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157.0話 孤独な戦い

 


(……水曜日。5組は今、家庭科(おばちゃま)の時間ですね)


 現在、千晶はA棟1年4組に所属しており、彼女はここで、孤独な戦いを繰り広げている。

 入学より半年経過してからの特進への転室は無謀だった。授業は、かなり先まで進んでおり、とても追いつけそうにない。


 ……それよりも何よりも授業だ。どうしても身に入らない。生真面目で神経質な性格を表すように、つり上がった眉毛を描いた、慣れ親しんだ利子とは違う、同じ現国教師の言葉は、右から左へと流れてしまう。これこそが付いていけない最大の要因であり、それを把握している。


 そして、ついついスマホを開く。

 アプリを起動すると【秘密を知り得た者たち】と入力。流れ作業のように【佳穂】をタップした。



【……返事しろ】佳穂



(今日は1件だけ……。怒ってるね……)


 佳穂のアクションを(ことごと)無視(スルー)している。朝も相当、早い時間に家を()った。

 今朝は家から出た瞬間、一瞬だが佳穂と目が合った。お向かいさん、2階の佳穂が自室から千晶を見下ろしていたのだ。慌てて走った。佳穂の視線から逃げたのだ。


(明日は……もっと早く来ないとダメかな……)



 続いて【千穂】をタップした。



【理由は聞かないよ。千晶には言えない理由があるんだよね?】千穂


【……信じてるよ】千穂



(千穂……。今日、知ったのかな……? わたしが抜けた事……。今日から通学だって……。大丈夫かな? 千穂も憂ちゃんも……)


 ふぅ……と、小さく吐息を零すと、その直後、頭に軽い衝撃を感じた。軽い物音もした。

 音のした左下に目を落とすと、無造作に丸められた紙くずが転がっている。


「拾え……」


 後ろの子からでは無い。だが、確かに後方から掛けられた声に従う。紙くずを拾うと、丸まったソレを広げた。


【お前、裏切ったん?

 あれだけ憂ちゃんたちと楽しそうにしてたじゃん。

 憂ちゃん可哀想だと思わんの?

 俺は憂ちゃんの中学時代なんて知らないし、憂ちゃんもちょっとしか見た事ない。

 でも、頑張ってるいい子だと思うわ。

 お前はその憂ちゃん見捨てたん?

 お前も気持ち悪いって思った種族なん?

 最悪だよ。お前は】


 昨日も似たような事があった。昼休憩中、1人でパンを齧っている時だった。


『ねぇ? 貴女、例の子のグループに居た千晶さんだよね? なんかA棟1-4(ここ)に避難してきたみたいだけどさ。本当は知ってたんでしょ? 知らなかったフリしてるだけなんじゃないの? はっきり言わせて貰うけど、迷惑なんだよね。早く元のクラスに戻ってくれないかな?』


 その時は無視した。これからも無視するつもりだ。いざとなればイジメだと告発する腹積もりだ。それは特進(このクラス)では特別、絶大な効果をもたらす事を千晶は知っている。


『知らなかった』とは、絶対に言いたくない。それは本当に憂を裏切る事に繋がると思っている。だが、『知っていた』とも言えない。自分が肯定すれば、多くの時間を一緒に過ごした幼馴染も知っていた事になる。


 それだけは避けたい。



(憂ちゃんと近すぎた人は……八方塞がりみたいですよ……。梢枝さん……)


 千晶はアクションを起こさない。じっと耐えるのみだ。


(梢枝さんの言ってた『知らなかった事に』は、5組に居るままで……なんでしょうね。転室しない想定で話していたはず)


 千晶の考えの通りだ。梢枝は5組に残留した上で『知らない』事にすれば、仲間たちに守られつつ、周囲の敵意を逸らすことが出来る。そんな考えから提案された。転室などしない前提で話されたものだ。


(お父さん……。あんな人だと思わなかった……)


 千晶は机上で腕を枕に突っ伏した。蓼学に初等部から入学し、初めての事だ。彼女の精神は疲弊している。

 この特進のクラス内に於いても、千晶を気遣う幾つかの目が存在している事に気付かないほどに。




 ―――日曜日の事だった。


 ニュース番組を見つつ、父は千晶にこう切り出した。


『お前、(これ)と離れろ。気色の悪い……』


 その瞬間、千晶の時間は止まった。


『あなた? この子は良い子ですよ……』


 そう宥める母は、球技大会の打ち上げで車椅子の憂と接している。その時見た()は、紛れもない良い子だった印象を残している。そして、何よりも愛娘から沢山の話を聞かされた。


『ふざけるな! こんなの(・・・・)とつるませる為に高い金を払って蓼学に通わせていない! これ(・・)と離れられないなら退学させる! 分かったか!?』


 そう一方的に告げるとリビングから出て行った。


『あなた! 待って下さい!』

『お父さん! 話を聞いて!?』


 翌朝も父は取り付く島もなかった。交際を絶ての一点張りだった。


 そして現在に至っている―――




 佳穂にも言えなかった。身内から……。血の繋がった親から憂を卑下されたなどと……。


 瞳に張った涙でぼやける視界を塞ぐ為、瞼と降ろすと楽しかった5組の風景が浮かんだ。

 笑顔の憂が居た。佳穂が居た。千穂が居た。


 千晶はグッと躰を起こした。難解なホワイトボードを睨みつける。


(……負けて……どうするんですか!)


 千晶には、起死回生の一手があった。

 それは途方も無い手段だ。無理は百も承知だ。


 それでも……と、僅かな可能性に賭け、シャープペンシルを握り締める。


(生徒会に……!)



 ……月曜日の事だ。全校集会に続き、生徒総会が執り行われた。


 生徒会長・柴森 文乃は先ず謝罪から入った。


 生徒会は学園創設以来、初めて文化祭中止と云う事態を招いた。学園に中止を通知された時、防ぐことが出来なかったと陳謝した。

 また文化祭の4日目。中止となった当日は時期生徒会長候補選挙日であり、こちらも中途半端な状態で中断された。当然ながら開票も中止となった。



 そこにチャンスを見出した。憂と離れながらも憂を守るチャンスを。



 後日、再投票すると云う選挙に立候補する。勝算もある。


 千晶は、今でも憂を支持する者が多数に渡ると推測している。今は、息を潜めているだけだと信じている。憂を公然と支持すれば、バッシングの対象と成り得る可能性を恐れているだけだ……と。


 その勝機は憂と接触する機会の多かったC棟で立候補すれば、更に高まると予測しているが、それは無理だ。

 グループメンバーに……。かつての仲間に罵倒されれば心が折れる。そんな自信があると言えば言葉がおかしいが、そうなってしまう自分を安易に想像出来た。


 ……立候補さえ出来れば勝機はある。しかし問題は立候補出来るか……だ。

 立候補は一度は締め切られた。その締め切られた候補者に入る必要がある。


(今日……生徒会室に……)


 直訴する……。そう思ったが、それを排除した。


(必要なもの……。結局は……権力……ですか……)


 握り締めたシャーペンをノートの上に転がした。スマホを手にする。もう1度、手慣れた動作を繰り返した。



 そして、震え始めた手で入力する。


 千晶【会えますか?】


 個別チャットを飛ばした。再び薄く膜の張った瞳でその文字を見詰める。


【放課後。A棟応接室でええですか?】梢枝


 梢枝の名前を目にした瞬間、涙が溢れそうになり、慌てて拭った。


【本当は昼休憩にしたいところですけどねぇ。こちらも憂さん、千穂さんから離れられませんわぁ】梢枝


 梢枝のコメントは、憂たちの状況を如実に示していた。押し迫る焦燥感を打ち消し、ゆっくりと入力し……、送信した。


 千晶【ありがとう。大好き】


 自分の入力した文字をじっと見詰める。冗談で苦境を誤魔化そうとするコメントが酷く滑稽に思えた。


【ウチも千晶さん大好きですえ?】梢枝


『からかうなんて……』と云ったコメントを予想していたが、ヤマが外れた。思わず、千晶は微笑んだ。


 ……これが転室後、初めて笑った瞬間だった。







 ―――昼休憩。



 凌平はA棟内を悠然と闊歩している。向けられるいかなる視線も意に返さず、目的地へと突き進む。


 空気を読まない男は、1年10組のスライドドアを迷わず開いた。


 10組は騒然となった。彼らが無視(ハブ)り、時には嫌がらせをしている転室者の仲間だと10組の面々は知っている。凌平もまた、学園内でかなりの有名人だ。


「……凌平。お前……」


 凌平の尋ね人は、ドアのすぐ傍に居た。そして、あからさまに嫌な顔をしてみせた。だが、この男は意に返さない。


「勇太くん。話がある。付き合ってくれたまえ」


「……拓真は?」と勇太は声を下げた。余り、現在のクラスメイトに聞かせたくない。


「居ない。僕1人だ。個人的に聞きたい事がある」


 それを聞き、勇太は、のそりと大きな体をゆっくりと起こしたのだった。





「……悪い。オレは5組には戻れねー」


 勇太の声は風に乗ったが、問題無いだろう。2人はA棟の屋上へと移動した。そこに人は多かったものの、屋上は広い。聞かせたくない部分は声を顰めれば問題なくなる距離を保てている。

 だが、鋭い視線をぶつける男子生徒も存在している。大概、どこに行ってもそんな現状だ。はっきりとは絡まれはしない。学園長の全校集会での言葉が自制させている。


「ふむ。出た以上、それは理解している。聞きたい事とは、その理由だ」


 理由を聞かれると勇太は口元を歪めた。真っ直ぐ見据える凌平から視線を逸した。


「だんまりか。それは誠意に欠ける行為だ。拓真くんは憂さんたちの傍を離れられない。分かるな?」


「あぁ……わかってんよ……」


「ならば、話せ。理由を話せば納得し、退散するとしよう」


「………………」


「………………」


「……分かったよ。けどよ。お前だけに……だ」


「ふむ。分かった」


「オレには弟と妹、合わせて5人も居るんだ。保育園児も初等部のもいる。そいつらがイジメられるかも知んねぇ。オレにはそれを見過ごせねぇ。だからオレは何も『知らなかった』んだよ……」


「そうか。良かった」


「……良かった?」


「至極真っ当な理由があり、安心した。もう君に近づく事は無い。早く居場所が見付かるよう、祈っておこう」


「……お前……。それでいいんか?」


「構わんよ。全員、自分の意思で動けばいい。口外はせん。僕は憂さんが心配だ。戻らせて貰う」


「あぁ……頼む……」


 最後の勇太の台詞に凌平は、薄く笑った。

 笑ったと思えば、いきなり怒鳴った。


「貴様! 掌を返すとはな! 見損なった!! もうC棟に姿を見せるな!!」と大声を発し、勇太の胸を突いた。


 それは凌平なりの惜別の怒声だった。彼は勇太を『知らなかった側』に押し出したのである。






 ―――放課後。



 梢枝は千晶との再会を果たし、千晶の計画を聞くと、早速とばかりに生徒会長・文乃との謁見の場を設けた。舞台は人目を盗み、愛のワンボックスカーの車内で行われた。


「現生徒会は暫定の生徒会として、活動を当面、継続します」


「……あの。就職活動や受験は……?」


「私はもう就職が決まりました。生徒会の面々も勉強を疎かになどしませんよ。心配は要りません」


 文乃は朗らかに笑ってみせた。梢枝は先ず、当たり障りの無い、今後の活動予定について問い掛けたのである。


「そして……。生徒会は、文化祭がこんな形で終わった事を善しとしません。現在、冬休み期間に於ける2日間の『おかわり』を学園に要求しています。近い内に用紙を配布し、開催の是非を問う事になるでしょう。決まったとしても、それはおそらく任意参加の形となります。強制すれば不満を零す生徒も続出するでしょうからね」


「……凄い。凄いですね。会長の熱意は……」


「……悔しいだけですよ。文化祭の中止も……このギスギスした空気も……」


「…………」


「貴女が気になっている、次期生徒会長候補者選挙ですが……」


 千晶はその言葉に驚いた。この生徒会長は梢枝のように、千晶の考えを言い当ててしまったのだ。


「例年通り文化祭で……、必ず要求を通し、いつも通り文化祭で行ないたいと思っています」


「それじゃあ、まだ期間は「ですが!」


 文乃は、さも申し訳なさ気に千晶から目を逸した。


「追加の候補者は容認出来ません……。私は1度、憂ちゃんに肩入れしています。千穂ちゃんは自宅に招きました。追加の候補者に貴女の名前が入れば、生徒会そのものが叩かれる事となり、次期生徒会に多大な悪影響を与えてしまいます……」


 ……追い込まれた千晶は、頼もしい仲間へ縋るように潤んだ目を向けた。


 梢枝は眉尻を下げてしまった。


「……完全無欠の正論です。ウチには付け入るチャンスが思い浮かびません……」






 ―――その夜。



「千晶! お願い! ドアを開けて!!」


 ドンドンとドアを激しくノックする。母は帰宅した娘の絶望に染まった顔を見た。見てしまった。

 娘は無言で帰宅すると、産まれてこの方、掛けた事の無かった部屋の鍵を初めて掛けた。

 夕飯さえ食べてくれない。


「放っておけ!」


 階下からは無責任な声が響いた。

 娘は自慢の娘だ。この1人娘は真っ直ぐ育ってくれていた。


 憂の変貌の過程を知ったあの日、『わたし、憂ちゃんに……優くんに助けられたんだよ。事故の直前……。佳穂と2人でナンパされてた。優くんはそのナンパから助けてくれて……、それであんな事に……。わたしと佳穂が原因なんだ……。でも憂ちゃんはそんな事ないって……。絶対に違うって……。泣きながら否定してくれて……。だから……何があっても、わたしは憂ちゃんを守らないといけないんだ』と、涙ながらに教えてくれた。


 夫は、その場に居なかった。娘の覚悟を父は知らない。


 妻は娘に聞かされた覚悟を夫に話そうとした。だが、夫の口からこぼれ落ちる言葉は『あれ』『これ』と云った、憂を物のように捉える侮蔑に塗れた言葉だった。

 何も聞いてくれなかった。話そうとしても信じられない言葉で妨害された。


 母は心の内で1つの決断をした。


「千晶!? いい!? 聞いて!? 近い内に必ず自由にさせてあげるから!!」




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