161.0話 記者会見
―――10月28日(土) 15:00
記者会見の開始時刻直前となると、会場に使われている院内の広い会議室は、ざわめきに包まれた。国内外のテレビ局、新聞記者など超満員だ。どうやら日本人は前方、海外から出張してきた者は後方と区分されているらしい。
病院職員、院長・川谷、主治医の島井に続き、姿を見せた父・迅、姉・愛。
2人の姿を見て、まずはざわりと会場が揺れた。『再構築』発覚後、初めて家族が公にマスコミの前に姿を見せた瞬間である。
そして、その十秒後、白き制服に身を包み、堂々とした態度の千穂と、その千穂に手を引かれた憂の姿に、会場の記者やリポーターたちは大いに驚かされた。
憂は無数のフラッシュに晒され、眩しそうに目を細めた。千穂に繋がれた右手。その反対の手にはタブレットが抱えられている。
用意されている席は6席。この6名は席のすぐ後ろに控えた。更に後ろでは院長と主治医の間に渡辺の姿も見える。憂の母と兄の姿もあり、迅たちの後ろに立った。憂の出席が決まると一家は全員で姿を晒すことを決めたのである。
……憂はリストバンドもチョーカーも装着していない。自ら外した。
これはありのままを見せようとする、憂なりの心意気なのかも知れない。
「定刻となりましたので、これより記者会見を開始させて頂きます。今回の会見では質問の時間を設けておりますので、ご安心下さいませ」
病院関係者だろうか? それとも総帥サイドの手の者か? 男がざわめきの収まらない会場で一方的に開始を宣言し、その後に英語に開始宣言の前半部分を訳した。まるで質問は日本人記者からしか、受け付けませんとでも言っているかのようだった。
会場内には海外の記者も多数、詰め掛けている。憂の再構築の過程は医学界に衝撃を与えた。憂に価値を見出した者は国内よりも、むしろ海外が中心なのかも知れない。
国内は憂の変貌よりも、もっぱら総帥や病院、家族の隠蔽についての報道に時間が割かれている。しかし、報道がそうなだけで、実際には国内にもそれらは存在しているはずだ。
そんな中、まずは会見に先立ち、6名の紹介が行われた。
千穂の紹介の時には、会場の日本人記者たちは感心したような目を千穂へと向けた。
「立花 憂さんの障がいについては、当院は発表こそしておりませんが、皆さまの知るところだと思います。漆原 千穂さんは立花 憂さんの友人として、この場への出席を自ら買って出て下さいました。彼女は憂さんのフォローをして下さいます」
千穂が凛とした振舞いで一礼すると、家族が紹介された時よりも、前方から多くのフラッシュが焚かれた。
日本人記者席の者たちは、やはり憂の体よりも、憂を巡る人間関係に興味を抱いているようだ。
「そして最後に紹介となります立花 憂さんです。彼女もまた、自らこの会見への出席を決断されました。どうか彼女の現状を、想いを。彼女の口よりお聞きになり、ご判断下さい」
千穂は、小刻みに震える憂を促し、憂は千穂と共に途切れない光の中、一礼すると席に付いた。記者たちに動きが見られた。各所でヒソヒソと何やら相談し合っている。司会の男の言葉の『彼女の口より』。それが意外すぎる言葉だったのだろう。
この記者たちも、おそらくほとんどの者が憂の出席の可能性について調べているはずだ。裏サイトでの会見出席の情報も得ていたはずだ。
それでも本当に姿を現すとは思っていなかったらしい。注目度を高める為の自演だろうと高を括っていた者が多かったようだ。
その上、渦中の人物……、今は美少女の元少年は、発言さえすると言う。いきなり予想外の出来事だったに違いない。
そんな得も知れない空気の中、院長の言葉を皮切りに記者会見は始まった。
「今回の記者会見では、立花 憂さんの現状をお伝え致します。憂さんは現在も医学の進歩の為、定期的な検査を受けて下さっております。よって、他の医療機関、研究機関の干渉は不要です。当院は研究機関ではありませんが、然るべき機関と連携しており、更に強化していく予定です」
男によって、それが通訳されると海外の記者たちから一斉に手が挙がった。質疑応答の時間を設けているとの言葉にも関わらず……だ。いや、その部分は訳されていなかった為だろうか?
一方の日本人の席からは少数だ。
その中で院長・川谷は前方・日本人記者席の男性を指名した。質問は後ほど受け付けると司会の男が宣言したにも関わらず、だ。
司会者は苦い顔をしてみせた。だが、止めなかった。それは院長・川谷の誠意を以て応じると云う宣言にも思えたからか、それとも当初からの予定通りか。
「定期的な検査とは、木曜午後に立花 憂さんが訪れると云う件でしょうか? それについては、復職された現蓼園会長と逢引きされていたとの情報もありますが?」
記者の質問に、院長も主治医も苦笑いを浮かべてみせた。そして、応えたのは島井だった。
「今、現在……。とは言いましても、この騒ぎになるまでは……ですが、隔週で……。それまでは毎週の木曜午後、憂さんは定期検診をお受けになっておりました。蓼園会長との逢引きなど、全くのデタラメです。身長、体重など、間違いなくデータも取っておりますので、証拠をお見せすることも出来ます」
「やはり、誤報でしたか。ありがとうございます」と、その記者はあっさりと質問を締めた。そのデータは要求しにくい。元少年と言えども美少女の成長記録なのだ。
最初の記者が座ると、今度は一斉に手が挙がった。川谷によって、質問が解禁されたからだろう。その川谷は少し離れた席の男を指し示す。
「それでは、今現在、憂さんを匿っておられる事についてお伺いします」
今度は迅が「……投石の中で生活する事は出来ません。蓼園総合病院と蓼園会長のご厚意により、こちらで生活させて頂いております。入院に際して、保険は現在、適用しておりません」と簡潔に答えた。迅もまた、堂々と語ったのだった。人間、追い込まれると強くなる良いサンプルとも云えるのかも知れない。
この記者は質問を締めなかった。次の質問を被せる。
「……投石の中で……と、仰いましたが、その原因の1つに戸籍さえ偽装し、生活していた点があると私は思うのですが、これについて、憂さんにお伺いできますか?」
波音のように記者席は揺れ、少女へと一斉に視線が注がれた。
怯んだ様子を見せたその少女の耳元に、そっと千穂が囁く。
憂はタブレットに目線を落とし、千穂の言葉を織り交ぜ、質問を理解していく。最近では授業中くらいにしか使用しなくなったタブレットを活用している。
おそらく普段の憂は機械に頼らず、自身の五感を使い、コミュニケーションを図りたいのだろう。
だが、この席では理解の速度の向上を図る為、自らの提案によりタブレットを持ち込んでいる。
やがて、質問の内容を理解したのか、マイクに口元を寄せた。
「さいしょは――そう――いわれたから――」
「かくした――ほうが――いいって――」
高く澄んだ声がマイクを通し、響き渡った。
「……それは誰にですか?」
それもまた千穂が囁く。記者の言葉は当然ながら配慮されず、彼女にとっての早口であるからに他ならない。
「――しまい――せんせい――」
憂の言葉を受け、島井が口を開こうとした瞬間だった。
「あの。そのタブレットと、漆原さんの耳打ち……。これにより、憂さんの言葉を誘導していませんか?」
当然の疑問かも知れない。そうだ……。たしかに……。そんな言葉が記者席から溢れた。
千穂は思ったはずだろう。
誰が付いても同じなんじゃないか……と。梢枝にそれを理由に促され、出席を決断した千穂だったが、梢枝に一杯食わされた事に気付いた筈だ。
「横から失礼致します。先程も申し上げた通り、立花 憂さんは障がいを負っております。脳に……です。その為、ゆっくり、途切れ途切れに声を掛ける必要があります。その為に漆原 千穂さんは同席されています。またタブレットについても同様です。貴方の言葉を平仮名で表示しているだけに過ぎません」
すかさず司会の男が行動に移った。千穂の囁きに対する勘違いもまた、想定通りなのだろう。
司会の男は憂に断りを入れると、タブレットを手に取り、記者席に向け掲げてみせた。
そこには今、司会者が話した言葉が平仮名のみで連々と表示されているのみだった。
「如何ですか? それでも漆原さんの耳打ちやタブレットの存在が気になると言われるのであれば、ゆっくりと途切れ途切れに、質問をお願いします。しかし、それは限られた記者会見の時間を削減してしまう行為である事をご理解下さい」
……生中継を見守る視聴者に対しての障がいの告知なのだろう。記者は憂の障がいの存在を知り得ているが、視聴者は知らない人がほとんどだ。
そして、その障がいを前面に押し出す事には大きな理由がある。
様々な団体が憂に接触を試みている。一般の視聴者もそれなりに観ているだろう。
そんな中、障がいを抱えた憂を厳しく糾弾するような真似をすれば、激しく叩かれる恐れがあるのだ。
生放送を許可した。それはこの大きな理由を最大限に利用する為なのである。
疑惑を口にした記者は黙ってしまった。この記者会見に於いても総帥や学園長と同様に、障がいを前面に押し出し、追求の手を緩めてみせた。今でも『仲間』である大人たちは、現代の世相を上手く突いている。もちろん納得しない者、憂に嫌悪を抱く者も居るだろうが、声を大きく上げれば、レイシストとして認定されてしまうのである。
「……私が隠した方が良いと憂さんに話した理由を、お伝えして宜しいですか?」
そんな記者に島井が逆に問い掛けた。それは、この記者への助けである。ここに集った記者たちも敵に回すべきでは無い人たちだ。
「はい……。お願いします」
「そうですね……。憂さんが意識を取り戻し、2ヶ月ほど経った頃でしょうか? 彼女は1つの希望を口にされました。『僕、普通に暮らしたい。学園に行きたい。家に帰りたい』……と。そこで我々は思案しました。どうすれば憂さんが平穏に暮らせるのか、と。そこで出した結論は再構築の過程はもちろん、性別が変わった事さえ伏せ、学園へと戻ること……でした。いつかは破綻する事は理解していました。性転換した事実までは知られても大丈夫なよう、密かに計画を進めておりました。しかし我々の予測を超え、例の画像が出回ってしまったのです」
島井は沈痛な表情を見せ、数秒間、静止した後、言葉を続けた。
「発露が性転換の事実のみならば、再び平穏を取り戻せていたでしょう。しかし、あの過程を見た人の中には嫌悪感を抱く方も……。それどころか、憂さんの身に危険が伴ってしまいます。全ては憂さんの平穏の為に我々と蓼園会長がしでかした事です。憂さんにも、このご家族にも、憂さんのご学友にも罪は御座いません」
島井の言葉を受けると、会場は静寂に包まれた。
それも十数秒の事だった。
再び、2人目の質問者が口を開く。ジャーナリズム精神が沈黙を許さなかったのかも知れない。
「島井先生。ありがとうございました。憂さんは先程、『最初は』と仰られましたね? 心境に変化があったと言う事ですか?」
「憂……? さっきの……続き……」
千穂の涼やかな声が響いた。隣に座る愛が千穂にマイクを向けたのである。疑惑の半分を消し去る為なのかも知れない。
「――――?」
……忘れてしまったようだ。憂は小首を傾げてしまった。
千穂は苦笑いを浮かべると「ほら……。最初は……隠したほうが……って」とマイクを通し、憂に囁く。
蓼学生……。とりわけ、ほんの1週間ほど前までのクラスメイトたちにとっては見慣れた光景であろう。
憂は千穂の言葉を懸命に理解する。もはや、タブレットは放置されたままだ。
千穂が囁き始め、3分は経過した頃だっただろうか。憂はようやく、マイクにふっくらとした唇を寄せた。
「ちから――なくて――よわくて――」
小学生にも中学生にも見える少女の顔に悲しみが広がった。見れば質問をした記者も心配そうな表情に移ろっている。
「こわくなった――から――」
言葉尻は小さく消えかかっていたが、それでもマイクは憂の声をはっきりと拾った。
それでも憂は……。
「わすれてる――友だち――」
憂は言葉を紡いでいった。
「おぼえてた――おもい出した――友だち」
タブレットには、要点が纏めてあったはずだ。
「さがあったら――きず――つけるから――」
だが、それを一切確認することなく、1つ1つ繋げていった。
嘘偽りなど何1つ無いように見えた。
「だから――言えなく――なって――」
そして、感情失禁した。
「――ごめん――なさい――」
「かくしてて――ごめんなさい――」
「ボク――立花――優です――」
それから実に3時間の間、記者会見は続いた。序盤で変わった質疑応答の形のままに。
病院関係者も家族も憂も……千穂も。
誠意を以て、質問に応じた。
「その傷跡について……、お聞かせ頂けますか?」
こんな質問にも「あのときは――ボク――おかしく――なってた――」と応じた。
本当に、全ての質問に応じた。
記者団も次第に誠意を以て、誠意に応じるようになっていった。
立花家の引っ越し先を問いかけるなど、無粋な真似はしなかった。この会見の中では、憂と千穂。家族、蓼園商会、蓼園総合病院、蓼園学園。
……批判の方向へは向かなかった。そう仕向けた。不服な者も数多く居ただろうが、その意見は見事に封じ込められた。
途中で生中継を打ち切る局もいくつか見られたが、それは時間が伸びに伸びてしまった為だろう。当初の予定では1時間の予定だったのだ。
質疑応答となった記者会見の席。
そこで脳再生の事実は伏せられた。もちろん質問が無かったからに他ならない。
体の再構築と脳再生。2つがセットとなれば、憂の身の危険は一気に跳ね上がる。
誰の台本かは不明だが、思惑通りに長かった記者会見は幕を閉じたのである。
その夜。蓼園商会及びグループを大手スポンサーに持つ局は、この記者会見の特番を放送した。
そのカメラは憂と千穂の姿を多く捉えていた。
『……事故当時の記憶は……憶えておられますか?』
聞き辛そうに問い掛けられた言葉に、『――はい』と目を伏せ答えると、カメラはズームし、長い睫毛の戦慄く様まではっきりと捉えた。
この質問は深くは追求されなかった。姉と島井が過呼吸の可能性について言及したからである。
遠慮がちに問われた質問は多数あった。
『女の子になってしまった訳、ですが……、何か変化はありましたか?』
これについては姉がやんわりと『変化しないとお思いですか?』と逆に質問した。
『バスケットボールについての想いをお聞かせ下さい』
試合になど出場出来る状態では無い事は憂も理解をしている。その上で、『バスケ――すきだから――つづけたい――』と涙ながらに語った。千穂も涙を流れ出る前に拭った。
『……憂さんは自身を不幸だと思いますか?』
これについては……。
『わかり――ません――』
『でも――やさしい――ひとに――』
『ふれること――おおく――なった――』
……そう言い、儚い笑みを浮かべたのだった。
1つ、注釈を入れておかねばならない。
質問の全てに応じた……と言ったが、これは日本人記者に対して……である。海外からの記者に対しては、一切の質問を受け付けなかった。もちろん意図的なものなのだろう。