子に誕生日プレゼントが届くんですから。
「千晶、すっげー……」
「ホント、凄いね」
「これを使って下さい。便利ですえ?」って、耳元!? いつの間に!?
手渡されたのはエコバッグ。緑の何の変哲も無い、エコバッグ。全て、予測済みってワケですか……。
そして、教室内。
康平くんが代理で受け取ったと言う、エコバッグ2袋。全員、クラスと名前をメモして、お返しは難しいかもしれへんよ、と注釈を入れた上で受け取ってくれたみたいです。
わたしの推測。
わたしも憂ちゃんも苦境に立たされた。だからこそ、ちょうどいいタイミングの、わたしの誕生日で、憂ちゃんとグループへの支持表明と、励ましをしてくれた。だから朝の段階としては、千穂の誕生日の時より数が多い……。
クラスと名前をメモってくれたのは、プレゼントの中身の安全性の証明。
……じゃあ、危険な可能性があるのはこの下駄箱のプレゼント……?
「大丈夫ですえ? ウチがずっと見ておりましたわぁ。ウチと目が合って、何人か逃げておきよったけど、ほんの少数ですわぁ」
……それはきっと嘘。匿名でわたしたちに危害を加える事が出来るチャンスなんて少ないですからね。この際、肉体的にか精神的にかは、置いておきます。
「もしもウチの存在を無視して危険な物を入れたとしても、プレゼントの包装も手紙の封筒も入れた方の顔とセットで覚えてるよって、それを基に調べ、学園に報告致します。そうすれば、今後の抑止にも繋がりますえ?」
……なるほど。それであんな目立つとこに睨むように立っておられたのですね。おかしな物を入れようとしても、そうでなくても、1度は存在感のある梢枝さんに目が向いて……。
……記憶、出来るものですか? 顔も知らない人がした、中身の分からない贈り物なんですよ?
「憶えれるもんなのかー?」
この子は本当に便利ですね。思った事を聞いてくれます。それは今でも変わりません。
「梢枝なら大丈夫や。任しとき? それより、荷物も封筒も放課後、応接室でしてええか? 時期的にまだ危険や。これからの受け取りもあるやろうから、必ずワイが側におるさかい」
「さすがは梢枝さんだねー!!」
「憂ちゃんと千穂はどうするんですか?」
……その千穂は憂ちゃんのお相手中。何やら耳打ちしてますね。何でしょうか?
「……あんまし、離れないように頼むわ」
「それが助かります……」
あれ? なんか、刺々しかったはずなのに……。
護衛2人は関係改善出来たんですね。わたしたちも上辺だけじゃなくて、心底回復しないと……なんですけど……。
チラッと横目で佳穂の様子を伺うと「なんだよー! 頼りになるのかならないのか解んないなー!」と、のたまわってました。
「マンパワー不足は2人の責任じゃありません」って、フォロー。すると佳穂は「マンパワーってなんだ?」とか。冗談じゃないみたいで困ります。
「――千晶?」
「憂ちゃん、どうしたの?」
「ごめんね。誕生日会でって何度も言ってるんだけど、今日がいい、今日じゃないと変だって譲らなくて……」
……誕生日プレゼントですか。憂ちゃんのは特別嬉しいですね。
「たんじょうび――おめでと――」
そう言って、上目遣いで恥ずかしそうに、チェックの紙袋をわたしに差し出してくれました。