159.0話 現状を打破する為には
―――10月27日(金)未明
「なぁ……? やっぱり優くんが教えてくれてんのか?」
……兄さん。兄さんも呼び方に困っているみたいだね。バスケ部員もそうなんだよ。
「今は、憂ちゃんだよ」
「どっちでもいいって。質問に答えろよ」
質問じゃなくて確認だよね……? 兄さんはどっち? 憂の事を毛嫌いしてる派?
「……そうだよ」
「そっか……。でもよ。同じスタイルはやめとけ? マジな話……」
……聞けないよね。毛嫌いしてる派だったら……兄と思えなくなるよ。
「何度も言ってるよね? 僕は優のやり方でPGを極めたいんだ」
「……折角の武器を捨てるってのか?」
「捨てる気もないよ」
「…………?」
「憂は、さ……。まだ、3P撃てって言わないんだよ。理由も分かってる。まだ、早いんだ。3Pを撃ち始めたら今よりマークが厳しくなるから」
「まぁ……、そうだろうな……。流石は優くんってところか」
「憂に付いていけば、きっと上手くいくんだ」
「そうか……。信頼してんだな。優くんを」
………………。
なんだってそんな優くん優くんって……。
「気に入らないか? 優くんって呼び方が?」
「正直……ね……」
……部屋に戻ろう。このままじゃ兄さんに喰ってかかるから……。
「良かったな。生きてて……」と、僕の背中に声を掛けられた。
……A棟1-7の人たちと違う言葉が嬉しかった。顔は向けられなかった。代わりに手を上げてヒラヒラと振っておいた。
……なんで隠したんだろう?
最初から公表しておけば、こんな事態に陥ってなかったんじゃ……。
公表していたとしたらどうなるかな?
男が女になった……って事で、憂は変な目で見られる。それは払拭出来なかった?
……出来ると思う。かなりの時間は必要だと思うけどね。
じゃあ、どうして?
何度、考えてもここで行き詰まっちゃうんだよね。
スマホを手に取り、彼に初めての個別チャットを飛ばす。あの朝、僕の決断に、彼は快く送り出してくれた。護衛の2人とは違って、彼は自由に動き回ってる。存在感、増しちゃってさ……。驚いてるよ。
京之介【隠していた事を怒っている人がなかなか多くてね。ちょっと困ってるんだよ】
【ふむ。そう思う者も相当数存在するだろうな】凌平
……反応、早いね。他の人とでもやり取りしてたのかな?
京之介【どうして隠したのかな? 隠してなかったらどうなってたか分かる?】
『優が生きてた事は素直に喜ぶべきだと解っているんだよ。でもな。あいつは隠してやがった。知らん顔して通ってやがった。俺はそれが気に入らねぇ……』
バスケ部内でも結構、柔らかいヤツ。一緒にバスケしてた仲間からの言葉がこんな感じだよ。大人しいヤツでもこれなんだ。ほとんどの人は黙ったまま、口を開いてくれない。圭佑が殴った相手なんてマシなんだよ……。
『……憶えてないんだよ。ほとんどの関わった人を……』
フォローになったかどうか分からない。こう返すのが精一杯でさ……。
【僕のように、どういった経緯で性別の完全な変換を果たしたのか、興味を抱く者が現れる。簡単に纏めるとこれが理由に相違ない。僕のような力を持たん一介の学生ならば、問題はない。だが、権力者だったらどうだ?】凌平
……権力者たちが憂に? それって……。
京之介【研究材料として……?】
『後遺症は本当なんか……。じゃあ部活はやっぱり……?』
『……うん。出来ない。出来るのは遊び程度だよ。接触を避けてディフェンスしてあげてるからそこそこ出来てる状態……。試合なんてとても……』
『そうか……』
『そうなんだよ……。その気持ちって分かる? でも、憂は前向きだったんだよ。遊びでもバスケが出来るって喜んでたんだ。頼むよ。そんな憂を嫌わないであげて?』
『……考えさせてくれ。今の状況じゃ……な……』
そう。今の状況。四面楚歌ってヤツだよ。いつか変わるのかな? どうすれば変わる?
【そうだ。憂さんの再生は常識を覆す。それこそ権力を持つ老人には喉から手が出るほど欲しい体だ。学園内での差別や偏見など、単なる副産物に過ぎない。最悪の事態は憂さんが連れ去られる事だ】凌平
……普通に暮らしたい。そんな願いさえ叶わないのか……。
憂。優……。
僕に何が出来る? また学園で普通に暮らすには……。
【憂さんへの負の感情を持たない者……。この際、同情や憐憫もこれに含む。そんな人間は多数に上る。あの動画の効果は間違いない。ただ、今はそれを口に出来ないだけだ。必要なのは何か大きな切っ掛けだ】凌平
切っ掛け……。小さな行動じゃない、大きな……。
京之介【ごめん。明日、学園休むかも。ちょっと思い付いたんだ】
さぁ……。忙しくなるよ。まずは憂の可愛い画像の確保からだね。リコちゃんも学園長先生も協力してくれるかな?
【困った事があれば、すぐに相談しろ。憂さんの為の協力。吝かではない】凌平
……読めない。難しい漢字使わないで欲しいよ。
…………。
吝か、ね……。
……空気を変えるか。言うほど簡単では無い。外野がいくら騒ごうとも憂さん本人が口を閉ざしていれば説得力に欠ける。
……出られるか? 現状で人前になど……。
思惑が絡みすぎていて、混乱する。
そんな時は問題を明確にする事だ。
まず、大人たちはどうやら三つの派閥に分かれている。いや、彼女らを含めると四つか。
学園と病院、総帥。この三つと身辺警護の二人の足並みは今でも揃っていない。
榊 梢枝からの情報提供は有り難い。彼女から見て、僕の完全な支持は予想外だったみたいだな。質問の全てに答えてくれている。これが誠意と云う物なんだろう。
学園は独立しており、憂さんの為を思い、動いている。学園というよりは学園長が……か。即時転室を認めた事実。それは憂さんを守る為に他ならない。
これをSP二人は想定していなかった。これは梢枝くんの発言から推測出来る。梢枝くんは四十名のクラスを想定していた。敵意を真正面からぶつけられる機会を減らす為、学園は退学、停学といった断固とした措置を匂わせ、守っている。これが無ければ状況は更に深刻なものとなっていただろう。
次に病院。
病院は医学的な見地から憂さんを守っている。権力者や他の医療機関からの干渉は相当数に上っているはずだ。それらを跳ね除けている。そろそろ動きが見られるだろう。現状は危険すぎる。
この病院は性転換の事実の発露までは想定していた。そこが漏れた時、おそらく徐々に体が変化していった……と、それだけ情報を流し、憂さんは協力してくれているとだけ発表し、硬く口を閉ざすつもりだったのだろう。
それを総帥が妨害した。
あの男の考えは何だ? 単純に自己の利益を求めているとは思えない。守りながら何をしようとしている? 会長職への復帰も準備されていた。間違いない。権力を得て、何を……?
……あの男に関しては、情報が足りんな。
最後にSP二人。
二人は憂さんの為にだけ動いていた。梢枝くんが全てを隠したかった理由は憂さんの身辺の危険を排除する為だ。これは間違いない。完全に性別を変える。これだけでも十分に危険だ。憂さんに接触する不穏な輩が姿を見せ始める。だからこそ、全てを隠そうとしていた……はずだ。
今は、現状の打破よりも憂さんの安全の確保に全力を投じている。だからこそ、大きくは動けない。細々と動画の編集をしている最中だろう。
やはり、切っ掛けが必要か。外部からの切っ掛けと、憂さん自身の弁明だ。この際、コメントでも構わん。
隠していた件について、明確なコメントを……。
凌平【憂さん? すこし、はなせるか?】
今日も憂さんは休みか……。
部活に顔を出す者は激減した。たったの3人だ。3人も残ってくれた……と、言うべきなのかもしれない。
憂さんの仲間たちを守りたい。守りたいが絶対数が足りない。よりによって鉄壁に見えた憂さんのグループはバラバラになった。
……信じている。
きっと、あのグループは元に戻る。
双眼鏡の向こうで漆原さんは毅然と歩いている。凛々しい姿だ。
『12号です! 目を光らせるにも限界がありますっ!』
「出来る事をしろ! あっ!! 漆原さんの後方に注意しろっ!!」
『あっ! 追い越され……。漆原さんっ!!』
…………くそっ! くそっ!!
「漆原さんは大丈夫か!?」
『大丈夫です! 鬼龍院さんが転倒は防いでくれました! 後ろから突き飛ばした女生徒は「ごめんねー!」って走り去っていきました!』
「4号! クラスの確認を!」
『はい! 6組です!』
「名前を調べて報告しろっ! 1回では言い逃れ出来る! 積み重ねて提出する!!」
学園長は仰ったじゃないか! 悪意を持つなら転室しろと! くそっ! くそっ!
「9号は!?」
『12号です! 9号は絡まれています! 救い出しますっ!!』
「俺も行くっ! 無理をするなっ!!」
廊下を駆ける。出来る事は限りなく少ない。それでも俺は活動を放棄しない! 俺は見てきた! 憂さんを! 漆原さんを!
「ちょい待てよ!」
ちっ……。邪魔だ!
「お前、うぜぇよ。面貸せ」
「負けんぞ!! 貴様らクズに俺は負けん!!」
「やだね。学園中がクソみたいな空気でさ」
「憂ちゃんが優くん……ね。私は高等部からだから直接は知らないけど、このクラスにも居るんだよね? 中学からの持ち上がり」
……ちゃこさんは、憂ちゃんの動画に顔出ししていた。凄い。ちゃこさんは自分の考えを貫いている。
「あたし、持ち上がり組。優くん、可愛かったよ。可愛くて上手かった。女バスに混じってプレー出来たかも」
ケタケタと笑ってみせたのは、ずっとベンチを温め続けていたって言ってた美香さん。試合に出られなくても最後までバスケ部に。どんな気持ちだったんだろう?
C棟3-7は、異質。他所のクラスとは違って、憂ちゃんの味方だって態度を隠さない人が多い。ちゃこさんの存在がこの空気を作り出している。
「おい。幸坂。お前、何もしねーの? 憂ちゃん、恩人なんだろ?」
……引き篭もっていた僕に何が出来る? 確かに僕は憂ちゃんを恩人だと思っている。あの画像を見てからも、それは変わらない。
でもさ……。
「騙されてた気がするんだ……」
うぁ……!
「ちょ! 何やってんの!?」
彼の顔が一変していた。鋭い目付きで僕を睨みつける。女バスでレギュラー張ってた志織さんが止めてくれなかったら殴られてたかも……。
「……大丈夫?」
掴まれた襟首を整えてくれた。
「ちょい……どけ……」
「どかないよ」
「手ぇ出さねーよ」
「それでもどかない」
……ちゃこさんもこっちを見てる。
「まぁいいわ。幸坂。お前さ……。あんまりなんじゃね? 騙されてたって? 男とか女とか、外見で憂ちゃん見てたん? そこだけしか見てねーの? お前が引き篭もる羽目になった原因、ちっと分かった気がするわ」
「……言いすぎだよ?」って志織さんがフォローしてくれたのに「気持ちは分からない事もないね」って……。
……ちゃこさん。近付いてきた……。
「でもね。そう言う時は相手に自分だったらって置き換えてみるといいよ。一方的に考えるんじゃなくてさ。私もそうした」
置き換える……? 憂ちゃん……に?
「事故って目が醒めたら小さな女の子。しかも特別可愛くて、それにプラスして後遺症だよ? 記憶障害もあるんだよね? もし『俺の事、憶えてるよな!?』……とか言われてさ。忘れてる相手に逆上されたりしたら抵抗も出来ない。そりゃ怖いよ。産まれてずっと女やってる私でも想像すると怖い。それが元は男の子。怖くて隠してたんじゃない? 幸坂くんもさ。想像してみてごらん? 憂ちゃんの気持ち、少しは解ると思うよ。気持ちを考えてあげて? それでもダメなら仕方ないけどね」
「ちゃこ……。悪いな。俺が言ってやるべきだったかもしれん」
「いいよいいよ。私、今度また、憂ちゃんが学園来てくれたらね。あの子のクラスを訪ねてみるよ。誰か付いてくる?」
「行く!」
「あたしも!」
「行くよー!」
……励ます為に、この教室の空気を運んであげるんだ……。ちゃこさんは本当に凄い。
「俺も行くわ。憂ちゃんに初めて会えるわ……。お前はどうする? ま、今日、帰った後にでもしっかり考えてみろ?」
「う、ん。そうしてみる……」
「……ら、あ…人のいも…とだよ」
「弟なんじゃない? どう思ってんだろーね?」
「……ちょっと、こ…大き…よ」
ヒソヒソ話すなら聞こえんようにしろよ……。
「剛……?」
「……どした?」
「文句言ってこーか?」
「必要ねーよ」
……ほら。逃げってったわ。
「お前……。陰口言われてむかつかんの?」
「ムカつかねぇワケないだろ」
……でもよ。
「それじゃ、なんで……?」
「喧嘩売ってよ。そのあと、憂に矛先向いたら最悪だろ?」
「お前……」
おうおう。シスコンだ。悪ぃーか?
「今度、妹ちゃん紹介しろ! オレみてーに抵抗無いヤツも居るって伝えてあげたい!」
お前……。嬉しい事言いやがって……!
「紹介……、しねーよ! このロリコンが!」
「お前っ! 違う! オレは純粋に苦境の少女をだな!」
「伝えとくよ。サンキュな」
「お、おう……」
「美優! 何か情報入った!?」
……今日だけで何度目? そんな何度も聞かれてもね……。
「ねぇねぇ! 美優なら何か情報入ってるんでしょ!?」
「あたしの顔見たら分かるでしょ……?」
相変わらず全く空気読めないよね。七海は……。
「みんなー! 親衛隊入って! 人数減っちゃってさ!」
話、聞いてない……。
「憂先輩が帰ってきたら全力で動くんだー! もう遠慮なんかしないよ!! 高等部の校舎にまで乗り込むんだから!!」
……条件無視する気なの……?
みんな遠目にヒソヒソ話。空気読めないって凄いね……。
「今さ! チャンスなんだよ!」
チャンス……?
「憂先輩と急接近する大チャンス! 今、憂先輩には助けが必要なんだ!」
見回す七海に釣られて、あたしもキョロキョロ……。何人か近寄ってきた……。
「……一条。僕も加えて貰っていい?」
「わたしも……」
「俺も!!」
……すっごい。空気が……変わった……。
「七海!! あんた凄いよ!!!」
「わっ! 美優! 抱っこ嬉しいけど待って!!」
…………?
「今日の放課後! 走り回って親衛隊を増やすんだ! みんなで!! 横断歩道はみんなで渡れば怖くないっ!!」
「それ赤信号だろ!」
「「「あはははは!!」」」