165.0話 ごめんなさい
きーんこーんかーんこーん。
……2時間目、終わっちゃった。だいじょうぶだったのかな?
「結局、戻ってこんかったねー」
圭佑くん。私の左後ろに何故だか圭佑くん。
「――たにやん?」
「圭佑」
すぐに修正されると憂の唇が出た。分かりやすすぎる癖。
……別にアダ名でもいいんじゃないのかな? 私たちはアダ名使ってないけどね。私と千晶は2人とも「ちーちゃん」だったからすぐに消滅したんだよね。懐かしいな。
あ……。あはは。ちょっとネタ思い付いた。戻ってきたら使ってみよっと。
「……憂?」って、圭佑くんが困った風に問い掛けた。
そう言えば、言い直さないね。なんでだろ?
分かるかな? ……って、拓真くんを見たら片眉上げてて、ばっちり目が合った。
なんかね。自意識過剰かもなんだけど、拓真くんに見られてる事が多い気がする。気のせいだよね?
「――そこ――勇太の――」
言い辛そうだったけど、小さい声だったけど、憂が指摘した。
私も思ってた。つい、さっき。
……なんだかね。もう勇太くんは戻ってこないって言われてるみたいで……。
「おう。この席……、守ってんだ」って、憂に言ってから「これから転室者ってか、結構大勢、戻ってきそうだしなぁ」ってドヤ顔。
あー。そうだったんだ……。
「……ごめん」
「謝る事ねぇ、俺もそう思ってた」
拓真くんはそう言ってにやり。釣られて笑っちゃった。圭佑くんは「ひっでぇ」だってさ。悪いとは思ったんだけど……、ごめんね。
2人、仲いいよね。一時期、壊れかけてたなんて嘘みたい。
今の佳穂と千晶は……、壊れてないって信じたい。2人して笑顔で戻ってくるって……。あの開いたままのドアを2人でって!
ホントに戻ってきた!!
2人で戻ってきた! 笑顔じゃないけど……。まっすぐ私たちの定位置、教室後ろの窓際に戻ってきた。
よし! やってみよ!!
「ちーちゃん、おかえり!」
千晶はびっくり顔。そうだよね。何年ぶりに呼ばれたのかな?
「ちーちゃん、ただいま」
あはは! 2人とも『ちーちゃん』だもんね。ここからがさっきの思い付き!
「かーちゃんもおかえり!」
「か、かーちゃん……。かーちゃんやめろー!!」
「ぷくく……」
あ! 千晶、笑った! やってみて良かった!
「母ちゃんは千穂のほうだよ?」
「まったくだ!」
「珍しく同意しやがった」
「千穂のお母さん属性を前に否定できるかっ!!」
「だよね」
「千穂ぉー? そんな顔してどした?」
「笑うか怒るかするところのはず」
ぜーんぶスルーして、千晶のセーラーカラーを捕まえて引っ張ると「わっ!」だって。佳穂のセーラーカラーもひっ捕まえた……けど、何故だか抵抗されちゃった。なんで!?
「じゃあ、ウチが混ざりますわぁ……」って梢枝さんのひと言を聞いたら、大人しく引っ付いてくれた。
「2人ともおかえり……」
「2回目だぞー?」
「意味が違うでしょうが」
「そーなのか?」
「そうなの」
「そっか。じゃあ、ただいま」
「うん……。ただいま。心配掛けてごめん。1番大切な時に居なくてごめん」
「いいよ。戻ってきてくれたから……」
「……ところでお母さん?」
「かーちゃんに言われたくない」
「ぐっ……。……千穂! この子、まだ引っ張るか……!」
「じゃあ、わたしが。お母さん?」
「……お母さん、違うもん」
「憂ちゃんが羨ましそうに見てるよ?」
「ホントだー」
2人のセーラーカラーを離して解放!
「はいっ! 終了! これで仲直り!!」
「千穂も怒ってたんか? そんな様子なかったぞー?」
「わたしたちの事。理解してあげなさい」
佳穂と千晶が2人してセーラーカラーを整えながら、いつもみたいなやり取り。
そうだね。私は……、ちょっと怒る余裕とか無かったから……。
でもね。見てたんだよ? 佳穂のこと。
完全に元に戻るまでは、もう少しかかるかな?
でも、今はこれでいいんだと思う。2人とも無理してるけど、憂も嬉しそうだから……。
「憂? もう、下手に……ハグされんなよ?」
圭佑くんがそう言うと「お前からは……禁止だ……」って拓真くんのお達し。憂は小首傾げてきょとん。
……そうだね。憂が男の子だって事、みんな知っちゃったから……。
でも、みんな居ないからちょっとくらいいいと思うよ?
憂を抱っこしたらダメなんて絶対に嫌なんだから……!
……あれ?
「なんでみんな居ないの?」
「出たー! 千穂の天然ぶり!」
「戻ってきたって実感するよ」
天然でもお母さんでも無い……!
「千穂ちゃん? 火曜の3,4時間目は何だっけ?」
保体だ……。でも、そんな嫌な言い方しなくていいじゃない! 圭佑くんの意地悪!
ぷいって、怒りを表現したら、ぺちって音。思わず、また圭佑くんを見たら憂の左手がおでこに乗ってた。
「――たにや「圭佑」
「うぅ――!! あぁぁ――!!」
……久々の頭、わしゃわしゃ。イライラが頂点に達するとやっちゃうのかな?
それからC棟体育館の更衣室で着替え。憂のぼさぼさになった髪を直してたら、チャイムが鳴って、それから多目的トイレに憂を連れていって……、やっと更衣室に到着だから、完全に遅刻。
「先に着替えてき?」って、康平くんが表で待機してくれてた。自分の着替えは後回しで。やっぱり教室を離れると、まだ危険なんだろうね。
……この更衣室は5組の……。私と佳穂と梢枝さんの専用みたいになっちゃってた。私たちがここをよく使う事は知られちゃってたから。
先週まではね。私たちの回りで味方だって、宣言できる人は少なかったから……。
でも、今日は違った。ロッカーに入れ忘れたみたいな荷物が置いてあった。ロッカーからバッグの紐がはみ出してた。少人数じゃない、大勢の気配を感じられたんだ。
やっぱり、事態は好転してるんだって思えた瞬間でした。
しかしながら、C棟体育館に入ると千穂の安心感は一瞬で砕かれた。
「あの時、憂ちゃんは傷をキレイにしてくれたのっ! 気持ち悪いとか言わないでよっ! 感染するようなの無いってウチの先生も病院も言ってたじゃない!」
6組で1番小柄な『りん』と呼ばれていた少女が、自身より20cmほど高いクラスメイトに怒鳴った。彼女は憂たちの到着に気付いていない。
「隠してるだけだったらどーすんのさ!? 血液検査して貰ってきてよ! 検査しないなら近づかないでっ!」
一瞬で顔を赤く染め、怒りに染まった佳穂が『りん』に助力するべく、乱入を果たそうと1歩、踏み出した瞬間、「やめなさいっ! 立花さんに感染するような病気はありません! これ以上、続けるなら報告しますよっ!」と女性教諭の叱責が飛んだ。
体育教師の言葉に抑え付けられた160cm台後半の少女は、無言で柔軟体操の輪から外れ、C棟体育館の出入り口へと移動を始めた。やる気を失い、サボタージュするつもりなのだろう。そんな少女に3人の女子が慌てて駆け出した。普段からよくつるむ友だちかも知れない。
女性体育教師は何も言わず、その背中を敵意さえ垣間見せ、見送る。教師としての責務を放棄しているようにも見える光景だが、そこは問題ない。この蓼学に於いて、サボりは自由だ。実行した生徒の自己責任。そのひと言で完結してしまう。
ふいに集団から遠ざかっていこうとしていた4名の足が止まった。体育教師の目も出入り口に注がれ、面白いほど動揺を宿した顔をしてみせた。
4人に無言で歩み寄ろうとした佳穂の二の腕を、梢枝の右手が捕らえた。そして、耳元で何やら呟くと、佳穂は体育館の床の木目を見詰め、悔しそうに黙りこくった。
再び、この空間から逃げ出そうと4名は動き始めた。憂たちグループの横を通り過ぎる際、教師に叱責された少女は憂を睨めつけた。他の少女1名は梢枝に悪意の籠もる瞳を見せ付け、残りの2名はバツが悪そうにグループから顔を背けた。
「行ってきますわぁ……。憂さんをくれぐれもお願いしますえ? 1人にしてはなりませんよ?」
梢枝は彼女たちに向け、活動を開始する。入ったばかりの体育館に背を向けると、「……あたしも行こうか?」と、佳穂は抑揚無く……、いや、座った声で問い掛けた。
わざわざ足を止めると半身で振り返り、「大丈夫です。お気持ちだけ有難く頂いておきますわぁ……。ウチは暴力反対。『話し合い』で解決しますよって」、こう言い残し、梢枝は去っていった。憂の再構築発覚以降、学園内に於いて、憂ないし千穂の側から両の護衛が外れたのは、これが初めての事である。
6組もまた、待機期間無く転室が解禁されると人数を減らしたクラスだ。憂の隣のクラスであるが為に増加し、満席となっていた席は発覚後、チラホラと空席が散見される状態となった。
5組は停学者も存在する。その人数は目を覆いたくなる惨状だ。
その減っていた人数から更に4名、抜けていった。教師自身のモチベーションの低下もあったかも知れない。あろう事か、女教師は残った生徒たちに『自由時間』を提示した。
体育館を後にした少女の1人に向けられた突き刺さる視線に、1度は怯える様子を見せた憂だったが、次第に小ぶりな顔一面に不安を張り付けていった。
梢枝と康平の不在と、その梢枝への心配がそうさせてしまったと推測した千穂は、バスケに憂を誘った。
それでもテンションは低かった。久々のバスケだったが、今はもう『バスケ少年・優』だった事が周知されてしまっている。よって、5組の委員長コンビや明日香を含めた、全員の注目を集めてしまったからだろう。
動きの悪い憂を悲哀の眼差しで見詰める者も存在した。優を……、バスケに打ち込んでいた優を知っている者たちだ。
憂&佳穂、千穂&千晶で2on2を始め、数分後、憂のテンションは爆発した。梢枝が帰還したのだ。グループ女子隊に、さくらを加えた3on3の形で再開されると、観戦していた周囲を驚かせた。
憂は右側にハンデを抱えており、鋭いプレイなど見られるはずも無いが、かつてのモタモタとボールを扱う姿は、ほとんど無く、行動がスムーズだ。
それだけではない。千穂も千晶も格段にレベルアップしていたのである。
サッカー部補欠だが、スポーツに自信のあったはずのさくらが、5人のバスケに付いていけない。
「――梢枝!」
梢枝は憂からの千穂の足元を抜いたバウンドパスを収めると、目の前でディフェンスに張り付いている佳穂と千晶を見据えたまま、背後へとパスを出し、そのまま眼前の2名の進路を塞いだ。
さくらは突然のパスに、おっとっと……と、何とかボールを収める。
「さくら――シュート!」と美少女の甲高い声が響いた。梢枝へのパスはさくらに繋ぐ布石だったらしい。言葉も無く理解、実行した梢枝は流石である。
さくらは3Pライン、やや内側、フリーでシュートを放ち、2Pを刻んだ。グループ女子隊のバスケに混ざり10分ほど。初めてのゴールに笑顔を見せ、憂に近づき、ハイタッチを交わした。
……交わした途端、頬を染めた。優だった事を思い出したのだろう。
「あ――ごめん――」
ついつい……と言わんばかりの憂に、パタパタと手を振り、謝る必要は無いと表現した。
「ありがと――」と、はにかむような小さな笑みに、今度こそ魅了されたらしい。しばらく、さくらは恍惚とし、梢枝が苦笑いを浮かべ、休憩を宣言した。
「憂ちゃん、凄い!!」
「千穂ちゃんも千晶ちゃんもいつの間に!?」
「佳穂ちゃんもバスケ部が勧誘に来るレベルなんじゃない!?」
優子とその友だち2名や6組の憂に抵抗の無い子たちが、纏わり付いた。有希は、その輪に加わらなかった。加われなかったと言うほうが正確だろうか。
「――みんな――いままで――ごめんなさい――」
久々に出来上がった憂を中心とした円の中、憂は謝り始めた。女子隊は微笑み、或いは心底困ったように笑った。
「――じょしに――まざって――ごめん――」
顔を伏せてしまった憂に「気にしないで……いいよ?」と、優しく声を掛けたのは結衣だった。彼女の存在感は雪だるま式に、どんどんと増していっている。
そんな少女のひと言が切っ掛けとなり、「そうだよー」「憂ちゃんは……今、女の子……だからね!」「何かあったら……私に言って! 力になるから!」……、そんな言葉が憂を暖かく包み込んだ。
……周囲で見守る6組女子の中の少数が浴びせている、冷たい視線から守るかのように。
この体育館の中はまだ優しい世界だ。C棟に残った者たちだからこそ、彼女は再び、守られる存在へと持ち上げられていく。しかし、C棟を1歩出ると、そこは擁護・支持派と嫌悪・不支持派が拮抗している。
―――憂の再構築の過程は、学園内を二分させてしまったのである。
「憂ちゃんは……やっぱり、優くんなんだね……。今さらだけど……確信しちゃった」
すかさず千穂が憂の耳元で囁く。有希の言葉は若干、長かったと判断したのだろう。
輪が解けた後、憂は自身の足で有希に近付き、隣にちょんと座った。千穂と梢枝は当然のように、憂に付き添った。佳穂と千晶は請われ、6人対6人の人数過剰なゲームに参加させられている。優子もまた有希の横に、寄り添うようにちょこんと座り込んでいる。
「――うん。優だよ――」
その嬉しそうな告白を耳にすると、有希は反対に、淋しそうに俯いた。そんな有希の手に、優子の手が重なった。優子は彼女の想いを彼女本人から聞かされている。
「いいんちょう――ごめんね――」
千穂と梢枝の表情が変化した。疑問を浮かべている。
千穂が気付いた渾名の法則に当て嵌るのかも知れない。高1になっても有希を『委員長』と呼んでいたクラスメイトも存在していた。思い出したのか、新たに憶えたものか、判断が付かないのだろう。
「……どうして?」
謝るべきは自分のほうだ……。そんな気持ちが口を突いたひと言に違いない。以前、有希は優に想いを寄せていた。千穂が居たが為に、隠していた。そして、優は亡くなったと思っていた。踏ん切りも付いていた。健太と付き合い始めた事がそれを証明している。
そこに降って湧いた優の憂としての生存。
有希は動揺を抑え切れず、1度は5組から逃げ出した。複雑すぎる自身の感情が勝っていた彼女は、憂の苦境など思ってもみなかった……。5組から出てから知ったこと……だが、それでも謝るべきは自分だと思う。
「――おもい――出したの――かくしてた――」
思い出してたんだ……。そんな事を千穂と梢枝は思っている事だろう。今まで憂は一切、そんな様子を見せてはいなかった。上手に胸の内に秘めていたのだろう。普段の憂は聞かなければ、何を考えているのか分かり辛い。
「だから――ごめん――」
「謝らなくて……いいよ……」
有希の瞳には薄く膜が張っている。おそらく視界は滲んでいる事だろう。
「生きててくれて……ありがとう……」
ポタリと清らかな雫を零したのは、憂でも言った有希でも……、千穂でもなく、優子なのであった。感化されやすいらしい。
「――ごめんね?」
今度の相手は小さいからだろうか? 子どもに謝罪するかのような語尾で謝った。それでも、自分より10cmは大きい相手なのだが、憂にも小さく見える相手なのかも知れない。
「………………?」
謝られた少女・凛は困惑の表情を隠していない。謝られるような事はされていないとでも思っているのだろう。
そんな凜に、千穂が「体育祭で傷口ぱくってした事だと思うよ? ほら、憂って男子だったから……」と、補足した。
「あ……。その事ね。大丈夫。気にして……ないから。むしろ……ありがとう?」
何故か疑問形で答えた凛だった……が、ここでも千穂の助けが必要だった。憂は4分ほど掛け、理解すると、「――でも」と口籠った。6組の小柄な少女は、そんな憂の肩を掴み、自身に相対させると、少し屈み、柔らかい頬に口を付けたのだった。
そして、動揺する千穂と梢枝を尻目にドヤ顔だ。
「今は女の子! 何の問題もないよ! 傷を舐めてくれた時も女の子! 問題ありません! ……そんなに気にしすぎちゃダメだよ?」
千穂が囁かない。ピタッと静止している。いち早く冷静さを取り戻した梢枝が「……仕方ありませんねぇ」と、囁き始める……が、すぐに放棄した。
「憂さんも停止中やわ。聞こえておりませんえ?」
「……そうみたい。ごめんなさい」
……後で聞いた話だが、突然のチューは、憂への嫌悪感など微塵も無いよ……と、言う宣言の為に行なったそうだ。
そして、この凛と言う、6組最少の少女は友だち2人と、5組への転室届けを提出していると語った。
そんな小柄な少女は「なかなか受理されなくて……」と、困り顔を見せていたのだった。
余談ではあるが、この後、今度は女性教諭が憂たち女子隊に謝った。
早く止めていれば良かった……と。
そんな謝ってばかりの3時間目だった。